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四月二十九日(土・8)。人の数だけ個性がある。

 お茶請けは、『おがわ』で特売してた贈答用の一口チョコレートの詰め合わせに決定。チョコが納められたホールケーキサイズの缶ごとこたつの中央に持って行って、さらに缶コーヒーを四本湯煎し、ついでに緑茶を一人分錬成。


 俺がおやつタイムの準備を整え終えた頃には、ぼんやり眼の眠り姫達が昼食の時と同じ席へと着いていた。


 だが。任務を無事に完了した真鶴佐久夜は、皆とは逆にぽてんと倒れ込んでしまった。「あふぇぁー」と蕩けきった奇声を上げながら、スカート越しにお尻をゆるゆると撫でている。


 俺は詩乃梨さんの隣に腰を下ろしながら、テーブルの上に用意した緑茶入りの湯飲みを持ち上げ、真鶴佐久夜の鼻先に持って行ってみた。


「……緑茶って、鎮痛効果あると思うか?」


「……鎮静、はあるんじゃないかなぁ……。ねえこたちー、うちになんかご褒美無いの? うち、ちゃんとみんなをゆるやか~に起こしたよ?」


「よくやった。褒美にこのお茶をあげよう。きみだけお茶だぞ。やったな、特別扱いだ。またの名を仲間はずれとも言う」


「………………………………わぁ-、嬉しくねー……」


 真鶴佐久夜は俺の手から湯飲みを受け取り、中身が零れないように気を付けながらゆっくりと身体を起こしていった。


 女の子座りに移行した真鶴佐久夜は、こたつに行儀悪く両肘をついて、お茶をずずっと啜り、ほぅっと溜息。


「……あー、おちゃうめー……。……ねえ、ちょこ食べていい?」


「おう、たぁんと食って肥え太れ」


「う、うわぁい……」


 真鶴佐久夜は悲鳴のような歓声を上げ、カーディガンからちょこっとはみ出た指先で缶の中のチョコレートを摘まみ、口の中へぽいっと放った。


「んむ、んむ。………………あー、なにこれうめー。お酒っぽい匂いする。これ高い?」


「贈り物にするようなやつだから、本来の値段もそれなりだな。売れ残りを投げ売りしてたから、かなり安く買えたけど」


「へー。……いっぱい食べていい?」


「……これはみんなで食べる用のやつだから、あんま独り占めしないように。気に入ったんなら、手つかずのやつ残ってるから売ってやるよ」


「売ってやるならいらないや。お金あんまないし。くれるならありがたくもらうんだけどねぇー?」


「厚かましいなおい。じゃああげるから、後でなんか借り返せ」


「ずずずずずずずずずずず」


 こいつ、『借り返せ』の部分だけお茶啜る音で聞こえないふり決め込みおったぞ。こっち向けこら、明後日の方向見ながら器用にチョコひょいぱくするんじゃねぇ。


 真鶴佐久夜の猫じゃらしみたいな後ろ髪が咀嚼の度に揺れ動き、思わず引っ掴んでやりたい衝動に駆られる。でも女の子の髪に気安く触れるなんてできないので、俺はふらふらと伸びかけていた手を自分の分の缶コーヒーへと伸ばし、ちびちび啜りながらなんとなく他の女の子達の様子を眺めてみた。


 そしてデジャヴ。


「……………………………………」


 俺と真鶴佐久夜を無言で見つめる、三対の瞳。それらはどれもこれも眠気を色濃く残していたが、しかし明確な意志を持って俺達のやりとりをじっと眺めていた。


 対面の席の千霧は、道端で唐突に遭遇したナマコを見るような胡乱極まる失礼な目つき。右隣の席の綾音さんは、自分が気に入っている後輩が期待よりちょっと上の成果を出してきた時のような感心と喜びの眼差し。そして俺のすぐ右横で正座してる詩乃梨さんは、理解出来そうもない難解な数式を戯れで解こうとしている学生みたいな、程良い気楽さと一匙の真剣が同居した瞳。


 なんでこの子達、すぐ無言で人のこと観察したがるんだろう。もっといちゃいちゃガールズトークに花を咲かせていいのよ?


