透明天才肌実習生と、患者の怒り
所沢駅前店にやってきた超優秀な天才肌実習生・下田律くん。
「教科書なんて簡単だよ」とうそぶく彼でしたが、実際の現場で患者さんの「説明書の『うつ病』の記載に対するクレーム」と、それに対して天音ちゃんが誠実かつ分かりやすく不安を解消する姿を目の当たりにして……?
優秀な頭脳を持つ彼が、天音ちゃんの「臨床の優しさ」に触れて一歩を踏み出す、ドキドキの実習編スタートです!
今日から、あの透明感抜群の天才肌イケメン実習生が店舗にやってくる。
——どうしよう、神楽坂エリア長が不在のデスクワーク中の時間帯なんて、私がつきっきりで指導しなくてはならないじゃない……!
「あの……下田くん、大学の講義の『八大疾病』は、どこまで進んだの?」
「ん? んーー、確か3〜4年の時に一通り見たかな……」
「うわっ……スゲー……! マジで全部終わってんじゃん、下田!」
隣で橘くんが目を丸くして驚いている。
無理もない。通常なら大学5年生の実習生でも、あるいは新人薬剤師であっても実務に即した深い部分は苦労する内容だ。それを3年生の段階で全て網羅しているなんて……どういうことなのこの子!?
「すっ……凄いね、下田くん。優秀なんだね……」
「ううん……教科書なんて、読めばすぐ分かるし簡単だよ……。だから……そんな退屈な机上の勉強よりも、お姉さんに直接……『臨床』を習いたいな……」
「こっ、こら下田っ! 距離が近すぎるぞ! 天音さん、離れてくださぁい!!」
すーっと顔を近づけてきた下田くんを、橘くんが慌てて力づくで引き剥がす。
はわわ……透明系美男子が至近距離で迫ってくるだけでも甘い匂いにノックアウトされそうになるのに、こんなの反則よ……!
(……あぁ、私って案外こういう低体温な年下系にも弱い、立派なムッツリスケベだったのね……私ってやつは……!)
* * *
そんなキャパオーバーな気まずさとドキドキに包まれているうちに、自動ドアが開き、患者様が怒った様子でカウンターにやってきた。
「おい……! 俺は腰が痛いって言ってるだろ! なんだよこれ、なんで俺を精神病扱いしてんだよ!!」
いきなりの剣幕に、私は慌ててパタパタと前に出る。
「お、落ち着いてください! 一体どうされましたか?」
「薬局でもらった説明書(薬剤交付説明書)を見たらよ、『サインバルタ』って書いてあったんだ! これ、ネットで調べたらうつ病の薬じゃねえか!!」
なるほど、サインバルタ(一般名:デュロキセチン)は確かに抗うつ薬(SNRI)として開発されたが、現在は『糖尿病性神経障害に伴う疼痛』や『繊維筋痛症』、そして『慢性腰痛症』などの痛みの適応も広く認められている。患者様が驚くのも無理はない。
「あっ……それはですね! このお薬には確かに痛みを抑える素晴らしい効果があるのですが、もともと脳の神経伝達物質に働きかける仕組みのため、うつ病の治療薬としてもよく使われるものなんです」
「ふざけんな! 間違いだろ!!」
「いえ! 脳から脊髄へ下る神経回路——『下行性疼痛抑制系』という痛みを抑える神経を活発にして、つらい痛みを和らげるんです。今回はあくまでその『慢性疼痛』での処方適応ですので、決してうつ病として扱っているわけではございませんので、どうかご安心ください!」
「……ちっ、ならいいんだけどよ! だったら最初から紛らわしいこと書くなよな!」
「はい、ご不安な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。大切なお薬ですので、安心して飲んでくださいね」
頭を下げると、患者さんはぶつぶつ言いながらも納得して帰っていった。
ふぅ……と息をつき、私はすぐ隣で見ていた橘くんに声をかける。
「橘くん、あの患者様には、次からお薬手帳の備考欄か説明書の『うつ』の文言だけ、誤解を生まないように少し見やすく加工するか消しておこうか」
「っす、分かりました! すぐに対応します!!」
テキパキと指示を出し、カルテを整理する私の背中を、じっと一歩引いた位置から見つめる視線があった。下田くんだ。
彼は静かに、しかし興味深そうな目をパチクリとさせて質問してきた。
「ねぇ……さっきの人、あんなの教科書に書いてある分かりきった内容なのに、なんであんなに怒ってたの? 『下行性疼痛抑制系』なんて、薬剤師なら基本中の基本だよね?」
「ん? うん、そうだね。私たち医療従事者からすれば常識だけど、患者様にとっては『自分の病気がどう見られているか』が一番大事な問題なの。気になる点や不安になるポイントも人それぞれ違う。だからこそ私たちは、患者様が『この薬なら安心して飲める』と思えるように、言葉選びや説明の仕方に色々な工夫をするのよ」
私の言葉を聞いた下田くんは、ふっと目を丸くし、どこか感心したような表情を浮かべた。
そして——また、すーっと何の気なしに私のパーソナルスペースに入り込んでくる。
「はわわ……っ、近いってば……イケメンすぎるぅ……!」
「やっぱり……面白いね、お姉さん……。教科書じゃ絶対に分からないこと……もっとたくさん、僕に教えてよ」
眠たげな細い瞳で真っ直ぐに見つめられ、私は完全にトドメを刺された。
薬師寺天音……完全ノックアウト。
——これからあと十一週間……私、本当に最後まで耐えられるの……!?
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