3幕 最強にして最凶の敵
卒業式とは、本来とても形式的なものだ。
一人一人名前を呼ばれ、壇上に上がって卒業証書をもらう。校長が長く話し、どこぞの偉い人がこれまた長い謝辞を話す。必要なこととはいえ、学生からすれば退屈なものだ。
――だがそんなつまらないもので、貴音美月と海老名雪彦が終わらせるはずがない。
卒業生全員で合掌をする時間になり、美月と雪彦は壇上に上がった。そしてそこにあるマイクを取り、雪彦は物陰に隠していた楽器を片手に、卒業生に向けてこう言い放った。
『こんな普通の卒業式、面白くないよな!?』
……その宣言と共に、会場は沸き立った。
今期の学生で最も有名であった二人の行動に、どの学生も期待していたのだ。何かをやらかすのではないか。何か起こしてくれるのではないか。
そう予想していた音楽コースの全員が、卒業式にも関わらず、各々の楽器を持参していた。それ以外の生徒は事前に噂で流れていた、元の堅苦しい卒業ソングではなく、現代的な卒業ソングの歌詞が書かれた紙を取り出す。
『えぇい、結局お前たちは最後までそれかぁぁぁ!!! くっそぉ、もう好き勝手に暴れろぉぉぉ!!』
このように、教師も匙を投げる始末である。
――そうして始まる卒業ライブ。あらかじめ舞台裏に隠していたドラムが素早く設営され、美月はドラムを豪快に叩いた。
……ちなみにこれには渡邊が噛んでいる。卒業の設営担当の渡邊が、面白いという理由で放っておいたのだ。普通に考えれば予定もなく舞台脇にドラムのセットが置かれているはずもない。
――普通の卒業式とはあまりにかけ離れた状況に、苦笑いを浮かべる人間もいる。
「……最後の最後まで何やってんだ、あの人たちは」
「あ、あはは……でも、美月ちゃんたちらしいよ」
「ぷふふふふっ。これ、私も参加しても良いかな? 良いよね?」
観覧席で卒業式に参加していた三人は各々の反応を見せている。初香は舞台に集まる学生の中に混じっていき、一色と水無月は観覧席で顔を見合わせて笑っていた。
……とはいえ、式典でのやらなければならないことは全て終わらせている。事実、本来の合唱の後で卒業式は終わっていたのだ。
だからこそ、教師も放っているのだろう。
――もしかしたら、教師もこうなることを予測して、どこか望んでいたのかもしれない。渡邊がそうであるように、彼らにそんな期待をしている教師はいるはずだ。
……だが、騒がしくなればなるほど、一色と水無月は寂しそうな表情を浮かべる。
「……あの人たちが居なくなったら、この学校は静かになるんだろうな」
「そうだね。……美月ちゃんと海老名先輩は、それくらい影響力の大きな人たちだから」
別れが辛いのは当然だ。短いながらも濃密な時間を過ごして来たのだ。どうしても寂しさは消えやしない。
……今生の別れではない。会おうと思えばいつでも会える。それでも――理屈抜きで、寂しいものは寂しいのだ。
特にここ数か月で二人との仲がより深まった一色は、そんな物悲しさに拍車が掛かる。
「……あんまりしんみりしていたら、先輩たちも心から卒業できないよな」
「そだね。……それにサプライズだって、一色くんから言ってくれたことなんだよ?」
そんな一色の手を、水無月はキュッと握った。その時――
『虹、千尋、聞いてるかー!? 私たちは卒業しようが、お前たちのためならいつでも駆け付けるからなぁー!!』
「ちょ、美月ちゃん、私が抜けてるよー!?」
マイク越しに、美月のそんな声が二人の耳に届いた。ついでに嘆く初香の声も。
『だから、泣いたりするなぁぁぁ!!!』
音楽を奏でながら、美月はそう叫んだ。
――その声に、水無月と一色は目頭が余計に熱くなった。
「でも、あれは反則だよな」
「うん、そうだね……っ。美月ちゃんは、いつも反則技ばっかり使うんだから……っ!」
――この一年、一色と水無月にとって一番親身になってくれたのは、美月だろう。もちろん他と優劣を付ける気などない。
……だが、一色が前に進むきっかけをくれたのは、いつだって美月だった。そうして一色が一歩先に進んだことで、水無月も前に進むことが出来た。
結果、二人とも笑顔で今を元気に生きている――それを理解しているからこそ、一色と水無月は涙が溢れた。
『俺のことも、忘れんじゃねぇぞ!?』
そんな美月に負けないほど、雪彦も叫んだ。まだ肌寒いというのに、会場の熱気にやられて汗を滴り落としている。
