祛魔
鞠子の誘いを受けた後、遠山凛は優子とさらにひとしきり遊んでから、やがて空が少しずつ暗くなり始めた頃に立ち上がり、優子に別れを告げた。
「優子ちゃん、じゃあ私は鞠子さんと一緒に帰るね。」
「うん、凛お姉ちゃん。」優子は名残惜しそうに別れを告げ、遠山凛が鞠子とともに去ろうとしたその瞬間、こう付け加えた。「次は私にお土産買ってきてね!」
「わかったよ、約束したじゃない?」と遠山凛はにっこり笑った。
「優子、一人でしっかり療養しててね」と鞠子もこの機会に優子に念を押した。
優子は貧弱な胸をそらせて、「わかった、お姉ちゃん」と答えた。
優子の返事を聞いて、鞠子は満足そうにうなずき、隣に立つ遠山凛へと声をかけた。「それじゃあ、行こうか、凛さん。」
鞠子に案内されて、二人は少し古びた印象のアパートメントの前に到着した。鞠子の家は、ここにある一室の賃貸住宅の中だ。
玄関の前まで来ると、鞠子は鍵を取り出してドアを開けようとしたが、ふと思い出したように遠山凛に振り向いて言った。「凛さん、私の家、ちょっと狭いかもしれないけど、気にしないでね。」
「そんなことないよ!どんなに小さな部屋でも、自分の家だもの。私にとって、家って一番温かい場所なんだ」と、遠山凛は鞠子の不安を和らげるため、甘い笑顔を見せた。
鞠子は遠山凛の穏やかな微笑みを目にし、心のざわつきがすっと消えていくのを感じながら、鍵を使ってドアを開けた。
中に入ると、確かにこの賃貸住宅は広くはない。叔母さんが用意してくれた家と比べれば、リビングほどの広さしかない。それでも、寝室もリビングもバスルームも揃っていて、床は鞠子によって隅々まで掃き清められ、物もきちんと整頓されている。
本棚には本が高さ順にきれいに並び、茶卓には清潔なテーブルクロスが敷かれ、窓辺には元気いっぱいの花がいくつか飾られている。
この小さな空間には、鞠子が一生懸命暮らしてきた痕跡があちこちに感じられ、遠山凛はどこかほっとするような温かさを覚えた。
「これが鞠子さんの家なのね」と、部屋に足を踏み入れた遠山凛は、ぐるりと見回して感嘆の声を上げた。「狭いけど、すごく温かい雰囲気が漂ってるわ。」
それを聞いて、鞠子はにっこりと微笑み、「ありがとう、凛さん。とりあえず座ってて。お茶を入れてくるね」と言った。
遠山凛がソファに腰を下ろすと、目の前の茶卓の上にアルバムが置いてあるのが目に入った。彼女が興味津々でページをめくると、中にはほとんどが優子の写真だった。
鞠子が茶碗を持って近づいてきて、遠山凛がアルバムを見ているのを見て口を開いた。「あっ、これは優子の子どもの頃の姿ね。」
「優子って、子どもの頃からこんなに可愛かったんだね。」
「ええ、あの子は小さい頃からずっと私と遊ぶのが大好きでね。退院して元気になったら、またここで一緒に暮らそうと思ってるの。でも、いつになったら治るのか……」と鞠子は少し悩ましげに続けた。
「心配しないで、鞠子さん。優子ちゃんならきっと元気になるから!」と遠山凛は励ました。
「ありがとう。でも優子ってちょっと子どもっぽくて反抗的だから、いつも言うことを聞くように言ってるのよ。」
「大丈夫、優子ちゃんの顔色も日に日に良くなってるし、もうすぐ退院できるはずだわ」と遠山凛は鞠子の手をそっと取って、真摯な表情で言った。
鞠子は遠山凛のまっすぐな瞳を見つめ、小さくうなずいた。「うん!ありがとう、凛さん。優子のこと、ずっと気にかけてくれて、付き添ってくれて本当に感謝してるわ。」
「どういたしまして、たいしたことじゃないから」と遠山凛はにこりと笑って手を振った。