 そんな思いが通じたのか、千霧と綾音さんと詩乃梨さんがようやくガールズトークを開始。ただし、目で。アイコンタクトで。言葉を用いず、目と目で通じ合っている。なぜだ。


「こたちー、お茶お代わりおくれー」


「ん? ああ、はいはい」


 横合いから伸びて来た小さな手から湯飲みを受け取り、俺は適当に緑茶の粉末とお湯をぶち込んでさっさと返してやった。


「はい、どうぞ」


「さんきゅーでーす。……………………うぇっ、何これにげぇー」


「……チョコと一緒に食うんだから、ちょっと渋めの方が合うだろ? 俺のさりげない気遣いだ」


「それ嘘だよね。今こたちーほとんど手元見ないでこれ作ってたよね。そして今尚うちのことろくに見てないよね。気遣いの『き』の字すら行方不明だよね」


 だって仕方無いじゃ無いか。俺は他の女の子達のアイコンタクトの傍受と解読で忙しいのです。でも彼女達の技術が高度すぎて、俺程度の心眼ではちょっと解読できそうに無い。


 俺は溜息を吐いて、真鶴佐久夜を横目に見やって手を差し出した。


「ほれ」


「…………? はい」


 真鶴佐久夜は、左手に持ったお茶を軽く啜りつつ、右手に持っていたチョコを俺の手の平へ将棋の駒みたいにぺちんと指した。


 俺はそれを自分の口の中へぽいっと放り込み、もぐもぐ咀嚼しながら再び手を差し出した。


「ほれ」


「…………? はい」


 真鶴佐久夜は、左手に持ったお茶を軽く啜りつつ、チョコに伸ばしかけていた手の軌道を変えて俺の手を握ってきた。


 手の平の中程までが柔らかい布地に覆われた、小さな手。見た目の繊細な印象に見合わず無遠慮な力が込められたそれに、俺もとりあえず同じくらいの力で応じた。


 手を繋いだまま、軽く上下に振る。にぎにぎ。


「なんでやねん! ちゃうわ、お茶作り直すから湯飲み寄越せっていう意味だよ!」


「今のでそんなのわかるわけないじゃん! 言いたいことあるなら口で言えってぇの!」


 いや、全くですね。反論の余地無し。でも素直に認めるのも悔しいので、握ったままの真鶴佐久夜の手にぎりぎりと力を込めてやった。


 が、真鶴佐久夜、意外と握力が強い。俺は既にそこそこ以上の力を込めているはずなのに、真鶴佐久夜は楽しそうに牙を剥いて真っ向から堂々と受けて立っていた。


「……え、なんできみそんな力強いの? スポーツとかやってる?」


「中学では色々やってたけど、高校では全然かな。たまに運動部の子と昼休みにジュース賭けて勝負するくらい」


 それ、本職の人と良い勝負できるって意味じゃないすかね? さすがに単純な力比べなら負ける気はしないけど、スポーツというジャンルになると俺はこの子に惨敗する気配ビンビンします。おまけに、俺が『力比べやめようぜ』という意図で手の力を緩めたのに、真鶴佐久夜はここが勝機とばかりに全力で握りしめてきやがって、一瞬うっかり力比べでも負けそうになった。


 ……こいつ、単純な筋力はあんまり無いくせに、力の配分が絶妙な上に勝負所をきっちり押さえに来やがる。技術と勘で戦う、天才肌の技巧派。無駄に筋トレするしか能の無かった俺とは完全に真逆である。


 どうしよう。大人げなく、一気に全力込めて勝負決めてやるべきか。それとも、敢えて相手の土俵で戦った上で頑張って勝利をもぎ取るか。


 互いの汗が混じり始めた手を必死に見つめながら、俺はようやく決断を――


「あの。佐久夜ちゃんも琥太郎さんも、ばかなことやってないでそろそろ戻って来て下さい」


 道端に落ちてたナマコを見るような目の千霧が、どうでもよさげに台詞を放ってきた。


 いつの間にか三人の少女達による目と目と目の秘密の会議は終了していたらしい。千霧はこちらを見ながら時折缶コーヒーをずずりと啜ってて、綾音さんもチョコレートを頬張ってのほほんとした笑顔を浮かべてて、詩乃梨さんも一口サイズのチョコを三口くらいにわけてもふもふ囓って頬を緩めている。