「……忘れるわけ、ないですよ」
一色にとって、雪彦も同じようなものだ。同性として分け隔てなく接して、一色が足踏みしている時は胸倉を掴んでまで向き合った。
いつだって困ったときは力を貸して、美術部の雰囲気が暗くならないように立ち振る舞ってくれた。どれだけの感謝をしても、仕切れないほどだ。
「……決めた。あの人たちは絶対に泣かせる」
「うっ……うん!」
涙を流しながらも、水無月は一色の決心に頷いた。
――二人の視線の先では、美月と雪彦、そして途中参加した彼らの元バンドメンバーが並んで音楽を奏でる。
最後の見納めとして、二人は美月たちを涙目になりながら見守り続けた。
○●○●
卒業式を終えて、美月と雪彦は教師たちに最後のお叱りを受けた。
歴史にある意味で永遠に残り続ける。お前たちのせいで、これが伝統になったらどうしてくれるんだ……などなど、そんなお叱りであった。
しかし美月と雪彦にとって最も恐ろしいお叱りは、渡邊玲のものである。たかが教師が何人集まろうと多勢に無勢とはこのことだ。
そうしてやり切った顔をしながら、二人は職員室から退出する。
「――お疲れ様」
「うっ……ラスボス登場」
「ま、マジかよ、ここで渡邊先生からのお仕置きはちょっと……」
「待て待て、僕もそこまで鬼じゃないし、そもそも見逃してあげたのは僕だよ?」
そんな二人を待ち受けていたのは、ある意味で高校生活最もお世話になった渡邊玲その人であった。そして隣には当然であるかのように寄り添っている咲良御子がいた。
「単純に楽しかったから賞賛しに来ただけだよ」
「そ、それならまぁ……」
「そんなに玲が怖いかしら? 可愛い子を思っての行動だと思うけど……」
理性では分かっていても、怖いものは怖いのだ。
しかし今日は無礼講だ。渡邊も今日に関しては、特に彼らに言及するつもりはない。ただ一言言いたい言葉があった。
「――卒業おめでとう。君たちが居なくなるのは少し寂しいね」
「うっ、渡邊先生がそんな殊勝なことを言うなんて、嵐の前の静けさか!?」
「滅多なことを言うんじゃねぇ、美月! 鬼を起こせばどうなるか、分かったもんじゃねぇんだぞ!?」
「………せっかくだ。卒業祝いに一つ、お説教でもしてあげようか?」
「「滅相もございません、渡邊先生」」
見事なシンクロである。声、動きまでもが完璧に重なっていた。
額に青筋を立てて、歪な笑みを浮かべる渡邊を前にして、美月と雪彦は綺麗に腰を曲げて謝罪する。そんな二人に、渡邊は深く溜息を吐いて……
「本当に、君たちは最後の最後まで変わらないね」
「ははっ、私たちが素直で真面目だと、それはそれでしっくりこないでしょう?」
「ま、個性ってことで許してくださいよ、先生」
「……許すも何も、玲はあなたたちのそういうところが気に入っているのよ」
咲良は渡邊が言うよりも先に、そう暴露する。すると渡邊は珍しく咲良のことを恨めしそうに睨み付けた。
「御子、君はどうしてこのタイミングで……」
「だってその方が楽しいもの……ねえ」
咲良は美月と雪彦にそう同意を求めると、二人はニヤニヤとした笑みを浮かべる。
無論、その答えは肯定であった。
「ふふふ、渡邊先生。あれだけ私たちのことを叱っていたのは、本当は可愛いからだったんですか~?」
「好きな子ほど虐めたいって、小学生男子みたいっすね!!」
「好きの裏返し……ぷふっ」
それはもう、今までの報復かの如く美月と雪彦は渡邊を煽った。
渡邊はニコニコ笑顔でそれを聞いている。普段ならばその笑顔に恐れるのだが、今回の二人は咲良という免罪符を持っているため、構わず言い続けた。
「…………ほぅ。君たち、どうしても最後の最後まで怒られたいのかな?」
――ピキッと、美月と雪彦は動きが止まる。渡邊の、割と洒落にならない声音を聞いて、ようやく気付いたのだろう。
ふと美月と雪彦は咲良に救援を望むように、あわあわと慌てた視線を送った。
「さ、さーちゃんがけしかけたんだよな? ほら、そっちの方が面白いって……」
「ええ、言ったわよ? ……ほら、今、物凄く面白い状況でしょう?」
「「――」」
そこで美月と雪彦は気付く。最初から、咲良の思惑は渡邊を弄ることなどではなく、渡邊を怒らせてその矛先が美月と雪彦に行くということだと。
そもそも普段から恋人として渡邊と接している咲良が、渡邊の面白い一面を知らないはずがないのだ。そのような普段から見ている光景よりも、これから見られなくなる光景を優先するのは、至極普通のことである。
