その翼のシルエット
「な、何なのあのデカ女ッ! 何なのっ!?」
森の上を、木々を渡るように駆けながら。私の糸をたやすく引きちぎったあの女を思い浮かべる。
まさか、捕らえた後に逃げられるなんてっ!
「くそっ! くそっ! 何でうまくいかないのよっ! そもそもアイツが失敗さえしなければこんな事にはっ!」
糸を使い木から木へ飛び移り悪態をつく私に……そう、背後から迫る気配。
「くっ! 追ってきたのねっ! けど甘いわよザコ! あたしだって、ただ逃げ回ってるんじゃないっ!」
木と木の間に硬質化した糸を張っていく! 粘着性がない代わりに細く強靭な糸よ! 何も知らずに飛び込んだら……無様に真っ二つなんだから!
「速く走れば走るほど、あたしの罠はあんたに牙をむく! かといって速度を落とせばあたしは逃げ切れるっ!」
それだけじゃない! あらかじめ仕掛けておいた複雑なトラップも作動させていく。私の逃走経路にある感知糸。それを切れば、四方から迫る糸が奴を斬り刻む!
「さあザコ! どうあがいたってあたしのっ!?」
そう言いかけて、何故か突然、視界が赤く染まる。
何か、赤い線が通り抜けたと気づいたときには、私の体は落下していた。
「なに……え?」
赤い血が……いや、さっき通り過ぎた赤い線じゃない。私の背中から、何か熱いものが、噴き出して……。
「あっ、や……ああああああああっ!」
背中の焼けるような痛みに、そして落下して地面にたたきつけられた衝撃で、私は身もだえた。
「あっ! ぎっ!? せなっ! かぁっ!? わだじの、せな、がっ!」
ざっくりと、鋭いナイフでさばかれたように、私の背は裂けていた。
木に繋いだ糸で落下の衝撃は抑えたものの、受け身は取れなかった。打ち据えた腹や足にじわじわとした痛みが広がる。みじめに、ジタバタと地面で悶えて。
何で……何でっ!? 何で私が、こんなっ!?
「鬼ごっこはもう終わりか?」
ザッザッと、落ち着いた声に合わせるように、まるで散歩でもするような気軽さで、その男は私の前に。
銀の髪に、青い瞳。その体にはうっすらと、血の煙を纏って。
森の暗がりで、そいつは獲物を見下ろすように、私の前に立ったのだ。
――
森の中を軽快に逃げていくシャーロンを、俺も木と木をジャンプして飛び移りながら追いかける。
ミルキ・ヘーラの血の匂いが張り付いているので逃がすことはないが、その移動速度はかなりのモノだ。ワーウルフ達より速く遠ざかるその姿に、少しだけ関心する。
「某蜘蛛男のようだな」
木から木へ糸を伸ばして張り付き、まるで蔦を渡るように空中を駆けている。これじゃ見つからないはずだ。糸の振動で居場所を感知され、こんな風に頭上を逃げられたのでは。
「おまけに糸によるブービートラップか、渋いことをする」
木と木の間に、透明で強靭な糸をピンと張っている。そこに高速で突っ込めば、骨までバッサリいくことだろう。
他にはさらに細い糸をスイッチに作動する仕掛け。同時に四本の糸が鞭のように放たれる。速く鋭く気づかれない、ある意味では究極の斬撃といえるかもしれない。
だがそれは、そもそも糸が見えなければの話……。
「吸血鬼だとバレた以上隠す必要はない」
吸血鬼の領域。
俺は自分の体の周りに、半径五メートルサイズの血の霧を纏う。
それは鋭敏なセンサーだ。触覚のように、霧に何かが降れるとそれを即座に俺に伝える。
血ならいくら糸に触れて裂けようが構わない。それに血が張り付けば透明な糸だって丸見えだ。この技の前では、朝露に濡れた蜘蛛の糸も同然。
「狩らせてもらうぞ!」
腰の短剣を抜き、襲い来る糸の刃を切り裂く! 鋼鉄の倍以上の強度だろうが、所詮は硬く細いだけ!
斬る事に特化した剣には勝てん! ましてや、ドラーニャが鍛えたこの短剣には!