 俺と真鶴佐久夜は顔を見合わせて、首肯を交わし、どちらともなくゆっくりと手を離した。


 俺はようやく解放された手を握ったり開いた敷いて軽く解しながら、気を取り直して千霧へと向き直る。


「そっちの話は、もう終わったのか?」


「ええ、まあ。『考えるだけ無駄』ということで、概ね見解は一致しました。それより、私達が寝てる間に佐久夜ちゃんと琥太郎さんで何か話したんですよね? そっちはどういう内容だったんですか?」


 彼女達の会話の内容について訊ねる間もなく、極めて事務な声音で問いが放られてきた。


 返答の台詞を頭の中で構築する俺に先んじて、真鶴佐久夜が威勢良く挙手して溌剌とした笑顔で答えた。


「こたちーが、ここにいるみんなのこと護ってくれるってさ! これでストーカーなんてちっとも怖くないね! あ、あとストーカーはストーカーじゃないよたぶん!」


「……護る……? ……ストーカーじゃないっていうのは……、尾行されてたのは私の勘違いだった、ってことですか?」


「ううん、尾行は実際されてたと思うよ。たぶんかやちーに直接何か用事あったとか、かやちーを経由してうちかしのちーに用事あったとかで、話しかけてほしくて追いかけてきたんじゃないかな? ……自分から話しかけてこないで、わざわざしつこくストーキングしてきたのは……まぁ、なんていうか……、山岡くん、重度の尾行癖ある子だからねぇ……」


「………………………………は? ……び、びこうぐせ……?」


 千霧が思いっきりドン引きして上体を軽く反らしながら、俺にちらりと目線を送って来た。


 俺は両腕を組み、深々と首肯した。


「実際いるんだよ、そういう人は。山岡くんはまだ大丈夫な部類みたいだけど、もっと困るのだとこっちから話しかけても何も答えてくれなかったりするからね。そういう個性を持った人間なだけっていう場合もあるし、……あとこういう言い方はあんまりしたくないけど、心や脳に傷を追っている、っていう人も世の中にはいるから。

 別に、『だから優しく接してあげなくちゃならない』なんて言う気はこれっぽっちも無いし、むしろ、そういう人達って悪意も無いけど……根本的な所で常識も、無いから、できるなら『絶対に近付くな』って言いたい所ではある……。みたいな、感じなんだけど、とにかく、そういう人もいるんだな、っていうのは漠然とでも理解しておいて」


 だいぶ言葉を選びながらの、たどたどしい解説。になってはしまったけど、どうにか千霧に平常心を取り戻させることには成功したようだ。


「……そっか、そうですよね。世の中、本当に普通でまともな人間なんて、いないですよね」


「そういうことだ。……それに、一見まともに見えて、周囲にも人格者だと思われているような人だって、特定の相手に対してだけは醜悪な怪物に変貌するって場合もあるからな」


 ――まるで呼吸するのと変わらない自然さで、俺や見知らぬ先達達を死の淵へと追いやった、あの先輩のように。


「………………………………チッ」


 嫌なモノを思い出した。さっさと忘れよう。


 俺は手近に有った湯飲みを掴み、中身を一気に胃へ流し込んだ。


「……………………うぇっ」


 なんだこれ、超苦ぇ。誰だこんな毒物作ったの。でも、おかげで良い感じに気分転換になった。


 俺は空になった湯飲みをもう一度渋めのお茶で満たし、鼻先を突っ込むようにして啜りながら味と匂いを堪能した。


 堪能してたら、左右から二人の女の子に服の裾を引っ張られた。


「こたちー、それうちの。その湯飲み、うちのやけん。返してぇな。湯飲みとうちの初間接キス、返してぇな。返してくれへんのなら、せめてもーちょっとげへげへ言いながらちゅっちゅしておくれよ。そんな苦そうな顔でやられたら、うち女としてせつないわ」


「さくやは勝手にせつなくなってればいいよ。それよりこたろー、自分で自分の傷えぐりにいくクセそろそろ直そ? 自分傷つけるより、さくやと握手して枯れ枝みたいな手をぼっきぼっきへし折りまくって遊んでる方がきっと楽しいよ?」


「うちの白魚のような手を枯れ枝とか言わんといてくれる!? しかも真鶴佐久夜ちゃんの手は二本しかないのでそんなにぼっきぼっきやりまくれるほど沢山有りませんよ!?」


「生やせ」


「生やせ!?」


 うわぁ、詩乃梨さんってば未だかつて見たこと無いほどに爽やかな笑顔だよ。真鶴佐久夜だけじゃなくて俺までちょっと驚いちゃってます。詩乃梨さんってこんなお茶目な所もあるのね。……え、あの、今のただのお茶目ですよね? 本気で真鶴佐久夜に千手観音かヘカトンケイルになれと仰られてるわけではないですよね?


