诗花
午後、天城由美はいつも通り病院の各病室を巡回していた。廊下の突き当たりにあるある一室の前を通りかかったとき、彼女は思いがけず、とても温かく感動的な光景を目にする。
その病室では、制服姿の少女が、ベッドに横たわる小さな女の子と笑いながら手遊びをして遊んでいた。ベッドの少女は宮野優子といい、珍しい病気を患っているため、長い間この病院で治療を受けているのだ。
いま、優子は一冊の美しい装丁のマンガ本をしっかりと抱きしめ、その少女の影絵ショーにすっかり心を奪われていた。少女は窓から差し込む陽の光を巧みに利用して、手でさまざまな生き生きとした動物や植物の形を作り出していく。
優子は少女の一挙一動をじっと見つめ、目には好奇心と称賛の色が溢れていた。気がつけばあっという間に時間が過ぎ、少女のパフォーマンスもほどなく終わりを迎えた。
「わあ、すごく楽しい!凛姉さん、手で作る影絵って本当にすごいね!」優子は嬉しそうに手を叩き、純粋な笑顔を浮かべた。
優子の褒め言葉を聞いて、遠山凛は少し照れくさそうに頭をかき、「別にたいしたことじゃないよ。ネットの動画を見て覚えただけ」と控えめに答えた。
「じゃあ、これからも教えてくれる?そうすれば、凛姉さんやお姉ちゃんがいなくても、私、影と遊べるもん!」優子は期待に満ちた瞳で、夢中になって尋ねた。
「もちろんいいよ。もし本当に興味があるなら、喜んで教えるね」と遠山凛は優子の頭を撫でて、にっこりと微笑んだ。
「本当?凛姉さん、最高だよ!」優子は再び感激して、手にした豪華版のマンガ本をぎゅっと抱きしめた。「それに、これもプレゼントしてくれたんだよね。ずっと欲しかったの!」
「前に君にプレゼントするって約束したし、指切りもしたじゃない」
「ありがとう、凛姉さん!大切にするね!」優子はもう一度礼を言い、マンガを開いて読み始めた。
遠山凛は優子の様子を見つめながら、秋葉原での出来事を思い出していた。あのとき、月野兎美が親切にもこの限定版マンガを代わりに買って、彼女へ贈ってくれたのだ。
もし月野さんが助けてくれなかったら、このマンガは優子の手元には届かなかっただろう。
「月野兎美さんは今、どうしているのかな……」遠山凛は胸の中でそっと思った。月野さんはマンガを贈ってくれただけでなく、代金まで立て替えてくれたのに、凛は連絡先を聞くのを忘れて、まだお礼も返せていない。
「月野兎美さんはまだ秋葉原あたりでアルバイトしてるはずだよね。またいつか行く機会があったら、きっとまた会えるかも」遠山凛はそんなことを考えていた。
「凛姉さん、どうしたの?何か考え事してる?」遠山凛がぼんやり立っているのを見た優子が、心配そうに声をかけた。
遠山凛は我に返って首を振った。「ああ、別に大したことじゃないよ」
「せっかくだから、マンガでも読もうよ!」優子が張り切って提案し、ベッドの上に場所を空けた。
「いいね、一緒に読もうか」と遠山凛も応じてベッドの端に腰を下ろし、二人は並んで寄り添い、マンガを眺めた。
天城由美は彼らの仲睦まじい姿を眺めながら、ふと遠い過去へと思いを馳せた。自分の妹・天城詩花のことを思い出したのだ。
詩花は生まれてすぐに先天性心疾患が見つかり、五年もの間病院で過ごすことになった。その五年間、家族も医師たちもみんなで必死に命を守ろうとしたが、結局は病魔に抗えず、妹は天国へと旅立ってしまった。
妹の生涯の夢は、外の世界を一度見てみたいということだった。最期の日、妹が微かな声で彼女の手を握りながら「お姉ちゃん……私、外の世界……見てみたい……」と言ったのを、由美は今でもはっきりと覚えている。
当時、天城由美は胸が張り裂けるような思いだったが、何もしてあげられず、ただ見守るしかなかった。
遺品を整理しているとき、天城由美は一枚のメモを見つけた。そこには、詩花が最後に書いた手紙がこう記されていた。「お姉ちゃん、私の分までしっかり生きて、外の世界を感じてね」
それ以来、天城由美は医者になることを決意し、あらゆる病魔を打ち負かす一流の医師を目指してきた。しかし、無数の命を救ってきた彼女も、いちばん救いたかった妹だけは救えなかった。
そう思うと、天城由美の目尻が少しだけ潤んだ。
「あ、天城先生だ!」
優子の声が、天城由美を回想から引き戻した。
遠山凛も不思議そうに振り返り、「優子、この先生のこと知ってるの?」と尋ねた。
「もちろん知ってるよ!」優子は誇らしげに胸を張り、まるで偉大な英雄を紹介するように言った。「天城先生はここいちばんの心臓外科医なんだよ!病院のみんなが知ってるし、先生のメスは、どれだけ多くの重病人を救ってきたことかわからないくらいだよ!」
優子の無邪気な賛美は、今の彼女にとっては皮肉のように響いた。たくさんの人を救えるのに、自分自身の命だけは救えない――医者が自らを治せないとは、なんとも皮肉な話ではないか。
それでも天城由美は優子の前に歩み出て、穏やかな笑顔を浮かべながら言った。「私はただ、できることをやっていただけよ。優子、あなたも頑張って、早く病気を乗り越えて退院できるといいね」