そうして距離を詰め、吸血鬼の足跡を放つ! 赤い線は斜め下から斬り上げるように、彼女の背中をザックリと裂いた。
ドサリと地面に落ちた彼女に近づき、告げる。
「鬼ごっこはもう終わりか?」
覚悟はできたか、と。
「ひっ!? あ、あん、たっ……な、なんでっ!」
「ん?」
ズリズリと体を引きずり、俺から逃げる蜘蛛女を歩いて追いかける。血の霧をしまい、感覚を目の前の蜘蛛女ではなく、その周囲に巡らせる。
さて、彼女は追い詰めたが……まだ終わりじゃない。
「あ、あんたみたいな強い吸血鬼が、な、なんで人間のフリなんかしてっ、あ、あたしたちの邪魔すんのよっ!?」
どうやら自分の置かれた現状に納得がいかないらしい。というよりこの口ぶり……。
「音の『振動』は拾えても、会話の『内容』までは聞き取れないようだな」
安心したぞ。情報は洩れずに済んだわけだ。
「経緯はどうあれ、今の俺はあの村の用心棒。村に害をなすお前らをぶちのめすのに、理由が必要か?」
「あ、あんた、さえっ! あんたさえいなければ、こ、こんなっ! こんなみじめなっ!」
はー、はーと息を切らしながら、血をだらだらと這う道に垂らして、彼女は近くの木にもたれかかる。吸血鬼的にはいい感じに御馳走に見えるが、今は我慢。
「質問に答えろ。答えによっては、慈悲をくれてやらなくもない」
「は……はっ! な、なめ、ないでよっ! あ、あたしだって第四悪魔商会の一員よ! こっ、殺されたってなにも喋りはしないわよっ!」
ほう、そうか。その割にはさっき色々と口を滑らせていたが。引きつった笑みを浮かべる彼女に近づき、目線を合わせるようにしゃがみこむと、彼女はびくりとその身を揺らす。
「さっきの話の続きだ。お前たちは人間の勇者を捕らえて、何をするつもりだ?」
「いっ、言わないって言ってるでしょっ! なめんじゃないわよカスっ!」
「そうか。八本もあるんだから、数本潰しても構わないと」
「ひぃっ!?」
俺の言葉の意図を理解したのだろう。俺が彼女の蜘蛛の足を掴むと、彼女はジタバタと身をよじる。まあ当然、俺と力比べで勝てるはずもな……。
「ッ!?」
「おーっと、凄いところに出くわしちゃったな」
気配を殺したその男が近づくのに、ギリギリで感づいた。
「上半身裸で……女の子を襲ってるようにしか見えない構図だね」
俺の背後から、軽薄そうな口調で迫る、その男。
ふん、ようやくお出ましか。
「ジャンジャーさん」
「やあ。見事敵の主犯格を捕らえたんだね」
「あっ……」
へらへらとした顔つきで、男はこの場に突如、現れたのだった。
こんなに近づくまで気配を掴めないとはな。
「その子は殺さないでねー。重要な証人だから、色々聞きだすためにこっちで預かるよ」
「は、はは、はははっ……!」
蜘蛛女のシャーロンは、思わぬ人物の介入に、けれどその顔に再び邪悪な笑みを浮かべて。
「どうした? 何がおかしい」
「べ、別にい? ほら、あんたの出番は終わりでしょ? さっさと引っ込みなさいよ」
「そうはいかん」
俺はジャンジャーにわざと背を向け、人差し指をシャーロンの眉間に突き立てる。
「お前にはシルキィさんが随分世話になったからな。顔がぐちゃぐちゃになる程度には、礼をさせてもらおう」
「ひっ!? ひいぃっ!?」
「まあ力加減を誤って死ぬかもしれないっ!?」
そう、俺が芝居でわざと彼女を追い詰めるよう仕向けると……。
「がっ!? ぶっ!?」
「だからぁ……」
早速、動いたかっ……!
だがっ、くっ! ここまでやらせるつもりはなかったが!
「殺すなっつってんだろ?」
「……本性を、現したなっ」
俺の背中には、二本のナイフ。
そう……ジャンジャーが音もなく放ったソレが、突き刺さっていた!