 全く逆の意味を持つ笑顔を浮かべて見つめ合う、詩乃梨さんと真鶴佐久夜。間に挟まれた俺はまた別の種類の笑顔を顔に貼り付けながら、お茶をちびちび啜りつつ千霧と綾音さんの様子を眺めてみた。


 二人は二人でちょろっと話し込んでいたようだったが、俺の視線に気付いた千霧がなぜか悔しそうな顔で押し黙ってしまい、千霧の変化を不思議そうに見つめていた綾音さんの目がやがて俺の方へ向けられた。


 俺と目が合った綾音さんは、いやらしい感じでにんまりと目尻を緩ませた。


「琥太郎くん、現役女子高生達の電話番号ゲットしたり家までくっついてったりする気なんだよね?」


「言い方、言い方もっと気を遣ってくださらない? つーか何故知ってる? 空気読むのが得意な娘さんだなとは常々思ってましたが、綾音さんって実は妖怪か超能力者の類ですか?」


「だってみんなのこと護ってくれるんでしょ? 琥太郎くん無責任にそういうこと言う人じゃないから、たぶん自分がどれくらい苦労するかとか他人にどう思われるかとかぜーんぶ無視して、みんなのことがっつりフォローしにいくよね。

 詩乃梨ちゃんにそうするのはわかるけど、佐久夜ちゃんと香耶ちゃんにまで心配性と過保護発動してるってことは……、少なくとも『余計なお世話だとわかってても、お節介を焼きたくなっちゃうくらい』には、二人のことすっかり気に入っちゃったってことなのかな?」


 よしわかった、田名部綾音の正体はサトリだ! もうこれエアリーディングマイスターとかいうレベルを超越してます! 


 ていうかさ、人の心ずばずば言い当てるの、ほんとやめてくんないかなぁ……。尻がかゆいし顔が熱い。俺はもうひたすらお茶啜るだけの人形になってよう。


 と決意した矢先に、またしても左右からお嬢さん達がくいくいと服の裾を引っ張ってきました。でもお二人のつぶらな瞳が向かう先はなぜか俺ではなく、にこにこ笑顔の綾音さんです。


「やっぱりこたちーって、うちらのこと気に入ってるよねぇ? でもそのわりに、普通の男子みたいな下心的なものがちーっとも感じられないんだけど、これなんで? びしょーじょ達が自分の部屋に大集合してるってのに眠っそーにあくびかましたりとか、お昼寝してるむぼーびな女の子達を前にして途方に暮れちゃったりとか、この人ちょっとおかしいと思うの」


「琥太郎くんの下心は、全部詩乃梨ちゃんひとりに向かってるからねー。佐久夜ちゃんや香耶ちゃんのことを気に入ってるっていうのは、人間としてとかお友達としてだね、完全に。……ていうか、琥太郎くん途方に暮れてたんだ……。筋金入りの紳士だね、ほんと。浮気とか一生しなさそう」


「こたろーは、浮気なんて絶対しません。でももし仲の良い女の子に『えっちして』って頼まれたら、事情次第で快くOKしてしまいそうな気がするのですが、これは浮気にあたりますか? わたしはこたろーの優しい所をたいへん気に入っているのですが、優しすぎるところがちょっぴり不安です。わたし、どうすればいい?」


「……………………………………え、えぇっと……。…………どっ、どんなことがあっても詩乃梨ちゃんの正妻の地位は絶対安泰だから詩乃梨ちゃんは自信を持ってどーんと構えてればいいんじゃないかな!」


 おい綾音。貴女それ、俺が浮気する可能性については一ミリたりとも否定してくれてないからね? いくら常識知らずの俺だって、仲の良い女の子に頼まれたからってえっちなんぞしませんよ? フラグじゃ無くてこれマジで。


