10
ひたすら走った。
息が切れて、動悸が早くなり、足は動かす度に痛かった。
それでも、走らなくては。会いに行かなくては。
伝えられなかった一言を言うために。
ルンフェイは冥府に辿り着くと、脇目も振らずに閻羅の執務室を目指した。
「はっ……はっ……」
喉から血の味がせりあがる。疲労のせいで、何度も息を吐かなくては、苦しくて苦しくてかなわない。
(でも、閻羅様は……きっともっと辛い思いをしてるはず……)
裁判が法廷で開かれていないと言うことは、閻羅の身に何かあったと言うことだ。
たとえそれがルンフェイのせいだったとしても、そうでなかったとしても。
ルンフェイは閻羅の顔が見たかった。
慌ただしく役人が走り回る廊下を、ルンフェイはするするとすり抜けた。
ようやく閻羅の部屋の近くまで来ると、ルンフェイはそこでようやく足を止めた。
「はあ、はあ……っ。閻羅、様……っ」
よたよた歩きながら部屋に近づいていくと、いつもより人が多いことに気がついた。
「……?」
物々しい空気をまとって、怖い顔の男性役人が多く立っていた。
朝に冥府へ来たことは無かったから知らなかっただけで、もしかして普段はこうなのだろうかと、ルンフェイは困惑した。
こんなに役人が集まっている執務室を見るのは初めてだった。
ルンフェイに会うときは、閻羅はいつも人払いをしている。
それでルンフェイが訪れるときは誰も部屋の近くに居ないのだ。
ルンフェイはそのことを知らなかった。
「あの……閻羅様にお目通りを願いたいのですが……」
恐る恐る役人に声をかけると、ぎろりと睨まれた。
「閻羅様はただいま来客の接待中である」
短くそう告げられて、ルンフェイは安心した。
張っていた気が抜けて、へたりとその場に座り込んだ。
「どうした」
突然崩れ落ちたルンフェイに役人は戸惑っている様子だった。
(……お仕事、されてた……)
何かあった訳ではなかったと、ルンフェイは心の底から安堵した。
お仕事なら邪魔しちゃいけないと、ルンフェイはなんとか立ち上がり、その場を去ろうとした。
「いえ、なんでもございまん。……あの、私がここに来たことだけ、お伝え願えますでしょうか……?」
「構わない。名はなんと言う? どこの部署の者だ?」
「輪廻の輪の管理職を任されております、ルンフェイと申します」
「ルンフェイ殿……」
役人は少し考えてる素振りを見せて、はっとしたように目を見開いた。
「しばし待たれよ」
そう一言告げると、返事も聞かずに部屋の中に入っていってしまった。
「え……あの……?」
ルンフェイはどうしたら良いか分からず、おろおろと戸惑った。
大勢の役人の視線を浴びながら待っているのがだんだん恥ずかしくなってきて、ルンフェイは耐えられずうつむいた。
しばらくそうして待っていると、先ほどの役人がようやく部屋から出てきた。
「ルンフェイ殿。私の主が貴女と話したいと仰っておられる。別の部屋でお待ち頂けないか?」
「え? ……は、はい、わかりました」
閻羅はルンフェイに会ってくれるつもりらしい。
大勢の前で言われるとなんだか恥ずかしくて、ルンフェイは頬を染めた。
「では、参られよ」
「……はい!」
前を歩く役人について行くと、一つの部屋に通された。
客間のようだ。
ここで待っていてほしいと言うと、役人は部屋から出ていってしまった。
閻羅が来たら、まず謝ろうとルンフェイは思った。
一週間も連絡もなしに約束を破ったことを、突然別れを切り出して、戸惑わせたことを。
それから、ルンフェイの気持ちを閻羅の伝えよう。
もう一度はじめからやり直したい。
今度こそ貴方を知っていきたいのだと。
今度は必ず伝えて見せる。
そうして落ち着かない心を、なんとか宥めながら待っていると、ようやく扉を叩く音がした。
「……!閻羅様……!」
ルンフェイは思わず立ち上がると、扉の前まで小走りで近付いた。
ゆっくりと開かれる扉を食い入るように見つめながら、ルンフェイは心臓を高鳴らせた。
そうして現れた人影に、ルンフェイは目を丸くした。
「……………………え?」
現れたのは女性だった。
銀色の髪の美しい美女の登場に、ルンフェイは首をかしげた。