「あーあ、余計なことするからだよ? 見習いクン」
「あっ、はっ! ざまあっ! ざまあみなさいよっ! このクソザコきゅうけっ……!?」
「やはりお前も関係者か、ジャンジャー」
「……おっとお?」
俺が平然と振り返るのに、ジャンジャーは幾分裏返った声をあげる。
「悪魔に魂を売ったのか?」
「ははは。いやー、こりゃ、参ったね。君どういう体してんの? 普通もうちょっと痛そうな顔するでしょ」
「こんなものは気合で耐える」
俺が背中に刺さった二本の剣を抜いて投げ捨てると、ジャンジャーは流石に焦りの表情を浮かべて……。
「人間が悪魔に寝返ったのか、それとも元々人間じゃないのか」
「いやー? 人間離れした君に言われるのも癪だけど、僕はれっきとした人間だよ? 悪魔に魂売ったって、言い方はちょっと大げさだけれど」
「ゆっ、油断するなっ! そいつは吸血鬼だっ! この程度じゃ死なないっ!」
シャーロンはもはや隠そうともせずジャンジャーに味方する。
ようやくはっきりとした。こいつも……そう、第四悪魔商会の関係者!
「あー成程。それは流石に驚きだ」
「こっちのセリフだ。お前ら人間の上層部にまで悪魔の手が入っているのか?」
「うーん? どうだろうねー? 生憎だけれど、僕はそこで地べたを張ってる性悪女よりは口が堅いんだ」
「なっ!? こ、このカスっ!」
味方であるはずのジャンジャーの物言いに、シャーロンも悪態で返す。どうやら仲良しこよしという訳じゃないらしい。
「口が堅いのならその顎、もみほぐしてやろう。骨を粉状にまで砕けば喋ってくれるか?」
「あっはは、物騒だなー。というか僕戦闘は苦手だから吸血鬼の相手なんてできないって。無理無理」
「なら覚悟しっ!?」
突然、ぐらりと、世界が揺れる。
「あー……吸血鬼には効かないのかと焦ったよ」
「な、なんっ!?」
立っていられず、ドサッと地面に膝をつく。な、何だ!? また気づかぬうちに何かされた!?
いや違うっ! こ、これはっ! これはまさか!?
「どうだい? 僕のナイフに塗られた、毒の味は」
毒……!?
バカ言え、そんなものっ、お、れに……効く、か……。
この感覚、ち、力が抜ける感じ……まさかこの……こんな最悪なタイミングでっ!
「油断しすぎだっての、ばーか」
ジャンジャーの悪態すら、もういくらか遠く聞こえる。
強制睡眠。
まさか……こんなときにっ!
「は、ははっ! このクソがあっ!」
「ぐあっ!?」
動けなくなった俺に、シャーロンの蹴りが叩き込まれる!
「随分やってくれたよなあっ! クソザコのくせしてよぉっ!」
「げぶっ!」
地面を転がる俺を再び蹴飛ばし仰向けに。そうして俺にのしかかり……。
「ほらほらっ! 馬乗りにされて手も足も出ねえの? ひゃっははっ! ざーこ!」
「ぐぶっ!?」
俺の腹に、その足を突き刺す!
「ひゃはっ! ざーこ! ざーこ! くそざこ! さっきまでいきりたおしてたくせによぉっ!」
ぐりぐりとそこをかき回され、その壮絶な痛みに、流石に体が跳ねる!
「うぐあああぁっ!?」
「女にいいようにされて、なーんも抵抗できなっ!?」
強烈な痛みの中、突然シャーロンは俺から飛びのく。何事かと顔を傾け……。
「こ、これはっ! え、エドーラ様っ!」
「ふうん? 何事かと思えば」
そこには、青い肌の女性がいた。
ショートで癖の強そうな黒髪から、赤い紐を両側からたらしている。豊満な胸を大胆に露出する、コルセットで引き締められた黒いドレス。
肘まで覆う手袋とフレア状に広がるスカートはデザインがどこか荒々しく、その下には長く美しい足を覆う白タイツと赤黒いブーツ。ストリート風のバレリーナファッションとでもいう奇妙ないで立ち。
そしてスカートから伸びる黒い尻尾、後ろ向きに生えているねじれた短い角。瞳は、奴らの特徴である金色をたたえて。
まごうことなき、悪魔のお出ましだ。
「こいつが邪魔してたって奴? 随分若いってか、綺麗な顔しちゃって」
「そ、そいつ吸血鬼ですっ! だからオークどももあっさりやられて」
「吸血鬼? そういえばこの銀の髪……まさか」
まず、いっ……手の出ない状況で敵の増援とは……。
このまま、つれ、去られでもしたら……。
「おらっ! まだ終わってねえんだよザコっ!」
「ぐっ!?」
「エドーラ様にも聞かせて差し上げろっ! ザコの情けない悲鳴をなあっ!」
「あぐああああっ!?」
彼女はそう言って、よりによって、俺の股間を思い切り踏みつける! ついでとばかりにさっき腹に空けた穴に二本の長い足を入れ、内臓をぐちゅぐちゅとっ……。
「ひ、ぎゃあああああああああああああああっ!」
「なっさけない悲鳴だなあっ! ふひゃははっ! ザコのくせしてあたしに盾突くからだってのっ! このザコッ、クソザコっ! ひゃははっ! ざこ! ざーこ!」
鋭さで切るわけではない。恐らく小腸をからめとり、引っ張り引きちぎっている。想像を絶する痛みは、何度も死の淵へ俺を誘い、そこから無理やり意識を叩き起こさせる。
頭を痛みで何度焼かれようと、俺は死なない。死ねない。死ぬほどの痛みを……何度味わおうともっ!