 でも俺ちょっとツッコミできない。綾音さんのアドバイスのおかげで、詩乃梨さんがすっかり安心しきってとってもいいお顔になられているので、わざわざ藪を突いて龍を出す必要はあるまい。よって今の俺に出来ることは、下手に目立つ行動は避けて、空になった湯飲みをひたすら啜り続けることだけである。


 その後もゆるゆると続けられていくガールズトークを聞くとも無しに聞きながら、俺は湯飲みをかぷかぷ甘噛みしつつ目線の置き場を探した。


 そしたら、じっとりとした目で俺を睨め付けている千霧とごっつんこ。


 俺は、若干眉を顰めながら目を眇めて『なんだよ、言いたいことあるなら言えよ』とアイコンタクト送信。


 それを受けた千霧は、首を横に振ってから深々と溜息を吐き、俺の双眸をじっと見つめながらほぼ声を出さずに唇だけを動かすようにして呟いた。


『……詩乃梨ちゃんに愛されて、佐久夜ちゃんに好かれて、綾音さんに信頼されて、随分と良いご身分ですね。あなた、ハーレムでも作る気なんですか? 綾音さんみたいな天然っぽい善人を爛れた道に引きずり込んで、あなたの良心はまったく痛まないんですか? あと詩乃梨ちゃんは私にくださらないかしら? 代わりに佐久夜ちゃんを喜んで差し上げますのでっ!』


『……なんできみと真鶴佐久夜は、お互いを俺に売っ払おうとするんだい……? 詩乃梨さんは俺のだからあげねえっつーの。……ところでさ、綾音さんってきみにとっては敵じゃないの? 正直、真鶴佐久夜より綾音さんの方が詩乃梨さんと仲良いと思うんだけど。綾音さんってば、時々俺ですら嫉妬するレベルで詩乃梨さんといちゃこらしやがるからね。ジェラッ!』


『………………綾音さん、私が向けた悪意とか敵意とか、そういうの全部のほほんとした笑顔で受け流しちゃうんですよ……。毒気ごっそり抜かれすぎて、もうこの人に関しては諦めました……』


 ああ、一応頑張って綾音さんを敵視してはみたのか。でも睨み付ける度に天然物のピュアな笑顔を見せつけられて、千霧の穢れきった心が大ダメージ負いまくってとうとう白旗を上げちゃったのね。


 流石は接客業の申し子の綾音さん、悪質なクレーマーの対処なんてお手の物というわけか。笑顔ひとつで相手の戦意を喪失させることが可能な上、万が一相手が暴力に訴えてきたとしてもバリバリ応戦できちゃいます。コンビニ一店舗につき一綾音常駐を徹底すれば、看板娘としての集客能力と相俟って、業績がうなぎ登りになること間違い無しである。


 綾音さんの働くコンビニに殺到する男共の群れを想像して遊んでいたら、千霧が唐突にごほんげふんと大きく咳払いをした。


 俺のみならず他の女の子達の視線も集めた千霧は、なんだか疲れ切ったような様子で皆をゆるゆると見回した。


「……あの、そろそろ休憩終わりにしませんか。これ以上のんびりしちゃうと、お勉強会やる時間と気力が無くなっちゃいそうですし。ストーカーは琥太郎さんがどうにかしてくれるみたいですから、こっちはこっちでやることきちんとやらないと」


 千霧の至極真っ当な提案に対して、俺と綾音さんは素直にこくりと首肯を返した。


 が。勉強会の参加メンバー当人である真鶴佐久夜と詩乃梨さんが、二人揃って難色を示した。真鶴佐久夜は急に壁へ背中を預けて口と目を半開きにして死んだフリ。詩乃梨さんは詩乃梨さんで、同じく口と目を半開きにして死にそうな顔で千霧を見つめる。


 千霧は真鶴佐久夜と詩乃梨さんをきょろきょろ見比べてから、やがてこめかみを押さえて諦念の溜息を吐いた。


「……なんかもう、午前中は予想通りの展開だったみたいですね……。詩乃梨ちゃん、お疲れ様です……」


「……うん。ありがと。……午後は、かやに任せるね……」


「……………………任されたくはないですけど、詩乃梨ちゃんのお願いとあらば是非も無し……ッ! ふぁいと、ふぁいとですよ私、人間頑張れば不可能なんてないのです……!」


