エピローグ
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その日王都の外れにある廃屋に現れたのは、醜悪な姿をした魔神だった。
邪教を崇める者たちの命を対価に呼び出された魔神。
魔神は王都を撹乱させようとしたが、その事にいち早く聖女が気がついた。
騎士団と魔神の戦いは熾烈を極めたが、聖女が聖獣に魔力を渡し覚醒させた聖魔獣が魔神を排除する。
こうして王都の平和は守られたのだった…。
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「これがシナリオでしてよ」
公爵令嬢のイザベルが笑顔で伝える。
「…私は攫われたのですが…」
相変わらずの宣伝力に脱帽するが、いつも自分が盛られてしまう。
裏に王妃様がいるのは明白だった。
「だからすぐに対処出来たでしょう?校内でも、誘拐されたのになんと勇敢なことか、と噂になっていましてよ」
「学園でも…」
「そうよ。聖女イアンナ」
あの日は寮に戻ったが、まだ不埒者がいるかもしれないとすぐに王都にあるハッセルバック侯爵家のタウンハウスにレオと共に避難していたので、学園内がその後どうなったか聞いたのは初めてだ。
「あ、あの、神官さんはどうなりました?」
聖女の話題を避けようと神官の行方を尋ねるが、イザベルはそれを分かっていて苦笑しつつ教えてくれた。
「…お父様から聞いたのだけど。もうすっかり神聖王国がお嫌いになったようで、彼の国が成そうとしていた事を全て話したそうよ。そして魔力はすっかり失われたのだけど、本人の希望で神殿で働いてるわ」
情報を対価に死刑を免れたことは話さない。
「神聖王国ルーナは…何をしようとしていたのでしょうか?」
そういう物騒な話は<ヒカコイ>には無かったはずだ。
裏設定であったのかもしれないが、裏だけに表には出てきていない。
「この国を内側から弱らせて、ここぞと言う時に手を差し伸べて救うフリをして、乗っ取ろうとしていたようよ」
「…神聖王国ですよね?」
「ええ。だから周辺諸国は呆れているわ」
少々疑っていた国も今回の事件を機に、神聖王国から手を引き始めたという。
そもそも聖獣がいたのは神聖王国ではなかったのだ。
数年経てば滅びるのではないかしら?とイザベルは物騒なことを言う。
「難民の受け入れ方を考えないといけませんね」
「…貴女って本当に…」
「はい?」
資金の調達を考えていたイアンナは顔をあげる。
「いいえ、なんでもないわ」
この子以上に人の事ばかり考える聖女なんているのかしら?とイザベルは思いつつ、難民受け入れの際のチェックについて話し始めた。後でグレース王妃にも伝えねばならない。
(…面倒くさい話。王太子妃なんてならなくてよかった)
シャルルは一人がけのソファから2人を眺めながら紅茶を飲んでいた。
公爵令嬢は16歳にして既に王妃見習いのように国の事業に手を出している。
しかも楽しそうに見えた。
自分に置き換えて考えてみると、年がら年中仕事漬けの状態で私室でもメイドがいる状態だ。
確実に病む自信がある。
人生という時間を全て、国のために捧げるのだ。並大抵の覚悟では出来ない。
「それで…魔王以上の厄災はないのよね?」
急に話を振られたシャルルは慌てて答える。
「ありません。…少なくとも<ヒカコイ>には」
城へ来て最初に自己紹介をされたのだ。
まさか王も王妃も宰相も、皆が<ヒカコイ>を知っているとは思わなかった。
そしてずっと転生者はイザベルだと思っていたら、まさかのイアンナだった。
彼女は自分を見て嬉しそうに話していたが、イザベルは最初のうちは警戒の視線を向けてきていた。
自業自得だから仕方ない。
とんでもなく恥ずかしかったが、もう<ヒカコイ>に沿った攻略はしておらず、逆にルイスに攻略されて恋仲となっていて卒業後は結婚する予定だと伝えたら、ようやく鋭い視線を外してもらえた。
「…そう。これからは、自分たちの力で乗り越えないといけませんわね」
「この後のイベント…は、結婚くらいですから、そうなりますね」
攻略対象者との結婚がゴールだ。その後のイベントは無く、スタッフロールの背景に少しだけ未来の様子が色鉛筆のような優しいタッチで描かれる。
(はて、ルイスエンドはどうだったっけ…?)
