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『嵌められた元王太子は、古の塔で自由に生きる 〜2000年前の魔導具師が遺した不思議な遺産〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第128話 自由な買い物には、予定外がつきもの


 塔の玄関前に立ったアルは、自分の服装を見下ろしてから、隣にいるセリーへ視線を向けた。


 今日は、二人で町へ買い物に出かける日だった。


 朝からよく晴れており、塔を囲む木々の間には穏やかな風が通っている。遠くで鳥が鳴き、石畳の端に生えた草が揺れるたび、朝露を含んだ葉が小さく光った。調査の報告を受けるためでも、誰かを救出するためでもなく、ただ自分たちが欲しいものを探しに出かけるという予定に、アルは思いのほか浮き立っていた。


「忘れ物はないかな。財布と買い物の控え、それから、セリーが作ってくれた袋も持ったし」


 アルは腰に下げた布袋を軽く持ち上げた。昨日、セリーが縫っていたもので、細かな金具が布を傷めないよう、内側には丈夫な当て布まで付けられている。


「必要なものは揃っています。ただ、主様。ひとつだけ確認してもよろしいでしょうか」


「もちろん。何か忘れてた?」


「いいえ。今日のお出かけでは、予定にないものを見つけた場合も、立ち寄ってよろしいのでしょうか」


 アルは思わず笑った。


「むしろ、そういうのが楽しみなんじゃないかな。買うかどうかは別として、気になるものがあったら見てみようよ」


「では、私が気になるお店を見つけても、立ち寄ってよいのですね」


「うん。今日はセリーも買い物をするんだから」


 セリーは少し考えるように瞬きをしたあと、胸元へ手を添えた。


「承知しました。では、遠慮せずにお伝えします」


 その返事を聞いて、アルは嬉しくなった。


 以前のセリーなら、主の予定を優先するために、自分が見たい店を後回しにしていたかもしれない。今の彼女は、まだ少し慎重ではあるものの、自分にも希望を持つことを自然なものとして受け止め始めている。


 アルは玄関の扉を閉め、塔の外へ続く道へ足を向けた。


 今日の目的は、箒の支えを改良した際に減った金具や木工用の材料を買い足すこと。それに、食料庫で不足している香辛料と保存食を少し補充することだった。


 それだけなら、必要な店を順番に回れば済む。


 けれど、アルは今日はそうしたくなかった。


(せっかく二人で出かけるんだ。買い物を終わらせることだけ考えていたら、もったいないよな)


 隣を歩くセリーを見ると、彼女も道沿いの木々や空へ視線を向けていた。


 何かを探しているというより、外の景色そのものを楽しんでいるように見える。


「セリー、今日は時間を気にしなくていいからね」


「はい。主様も、気になるものがあれば教えてください」


「分かった。じゃあ、お互いに遠慮なしで」


 そう言うと、セリーは柔らかく笑った。


 塔の外へ出ることは、もう珍しいことではない。


 それでも、誰かと一緒に過ごしたいから出かけるという理由は、アルにとってまだ新鮮だった。


     ◇


 町へ入ると、通りには朝の賑わいが広がっていた。


 荷車を押す商人が石畳を進み、店先では野菜や果物を並べる人々が声を掛け合っている。焼きたてのパンの香りに混じって、香辛料の少し刺激的な匂いが漂い、道端では子供たちが大人の邪魔にならないように遊んでいた。


