報道
病院の室内では、遠山凛が静かに病床にもたれかかり、テレビを眺めていた。
病室の反対側では、宮野優子がつま先立ちで流し台の前で花瓶の水を入れ替えていた。
テレビ画面の中では、ニュースキャスターの厳粛な声が部屋に響き渡っていた。「東京都内ではここ数日で新たに三件の失踪事件が発生しており、警察は依然として有効な手がかりを掴めていません……」
重々しいニュースに耳を傾けながら、遠山凛の瞳が一瞬暗くなった。彼女は俯き、病衣越しに自分の胸の傷にそっと触れた。
「毎日のように人が行方不明になっているのに、私は今……」心の中で小さくため息をつく。傷自体は早く治っていたが、指で押さえるとまだ鈍い痛みが走る。
「私が入院している間、蕭珊雅さん一人でこの人たちを救わなきゃいけないんだよね……」不安げに思いながら、遠山凛は右手を上げ、手の甲にある光の刻印の痕跡がすでに薄くなっている部分に視線を落とした。すると、ふと疑問が頭をよぎる。「私や蕭珊雅さんのように、同じ刻印を持つ者は他にもいるのかしら?」
「凛姉ちゃん、凛姉ちゃん……」幼い声が遠山凛の思考を中断させた。
我に返った彼女が振り向くと、優子はもう水の入れ替えを済ませていた。小さな女の子はつま先立ちで、丁寧に新しく交換したスノードロップの花束を透き通るような花瓶に挿しているところだった。
「見て!今日、お姉さんが持ってきてくれた花なの」と優子は目を輝かせながら言った。「これ、希望を運んでくるって言ってたんだよ。」
朝露の残る白い小花を見つめながら、遠山凛は胸が温かくなるのを感じ、優しく「ありがとう、優子」と囁いた。
それを聞いた優子は嬉しそうに花瓶を遠山凛のベッドサイドテーブルへと運び、そっと置いた。すると突然、何か大事なことを思い出したように目を輝かせ、こう言い出した。「そうだ、凛姉ちゃん!今日、お姉さんが最新号の『怪盗少女クロエ』を持ってきてくれたんだよ。一緒に読もうよ!」
「いいね」と遠山凛は微笑んで答えた。
「じゃあ、すぐ自分の部屋に行って持ってくるね!待ってて!」そう言うと、優子はぴょんぴょんと跳ねながら病室を出て、自分の部屋へと駆け出していった。
元気いっぱいの後ろ姿を見送りながら、遠山凛は「優子、随分元気そうだな」とほっとしたように呟いた。
そのとき、テレビの映像が切り替わり、さらに不気味なニュースが流れ始めた。
「報道によれば、神山トンネル付近で巨大なクマの死骸が発見されました。当初、二十年前に神山トンネル周辺で起きた失踪事件の目撃者が証言していたあのクマだと考えられていましたが、現場で確認されたのは四肢と頭部が引きちぎられた状態で、周囲には奇妙な異臭が漂い、体には正体不明の黒い穴がいくつも開いており、いずれも未知の生物による噛み跡と推定されています。現在、死骸は関係機関へ搬送され、解剖が進められています」と、キャスターの口調は明らかに早くなっていた。
続いて、スタジオの司会者が続けた。「当番組の記者、時坂理沙が現地から最新の進展をお伝えします……」
画面は一転して、取材現場へと切り替わった。カメラには、防護服を着た解剖スタッフ数名とともに、時坂理沙が呆然と立ち尽くす姿が映し出されていた。驚くべきことに、トラックの荷台の中にはクマの残骸などは何もなく、金属製の床一面に細かな砂だけが散らばっていたのだ。
スタジオの司会者はその不可解な光景に気づき、不安げに尋ねた。「どうしたの、時坂さん?」
マイク越しの声にハッと我に返った理沙は、慌てて咳払いをしてカメラに向かい、隠しきれない驚きを声に乗せて告白した。「今朝、クマの死骸はトラックで解剖室へ運ばれるはずでした。ところが、先ほど荷台を開けてみると、死骸は跡形もなく消え去っていて、残っていたのはこの砂だけなのです。」
テレビの司会者と記者が激しい困惑に陥っているそのとき、病床に横たわる遠山凛はその光景を見て、胸が激しく震えた。
これは、クマの死骸が消えたわけじゃない。地面に広がる細かい砂こそが、あの蝕刻の姫が姿を変えたものなのだ。そして、それを殺したのもまた、あの蝕刻の姫に違いない。
彼女は、以前に自分と蕭珊雅さんが共闘して倒したものの、恐ろしい爪と頑丈な骨の盾を携えて再び現れたあの蝕刻の姫を無意識のうちに思い浮かべていた。
「まさか、また復活したの……?」遠山凛の瞳孔が急激に縮み、背中一面に冷や汗が噴き出した。
相手はあまりにも強大で狡猾だ。蕭珊雅さん一人だけでは、とても太刀打ちできないかもしれない!