一瞬考えようとして首を振る。分かっている未来など、つまらない。
ようやくその事に思い至ったシャルルだった。
「シャルルの結婚式、ぜひ呼んでちょうだいね!」
「イアンナ様、貴女が先だと思いますが?」
そう言うと、イアンナは顔が真っ赤になった。
(悪役令嬢が可愛いとか…なんなの…)
吊り目で目が大きいし眉毛もキリッとしているから力強い印象を受けるが、それは黙って澄まし顔をしている時だけだ。
普段はこのようにフンワリしているらしい。
黒髪と緋色のグラデーションの髪も公爵令嬢が作ったバラと、王妃様の聖女作戦のお陰で忌み色ではなく、神秘的な色、唯一無二の色として称えられている。
王都では髪を2色に染めることも流行っていた。
「式はずらすようにしましょう。わたくしも参列したいわ」
イザベルも王太子妃として卒業後に結婚が決まっている。
結婚の発表から1年掛けて準備されるそうなので、やはり一番手はシャルルだろうと思われた。
「…分かりました。ですが、場所は我が領地です。これは譲れません!」
領民にもルイスを見せたいのだ。まだ完璧に健康体とは言えない妹を王都に連れてきたくないし、素晴らしく美人におしとやかに育っているため下手な貴族に合会わせたくもない。
「ええ、よくてよ。農地も見学させていただきたいわ」
「もちろん行きます!ご家族に会えるの楽しみだわぁ」
(なんだかふつーの友達になっちゃってない…?)
これもヒロイン効果なのだろうか。
(…違うか)
もう自分はヒロインではない。この世界に生きる人の一人でしかないのだ。
それに性格的には自分よりも目の前のイアンナの方がヒロインに近い。
自分の事を話し始めて直ぐに、下町の生活は辛かったでしょう、と幼い頃から慰問活動を行っていた彼女に同情された。
(イザベルは口に出してないけど、本当に人のことばっかり考えてる)
ずっと"この世界のヒロインは私"だと思い、他者をいかに攻略する事だけを考えていた自分とは大違いだ。
(私には無理だわ)
じっと見ていると、襟巻きになっているチロルが目に入った。
金色だった角は夜空が混じり星がまたたいているように美しい。体毛は耳の先と手足の先だけ夜色になっている。目も角と同じ色で、ずっと見ていると吸い込まれそうになる。
「…チロルも連れてこられます?何を食べますか?」
「この子は魔力が糧なので特にご用意はしなくても…。あ、でもバーグ領の野菜は好きだわ。光魔法が籠もっているからかしら?」
「ヤサイ、オイシイ」
チロルの言う野菜はバーグ領のものだけだ。他は一切食べない。
「さすがウチの野菜ですわね!」
むふん、と胸を張ると2人の令嬢がクスクスと笑う。
「引き出物で悩んだけど、やっぱり野菜だわ」
「引き出物?」
「イザベル様、引き出物というのはですね、日本の結婚式であるもので…」
こうして3人の令嬢の雑談は、報奨授与の時間が来るまで続けられたのであった。
「レオンスタール、前へ」
「ハッ」
玉座の間ではないが、王妃そして宰相や騎士団長が見守る中で、報奨は授与された。
(レオンスタール…)
王の前へ進み出るレオをシャルルは感慨深げに見る。
(魔王様の名前の一文字違いって…)
魔王の名はリオンスタールという。
レオと言う名はイアンナが彼の髪色を元に付けたものであり、今呼ばれた長い名は養子になった際の手続き上の名前だと聞いたが、まさかのニアミスだ。
(もうゲームじゃないんだしね)
魔王の核は聖魔獣チロルに渡った。イアンナを殺しても魔王は覚醒しない。