何より咲良御子は、あの渡邊玲の恋人なのだ。
「……鬼の女は鬼女房ってことか」
「――貴音ちゃーん?」
咲良は明らかに好意的なものではない笑みを浮かべながら、美月の腕をガシリと掴む。
……ジワリと美月は冷や汗を流した。明らかに目を泳がせているのだが、それでも表面上は否定しようと声を出そうとする。
だが――美月はそれをしてしまえば、負けた気がした。このまま渡邊と咲良の思いのままに行動して、それで高校生活の幕を閉じても良いものかと思ったのだ。
反逆心こそが美月を象徴する属性である。だから美月は逃げに徹することを止め、
「鬼嫁ですね!! 鬼同士、お似合いです!!!」
「……美月」
美月が満面の笑みを浮かべて渡邊と咲良にそう言い放った瞬間、隣の雪彦はその行動に心の中で賞賛していた。
「(美月の奴、逃げればそれで傷付かねぇのに、最後まで自分を通しやがって)」
無論、褒められた行動ではないのかもしれない。しかしだからこそ雪彦は自分を恥じた。
……目の前の鬼たちは明らかに怒り狂っているだろう。証拠に不自然なほどに笑顔だ。鬼とお似合いを上手く掛けていたことも関係しているかもしれない。
――最後だ。この二人に対して最後は下手に出て、それで後悔をしないか。二人はその問いが頭の中に木霊した。
その答えは無論、
「――そんなんだから裏で腹黒そうな教師ナンバーワンって言われてんだ、この鬼ぃ!!!」
「良く言った、雪彦!! そして逃げるぞ、今すぐに!!!」
雪彦が渡邊に向かって、震える声でその事実を言い放った瞬間、彼らは背を向けて走り出す。
彼らの辞書にはどうやら、逃走の二文字が深く刻み込まれているようだ。逃げることをしなかった割には、しっかり暴言を吐いた後に逃げ出す辺り、とても矛盾しているのである。
「……そうかそうか。君たちの答えはしかと受け取った――鬼ごっこをしたいみたいだね。分かったよ。御子、ちょっと上着持ってて」
「ええ……もう徹底的にお願いね」
渡邊は咲良に上着を預けて、次の瞬間――駆け出した。
教師にあるまじき行動である。少なくとも廊下を走る教師など、滅多には居ないだろう。周りも最初は驚いているが、追いかけている対象を確認すると、すぐに納得してしまう。
どうせ二人が最後まで悪さをしていたのだろうと思うのが、この学校の常識なのだ。
「うぉ、はえぇぇ!? 美月、このままじゃ追いつかれるぞ!!」
「あの人は本当に漫画家か!? 才能を持て余し過ぎだろうに!!」
それは彼女が言える立場ではない。
……美月と雪彦は全速力で鬼から逃げる。捕まれば最後、この学校で最も怖い教師の説教を受けなければならないからだ。
あの問題教師の集まりである絵画コースさえも黙らせた渡邊だ。その恐ろしさを誰よりも知っている二人は、何が何でも捕まるわけにはいかなかった。
――実はこの後、後輩たちに呼ばれているのだ。二人は今すぐにでも後輩たちの元まで行きたいからか、器用にも走りながら渡邊に提案した。
「渡邊先生、私たちは今から部室に向かう!! もしそれまでに捕まえることが出来なかったら、説教は諦めて欲しい!!」
「……それで、僕にメリットは?」
「「――この春休みの全部、先生にあげます!!!」」
二人の声が重なる。
……春休み、色々と遊ぶ計画を立てていた二人であるが、それを天秤に掛けてしまった。
渡邊は二人の覚悟を聞くと、ニヤリと笑った。
「ちょうど良かった。今から丁度、絵の描ける働き手を探していたところなんだよ――無償のアシスタントを二人も確保できて嬉しいよ」
……渡邊の速度は更に上がる。
――春休みの期間を利用して、渡邊はとある漫画作品を描くつもりなのだ。漫画雑誌に掲載するものであり、必然的にアシスタントを要していた。
それを給料なしで手に入れることは出来るとなれば、これほどに好都合はない。二人の発言は、渡邊の心に火を付けた。
「お、おっかしいだろ、おい!! なんでさっきよりも速いんだよ!?」
「く、口を動かすな、雪彦! 掴まれば私たちの春休みが――終わる!!」
そこからはもうとにかく必死で逃げた。特別棟の中に入って階段を駆け上がるが、渡邊との距離はもうほとんどない。
少しでも足を緩めれば、その時点で捕まる。
捕まれば最後、奴隷の如く渡邊に扱き使われる未来は、簡単に想像できた。