焦りながら下を向き、改めて自分の胸元に視線を落とすと、深い傷跡がまだじんわりと疼いているのがわかった。今の弱った状態では、本格的な戦闘など到底無理だ。
そのとき、病室のドアが勢いよく開き、優子が色鮮やかな漫画本を抱えて飛び込んできた。
同時にテレビからは司会者の締めの言葉が流れていた。「本日のニュースは以上です。神山トンネルでのクマの死骸が忽然と消えた件については、引き続き注目してまいります。」
「凛姉ちゃん、ただいまー!」遠山凛の異変に気づくことなく、優子は元気よく挨拶しながら『怪盗少女クロエ』を差し出した。
「一緒に読もうよ!」と優子は誘った。
優子に心配をかけまいと、遠山凛は内心の動揺をぐっと抑え、左手で漫画を受け取り、右手でリモコンを操作して電源を切った。画面が真っ暗になると、病室の空気が一気に静まり返った。
彼女は漫画を開き、一方で優子は慣れた様子でベッドに上がると、凛と一緒に物語を読み始めた。
優子は夢中になってページをめくり、主人公クロエの俊敏な身のこなしに感嘆の声を上げていた。しかし、遠山凛の視線は確かに漫画に向けられていたものの、心はどこか遠くへ飛んでいた。ニュースで報じられた一件が、彼女の頭上に覆いかぶさるように立ちふさがり、いつまでも消えることがなかったのだ。
「凛姉ちゃん、見て!クロエ、めっちゃカッコいいよ!」興奮気味に指を差しながら、優子が話しかける。
「うん、すごく格好いいね」と遠山凛は機械的に相槌を打つだけだった。
そんな姉の様子に気づいた優子は話を切り上げ、遠山凛の袖を引っ張って心配そうに尋ねた。「凛姉ちゃん、どうしたの?何か悩んでる?それとも具合が悪いの?」
「別に何も……。体の方はもうだいぶ良くなってるし。ただ、この巻が出るのが遅すぎて、前の話のことを思い出してるだけなの」と遠山凛は努めて明るく振る舞い、優子に笑顔を見せた。「もうだいぶ頭の中でも整理できたから、続きを読もうね。」
「わかった!」と納得した優子はそれ以上追及せず、二人は再び漫画に集中し始めた。
気がつけば、時間は静かに過ぎていた。優子が小さく欠伸をすると、まぶたが次第に重くなってきた。
「優子、眠くなった?」と遠山凛が優しく声をかける。
「うん……ちょっと……」とぼんやりと答える優子。彼女は目元をこすった。
それを見た遠山凛は、優子をそっと布団の中に寝かせ、丁寧に毛布をかけてあげた。
「じゃあ、ここで少し休んでいなさいね。」
「うん」と小さく頷いた優子は目を閉じ、ほどなく穏やかな寝息を立て始めた。
遠山凛は読みかけの漫画をそっと閉じてベッドサイドテーブルに置き、熟睡する優子の横顔を静かに見つめた。しかし、胸の中には再び不安が込み上げてくる。
そのとき、担当看護師の青木紗綾が、プリントアウトされたばかりの検査結果を手に病室へと入ってきた。
眠る優子の姿に気づき、足音を忍ばせながら遠山凛のそばへと歩み寄った青木は、小声でこう告げた。「遠山さん、検査の結果、傷はほぼ完治していますので、もうすぐ退院できると思います。ただし、退院後は激しい運動は控えていただきたいですね。再び傷が裂けてしまう可能性がありますので。」
「ありがとうございます、青木さん」と遠山凛は礼儀正しく応えた。