 千霧は瞳の中にメラッと闇の炎を灯し、ぐっと拳を握って自らを鼓舞した。鼓舞しまくった。いつまでも鼓舞し続けるのみでそれ以上の行動に移る気配無し。


 高校生組の反応の意味がわからず、俺は綾音さんに目線で疑問符を投げかけてみた。綾音さんは一度詩乃梨さんの部屋に入ったはずだから、午前中の予想通りの展開とやらも目撃しているはずだ。


 だが、綾音さんの返答は、ちょっと困ったような微笑みだけ。


 ますます首を傾げることしかできない俺に、死体が語りかけてきた。


「……こたちー、助けて……。うち、もう勉強イヤやねん……。しのちーがスパルタで女教師で鬼軍曹なんよ……」


 目尻に本気の涙を浮かべながら、嗚咽染みた悲痛な声音で助けを求める真鶴佐久夜。


 俺は全てを悟った。


「……きみ、勉強できない子なの?」


「……………………………………ほんとは、やればできる子なんよ? うち」


「つまり、勉強やらないから勉強できない子なんだな?」


「………………………………えへへー、バレちった!」


 真鶴佐久夜はしなを作ってあざとい笑顔を浮かべ、後ろ頭を掻きながら舌をてへりと出した。


 絶句する俺の肩を、詩乃梨さんがやる気の無い仕草でぺちぺちと叩いてくる。


「こたろーせんせー、出番です」


 そんな台詞を投げ槍に放ってきた彼女の顔には、やたらめったら色濃い諦念と疲労が充ち満ちていた。


 あ、この顔、見覚えある。数日前、冗談で『勉強会に混ざっていーい?』って訊ねた俺に許可くれた時と同じお顔だ。


 ……え、俺に期待してた役割って、まさかの家庭教師役なの……? 本気で琥太郎先生の出番なの? いやちょっと待って、俺勉強なんて十数年間してないのよ? アテにされても困っちゃいますわ。ここは千霧先生のご活躍に期待しましょうよ、ね?


 ってアイコンタクトしてるのに、詩乃梨さんは俺を見上げたまま微動だに致しません。えぇぇ、なんでですか。いくら見られたって無い袖は振れませんよ? 学生時代に詰め込んだ知識なんて、袖に空いた穴から九割九分落っことしちゃいましたし。


「……あ、そだ。綾音さんならちょっと前まで高校生だったんだし、大学に受かった実績も有るんだから家庭教師として最適――」


「琥太郎くん、それ以上言ったら私不甲斐なさで泣いちゃうけどいい? そしたらお父さんが琥太郎くんのこと虐めにくるけどいいの? よくないよね? だからそれ以上言わないで、私は詩乃梨ちゃんの頼れるお姉ちゃんでいたいのっ!」


 祈りを捧げるポーズで、涙ながらに訴えてくる綾音さん。それ以上言わないでとか言ってる時点で頼れるお姉ちゃんとしての座が揺らいでしまってもおかしくないんだけど、詩乃梨さんはなぜか親愛に満ちた眼差しを綾音さんに注ぎました。もうこの疑似姉妹は完全に本物の姉妹になってしまっていたみたいですね。微笑ましいけどジェラしいです。


 それはさておき。綾音さん、意外と勉強苦手だったんだな。それとも、詩乃梨さん達のやってる範囲が高等なんだろうか、そこそこの進学校だっていう話だし。まあなんにせよ、現役大学生や進学校在学中の高校生達が皆お手上げ状態なのに、高卒リーマンごときがお役に立てるわけがない。


 少なくとも、学力面では。


「……なあ、真鶴佐久夜。きみ、テレビゲームとかやるんだよな? 飯食う前に、『勉強なんかよりゲームしようぜ』とか言ってたし。RPGとかは好きか?」


 俺は一口チョコの入った缶を真鶴佐久夜の前に押し出しながら、軽いトーンで問いかけた。


 場の流れを無視した台詞に一同が揃ってきょとんとしたが、問われた真鶴佐久夜は目をきらんと輝かせて身を乗り出してきた。


「なに、なんでいきなりゲームの話なん? RPGやるよめっちゃやるよ! おとんが昔のゲーム機いっぱい持ってるから、移植とかリメイクとかしてない最初のやつプレイしてたりするよ! こたちーもゲームやる人なの? どんなの好き? ソーシャルゲームしからやらないヌルゲーマーだったらゲーム好きとか名乗らせないよ!?」


