五歳になったおじさんは、そろそろ娘を探し始めた
言葉が通じ合うようになったあの頃からもう四年も立った。
どうやらルツの日本語は交易語として自動的に翻訳されているようだ。それも様々な種族と取引をするためにここ、交易都市ヴァルトで作られた言語として変換されているらしい。
今世の母であるレナは、その交易語を流暢に話せるルツを見て少女を追い出すのはやめてくれた。おかげでルツはこの四年間、精霊である少女から直接魔法の特訓を受けることができた。
その間、パパの娘としての名前が欲しいと駄々をこねる少女には実の娘の名前である「春奈」と似た「ハル」と呼ぶことにした。
そして今日は、五歳になったルツの初めてのおつかいの日だった。
月と灯火が輝く夜の広場。装身具に魔法を付与する時に触媒として用いる最下級の魔石を無事に買った後、ルツはハルと手をつないで広場の隅っこにあったとある横丁の方へと入った。
「ねぇねぇーパパ!」
「何?」
「なんでこんなところに入ったの? 壁にはゲロついてるし、汚い言葉で罵るおじさんたちのせいで耳痛いし、何よりもあっちこっちから妙にイカ臭いし……私、つらいよぉっ!」
ハルは我慢できないかのように鼻をつかんで首を横に振っていた。
「やるべきことがあるからだよ。 少しだけ我慢してくれ」
「あと何分? 何秒? 何ミリ秒⁉」
「何時間だけど」
「そんなに長くはやーだよ! 早くここから出よう⁉ ねぇねぇーパパ!」
自分より小さい五歳児の後ろに隠れて上目遣いで泣き言を言うハルの姿は、妙に父性を刺激するものだった。その仕草がとても可愛くて、ルツはこのまま立ち止まってただ無性に彼女の頭を撫でたい気持ちになった。
「静かにしないと今後一緒に出かけないからね」
「うぅ……わかったよ!」
でも、ルツは決して歩みを止めなかった。彼には大事な目的があったからだ。
この世で生まれてもう5年が経ち、どんなものを相手にしても身を守れるほどの力はすでに備えている。自信に満ちていたルツはそろそろ春奈と会いたかった。
ご飯はちゃんと食べているのか、どこか痛いところはないか、それとも……生きてはいるのか。
その答えは多分、この横丁の向こう側にあるはずだ。
あらゆる種族が集まるここ、交易都市ヴァルトの中でも特に多くの情報が流れ込むことで有名な風俗街、リビドー。
広場と一番近いこの横丁はそこに向かう入口の一つだ。
まるで見えない境界線でも存在するかのように、清潔な広場とは数歩も離れていない横丁の入口からすでにその雰囲気が全く違う。
「おや? 嬢ちゃん、そんな年でもう子どもあるの? リビドーで子連れで何してたの? ぐふふ。私も子ども大好きだよ。ほら、おじさんとも遊ばない?」
「うわっ⁉ お、おじさん……誰?」
身分の高そうな服装を身にまとって泥酔していた太鼓腹なおじさんがどれだけ女の子にねちねちしていても、誰も気にしない。
甚だしくは広場側の兵士たちでさえ、意識的に横丁からの騒ぎから目をそらしていた。
「うぅ……パパ……」
仕方ない。周りに気づかれない程度の魔法で振り切ろう。
ルツは右手を後ろに隠して、こっそり二つの魔法陣を重なり始めた。
一段目のヤツは属性の選択。これは風にしとこう。
基礎の四元素とか光や闇みたいな特殊属性の中ではこれが一番目立たないし、跡もほぼ残らないからこの場合はぴったりだ。
そして大事な二つ目は凝縮に限るだろう。
低い魔力量を用いる魔法がある程度の威力を持つには、なるべく一点に集中した力の配分が必須不可欠だからだ。
やがてルツは精巧に仕組まれて一つになった魔法陣を人知れずに、貴族に見えたならず者の腹部に向けた。
そして、そのまま第二サークル魔法を射出しようとした瞬間。
「おや? いけないなぁ~坊や」
いつの間にか背後に忍び込んだ得体の知れない誰かによって、ルツは右手を制圧された。
空に向けて放された風の魔法は、まるで吹いていた風船を途中で逃したようなさえない音を出しながら夜空へ消え去った。
「ひ、ひぃっ⁉ リビドーの番犬……! お、俺は何もやってない! じゃ……じゃな!」
太っ腹な貴族のおじさんはルツの後ろに立った者を見たとたん、その豊満な腹部を思いっきり揺らしながら広場の方へと逃げた。
「ここは魔法禁止区域だぞ」
「くっ⁉」
危ない。ルツは自分が避雷針になったように頭の中に電流が走った。今、後ろから背筋がぞわっとするほどの強大な魔力を感じたのだ。
「パパ⁉」
「ハルは下がってろ!」
ルツは瞬く間に左手で四つの魔法陣を作成して、それをつかまれた自らの右手の方に放った。
効果範囲を取って、気化し、ディレーして、元通りに戻れ。
その一連の過程によって、ルツの右手は一瞬だけ霧化して縛りから解放された。
「は? こんなガキが第四サークルを⁉ しかもこんな魔術……三百年近く生きてきた俺さえも全然見たことないぞ!」
やがて自由になったルツが後ろを振り向くと、そこには毛でおおわれていた巨大なアンゴラウサギがいた。
「坊や、お前って本当に子供なのか」
その獣は片手に一般成人男性なみの長さの大剣を持っていて、ブリガンダインを着たまま両足で立っていた。
「いや……もしかすると……」
ほぼ四メートルはあるように見えた巨体の獣は、持っていた大剣を地面に刺して、腕を組んだまま五歳児のルツをじっくりと観察し始めた。
相手に敵意をあらわにして、いきなり思考にはまるとは。さぞ腕に自信があるだろう。果たしてこいつに勝てるだろうか、それとも逃げるべしか。
いずれにせよ相手が油断しているのはこっちとしては好都合だ。
ルツは超高速でそれぞれの手のひらに魔法を作成した。
左には火と水と土属性を合わせた第三サークル魔法の金属再生で鉄の矢じりをいくつか作って、それを風で激烈に回転させた後、密度を極限に制限した火が一瞬で拡散するときに生み出される衝撃波を利用してこれらを放つ、二つの魔法を込めた連鎖貫通魔法を。
「ハル! 私に張り付きなさい! 早く!」
「わ、わかった!」
そして右にはいつでも逃げ切れられるように、二つの違う空間を歪んで一点につないだ第七サークルの空間転移魔法を用意しておいた。
「おい、お前」
しかし、それぞれの手に宿った魔法たちは何一つも最後まで発動されることはなかった。
「セイジロウと言う名に覚えはおるか?」
「……は?」
ジャイアント・アンゴラウサギの口から想定外の名前が飛び出してきたからだ。