会話の音に反応して、優子がうっすらと目を開け、「凛姉ちゃん、もうすぐ退院しちゃうの?」とぼそりと呪文のような言葉を漏らした。
遠山凛は優子の額にそっと手を添え、優しく答えた。「うん、お姉ちゃん、学校に行かなきゃいけないからね。」
「そっか……じゃあ、がんばってね」と小さな顔に一抹の寂しさを滲ませた優子は、再び明るい表情に戻って言った。「また遊びに来てね!」
「もちろん、約束だよ。優子も看護師さんのお話を聞いて、ちゃんとご飯食べて、ちゃんと寝てね。私たち、キャンパス見学に行くって約束してたよね?」と遠山凛が笑顔で念を押すと、優子もぱっと顔を輝かせて「うん、指切り!」と叫んだ。
彼女は愛らしい小指を差し出し、遠山凛も笑顔でそれに触れ合った。
二人の和やかなやり取りを見守っていた青木は、優子のそばに膝をつき、こう告げた。「優子ちゃんの治療に特効薬が開発され、臨床試験の段階に入っています。来月には実用化される予定なので、優子ちゃんももうすぐ退院して回復できるはずです。」
それを聞いた優子は目を輝かせ、眠気も吹き飛んでしまった。「本当?じゃあ、もうすぐ凛姉ちゃんと桜を見に行けるの?」
青木は優子の髪を優しく撫でながら、にっこりと微笑んだ。「もちろんだよ。お姉さんは嘘なんてつかないからね。だから、しっかり治療に協力してね。」
「うん、わかった!」と優子は力強く頷いた。
そのとき、優子専任の看護師が病室の入り口で呼びかけた。「優子ちゃん、自由時間ですよ。そろそろお部屋に戻りましょうね。」
「はい、わかりました」と優子が答えると、看護師は遠山凛のベッドの脇へと移動し、優子をそっと抱き上げてベッドの端に座らせ、スリッパを履かせた。
名残惜しそうに遠山凛の手を離した優子は、「じゃあ、お部屋に戻るね。凛姉ちゃん、またね!」と元気よく挨拶した。
「またね」と遠山凛も穏やかに答えた。
その後、看護師に手を引かれ、優子は自分の病室へと歩いていった。彼女の小さな背中がドアの向こうへと消えていくのを見届けたあと、青木はようやく振り返って言った。「それでは、遠山さんもそろそろ包帯交換をしましょうか。」
「はい」と遠山凛が病衣の上着のボタンを外すと、青木は手際よく傷口の清掃と包帯交換を完了させた。すべての処置を終えると、彼女は医療用ワゴンを押しながらドアへと歩み寄り、「それでは失礼いたします。もし何か不快な症状がありましたら、いつでもナースコールを押してくださいね」と告げた。
「ありがとうございます、青木さん」と遠山凛が礼を述べた。
青木が病室を去ると、室内は再び静寂に包まれた。遠山凛は衣服を整え直し、ベッドのヘッドボードにもたれて深く考え込んだ。頭の中には、テレビで見た灰のような砂の山や、謎のまま消えたクマの死骸が次々と蘇ってきていた。
「あの蝕刻の姫がまた復活しているのなら、蕭珊雅さん一人じゃ絶対に危ない……」強い不安が胸を締めつけた。医師からは、傷は一応治っているものの、激しい運動をすれば再び裂けるリスクがあると忠告されていた。それでも、蕭珊雅さんがどこかで独り、あの強大で残忍な敵と対峙しているかもしれないと思うと、遠山凛は居ても立ってもいられなくなった。
「一刻も早く退院しなきゃ。このまま待ってちゃダメだ」と心に決意を固めた遠山凛は、傍らのナースコールを押した。