 アルは通りの端で一度立ち止まり、セリーへ顔を向けた。


「まずは金具を見に行こうか。それとも、どこか気になる?」


 セリーは周囲を見回した。


 その視線が、一軒の店先で止まる。


 小さな棚に、色とりどりの糸巻きが並んでいた。


「……あちらを見てもよろしいでしょうか」


「もちろん」


 アルはすぐに歩き出そうとしたが、セリーが隣で少しだけ驚いた表情を浮かべたことに気づいた。


「どうしたの?」


「主様は、理由をお尋ねにならないのですね」


「糸が気になったんでしょ? 理由があってもなくても、見に行けばいいと思うけど」


 セリーは小さく頷いた。


「そうですね。私は、あの糸の色を近くで見たいと思いました」


「じゃあ、行こう」


 二人が店先へ近づくと、年配の女性店主が顔を上げた。


「いらっしゃい。何か探してるのかい?」


「糸を見せていただいてもよろしいでしょうか」


 セリーが丁寧に尋ねると、店主は気さくに頷いた。


「もちろんさ。刺繍用も縫い物用もあるよ。何を作る予定だい?」


「まだ決めていません。ただ、こちらの色が気になりまして」


 セリーが指したのは、淡い青緑色の糸だった。


 朝の光を受けた水面のような色合いで、派手ではないが、ほかの糸とは少し違った柔らかな光沢がある。


「いい色だろう? 少し前に入った糸なんだけど、なかなか人気でね」


 店主は糸巻きを手に取り、セリーへ差し出した。


「布に合わせるなら、生成りか薄い灰色が似合うよ。濃い色の布へ小さく刺しても綺麗だね」


 セリーは糸巻きを受け取り、じっと眺めた。


 アルはその横顔を見ながら、少し不思議な気持ちになった。


 セリーは塔の中で必要な裁縫をこなしてきたし、昨日も買い物用の布袋を作っていた。けれど、糸そのものの色を気に入って足を止める姿を見るのは、アルにとって新鮮だった。


「それ、好き?」


 アルが尋ねると、セリーは頷いた。


「はい。綺麗だと思います」


「じゃあ、買おうか」


「ですが、何に使うか決まっていません」


「使い道が決まってから買うのもいいけど、好きだから買うのもありじゃない?」


 店主が楽しそうに笑った。


「そうそう。綺麗な糸を見てるうちに、作りたいものが浮かぶこともあるからね」


 セリーは二人の顔を交互に見たあと、もう一度糸巻きへ視線を落とした。


「では、こちらをひとついただきます」


「はいよ。ほかに必要なものは?」


 セリーはしばらく考え、生成り色の丈夫な糸もひとつ選んだ。


 こちらは実用品として使う予定らしい。


 代金を払おうとしたアルへ、セリーが静かに声をかけた。


「主様、こちらは私が選んだものですので、私の管理している買い物用の費用からお支払いしてもよろしいでしょうか」


 アルは手を止めた。


「もちろん。セリーが決めていいよ」


「ありがとうございます」


 セリーは店主へ代金を渡した。


 店主は糸巻きを小さな紙袋へ入れながら、二人へ微笑んだ。


「仲がいいんだねえ。今度は何か作ってからおいで。使い道を聞くのも楽しみだからさ」


 アルは少し照れくさくなったが、セリーは素直に頷いた。


「はい。何か作れましたら、また伺いたいと思います」


 店を離れたあと、アルは彼女の手元の紙袋を見た。


「いい買い物ができたね」


「はい。予定にはありませんでしたが、とても嬉しいです」


「何を作るか楽しみだな」


「まだ秘密にしておきたいと思います」


 アルは目を丸くした。


「えっ、もう何か考えてるの?」


「少しだけです」


 セリーは微笑んだが、それ以上は教えてくれなかった。


 アルは思わず笑い、彼女の秘密をそのまま楽しみにしておくことにした。


     ◇


 金物店では、予定していた金具を無事に購入できた。


 店の奥には大小さまざまな工具が並び、壁には用途の違う留め具や蝶番が整然と掛けられている。アルが必要な寸法を伝えると、店主は似た形の金具を二種類取り出し、違いを説明してくれた。