 自分で話振っといて何だが、食いつきすぎだろ真鶴佐久夜。鼻息荒い。顔近い。


 俺は真鶴佐久夜の口にチョコを押しつけ、無理矢理食わせながら溜息交じりに答えた。


「俺はソーシャルゲームはあんま好きじゃないな。ついでに言うなら、オンラインゲームとか、携帯ゲーム機でやるやつとかもあんまり好きじゃ無い。どうせゲームやるなら、お一人様用のやつを据え置き型でがっつりやり込みたい派。いやまあそれは本題じゃなくてだな?」


「もぐもぐもぐもぐぷはっ! ………………………………ねえもうそれ本題にしようよ明らかに何か別のこと伝えるための前振りなんだろうなってわかってるけどもううちはゲームの話を本題にしてしまいたいです! 今どんなやつやってるの、前どんなやつやってたの、こたちーの歳から考えるとたぶんうちの好きなタイトルとかリアルタイムでプレイしてたんじゃないかなって思うんだけど――」


「それは! 本題じゃ! なくてだなっ!」


 真鶴佐久夜の両肩を掴み、浮いていた腰を無理矢理沈めさせた。


 再び身を乗り出してこようとする彼女をどうにか押さえ込みながら、言いたいことが伝わるように適切な順序を意識しながら言葉を並べていく。


「RPGって、世界観とかよく練られてるだろ? 昔のやつだと特にさ。どこの大陸でどういう民族とどういう民族がどういう理由で戦争を始めたとか、どこの地方ではどういう土地柄でどういう技術が発展したのかとか」


「…………………………む。なるほど、そうきたかね」


 あ、なんかこれだけで俺の言いたいことがわかってもらえたみたい。真鶴佐久夜はちょっと渋そうな顔をしながらも、得心したようにうむうむと頷いてくれた。


 俺もうんうんと頷きを返しながら、彼女の肩から手を離し、自分の肩の荷も下りたような気楽な気持ちで蛇足を付け足していった。


「正直、学校の勉強なんて、実際に社会出て仕事する時には九割方役に立たないけどさ。でも、色んな知識や考え方とか、物や歴史の成り立ちとか学んでおくと、好きなゲームの世界について考えるときにめちゃめちゃ楽しくなるぞ。魔法とかも、数学と物理学んでおけば『こういう理屈で発動してるんだなー』みたいなの妄想できて面白いし。

 将来のために勉強しろなんて胡散臭いこと言わんから、娯楽をより楽しむためにがんばってみ。せっかく勉強するのが仕事っていう状況にいるんだから、社会出て仕事に忙殺されるようになる前に、好きなことを楽しむための基礎をめいっぱい学んでおいたらいいんじゃないでしょうか。終わり」


 俺は缶からチョコをもうひとつ取り出し、真鶴佐久夜に差し出した。


 彼女は考え込むような顔つきしばらく唸っていたが、やがて俺の手からチョコを受け取り、口の中にぽいっと放り込んでこりこりと咀嚼した。


 咀嚼する毎に、彼女の表情は少しずつ和らいでいき、ごくんと飲み込み終えた頃にはにへらっとした緩い笑顔へと変化していた。


「こたちー、なんつーか、すげー甘いね。チョコレートみたい。ビターな大人じゃないね、甘々のガキだね、がき。ゲームのために勉強しろって、なにさそれ。いい大人がそんな戯けたことぬかしてどうすんの?」


 いい大人に向かって随分戯けたことぬかしてるのは貴女の方ではないのかね? と突っ込むべき場面ではあるんだけど、嬉しそうに身体をゆらゆら揺らしながらだらしない笑顔でディスられたところで、怒りなんぞ湧いてこない。


 でもとりあえず、軽めに文字通りのデコピンして「ひぎゃっ」と悲鳴上げさせてやった。


「世の中には色んな大人がいるんだよ。それこそ、本当に普通でまともな大人なんてどこにも居ないってくらいにな。いずれはきみも変な大人の仲間入りするんだから、精々尖った大人になって俺を笑わせてくれ」