それに、イアンナは彼を魔王とは思ってもいない。話せばレオンスタールが処刑されるかも知れない。
そんな事になったら、聖獣チロルとイアンナが新たな魔王になりかねない。
シャルルは墓まで持っていこうと考えた。
「イアンナ、前へ」
「はい」
レオが戻ると、最後にイアンナが呼ばれる。
「そなたは聖女として正式に認定される。その名に恥じぬように…いや、今までのお主で良いか」
アイザック王がグレース王妃の厳しい目線を受けてコホンと咳払いした。
「そうですよ。イアンナちゃんはそのままで良いのよ」
「聖魔獣チロルとともに、有事の際は国を助けてくれ」
「はい、承知いたしました」
パールで出来たネックレスの先には黒と朱のグラデーションのバラ細工が下げられている。
昔から会っているせいなのか、気負いなく王に笑顔で挨拶している彼女の横顔を、じーーーーっと見ている男が居た。レオだ。
(魔王様、もうメロメロじゃん)
しかも王の前だというのに王そっちのけでイアンナを結界で包んでいる。
ストーカーのようなその眼差しにシャルルは少し引いた。
(そうだった。魔王様ってヤンデレで束縛すごいんだった。攻略しなくて良かった…)
王太子ウィリアムは既に公爵令嬢イザベルの尻に敷かれているようで、今の王と王妃のような関係だ。
そして第2王子ジョシュアと一緒にいた謎の娘は、彼の婚約者で隣国の王女だと聞かされた。
イアンナの父であるハッセルバック侯爵の外交について行った先で、お互いに恋に落ちたらしい。
(乙女ゲームを再現しようとした私がバカみたいじゃんね!)
そもそも神様はなんでこんな世界を用意して、自分と杏奈の魂をヒロインと悪役令嬢に突っ込んだのか、と思う。
(…攻略するのを見るんじゃなくて、神聖王国を潰したかったのかな)
それなら、自分やイアンナが逸脱した行為をしても、元に戻されなかったのも頷ける。
どちらかがアプローチしてくれればいい、と思ったのだろうか。
女神の真意は分からないが、先程の雑談からも、教義から逸脱しなおかつ悪用する彼等を排除する事が女神の最終目的だったように思われた。
(まぁ、いいか。私は私の人生を歩もう)
報奨授与が終わった後、壁際で見守っていてくれていたルイスが真っ先に駆け寄ってきてくれる。
いつものように、頭をぽんと優しく叩いてくれた。
それが嬉しくてくすぐったくて、つい笑顔になってしまうシャルルだった。
◆◆◆
その後のご令嬢たちは、隣国の第三王女メーアも交えて仲が良くなった。
バーグ領の野菜の作り方は国内に広まり、バーグ領の味は超える事が出来ないが周辺諸国に飛ぶように売れて国益に繋がり、エドワーズ・バーグは子爵から更に伯爵となり領地も広がった。
おそらくだが、グレース王妃からのプレゼントね、とイザベルは言う。
子爵家だと侯爵以上と付き合うのに身分が少し足りないから、と言われた。
「貴族って面倒ですねぇ」
「そう?私はもう慣れたわ」
シャルルの愚痴にイアンナはさらりと言う。
あの事件から2年が経過し、卒業まであと半年だ。
今日は公爵家のバラ園に囲まれたガゼボで、お茶会をしている。
「王族よりまだマシよ。…早くこちらの国に来たいわ」
メーアがため息を付く。
卒業後は第2王子であるジョシュアとの婚約が発表されるが、一度自国へ戻って王子妃としての教育を受けないといけないらしい。
「まぁまぁ…野菜送りますから」
「ええ是非お願いね!!あと、イザベルのスイーツも!!」
「わかりましたわ。日持ちするものを送りましょう」