「ぐっ、ゲッ!? あっべっ!? えぶっ! おぶっ! ごっ……」
「ふははっ! 最高かよお前っ! おっもしれー! 最後にいい玩具、に?」
俺は、何度も叩き起こされる痛みで、そう、左手を動かして彼女の踏みつけていた足を、掴み……。
「なんだおい!? もっと踏んでくださいってか!? お前変態かよきゃは、はっ?」
ああ、助かった。何度も何度も、流石にこれだけ痛みを味わわされたら……。
「えちょ、なん、え、い、痛っ!? は、放せおいっ! 放せっ!?」
嫌でも目が覚めるさっ!
「い、いぎゃあああああああああああああああああああっ!」
ゴキボキンという音と共に、シャーロンはどさりと、地面に転げ落ちた。
「あ、足ぃっ!? あ、あたしのあしがっ! あ、あああっ! お、折れてえええぇっ!」
ああ、くそ……折るどころか引きちぎるつもりだったんだが……痛みが眠気覚ましになったと言っても、全力は、やはり……だせ、ない……。
死ぬほどの痛み程度で……強制睡眠を克服できれば……世話、な、い……。
「このクソザコがああああああっ!」
「がぼっ!」
「死ねっ! 死ねっ! ザコがっ! ザコのくせしてっ! もう死ねっ!」
胸に、喉に、顔に。ザクザクと足を……突き刺され……。
悶えるほどの痛みも……今は、と、おい……。
あ……だめ、も、う……。
「死んじまえっ! こっ、うぐあっ!?」
「な、何っ!?」
「ぐおっ!?」
突然……体が軽くなって……。
と、っぷう?
「カイっ! カイっ! しっかりしてっ!?」
な、ん……こ、えが……。
「任せてっ! 私治療は得意だからっ! あんた助かるわよっ!」
腹に当てられ……柔らか……女の子、手……。
俺を見つめる、赤い瞳。
「マ、リ……」
「まっ、間に合ってよかったわっ!」
いや、違う。マリエじゃない。流れるような金の髪。
美しい吸血鬼の少女、カプチーナ。
「あんたの血の匂いと悲鳴を聞いてすっ飛んできたのよ! あんたはまだ……こんな所で死ぬ奴じゃないって、神様が言ってるのかしらね?」
吸血鬼が神を語るなど……いや、そうじゃない!
「に……げ」
そうだ、俺は無限再生で死なないが、お前は違う!
俺を治療している最中は完全に無防備だ! やめろ! お前は自分の身を守って……。
「でも感謝するなら、神様にじゃなくあのコにね」
再び、俺の頬をその風が撫でる。
大きく伸びる、こげ茶の翼。
武骨で、鋭い黄色の爪。
天女のようにはためく、白い布。
見覚えのある、血の色をした、赤い毛……。
「もう大丈夫だよ、カイ君」
そんな力強いシルエットの中、見覚えのある笑みが、俺を見つめて。
「君は、私が守るから」
その声を聞いたのが最後だ。
抵抗を続けていた俺の意識は、今度こそそれを手放すのだった。
<現在の勢力状況>
部下:古ゴート族82名、レッサーオーク51名、ギガントオーク67名、ワーウルフ21名、ワーダイル60名
従者:ベーオウ
同盟:大魔王ガルーヴェン
従属:なし
備考:第七悪魔商会と契約中、強制睡眠発動
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