……しかし渡邊は足の速さも一級だが、持久力も相当のものだ。
「くっそ、なんで男子高校生が、体力で渡邊先生に、劣るんだよ……っ」
「はは、これでも毎日ランニングは欠かしていないからね。備えあれば憂いなし、さ」
「――くそー、俺はまけねぇぇぇ!!!」
すぐ後ろにいた渡邊が余裕な声音でそんなことを言うからか、雪彦は対抗心を燃やして更に加速する。
残りは特別棟の一直線のみ。美月と雪彦はそこで肩を並べた。
「い、行けるぞ! 単純な速度なら、我々の方が分はある!!」
「お、おうっ! でも、もう体力がやべぇよ!」
廊下に響く三つの走る音。扉を開けて中に入れば、それで雪彦と美月の勝ちなのだ。
幸い渡邊との距離は少しずつ離れている。このまま手を抜かなければ、何一つ問題はなかった。
――部室で待つ後輩たち。最後の部室での活動という随分と泣かせるシュチュエーションで、きっと何か自分たちのために用意をしてくれているに違いない。
その輝かしい光景まで、残り数秒。
美月は、その光景の広がる扉の取っ手を握った。
――ガチャガチャ。鍵が、掛かっていた。
「「――え」」
美月と雪彦は、鍵の掛かる扉の前で、呆然と立ち尽くす。
……そしてポンポンと、二人の肩に手が置かれる。美月と雪彦は壊れた人形のように、ギチギチとそちらを振り向くと――そこには、恐ろしいまでの悪い笑顔を浮かべた渡邊の姿があった。
「ななな、なんで……」
「あはは、そんなもの決まっているじゃないか――電話をずっと通話モードにしていたんだよ。僕たちの会話を聞いた御子が、部員の誰かに連絡したんじゃないかな?」
渡邊は笑いながら、その事実を離した。
……実際には咲良が初香にメールを送ったのである。今から少しの間、部室の扉を閉めておいてと。
無論どうしてなのかは初香も理解できなかったが、お願いされたからには叶えるのが初香である。
――その陰謀を知り、美月と雪彦は喚き散らした。
「そ、そんなのズルい! どうしようが私たちに勝ち目なかったじゃないか!!」
「ふっざけんな、それでも大人かー!!」
「ははは、何を言っているんだい? 僕は別に咲良にそうお願いしたわけじゃないよ? それに最初に言ったじゃないか――二人もアシスタントが確保できて嬉しいよってね」
「「――」」
美月と雪彦は、床に膝をつく。
そんな二人に渡邊はしゃがみ込み、笑顔のまま話し掛けた。
「君たちは本当に詰めが甘いね。走力で僕が君たちに付いていくのがやっとなのに気付けたなら、僕が策を弄していることくらい予想は付くだろう?」
「ひ、卑怯者!」
「ははは、なんとでも言うと良いさ。それに僕は腹黒いらしいから、ちっとも痛くないよ――さて、僕との勝負の賭け、忘れてはいないよね?」
美月と雪彦は、身体がブルブルと震え上がる。
――積年のトラウマ。渡邊が現在のような恐ろしい笑顔を浮かべる時、二人は碌な目に合っていないのだ。
最後の最後で一矢報いようとしたのだろうが、相手が悪かった。
「実は四月に大きな読み切りを雑誌に掲載してね。そのページ数、なんと六十六ページ。それを教師の仕事と兼任でするのはとても大変でねぇ――僕の家に住み込みで作業、手伝ってもらおうか」
「す、住み込み?」
「あぁ、その通りだよ海老名くん。大丈夫、器用な君ならすぐに慣れるさ」
「わ、私たちの卒業旅行は……」
「考え方を変えれば、僕の家に泊まるんだから旅行みたいなものだろう? はは、良かったね。無償で旅行が出来るよ。……無論、働きも無償だけどね」
――美月と雪彦の頭の中に、つい先刻まで巡っていた春休みの予定が、脆く崩れ去っていく。
散り散りになっていく未来のあるべき思い出。二人は呆然と引き笑いをしながら泣いていると、ふと扉の鍵を開ける音が鳴った。
「何を騒がしくして――何、してるんですか?」
「あはは、ちょっとばかし契約をね。あぁ、もうこの二人に用はないから君たちに引き渡そう」
扉を開けて顔を覗かせた一色に対し、渡邊は爽やかに笑って美月と雪彦を差し出すのであった。
……一色は眉間に皺を寄せながら、灰になる二人を見つめる。
「……渡邊先生、二人をここに連れて来て欲しいとお願いしましたけど、追い詰めるなとは言っていませんよ」
「流れでこうなってしまったんだよ、ごめんね?」
「軽いです」
例え相手が渡邊でも、一色はそう言わざるを得なかった。