「外で使うなら、こっちの方が錆びにくい。ただし、値段は少し高いよ」


「なるほど。風雨に当たる場所なら、こっちの方がいいかな」


 アルがセリーへ相談すると、彼女は金具を見比べた。


「長く使うことを考えれば、こちらがよいと思います。ただ、すべてを同じ種類にする必要はないかもしれません」


「屋内用と分けるってこと?」


「はい。必要な場所に合わせて選べば、無駄も少なくなります」


 店主は感心したように頷いた。


「よく考えてるねえ。使う場所が決まってるなら、その方がいい」


 アルは二種類の金具を必要な数だけ購入した。


 続いて木工用の小さな工具を眺めていると、棚の隅に置かれた変わった形の定規が目に入った。


 片側に直線の目盛りがあり、もう片側には角度を確かめるための簡単な仕組みが付いている。


「これ、便利そうだな」


 アルが手に取ると、店主が説明してくれた。


「家具を作る職人が使うものだよ。直角がずれてないか確かめられる。小さな棚を作るくらいなら十分役に立つさ」


 アルは少し考えた。


 塔には古代の高度な魔導具がいくつもある。


 けれど、木材をまっすぐ組み合わせるために、わざわざ魔導具を使う必要はない。


 普通の道具でできることなら、それを使えばいい。


「これも買おうかな」


 セリーが隣から覗き込む。


「主様は、次に何か作りたいものがあるのですか?」


「まだ決めてない。でも、これがあったら作れるものが増えそうだなって」


 セリーは嬉しそうに微笑んだ。


「では、私も使ってみたいです」


「もちろん。一緒に使おう」


 店主は二人のやり取りを聞きながら、定規を丁寧に包んでくれた。


「怪我だけは気をつけなよ。木工は楽しいけど、刃物も使うからね」


「はい。ありがとうございます」


 アルは礼を言い、包みを布袋へ収めた。


 買い物の予定にはなかった道具が、またひとつ増えた。


 けれど、不思議と無駄遣いをした気分にはならなかった。


 何を作るか決める前に、作るための道具を選ぶ。


 それも、これからの暮らしを考える楽しみのひとつだった。


     ◇


 昼が近づく頃、二人は市場の外れにある小さな食堂へ入った。


 通りに面した窓が大きく、店内には煮込み料理の香りが漂っている。昼食にはまだ少し早かったため、席には余裕があり、二人は窓際の小さな卓へ案内された。


 アルが料理を選んでいると、セリーが窓の外を眺めていることに気づいた。


 視線の先には、広場の端に置かれた長椅子があった。


 そこでは、小さな子供が父親らしい男性と並んで座り、焼き菓子を分け合っている。


「何か気になる?」


 アルが尋ねると、セリーは少し考えて答えた。


「皆さん、それぞれ違う目的で町へ来ているのですね」


「そうだね。買い物だったり、仕事だったり、誰かと会うためだったり」


「以前は、町へ出るときも必要な用事を済ませることが中心でした」


 セリーは窓の外へ目を向けたまま続けた。


「今日は、用事が終わっていなくても楽しいです」


 アルは料理の書かれた札から顔を上げた。


「俺もだよ」


「何かを買ったからではなく、主様と一緒に歩いて、いろいろなものを見られることが嬉しいのだと思います」


 セリーはそこで少し頬を緩めた。


「もちろん、糸を買えたことも嬉しいですが」


 アルは笑った。


「そっちは秘密の使い道があるらしいしね」


「はい。完成するまでお待ちください」


「分かった。楽しみにしてる」


 注文した料理が運ばれてくると、二人はしばらく食事を楽しんだ。


 アルが選んだのは、野菜と肉を柔らかく煮込んだ料理だった。香草の香りがほどよく、添えられたパンを浸すと、温かな汁が染み込んで美味しい。


 セリーは料理を少しずつ味わいながら、使われている香辛料について店員へ尋ねた。


 店員は忙しい合間にも親切に答えてくれたが、配合の細かな割合までは分からないらしい。


「料理長が仕込んでるからね。私は香草が二種類入ってることくらいしか知らないんだ」


「教えていただき、ありがとうございます」


 セリーが礼を言うと、店員は笑顔で厨房へ戻っていった。


「塔でも作ってみたい?」


 アルが尋ねる。


「はい。ただ、同じ味にする必要はないと思っています」


「そうなの?」