「じゃあ、ご飯を作ってくるね。凛さんはここでちょっと待ってて、どうぞゆっくりしていてね」と鞠子が言った。
「わかった、宮野さん」と遠山凛は応えた。
鞠子はそう言うと、くるりと身を翻して台所へ入り、エプロンを締めて慣れた手つきで野菜を洗い、切り始める。たちまちキッチンからは包丁の音と調理の音が響き渡り、鞠子の姿が忙しく動き回るたびに、料理の香ばしい匂いが部屋中に広がっていった。
遠山凛はリビングの小さなソファに座り、台所でせわしなく働く鞠子の姿を眺めながら、心の中でそっと誓った。「宮野さんはもう、あの殺戮の運命からすっかり解放されたんだろうな。本当に良かった。」
ほどなくして、キッチンから料理の香りがふわりと漂ってきた。
しばらくすると、鞠子が大きなお膳を抱えて現れ、焼きたてのジューシーな肉、さっぱりとした野菜サラダ、大根入りの味噌汁にご飯――どれもおいしそうな一品を次々とテーブルに並べていく。おもてなしの気持ちを込めて、秋刀魚も二尾多めに焼き上げ、皮はこんがりと香ばしく仕上がって、食欲をそそる香りが立ち上っていた。
「家にはあまり良いものがないから、ちょっとしたものしか用意できなかったんだけど、気にしてないでね」と、少し照れくさそうに遠山凛に声をかけた。
「そんなことないよ!見た目からして最高においしそう!」と遠山凛はまったく嫌がらず、むしろ思わず舌鼓を打った。
「では、失礼します、いただきます!」と遠山凛は両手を合わせて挨拶した。
「私もいただきます」と鞠子も同じように手を合わせた。
それから二人は、学校での楽しい話題を交えながら、この美味しい夕食を味わい始めた。授業のこと、鞠子は面白く教えてくれる竹内先生の話をし、遠山凛は熊本の実家の暮らしについて語った。
「そういえば、私も最近、マンガを読もうと思ってるのよ。」
「本当?どうしてマンガを読みたくなったの、鞠子さん?」
「受験のせいで、これまで特別活動も趣味もほとんど持てなかったけど、合格して時間にも余裕ができてきたし、優子もマンガ好きだから、私もちょっと読んでみようかなって思ったの。」
「それはいいね、何冊かおすすめしようか?」と遠山凛が熱心に持ちかけると、
「ぜひお願いしたいわ」と鞠子はにっこりと応えた。
食事が終わると、二人で食器を片づけ、そして鞠子の柔らかくて大きなベッドに並んで横になり、窓の外を吹く風の音と互いの穏やかな呼吸を聞きながら、つかの間の静けさと安らぎをじっくりと味わった。
時間はあっという間に過ぎ、気づけば窓の外はすっかり夜の闇に包まれていた。遠山凛は時計を見て、少し名残惜しそうにベッドから起き上がり、鞠子に別れを告げた。「鞠子さん、もう遅いし、これ以上はここに泊まれないわ。最近、謎の失踪事件がニュースで取り沙汰されてるし、夜に一人で出歩くのは危険だから、あなたも十分気をつけてね。」
「うん、わかってる」と鞠子も体を起こした。「凛さん、道中も気をつけてね。」
鞠子は玄関先まで遠山凛を見送り、階段の角で彼女の姿が見えなくなるのを見届けてから、ようやくドアを閉めた。
部屋に戻ると、今日は遠山凛からもらった小さな砂時計を自分の机の上に置き、修理が終わったばかりのクォーツ時計を脱いで、砂時計のそばにそっと並べた。
なぜだかわからないけれど、この二つのアイテムは本来、一緒に置いておくべきものだと直感的に感じられたのだ。以前、病院で小さな砂時計を眺めていたときにも、どこかで聞いたことのあるような懐かしさが胸に浮かび、それがどこから来るのかどうしても考えがまとまらなかった。
