マクナム領で~2
─ ちょうどその頃、遠く離れたガルバーニ分領では、ロレーナ・フランチェスカ侯爵夫人が、甥であるジョルジュ・ガルバーニ公爵からの手紙を受け取ったばかりだった。その封を切り、内容にさっと目を通す。その知らせは、思いもよらない内容で、驚きと怒りのあまり、わなわなと震える手でそれを握りつぶした。
「なんですって?!」
貴族女性が大声を出すなどあるまじきことだが、憤るあまり、思わず声が漏れてしまう。あまりにも突然の知らせに、自分の目を疑った。
「奥様、何ごとでしょうか?」
部屋の外で控えていた執事が慌てて扉の向こうから顔を出す。執事が現れたのを幸いに、ロレーナは怒りを隠そうともせずに、憤懣やるかたない様子で執事に口を開く。
「ジョルジュが結婚するのですって! わたくしの了承なく勝手に婚約したと」
「さようにございますか。それは、その・・・とても急なことでございますね」
「急なんてもんじゃないわ。大切な公爵家の妻となる人を、後見人であるこのわたくしに一言も相談なく、勝手に決めてしまうなんて!」
ロレーナの顔には、怒りの表情が浮かんでいる。
「なんでも、婚約者となった娘は女のくせに騎士団に所属しているとか言うじゃないの。そんな山猿のような女を、由緒ある公爵家の嫁として迎えられると思う?」
静かに怒りの言葉に耳を傾けている執事の前で、ロレーナはすくっと立ち上がった。
「ここで、手紙を書くなど、うだうだしているのは時間の無駄だわ。旅立ちの支度をして!直接、ジョルジュと会って、目を覚ますように厳しく忠告しなければ」
それは、随分と昔のこと。ガルバーニ公爵家で、ジョルジュの兄が何者かによって暗殺されたとき、ジョルジュの両親はすでに他界していなかった。ジョルジュに公爵家を引き継がせ、ロレーナは、まだ年若いジョルジュの後見人となり、それからずっと彼を見守っていた。
やがて、ジョルジュが立派に成人してからは、公爵家の後見人からは手を引いたが、ロレーヌは間違いなく、ジョルジュの保護者であり、家族であった。
生真面目で几帳面な甥だったが、どうせ恋に浮ついて、まともな判断力をなくしているのに違いない。幾つになっても結婚する様子さえ見せない甥に業を煮やして、幾つか縁談を準備してやるべく、令嬢の絞り込みを終えた所だったのに。
縁談について、幾つか遣り取りをしている家のご令嬢たちも、ジョルジュに会えるのを楽しみにしているようだった。ジョルジュからの手紙によると、婚約者となった娘は、女だてらにあの由緒正しいマクナム伯爵の爵位を譲り受け、騎士団に所属して、男まさりのことをしているらしい。そんな娘に、到底、ガルバーニ公爵家夫人など、務まる訳がない。
いくら爵位を継いでいると言っても、その娘は所詮、庶子なのだ。
隣国の王族でも迎え入れることが出来る身分だと言うのに、平民同然のような娘を妻にするなど、狂気の沙汰としか思えない。
甥のジョルジュの間違った判断を正してやれるのは、自分しかないのだ。ロレーナはテキパキと従僕に指示を出し始めた。
「公爵家の執事に、私が行くと早馬を出しなさい」
「はい。奥様」
「私が不在中には、アルマンドを責任者として任命するように」
「はい。お申しつけ通りに」
「では、旅行の手配もお願いね」
「かしこまりました」
主の言いつけを従順に行なうために、部屋の奥へと消えた執事の後姿を見送って、ロレーナはまた一つため息をつく。
あのジョルジュが熱をあげて入れ込むなんて、なんて珍しい。
感情を滅多に見せない甥のジョルジュは、不器用な所があり、そういうものと一切無縁かと思っていたのだが、婚約したと言うことは、一応、色恋沙汰にも興味があったと言うことだ。
ジョルジュの兄のクライブが暗殺されてから、と言うもの、ジョルジュが無我夢中で公爵家を守るべく奔走していたことを知っていただけに、無骨な甥に、少し恋の花が咲いたと聞き、ロレーナは憤りを感じるのと同時に、少しほっとしている自分に気がついた。あの甥にも人並みの幸せを感じてほしかった。
気がつけば、窓の外では、すっかり日が暮れている。ロレーナは机の上のペンを取り、不在中の雑務について指示を残すために、幾つかの手紙をしたため始めた。今回の旅は、きっと少し長くなるだろう── そんな予感がした。
ロレーナの夫も随分前に他界してしまった。子供はいない。今のロレーナにとって、家族はジョルジュただ一人のみだった。