「今日食べた料理は、こちらのお店の料理ですから。塔では、私たちが美味しいと思う味を考えてみたいです」


 アルは少し驚いたあと、嬉しくなった。


「それ、いいね。俺も味見するよ」


「では、少しずつ試してみましょう」


 セリーは楽しそうに頷いた。


 食事を終えたあと、アルは会計を済ませ、店を出た。


 昼の通りは朝より賑やかになっていたが、不思議と急ぐ気持ちはなかった。


 買うものはまだ少し残っている。


 それでも、今日という一日を予定どおりに終わらせることだけが目的ではないのだ。


     ◇


 同じ頃、旧保養施設では、ガルムが新しい観測手順の試験を開始する前に、隊員たちへ説明を行っていた。


 今回の変更は、観測対象を増やすものではない。


 西側壁面へ近づくことも、表示窓へ何かを差し込むことも、人工的な光を当てることもない。


 従来の観測位置を守りながら、注意が一か所へ偏りすぎないようにするための補助的な確認方法だった。


「まず言っておくが、順番を守ることが目的じゃねえ」


 ガルムは集まった隊員たちを見渡した。


「大事なのは、見たものを見たまま残すことだ。何もなければ何もなかったと書け。分からなければ分からないと書け。それでいい」


 隊員たちは頷いた。


 リディアは試験用の簡潔な用紙を配りながら、変更前の記録と混同しないよう、開始時刻と試験条件を別欄へ記入するよう説明した。


 トーマスは少し緊張した様子だったが、今回は自分の案を認めてもらうことより、使う人にとって負担がないかを気にしているようだった。


「何か書きにくいところがあれば、遠慮なく言ってください。使いづらいまま続ける必要はありません」


 若い隊員の言葉に、年上の隊員が軽く笑った。


「前の板のときより、ずいぶん柔らかくなったな」


「……前は、少し張り切りすぎましたから」


 トーマスが苦笑すると、周囲から小さな笑いが起きた。


 ガルムも口元を緩めたが、すぐに表情を引き締めた。


「笑い話にできるのは、前の試験で危ないことをしなかったからだ。今回も同じだぞ」


「はい」


 トーマスは真剣に頷いた。


 観測が始まると、隊員たちは従来どおりの位置へ配置された。


 西側壁面の三つの表示窓は、昼の光の中で静かに並んでいる。


 その下方には古い補修の跡があり、場所によって石材の色合いが微妙に違って見えた。


 しかし、以前報告された直線状の差異が、はっきりした構造物として確認されたわけではない。


 観測者の一人は表示窓を確認したあと、周辺壁面へ視線を移し、最後に受動計測器を見た。


 別の隊員は自然な順序で同じ対象を確認し、気づいたことだけを記録した。


 試験の初日から、目立った変化はなかった。


 それでもリディアは、記録用紙を回収した際、ひとつの違いに気づいた。


 以前は壁面の線らしいものへ注意が向いていた隊員が、今日は自分から周辺全体を確認できたと記していた。


 一方で、別の隊員は、確認項目を意識することで少し落ち着かなくなったとも書いている。


 リディアは両方の記録を残した。


 まだ結論を出す段階ではない。


 使いやすい人がいる。


 使いにくい人もいる。


 それを知ること自体が、試験の意味だった。


     ◇


 王立魔導研究院では、設備資料に限定した閲覧申請の審査が続いていた。


 申請そのものは受理されている。


 しかし、対象となる資料群には、設備管理に関する記録と保護判断に関する記録が混在している可能性があった。


 そのため、閲覧範囲をどこまで認めるかについて、共同保管部署側で確認が必要とされていた。


 研究員は申請書の控えを眺めながら、隣の同僚へ声をかけた。


「これ、許可が出ても全部は読めないだろうね」


「そうだろうな。設備関係だけ切り分けるって話だから」


「でも、そこに必要な手順が残っていればいい」


 研究員は机の上に置かれた欠損資料の写しへ目を向けた。


『外部徴候を応答そのものとみなさないこと』


『既存記録との不一致がある場合、状態変更を延期』


『保持状態の継続が直ちに危険を生じる場合を除き……』


 この三つの断片だけでは、具体的な判断方法は分からない。


 とくに最後の一文は、例外が存在することを示しているように見えるものの、その例外を誰が、何を根拠に認めるのかが欠けていた。