「もちろん!」優子は力強くうなずき、そして突然、隣にいる遠山凛に抱きついて大きな声で言った。「凛姉さんとデートするんだもん!」
「デート?」その二文字が遠山凛の頭の中で炸裂し、彼女は一瞬で真っ赤になった。
まさか優子にそんなことを言われるとは思わず、彼女はその場で固まって、どうしていいかわからなくなった。
「優……優子ちゃん、そんな……そんなこと……」遠山凛はしどろもどろになった。
「デートって、好きな人と一緒に出かけることだよ」と優子は童心丸出しで説明し、小さな顔を上げて遠山凛を見つめて言った。「凛姉さん、パンダが見たいの。姉さんのスマホで見たことがあるけど、白くてふっくらして、とっても可愛いよね!元気になったら、動物園にパンダを見に行こうよ!」
「そ、それは……」遠山凛はますます言葉につまった。
優子は遠山凛の様子を不思議そうに見つめ、「凛姉さん、どうしてそんなに顔が赤いの?体調悪いの?」と尋ねた。
天城由美は二人の様子を見てほっと微笑み、助け船を出した。「どうやら、この子はあなたのことが大好きみたいね」
「うん!私は凛姉さんと鞠子姉さんが一番好きなの!」優子ははしゃいで言った。「元気になったら、二人の姉さんと一緒に動物園に行くんだもん!」
ちょうどそのとき、病室の外では宮野鞠子が新鮮な果物の入った袋を手にしながら歩いてきた。ちょうど優子の話を耳にして、彼女は苦笑いした。
「この子ったら、よくわけのわからないことを言うのよね。ご迷惑をおかけしてしまって」
「お姉ちゃん!」優子は玄関の方を向いて嬉しそうに叫んだ。「今、凛姉さんとマンガ読んでるところなの。お姉ちゃんも一緒に来て!」
「いいわよ」と鞠子は答え、まず果物を洗ってくるから、それから一緒に読もうと言った。
「じゃあ、私はそろそろ失礼するわね。ほかの病室も回らないと」
天城由美はにぎやかになってきた病室の様子を見て、これ以上立ち入るのははばかられると感じ、ひとまず辞去する理由を探した。
「天城先生、さようなら!」病室の中の三人は手を振って、天城先生を見送った。
天城由美は病室を出て、次の病室へと向かった。看護ステーションの前を通りかかると、実習看護師の緒方花音が看護師長と真剣に話しているところに出くわした。
看護師長は厳しく花音に告げた。「花音、これから五号室の天童さんはあなたが担当するわ。天城先生が受け持ちの患者さんで、最近は体調も順調、もうすぐ退院できそうよ。退院までの間、日々のケアはすべてあなたに任せるからね」
花音はきちんと頷いて答えた。「わかりました、看護師長。しっかりお世話します」
看護師長はさらに念を押した。「最近、天城先生は患者さんのケアに加え、弟子の真島美嘉子さんの指導もしていて、とても忙しいの。前みたいに迷惑をかけるのはもうダメよ」
緒方花音はきっぱりと請け合い、「承知しました、看護師長。今回はちゃんと気をつけて、天城先生にご迷惑をおかけしないようにします」と言った。
緒方花音が言い終えてドアを開けてステーションを出ようとしたそのとき、ちょうど正面から歩いてきた天城由美とぶつかってしまった。
緒方花音は慌てて一歩下がり、深々と頭を下げて謝った。「天城先生、申し訳ありません!」
「大丈夫、気をつければいいのよ」と天城由美はにこやかに手を振って、続けて尋ねた。「四号室の天童さんのお世話を任されているのよね?」
「はい、看護師長によれば、天童さんが退院したら、私の実習も終わりだそうです」
「では、天童さんの病状についてはきちんと把握しているの?」
緒方花音は手元のカルテを確認して答えた。「はい、病気の内容も、重点的に観察すべき項目もすべて理解しています」
「準備は十分ね。でも、もうひとつ付け加えておくわ」
緒方花音はそれを聞いて、すぐにボールペンとノートを取り出し、熱心にメモをとり始めた。
「天童さんの娘さんは行方不明で、今は独居老人。心理的に寂しさや不安を抱えている可能性があるわ。だから普段のお世話の際には、精神面にも十分配慮して、たとえナースコールが鳴らなくても、こまめに声をかけて安心感を与えてあげて。病室の前を通るたびにも、全体の様子をついでにチェックしてみて」
緒方花音は熱心に聞きながら、天城先生の言葉を一つひとつ詳細に記録し、最後に顔を上げて言った。「わかりました、天城先生。これらのケアのポイントをしっかり守ります」
「ご注意、ありがとうございます、天城先生!」緒方花音は深々と頭を下げて、天城先生への感謝を示した。
「天城先生……」緒方花音が少し躊躇いがちに口を開けた。
言葉が終わらないうちに、天城由美は彼女の意図を察し、にっこりと花音の頭を撫でて優しく言った。「覚えてるわ、安心して」
緒方花音は真剣にうなずき、ほんのり頬を染めて、そのまま走り去った。
「緒方、天童さんをしっかり世話してね。君の活躍に期待してるわ」と天城由美は、遠ざかる花音の背中を見つめながら、心の中で願っていた。