時刻を確認し、一日の疲れを落とすためにシャワーを浴びようと浴室へ入ったその瞬間、突然時間が止まり、あたりのすべての音が消え、空気さえ凍りついたように固まった。鞠子は驚きながら、一体何が起きたのかと戸惑ったが、この感覚はどこかで似た経験をしたことがあるような気がした。
恐ろしさに震えながら周囲を見やると、寝室のドアの向こうから、紫色の長い髪をなびかせた女がゆっくりと入ってきて、不気味な笑みを浮かべていた。
「可愛い私の鞠子ちゃん」と、静まり返った浴室に彼女の声が響いた。「王様が、あなたを虚界の少女として抹殺するためにわざわざ私を遣わしたの。でもね、可哀想なあなたを見ていると、冷たい砂の塊になるなんて忍びなくて……だったら、お姉さんが連れて行ってあげてもいいわよ?」
王様、虚界の少女、砂になってしまう……一体何の話なのか、鞠子にはまるで理解できなかった。
「あなた……誰なの?何を言ってるの?」と鞠子は思わず問い返した。
「可哀想な鞠子ちゃん、記憶力が本当に悪いのね。思い出させてあげましょうか。あなたは王様に選ばれた虚界の少女で、ほかの少女たちと印を奪い合いながら生き延びていかなければいけないの。ところが、芹沢美空という少女を殺した挙げ句、王様の命令にも逆らってしまったから、刑に処されるはずだったのに、なぜか処罰を逃れてしまったのよ。」
「私……美空を……殺ったの?」と、衝撃的な事実を耳にして、宮野鞠子は一瞬、受け止めきれずに膝をつきたくなるほどだった。しかし、目の前の女によって時間が止まってしまい、身体はぴくりとも動かない。
すると突然、頭が激しく痛むとともに、記憶の波が怒涛のように押し寄せ、あの午後の光景が鮮明によみがえった。あのドアの前で、生き延びるために美空と命を賭けた死闘、そして最後には彼女を斬り伏せたあの記憶!
「あなたはいったい何者なの!? どうしてこんなに執拗に私を追い詰めるの!」と鞠子は怒鳴った。
「どうしてって?」と女は突然、哄笑しながら言った。「だって、あなたが好きなのよ、鞠子ちゃん。ただそれだけ。」
「だから、王様の奴隷になって、私と一緒に来てみない?どう?」と、彼女は両腕を広げ、鞠子に触れようと手を伸ばした。
その冷たい指が鞠子の肌に触れる寸前、鞠子の右手の甲に宿るメビウスの輪の印から、強烈な純粋な聖なる光がほとばしり出た!
その光は、鞠子にとっては祝福でありながら、目の前の奇妙な女にとっては最も致死的な毒だった。
「ああああああ――っ!」
女は聖なる光に焼かれ、苦痛の極限を訴える悲鳴を上げた。光の灼熱のもと、彼女の美しい人間の姿は不安定に歪み始め、全身が紫に染まり、両腕には鋭利な剣が生えた怪物が今にも姿を現しそうだった!優雅な女性と獰猛な怪物との間を行き来するような変貌を繰り返し、最後には悔しさの咆哮とともに、闇へと完全に消え去った。
時間停止も同時に解けた。
鞠子はまだ息も絶え絶えに、女が消えた場所を見つめながら、胸の恐怖が収まらないままだった。
「私が、美空を殺ったっていうの……?」と、あまりにもショッキングな事実に彼女は崩れ落ちそうになった。力なく地面にひざまずき、両手で頭を抱えて涙が止めどもなく溢れ出す。
「どうして……どうして私が美空を殺せるわけがあるの?違う!そんなことはありえない!」と彼女は叫び、ついには浴室中のあらゆるものを叩き壊し始めた。石鹸も、ボディーソープも、シャンプーも、脱いだ服も次々と投げつけた。
ほどなくして体力を使い果たし、顔を覆って泣き崩れた鞠子は、あの引越社でのアルバイトも、結局は美空に犯してしまった罪を贖うための償いだったのだと悟った。
