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虚界少女  作者: sara
迷雾
83/102

路途

警察署の玄関前の路肩には、濃紺のフォード・マスタング・シェルビーGT500が停まっていた。凶暴なフロントマスクとボンネットのエアインテークが、陽光を浴びて野性的な美しさを放っている。


葉山隼人はトランクを開け、自分の大きなスーツケースがしっかり固定されているのを確認した。


彼はドアを開け、少し申し訳なさそうに美咲に声をかける。「すみません、佐藤さん。これはスポーツカーで、後部座席はもともと狭いんです。普段は二人乗りとして乗ってるし、雅子は体格もいいから、ちょっと無理して後ろに乗ってもらえますか?」


「大丈夫です、乗せていただけるだけで十分感謝しています」と佐藤美咲は慌てて手を振り、慎重に狭い後部座席へと潜り込んだ。


副運転席に雅子が腰を下ろすと、隼人はエンジンスタートボタンを押した。


「ブォーン――」


V8スーパーチャージャーエンジンが低く重厚な咆哮を響かせ、まるで目覚めた猛獣のようだ。全員がシートベルトを締めているのを確かめると、隼人は言った。


「しっかりつかまっていてね、出発するよ。」


するとマスタングは矢のように飛び出し、警察署脇の道路へと滑り出て、南の海岸線へと疾走していく。


葉山隼人は集中して運転し、スピードメーターの針は常に制限速度ギリギリを指していた。雅子は窓の外を眺めながら、賑やかな市街地から広々とした田園風景へ、そして遠くにうっすらと見える青い海へと移り変わる景色を追った。


潮風が車窓のわずかな隙間から入り込み、海特有の塩辛い匂いを運んできた。


葉山雅子は窓をきっちり閉じ、車内のルームミラーで後部座席の佐藤美咲の様子をうかがう。すると美咲は両手を胸の前で組み、祈るように、あるいは乗り物酔いを必死にこらえているように見えた。


四十分ほど走ったころ、前方に交差点が現れた。


その一角の緊急駐車帯には白い日産のSUVが停まっており、屋根には警光灯こそなかったが、ナンバープレートは警視庁のものだった。私服姿の長身の男が両手をポケットに入れてドアにもたれ、片手には火のついたタバコをくわえている。


葉山隼人はウインカーを出し、ゆっくり減速して、そのSUVの横にぴたりと車を停めた。窓を下げ、隼人はにっこりと挨拶した。「久しぶりだな、大介先輩」


男――大介は隼人を見ると、とっさにタバコを踏み消して歩み寄り、朗らかな笑みを浮かべた。「やあ、隼人。ずいぶん経つけど、まだ俺のこと覚えててくれたんだな」


「忘れるわけないだろ」と隼人は茶化した。「昔、若気の至りで暴走族に入って環状線をバイクで爆走してたら、当時まだ見習い警官だったお前に止められたじゃん。取り調べで同じ高校出身だってわかって、お前は二学年上だったけど、罰金切符を切ったあと、一緒に豚カツ定食をごちそうしてくれて、『本当に事故でも起こしたら、次に豚カツを食うのは取調室だぞ』って釘を刺された。おかげで道を踏み外さずに済んだんだ。それ以来お互い電話番号を交換して、ずっと『大介先輩』って呼んでたよ」


「古い話はいいさ。あの頃は大学生になったばっかりの若造だったんだから」と大介は豪快に笑い、続けて車内を覗き込んで言った。「それで、助けが必要だって言ってた女の子って、この子かい?」


隼人は笑みを引き締め、うなずいて後部座席を振り返った。「ああ、詳しいことは電話で話した通りだ」


「わかった。じゃあ早く降ろして、うちの車に乗せろ」


言うが早いか、葉山雅子はドアを開けて降り、シートバックを倒して美咲を後部座席から這い出させた。


佐藤美咲が脚を外し、地面に着いた瞬間、突然両足に痺れるような痛みが走り、膝がガクッと崩れて、そのまま地面へと倒れそうになった。


「美咲!」と雅子が叫び、慌てて支えに駆け寄る。


「大丈夫か?」と葉山隼人もすぐにシートベルトを外して車外へ飛び出した。


美咲は地面にひざまずき、太腿をさすりながら言った。「大丈夫、ただ足がしびれて動かないだけ」


葉山隼人はしゃがみ込んで様子を確認し、こう告げた。「この車の後部座席は確かにちょっと狭いし、荷物まで載せてたから、長時間丸まってると血行が悪くなって、しばらくすれば治るよ」


「ほら、支えるから」と雅子は美咲の腕を自分の肩に回し、大介とともに彼女を広々とした日産SUVの後部座席へと導き、横になってもらう。


すべての手配が整うと、葉山隼人は葉山雅子の肩をポンと叩いて言った。「雅子、俺は先に行くぞ。留守の間、何かあったら隣の都竹美緒警官に連絡してくれ。最近日本は騒がしいし、連続不明者失踪事件の犯人はまだ捕まってないから、自分自身の安全にはくれぐれも気をつけるんだぞ!」


「わかった、お兄ちゃん」


雅子の返事を受け、隼人は運転席側へ戻り、大介に向き直った。「先輩、この二人は任せるよ。佐藤さんはとても説明しづらい経験をしてるから、どうか彼女を無事に家まで送り届けて、状況を確認してください」


「任せろ。ちゃんと面倒を見る。早く空港へ行けよ、飛行機に遅れるな」


「ありがとう」


「雅子、定期的にメール送ってくれよ。安全第一!」と隼人はもう一度念を押した。


「わかった、お兄ちゃん。行ってらっしゃい!」と雅子が答える。


一通りの打ち合わせを終えると、葉山隼人は佐藤美咲と葉山雅子の様子を最後にもう一度確認し、自らの車へと戻った。V8エンジンの轟音とともに、濃紺のマスタングは方向転換し、煙を上げて去り、あっという間に道路の彼方に消えていった。