いったい誰だと見つめていると、美女の口が開かれる。
「貴女がルンフェイね?」
「え……、は、はい。そうでございます」
「閻羅の恋人だと聞いているわ」
「はっ……はい……」
恋人と聞かれて、ルンフェイは思わず赤面した。
一応、まだ恋人である。
「ふーん……」
謎の美女はしげしげとルンフェイを眺めた。
くるりとルンフェイの周りを一周しながら、頭のてっぺんから爪先まで観察された。
いったい何が起こっているのだろうと、事態が掴めずにいたルンフェイは、その身を硬くした。
「閻羅ったら私に内緒でこんな子と付き合うだなんて……。言い度胸だこと」
「あの、あなた様はいったい……」
不穏な視線を向けてくる美女に、ルンフェイは思いきって声をかけた。
すると美女は事も無げに言い放った。
「私はシェンメイ。閻羅と一緒に暮らしているのよ」
「一緒に……?」
「ええ。私がいるのに、どこの誰とも知れない女を恋人にしたと言うから、ずっと会ってみたかったのよ」
「え? ……え?」
「さっさと連れて来なさいって言ってるのに、ちっとも連れて来ないんですもの」
「え、あの……え?」
つまりこの美女は閻羅の同棲相手なのだろうか。
その言動では、閻羅と同棲をするような仲の自分を差し置いて、閻羅が外で違う恋人を作ったと言っているようなものであった。
「だから、私の方から会いに来たわ。……倒れた閻羅のことも気になったし……ついでよ、ついで」
「閻羅様がお倒れに……!?」
ルンフェイは真っ青になった。
ルンフェイの予感は正しかった。やはり、閻羅の身に何かあったのだ。
だから裁判が行われず、輪廻の輪に乗るべき魂たちが裁かれていなかったのだ。
「あら、知らなかったのかしら? 恋人なのに?」
「……それは……」
「あらあら、それで恋人だなんてよくも言えたものねぇ」
「……っ」
顔を近付けながらルンフェイを嘲笑するシェンメイに、ルンフェイはなにも言えなくなった。
「閻羅もこんな子を選ぶなんてどうかしているわ」
「私は……」
「あら、なにかしら? 何か文句でもあるのかしら?」
ルンフェイは顔を上げるとシェンメイの銀色の瞳をキッと睨み返した。
「私は、閻羅様の恋人です。閻羅様をお慕いしている気持ちは、貴女には負けません……!」
シェンメイは驚いたように瞳を丸くした。
「そうなの……。なら、いらっしゃい」
「え……?」
シェンメイは問答無用でルンフェイを引きずっていった。
「離してください、どこへ行こうと言うのですか…!」
「貴女は閻羅の本性を知っても、同じことが言えるのかしらねぇ?」
シェンメイは口角を上げて笑った。ルンフェイはその言葉に引っ掛かりを覚えた。
閻羅の本性とはどういうことなのだろうか。
ルンフェイはシェンメイの言っていることが分からずに、抵抗することも出来ないまま、再び執務室の前まで連れてこられた。
扉を叩くこともせず、ずかずかと入っていくシェンメイに、ルンフェイは抗議の声を上げた。
「お止めください、なにをなさるのですか……!? ここは、閻羅様のお部屋なのですよ……!?」
シェンメイはルンフェイの叫び声を無視して、執務室の中にある扉を開けた。
そこから先は閻羅の私室である。
ルンフェイも入ったことのない、執務室の隣の部屋へシェンメイは迷うことなく入っていった。
続きの間を抜けて寝室の扉を開けたシェンメイに、ルンフェイは真っ青になった。
こんな無礼を働いては法廷に引っ立てられてしまうかもしれない。
許可なく閻羅の寝室に入るなど、言語道断である。
「入るわよ」
シェンメイはぞんざいに扉を開け放つと、ルンフェイを部屋の中へと引きずり込んだ。
「シェ、シェンメイ様……! それに、ルンフェイ様……!?」
司録であるシヨウが突然の来訪者に目を丸くした。
ルンフェイの姿を見つけたシヨウが、少しばかり顔を輝かせたことが、ルンフェイは気になった。
「さあ、ご覧なさい。これが閻羅の本当の姿よ?」
シェンメイはそう言うと、閻羅の寝台の帳を乱暴に剥ぎ取った。
寝台の中に横たわった閻羅は青い顔で眠っていた。
やつれきったその姿に、ルンフェイは目を見開いた。