 俺は言う事を全部言い終えて、チョコレートを一欠片口に放り込んでもぐもぐしながら、真鶴佐久夜をじっと見つめる。


 彼女は清々しい苦笑という謎の表情を浮かべながら、こたつに手をついて緩慢な動作で立ち上がった。腰に手を当てた状態で全身の筋肉に軽く力を入れ、すぐにだるーんと弛緩させて溜息を吐き出す。


 心と体のストレッチを完了した真鶴佐久夜は、表情まで弛緩させながら移動開始。終始きょとんとした顔で事の成り行きを見守っていた千霧、綾音さん、詩乃梨さんの頭を順番にぽんと軽く叩いていき、最後に俺の背後に立って明るい声を降らせてきた。


「じゃー、しゃーねーから、べんきょー再開といきましょうかぁー。しのちー、かやちー、下行こうぜー。……あ。こたちーとあやちーはどうするの? 一緒にお勉強する?」


 一同、返事は無し。ただし、それぞれに思い思いの反応を見せた。


 千霧は、なんだか肩をがっくりと落としてげんなりとして。綾音さんは、頬に手を当てて柔らかい微笑みを浮かべながら俺と真鶴佐久夜を眺めて。詩乃梨さんは、なんだかとっても満足そうな顔で俺の脇腹にごんごんとパンチを見舞ってきた。


 ごんごん。痛い。若干痛い。わりと痛い。ちょっ、い、痛い、かなり痛い!?


「しっ、しのりん、なんで唐突にドメスティックバイオレンス? 俺、貴女の期待に応えて頑張りましたわよね?」


「そだね。でもむかつく。あれだけ散々ぐちぐち言ってたさくやが、こんなあっさりやる気出してるとか、わたしのこれまでの苦労は一体何だったの?」


 これまでの苦労。その言い方から察するに、たぶん今日の午前中だけじゃなくて、学校でも日常的に真鶴佐久夜の勉強嫌いに頭を悩ませていたんだろう。


 日常的に頭を悩ませちゃうくらいに、詩乃梨さんにとって真鶴佐久夜はたいせつな友人なのだ。


 で、そのたいせつな友人であるところの真鶴佐久夜に、詩乃梨さんは凄惨な笑みを向けて宣言しました。


「午後は、わたしとかやが付きっきりで教えてあげるからね。今のうちにしゃばの空気を堪能しておきなよ?」


「シャバ!? うち、表の世界にしばらく戻ってこられないの!? 獄卒二人にいじめ抜かれる亡者状態になっちゃうの!? や、やだ、しのちーこわい、勉強怖いっ!」


「そっかそっか、さくやはそんなにわたしと勉強がこわいんだね。ところで、『まんじゅうこわい』って知ってる?」


「知ってるけど今うちそんな話してませんからね!? やぁだー、やぁだー! こたちーのちょっと良い話がもーまるごと台無しやんかぁー! やぁだー! もううち帰るぅー!」


「じゃあお望み通り、わたしのうち帰ろっか」


 詩乃梨さんは意識の間隙を突くようなぬるりとした動作で立ち上がり、その勢いのままに真鶴佐久夜の首根っこを掴んで廊下へ連行していった。


 駄々っ子みたいに手足をばたつかせて泣き叫ぶ真鶴佐久夜をずるずる引きずりながら、詩乃梨さんは歩みを止めずに顔だけこちらへ振り返った。


「かや、行くよ。あやねも、暇だったら一緒に来て」


 詩乃梨さんの台詞を受けて、千霧は一瞬で俺の横を駆け抜けて真鶴佐久夜にタックルをかますように抱き付き、全力で詩乃梨さんの補助に回った。あいつは最早完全に忠犬である。


 綾音さんは、ぎゃーぎゃー喧嘩し始めた真鶴佐久夜と千霧に生温かい眼差しを向けながら、のんびりと立ち上がって詩乃梨さんの元へ歩いて行った。


 綾音さんが通り過ぎ様にちらりと送って来た『みんなのことは私に任せて』というアイコンタクトを受けて、俺も『よろしくたのんます』と思念送信。


 俺は誰の飲み残しかわからないコーヒーを啜りながら、部屋の外へ出て行く少女達の挨拶にテキトーに応じていき、その傍らでちょいと思索に耽る。


 ――よし。みんながやるべきことをやっている間に、俺もやるべきことをやってみるとするかな。

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