大介もエンジンを始動。白いSUVは安定した加速で、曲がりくねった海岸沿いの道を南へと進み始めた。


車内はゆったりとしており、エアコンの温度も心地よい。


佐藤美咲は後部座席に横たわり、頭を雅子の太腿に預けている。彼女は上を見上げて、雅子の顔をじっと見つめていた。


「雅子さん……」と美咲がふいに小さな声で尋ねた。「どうしてこんなに助けてくれるんですか?本当は……本当はお兄さんと一緒に帰って、私のことなんか気にしなくてもいいのに」


「初めて会ったときのこと、覚えてる?」


美咲は目をパチパチさせて、記憶を探っているようだった。


「あの真っ暗な廃村で、あなたは消えかけた石油ランプを手に持って、よろよろとこちらへ歩いてきた。全身が震えて、顔は涙で濡れて、目には恐れがいっぱいだった」と雅子は語った。「そのときあなたは私にこう言ったよね。『健吾がいなくなったの、どうか探して』って。その瞬間、私はあなたのために何かしたいと思った。きっと健吾が言っていたように、『誰かを助けるのに理由なんていらない。ただ、自分がそうしたいと思うだけなんだ』って。すぐに健吾を見つけ出す力はないかもしれないけど、一人きりで放っておくわけにはいかないと思ったの」


「ありがとう、雅子さん」


「それに、大介さんにも感謝しないと」と雅子は運転する大介に顔を向けた。「今、彼が私たちをあなたの家まで連れて行ってくれてるから」


助手席の大介はルームミラー越しにちらりと見て、朗らかに笑った。「礼など要らないよ。警察官としても、隼人の先輩としても、当然の務めさ」


大介の車は依然として海岸沿いの高速道路を疾走し、佐藤美咲は雅子の太腿の上で眠りについている。彼女は安らかに眠っているようで、小さく鼻歌のような寝息を立てていた。


大介は黙々と運転を続け、車内はどこか重苦しい雰囲気だ。少しでも沈んだ空気を和らげるため、雅子が率先して話を切り出した。


「大介さん、さっきお兄ちゃんの話では、以前は東京で見習い警官をやってたんですよね? じゃあどうしてその後、警視庁に残らず、こんな辺鄙な場所に来ちゃったんですか? 普通なら東京のほうが将来性もあるはずなのに」


「まあ……話すと長いんだけどね」と大介はハンドルを握る手に少し力を込め、声を低くした。「自主的に異動願いを出したんだ。東京って都会だし華やかだけど、いろんなことが複雑すぎて……何が本質なのか見えにくくてね。ここは僻地だけど、せめて静かでいられるからさ」


彼はこの話題をあまり深く掘り下げたくないようで、口ぶりには少し迷いがあった。


「確かに、人それぞれ考え方は違うもんね」と雅子はすかさずフォローした。


「そういえば、さっき隼人が言ってた都竹さんって人だけど」と大介がふいに口を開いた。


「都竹さんですか? 何かご用件ですか?」


「もしよかったら、彼女に私のご挨拶をお伝えしてくれないか」


「都竹さんをご存知なんですか?」


「昔、警察時代に彼女が相棒だったんだ。でも俺が異動してからは連絡も途絶えてしまった」


「都竹さんが先輩の相棒だったなんて、意外ですね」と雅子は驚いた。


「ああ、彼女とは島田警部のもとでいつも一番目立っていた仲間さ。今も島田さんの下で働いているはずだから、もし会えたら、『勝手に辞めてごめんなさい』って伝えておいてくれないか」


「わかりました、大介さん」


そのとき、車は山岳地帯の分岐点に差し掛かり、前方には警光灯を点滅させる二台のパトカーが停まり、制服姿の警察官たちが黄色い規制線を張って、幹線道路を完全に封鎖していた。そばには「通行止」の看板も立っている。


大介は眉をひそめ、ゆっくりブレーキを踏んで規制線の手前で車を停め、窓を下ろした。


「何が起きてるんですか?」と身を乗り出して、自分の警察手帳を掲げて尋ねた。


警備中の警察官は大介の身分証を見て敬礼し、こう答えた。「大介警部。前方三キロの区間で土砂崩れが発生し、路盤が半分ほど崩落しました。しかも……現場で行方不明者の衣服らしきものが見つかったそうで、救助隊が下で作業中です。安全確保のため、臨時で通行止めにしており、復旧まで二時間ほどかかりそうです」


「土砂崩れ? しかも行方不明者が?」と大介の表情が曇った。


「どうやら本線は通れないな。迂回するしかない」と彼は振り返り、車内に向かって申し訳なさそうに告げた。


「迂回ですか?」と雅子が問い返した。


「ああ。すぐそばに古い道があって、この崩壊区画を避けて野島崎の裏山へ抜けるルートがある。ただ、道の状態はあまりよくなくて、かなり揺れるし、所要時間も四十分散るだろう」


佐藤美咲はふいに目を覚まし、停まったパトカーやそばの警察官を見て尋ねた。「どうしたの? もう着いたの?」


「まだよ、前が通行止めなの。迂回するしかないの。美咲、我慢できる?」と雅子は優しく髪を撫でながら言った。


「大丈夫です。またみんなに迷惑かけて、ごめんなさい」


「こういう天災は、誰にも予想できないからね」と大介は手を振って、器用にバックギアを入れ、ハンドルを切った。


「しっかりつかまっていてね、これから出発するよ」


白いSUVは車首を返し、周囲に草が生い茂る古い道へと入っていった。

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