「もし続きを読めたとしても、現在の施設へそのまま当てはめるわけにはいかないな」


 同僚が言った。


「うん。年代も設備も対象も一致していると確認できていないからね」


 研究員は頷いた。


 過去の制度を知ることと、現在の設備を操作する権限を得ることは別である。


 その区別を曖昧にしてはいけない。


 しばらくして、共同保管部署から短い連絡が届いた。


 審査は継続中。


 ただし、設備管理に関する索引部分については、先行して照会できる可能性があるという。


 研究員はその内容を確認し、必要な項目だけを絞った追加照会を作成した。


 今度も求めるのは、個人記録ではない。


 欠損した手順書の続きが存在するかどうか。


 そして、設備保持状態の異常を扱う資料が、どの分類へ収められているか。


 まだ遠回りに見えるかもしれない。


 けれど、必要な境界を守りながら調べるには、その順序が大切だった。


     ◇


 午後の町では、アルとセリーが最後の買い物を終えていた。


 香辛料と保存食を購入し、布袋の中身を確認すると、予定していた品物はすべて揃っている。


「これで買い忘れはないかな」


 アルが控えを見ながら言うと、セリーは頷いた。


「はい。予定していたものはすべて購入できました」


「じゃあ、帰ろうか」


 アルはそう言いかけて、ふと足を止めた。


 少し先の通りから、楽しそうな笑い声が聞こえてきたのだ。


 見ると、小さな広場の端に数人の人が集まっている。


 その中心では、若い職人らしい男性が、木で作られた小さな鳥の玩具を動かしていた。


 鳥は台の上を歩くように足を動かし、時折首を傾げる。


 子供たちは歓声を上げ、大人たちも面白そうに眺めていた。


「何だろう、あれ」


 アルが呟くと、セリーも興味深そうに見つめた。


「木製の自動玩具のようですね」


「魔導具かな?」


「近くで見なければ分かりませんが、動き方からすると、機械的な仕組みかもしれません」


 アルは少し考えた。


 古代の塔には、人間の言葉を理解し、自分の意思で行動する魔導人形がいる。


 それなのに、目の前の小さな木製玩具へ強く興味を引かれている自分が、少し可笑しかった。


「見に行ってみようか」


「はい。私も気になります」


 二人は広場へ近づいた。


 職人は木製の鳥を持ち上げ、裏側の小さな仕組みを見せていた。


 内部には歯車と細い棒が組み込まれており、手で巻いた力を利用して足を動かしているらしい。


「魔力を使わずに動くの?」


 アルが尋ねると、職人は頷いた。


「そうですよ。ぜんまいを巻けば、しばらく歩くんです。もちろん、本物の鳥みたいに自由には動けませんけどね」


「面白いなあ」


 アルは素直に感心した。


 職人は嬉しそうに笑い、もう一度鳥を台へ置いた。


 小さな鳥は、こつこつと木の足を動かして進む。


 途中で少し向きを変え、最後には首を傾げた姿勢で止まった。


 周囲から拍手が起きる。


 セリーも静かに手を叩いていた。


「よくできていますね」


 彼女が言うと、職人は照れくさそうに笑った。


「ありがとうございます。まだ試作品なんですけどね」


「試作品?」


「はい。もっと自然に歩くようにしたくて、いろいろ調整してるところです」


 アルは興味深そうに頷いた。


「完成したら売る予定なんですか?」


「そのつもりです。ただ、今はまだ壊れやすいので」


 職人は鳥の背中を軽く撫でた。


「子供が遊んでも大丈夫なくらい丈夫にしたいんですよ」


 アルはその言葉を聞き、少しだけ考えた。


 動けばいいわけではない。


 見た目が綺麗ならいいわけでもない。


 誰が、どんなふうに使うのか。


 それを考えて作ることが大切なのだ。


「完成したら、また見に来たいな」


 アルが言うと、職人は嬉しそうに笑った。


「ぜひ。次はもっと上手く歩かせてみせますよ」


 セリーも頷いた。


「楽しみにしています」


 二人は職人へ礼を言い、広場を離れた。


 アルは歩きながら、さっきの木製の鳥を思い返していた。


「すごかったね」


「はい。魔力を使わずに動く仕組みも興味深いですが、動き方がとても愛らしかったです」


「セリーもそう思った?」


「はい。少し首を傾げるところが、特に」


 アルは笑った。


「確かに可愛かった」


