42羽目:知の記憶の鱗片
お互いを見つめ合った瞬間、周囲の景色が変わっていることに気づいた。
「ここ……どこ?」
先ほどまでいたのは、無機質な壁に囲まれ、本の山が崩れていた回収部屋だったはず。
なのに、今は——草原の中心に立っていた。太陽は高く、風がやさしく流れている。すぐそばには小さな丘があり、その風景には、どこかで見覚えがあった。
「みぃ、ここ……ヴェルさんが見せてくれた場所に似てない?」
「うん、私もそう思った。ただ、あのときは夜だったし……この木は映ってなかったけど」
精霊王とヴェルさんが丘の上で話していた、あの映像。その視点は、今まさに自分たちが立っているこの場所だった。そして、その視線の始まりに、ほのかに光を帯びた低木が1本——その枝には、六角形の果実がひとつだけ実っていた。
「これが、次の記憶かな?」
「うん。導きがちゃんと繋がってる」
念のため《森識鑑定鏡》を装着して確認する。
【アルカナの実】
魔力を帯びた樹木に実る六角形の果実。表皮には自然に浮かび上がる魔法陣のような模様が刻まれている。熟すと果皮がやや柔らかくなり、芳醇な香りが立ちのぼる。
使い方:乾燥させて粉末にし、術式刻印の補助材に。混ぜ込むことで物質の魔力変質を促す触媒として高い効果を発揮する。
その他:食用可(要注意)。果実の中心には“アルカナ・ナッツ”と呼ばれる核があり、これ自体が高品質な魔力触媒として重宝される。
実が熟していない場合:強烈な渋みと刺激があり、摂取すると魔力中毒を引き起こす危険性がある。
実が熟している場合:フルーティーで濃厚。
※熟していない実を酒に漬け込むと美味しい、飲みすぎ注意。
やっぱり、以前見たものと同じだ。そっと手を伸ばし、実をもぎ取ったその瞬間——光景が再び変化する。
視界に映るのは、さっきまでいた図書館の回収部屋。無機質な光の中、ぱさ……ぱさ……と落ちてくる本の音だけが静かに響く。
夢……だったのだろうか?
だが、夢じゃない。手元には確かにアルカナの実が握られている。スピルカさんが持っていた本は、消えたままだった。
「えーっと……ルーイさん、みぃさん。今のは……一体?」
「たぶん、妖精の記憶……かな。けど、探してたのはこの実だよ!スピルカさんのおかげで見つかった!これ、お礼のドライルーナベリー。食べ過ぎ注意ね!あ、あとさっき落ちたときに、本も持ってきちゃったから渡しておくね!」
これ以上追及されないよう、スピルカさんに図鑑と瓶を渡すと、彼女はうれしさの余り頭上に掲げてルンルンと踊りだしていた。そんなに気に入ってくれたのね。よし、次はアレンジレシピでも作って持って来ようかな。
アルカナの核をこの場で割ってしまうと、記憶の封印があるスピルカさんまで巻き込んでしまうかもしれない。それを避けるため、今日は一旦ログアウトすることにした。
みぃとも話し合い、核を開くのは明日までお預け。
現実世界では、ちょうど日付が変わったころだったので、転送クリスタルでギルドホームに戻ってお互いにログアウトする。
「ただいま、我が家の天井〜……」
ヘッドギアを外しながら欠伸が出る。
「ふわ〜、今日も盛りだくさんだったなぁ……オストリュウ、結局どんな手触りだったんだろ……次こそ絶対もふもふ……するぅ……」
そう呟きながら、ヘッドギアを充電スタンドに置くと、夢の世界にふわりと落ちていった。
翌日。仕事も順調に終わり、お互いに時間を合わせてからログイン。
ぴよイン。
ギルドホームにあるみぃの部屋。
アルカナの実の核を床の上にそっと置くと、淡い光が今も脈打つように明滅していた。まるで「準備はできてるよ」とでも言っているかのように。
「……いくよ」
みぃが、こくんと小さくうなずく。
「【シールドチャージ】!フンッッ!」
パキンという音とともに、核が砕けるとあの時と同じように、まばゆい光があふれ出し、空気が震えた。
―― 『契約者、ルーイとみぃを確認。記憶の封印、解除を開始します』
砕けたナッツから響いたその声は、相変わらずどこか機械的でありながらも、不思議と意志を感じさせた。
そして、光の粒が舞い、目の前に小さな存在が現れる。本の栞のように軽やかな翼。透き通る光の衣。
「こんにちは、導かれし者たち。ボクは“知の妖精”ゼフィリス=グノスィ。知の記憶の守護者だよ」
「こんにちは、ゼフィさん……って、あれ?お茶飲んでないけど会話できてる?」
ゼフィさんはくすっと笑った。表情は光に包まれて見えないが、そう見えた気がした。
「ボクは知の妖精だからね。いつの間にか言葉も覚えたんだよ。これでも龍語、ピクシー語、エルフ語、ドワーフ語に……」
「ゼフィさんは何でも話せるのすごいねぇ!さすが、知の妖精で記憶を託されただけある!はい、これ!お近づきの印にどうぞ!」
さっと、インベントリからアルカナのジャムとスコーンを取り出す。
「いや〜それほどでも、あるかなぁ!わーい!」
このまま言い続けていたら、どこまで出てくるのかわからなかったので、スイーツで釣る作戦!
褒められてエッヘンと胸を張ったかと思えば、すぐにスコーンとジャムに飛びついて、もぐもぐと食べ始める。
「はぐっ……もぐもぐ……はっ!食べてる場合じゃなかった!」
慌てて口元をぬぐいながら、ゼフィさんは羽を広げて姿勢を正す。
「では、ルーイ、みぃ。王に託された記憶を——お見せいたします」
すると、空間が揺れ、まるで映像が再生されるように、過去の記憶が広がっていく。
そこには、王とゼフィさんが向かい合っていた。空はどんよりと曇り、重く湿った風が吹き抜ける。その風は、焼け焦げた木の匂い、そして鉄のような錆びついた香りを運んできた。戦の煙が空を覆い、空気は灰と煤で満ちていた。
『……この戦いの果てに残るのは、希望か、それとも破滅か』
王の声は疲れていたが、その瞳には揺るぎない決意が宿っていた。
『ゼフィリスよ、余は世界の記憶とこの国にまつわる知識を封印する。
こうすることで、たとえ破滅に向かおうとも、三界を繋ぐ記憶を消せば、誰もたどり着くことはできない。
知識を失えば、兵器を作ることも、道を開くこともできないだろう……失われる全ての記憶と知識をお主に託す』
ゼフィさんは静かにうなずいた。
『……御意。王の選択のままに、ボクは従います』
王は空を見上げ、深く息を吐いた。
『このような愚策しか取れない王を、どうか許してほしい。
もし、この戦が終わり、平和の世が再び訪れたなら。ゼフィリスよ、お主は新たな世界では――過ちを学びに変える知識と、悲しみを繰り返さない記憶の導きとなれ』
ゼフィさんは片膝をつき、右手を胸にあてた後、そっと左腕の腕章に触れる。
光の粒子が空間に舞い、やがて収束していく。