その様子をイアンナは嬉しそうに見つめた。
(良かったわ…シャルルも打ち解けてくれて)
2人だけでたまに会い、日本のことなどを話している。
同郷のシャルルがイザベルとメーアに認められるのは嬉しかった。
ニコニコと微笑むイアンナを見つつ、シャルルが声を落とす。
「あの、いつもあんなんです?」
彼女の周囲に山吹色の膜が見える。結界だ。
「そうよ」
イザベルは澄まして答えた。
メーアも肩をすくませて笑いながら言った。
「彼の愛が重いけど、イアンナったら気がついてないから…丁度いいのかもね」
ガゼボからは見えないが、あちらからは見える範囲らしい。
「どうしたの?」
「ええっと…レオはいつもこうなの?」
イアンナは首を傾げた。
「こうって?」
本当に気がついてないようだ。
聞けば5才児の頃から一緒にいると言うし、レオの気配に慣れすぎているのかもしれない。
「過保護なのかと聞いているのよ」
イザベルがわかりやすく言うと、イアンナは微笑む。
「いつも気にしてくれるのは、ありがたいことだわ」
嫌味ではないらしい、感じたことをそのまま言っているようだ。
(ヒロインは魔王に束縛されたけども、悪役令嬢は魔王を虜にするってこと??)
「……なんかもう、負けるわ」
シャルルが呆れると、イザベルも笑った。
「でしょう?勝てる気がしないのよ」
「私もジェシーを虜にして、たくさん愛してもらわないと!」
メーアが意気込むとイアンナも同調しふわりと微笑んだ。
「ええ。みんなで、幸せに、なりましょうね」
その後、一番手に結婚式を上げたのはシャルルだった。
お相手はもちろん、商人の息子、ルイス。
シャルルの希望で身一つで婿入りし、シャルルの弟が跡を継げるようになるまで彼女と共に領地を経営した。
野菜のプロを各地から呼び寄せ、また、女神ルーナにお願いをして領地に神殿を建てる代わりに大地の加護を得て、シャルルがいなくなった後も品質を保てるようにしてもらい、バーグ領は野菜に関しては確固たる地位を得ることになる。
なお、その結婚式でイアンナの兄デリクとシャルロッテが出会い…恋に落ちた二人が結婚する事になったのは別のお話。
次は侯爵令嬢イアンナ。
聖女として国内だけではなく国外も慰問し、その優しい心に人々は魅了された。
伯爵家へ養子に入っていたレオンスタールが婿入りする形で結婚したのち、女神ルーナの神託を受けて野望の潰えた神聖王国の土地へ渡り、本来のルーナ教を広める事に尽力した。
その際に同行したのは金の騎士レオと、魔道士ヘンリー&司祭エレンの3人。
神聖王国跡地は国として再興するのではなく、巨大な聖地となった。
人々を癒す公園であり、国際マーケットが開かれるという…聖魔獣の守護する土地として生まれ変わる。
後に、魔王を恐れていた魔族たちとも交流が開始される、歴史的な場所となった。
最後は公爵令嬢イザベル、および隣国第3王女メーアだ。
王太子ウィリアムと第2王子ジョシュアとの結婚式を同時に開催する事になる。
予算がもったいない、という言葉には平民も驚き、国の行く末を案じてくれている王太子妃に彼等は多大な期待を寄せることとなった。
聖地に渡ったイアンナを助け、次期宰相候補の兄ダニエルと王子妃となったメーア、そしてシャルルと共に国際マーケットを開くようにしたのは彼女だ。
もちろん、力を増した女神ルーナの加護を得た国が栄えたのは、言うまでもない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました(^^)