「これは間違いだ!きっとあの女が私を騙してるんだわ!私がそんなことをするわけがない!ハハハ、全部嘘よ!全部嘘だわ!ハハハ、そんなの信じないんだから!」と、狂乱状態で笑い続ける鞠子の声は、泣き声よりもなお切ない。
するとまた、激しい眩暈に襲われ、身体がぐったりと力尽きそうになった。慌てて壁に手を当ててなんとか身を支えた鞠子は、ぼんやりと呟いた。「今、何が起きたのだろう……?」
どうやらまたしても、あの謎の力によって記憶が消されてしまったらしい。今はただ、さっき停電があって、浴室で転んで中をぐちゃぐちゃにしてしまったことだけが、おぼろげに思い出されるだけだった。
荒れ果てた浴室を見渡し、濡れた衣服を一枚一枚拾い上げて元の位置に戻していく鞠子。
一方、鞠子の家の近くの通りでは、カップルが路肩のベンチに寄り添って座っていた。
「ねえ、健次、こんな時間だし、もう帰ろうよ!」と、女子が遠くの夜の景色を眺めながら、少し不安げに言った。
「何だよ、絵里子、意外と怖がりじゃん」と健次は皮肉っぽく笑い、隣の絵里子をぎゅっと抱きしめた。
「だって、謎の失踪事件が続いてるじゃない!ちょっと心配なのよ。」
「大丈夫、私があんたを守ってるんだから、犯人が来ても追い払ってやるさ!俺は空手のチャンピオン、桃井健次だぜ!」と男は自信満々に言い、顔には誇らしさが滲んでいた。
彼の言葉が終わらぬうちに、通りの向こうから、奇妙な紫髪の女がよろよろと歩いてくるのが見えた。
「ねえ!健次、見て、あそこにいる女!」と絵里子が通りかかる女を指差した。
「ん?あの女、歩き方が妙だな……」と健次が首を傾げたその瞬間、女の姿は一瞬で獰猛な怪物へと変わり、両腕には鋭利な剣が生えた。だが次の瞬間には再び人間の姿に戻ってしまう。
「きゃあっ!」と絵里子は驚いて、健次に抱きついた。
「どうした、絵里子?」と健次は一瞬の出来事をよく見ていなかったため、慌てて尋ねた。
「あ……あそこ、怪物が……」と絵里子はよろめく女を指差し、手には冷や汗がにじみ出ていた。
「あれはただの奇妙な女じゃないのか?怪物なんていないだろ?」と健次が反論した。
「怪物」という言葉を耳にした途端、女は何か合図を受けたかのように、瞬時にカップルの眼前へと迫った。
「ちゃんと見えたでしょう?」と、彼女は相手の二人に向けて視線を突きつけ、一瞬で冷酷非情な眼差しに変わった。
カップルは肝を冷やし、動転した。
「絵里子、逃げろ!!!」と男が女子の手を掴み、一転して逃げようとしたが、二人とも鉛を流し込まれたかのように身体が地面に張り付いてしまい、微動だにできない。
紫髪の女はその様子を見て、腕の剣を振り上げ、桃井健次の一撃で彼の身体を貫いた。刺された瞬間、健次の肉体は一瞬で砂へと変わり、地面に散りばめられた。
絵里子は、女に斬り殺された健次を呆然と見つめながら、恐怖に打ち震えた。だが、時間が止まった静寂の中では、悲鳴を上げることすら叶わなかった。
すぐに女が再びエリコの前に立った。エリコの内心の恐怖に気づいたのか、女は妖しげな笑みを浮かべ、エリコの首をつかんで持ち上げた。瞬間、彼女の喉元から激しい窒息感が押し寄せる。
「バキッ!」
キンと澄んだ音が響くやいなや、エリコの首は一瞬で折れ、その身体は地面に落ちて一瞬で砂へと変わってしまった。
紫髪の女は自分の“作品”を眺め、満足げに微笑むと、そのまま踵を返して去ろうとした。
「あなた! なぜ彼らを殺したの?」
街角の暗がりから、強い威圧感を帯びた声が響き渡る。紫髪の女が振り向くと、月明かりの下、遠山凛が影の中から歩み出てきて、その瞳がじっと彼女を捉えていた。