 セリーは少し考えてから言った。


「主様。塔でも、あのような小さな玩具を作ってみるのはどうでしょうか」


 アルは驚いた。


「作れるかな?」


「同じものを作るのは難しいと思います。ただ、簡単な仕組みから試すことはできるかもしれません」


「それ、面白そうだね」


 アルは頷いた。


「まずは動かない木彫りからでもいいかも」


「はい。私も挑戦してみたいです」


 二人は顔を見合わせて笑った。


 買い物は終わった。


 けれど、帰り道にはまた新しい楽しみが増えていた。


     ◇


 夕方、塔へ戻ったアルとセリーは、購入した品物を食堂の大きな机へ並べていた。


 金具、工具、香辛料、保存食。


 そして、セリーが自分で選んだ淡い青緑色の糸。


 アルは荷物を整理しながら、今日一日を思い返した。


 予定していた買い物はすべて済んだ。


 それ以外にも、綺麗な糸を見つけ、食堂で新しい料理を味わい、木製の鳥の玩具を見た。


 どれも、朝の時点では予定になかったことだった。


「今日は楽しかったね」


 アルが言うと、セリーは頷いた。


「はい。とても楽しかったです」


「また行こう」


「はい。ぜひ」


 セリーは糸巻きを手に取り、光へかざした。


 淡い青緑色が、夕方の柔らかな光を受けて静かに輝く。


「主様」


「ん?」


「今日、私は自分で選んだものを買いました」


「うん」


「必要だからではなく、好きだと思ったからです」


 アルは彼女を見た。


 セリーは糸巻きを見つめながら続けた。


「それが、とても嬉しかったです」


 アルは静かに微笑んだ。


「よかった」


 セリーは顔を上げる。


「主様と一緒に出かけられたことも、嬉しかったです」


「俺もだよ」


 アルは素直に答えた。


 セリーは少し照れたように微笑み、糸巻きを大切そうに紙袋へ戻した。


 アルはその姿を見ながら、今日の買い物がただの用事ではなかったことを改めて感じていた。


 自由に生きるということは、大きな決断をすることだけではない。


 何を食べたいか。


 どこへ行きたいか。


 何を見たいか。


 何を作りたいか。


 そうした小さな望みを、自分で選べることでもある。


 そして、誰かと一緒に選ぶ楽しさもある。


     ◇


 夜、塔の居間では、アルが新しく買った定規を眺めていた。


 セリーは隣の机で、昼間に購入した糸を使い、何か小さな布を縫っている。


 何を作っているのか尋ねても、まだ秘密だと言われてしまった。


 アルは少し気になったが、無理に覗こうとはしなかった。


「セリー、今日の鳥の玩具、覚えてる?」


「はい。もちろんです」


「今度、簡単なものを作ってみようか」


 セリーは針を止め、顔を上げた。


「よろしいのですか?」


「うん。せっかく道具も買ったし」


「では、まずは小さな木彫りから始めましょうか」


「そうだね。いきなり動くものを作るのは難しそうだし」


 セリーは嬉しそうに頷いた。


「楽しみです」


 アルは定規を机へ置き、窓の外へ目を向けた。


 夜空には星が広がっている。


 旧保養施設の調査は続いている。


 王立魔導研究院でも、古い資料の所在を追う作業が進んでいる。


 王都には、まだ解決していない問題がいくつも残されている。


 けれど、今日のアルは、それらを考え続けるだけの一日を過ごさなかった。


 セリーと町を歩き、知らない店へ入り、見たことのない玩具に驚き、新しい道具を買った。


 それだけで、十分に楽しい一日だった。


「主様」


 セリーが声をかける。


「どうしたの?」


「また、二人で町へ行きたいです」


 アルは彼女を見て、微笑んだ。


「うん。俺も」


 セリーは安心したように笑い、再び針を動かした。


 その手元には、淡い青緑色の糸が少しずつ形を作っている。


 アルは完成を楽しみにしながら、机の上の定規を片づけた。


 古い塔には、まだ知らない秘密が眠っている。


 その秘密を解き明かす日も、いつか来るのかもしれない。


 けれど今夜、アルが一番楽しみにしているのは、セリーが何を作っているのかという、小さな秘密の方だった。

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