* Truth
「フルスト──ジョンアの苗字が小学校の時に変わったってのは、覚えてるよな?」
夜十時すぎ、ダブルベッドの両サイドにあるナイトスタンドの明かりのみを灯した屋根裏部屋。電話越しにゲルトが言った。
そろそろ電話しようかと思っていた時、登録していない固定電話番号から着信があった。それがゲルトだった。
「それは覚えてる」ベッドの上で積み重ねたクッションにもたれ、私は答えた。「ワイゲルトからフルストになった」
「そうそう。んじゃ、どうやって俺らがそのこと知ったかは?」
「さあ。風の噂とかじゃないの? 本人の報告とか」
「マジか」呆れた声。「いや、違うって。アホ担任が朝のHRの時、ご丁寧にあいつを教卓の横に立たせて、クラスメイトの前でわざわざ言ったんだよ。今日からジョンアの苗字が変わるから、それで呼ぶようにって」
少々衝撃を受けた。「は? まじで?」
「マジだよ」彼が続ける。「んでHRが終わって、誰だったかは忘れたけど──お前のうしろ? の席にいた女子と話すのに、ジョンアがそこ行って。したら、トルベンたちがジョンアに話しかけた。なんで苗字変わったんだって訊くために。ちょっと考えりゃわかるはずなのに、わかってかわかってなくてか知らないけど、とりあえずあいつにしつこく理由訊いて。当然ジョンアは口ごもり。そんでお前が、あいつらにキレた。理由なんかどうでもいいだろとか、お前らに関係ないとか、ファーストネームは変わってないんだから騒ぐほどのことじゃないとか。まだ続けるなら担任経由で親にチクるぞ、みたいなことを言って、奴らを引かせた」
──ぜんぜん、覚えていない。「マジで?」
ゲルトはまたも呆れた声を返した。「だからマジだって。俺が覚えてる限り、それがお前とトルベンの最初の対決。って、口で言い負かしただけだけど。ちょうどその頃、お前が家に帰んの渋りはじめたり、苗字で呼ばれるのがイヤだとか愚痴ったり、まあいろいろで、そのあともやたらトルベンを目の敵にしてるみたいになってたから、それが原因なんだと思ってたけど。でも覚えてないんなら、言うほど関係はないのかもな。お前の機嫌が悪い時に、たまたまあいつが悪さする奴らの中にいたってだけかもしんねえ」
「ぜんぜん覚えてない。その、今日みんなが言ってた、転ばせたりドミノ倒しにしたりイレーザーで服汚したりってのは、覚えてる。でも相手が誰だったかは、ぜんぜん覚えてない」
「は? マジか」
「うん」なぜだろう。「ジョンアのことも、二年か三年の時にはじめて同じクラスになって、それで話すようになったってのはわかってんだけど。苗字のことも、三年の時だってのはうろ覚えだった。気づいたら親の離婚で苗字が変わったってくらいの認識で。離婚前に遊んだことがたぶんあって、前の家は知ってたし、そのうち離婚して引っ越したってのがはっきりしたわけで。トルベンのことなんて覚えてないし、男子にどんなことをしたかは覚えてても、誰を相手にしてたかはぜんぜん覚えてない」
「──なんつーか、おもしろいくらい変な記憶力だな」
ゲルトの呆れた顔が目に浮かぶ。
「だね。楽しいことはそれなりに覚えてるんだけど、そういうのは覚えてない。ただの気まぐれだったのかも」
「だろうな」彼は肩をすくませるように言った。「ついでに言えばジョンア、そのあと一日か二日のあいだ、他のクラスの奴らからも訊かれてたんだよ、理由。それも、ほとんどはお前が追い払ってた。あれからだな、あいつがお前を──なんていうか、救世主を見るような眼で見はじめたの。もともと気弱なタイプなんだろうけど、お前にだけは、なんか違うもんな。絶対服従というか、絶対的正義というか──たまにほんと、犬みたいに見える」
──犬。餌、撒いてたのか。
「ああ、そのせいなのね」私は湿った髪をかきあげた。「ジョンアやナンネがそういうふうに私を見てるのはわかってたけど、こっちは盾みたいに扱われるのがヤなのに、なんでなんだろうって思ってた。なにもした覚えがなかったから。ぜんぜん思い出せないけど、やっとわかった」
彼が苦笑う。「たしかに盾だよな。アニタは違うんだろうけど、今や二年のほとんどの女子がお前のこと、盾にしてる気もする。アゼルたちの存在もあるかもだけど、対三年の盾になりつつ、制服でいえば、対先公の盾として、三年の盾にもなってる。どうすんだお前」
ぞっとした。「どうしよう。なんかどんどん、墓穴掘ってる気がする。気まぐれ自己中に行動してるだけなのに、悪役になれるって意味の盾ならまあ、かまわないんだけど──なんていうか、味方になって、みたいな盾はイヤなのに、そうなるよう自分で餌撒いてるっぽいし──制服だって、あそこまで増えると思ってなかった。増えることで学校が動くならかまわないんだけど、そんな気配ないし、気づいたら二年と三年の半分はあれだし、なのに学校は注意しないし──悪役になれないまま目立ってる気がする。どうしよう」
「けっきょく今さらだよな」と、ゲルト。「仮にお前が冬服をセーラーに戻したとしても、もう手遅れ。学校がどういうつもりなのかは知らないけど、少なくとも二年の中であの偽制服は、お前発端の怒られない非公式制服だからな。どれくらい知ってるかは知らないけど、三年の半分があれになってること考えたら、お前はお前のキライな“いい意味で目立ってる奴”ってことになる。今さら怒られるとしても、お前だけか、プラスでリーズとニコラか。まあ味方ってのは、正義感働かせなきゃ、これ以上増えたりはしないだろうけど」
いい意味で目立っているのか。最悪だ。もう校則違反者じゃないのか。いや、違反だけど。
と、いうか。「味方ってもしかして、私がやってること、実は悪役じゃないの? バレンタインの時でいえば、エデたちが第一の悪役で、アニタが被害者だよね。私はもちろんアニタの味方なりに、悪役側になれる方法をとったと思ったんだけど──もしかして、なれてないの?」
「んー──」彼は悩ましげに唸った。「まあ、善人ではないけど──完全な悪役ってのはやっぱり、逆ギレとかがツキモノなんじゃね? あれでカーリナはカルロと別れることになって、エデはアゼルに完全に嫌われて、サビナはリーズに呆れられたわけだけど。周りからすりゃ、自業自得だろ。ほとんどは同情してねえよ。あれであいつらが逆ギレしたら、完全な悪役だと思うわ。けどお前はなんていうか、あいつらからすれば悪役だけど、周りにとっては方法がめちゃくちゃなだけで、言うほど悪役じゃないかも。カーリナがカルロと別れるハメになったことはともかく、女なら、ああやって代わりに復讐してくれるお前がいるアニタは、すげえ羨ましいだろうし」
ああ、種がこんなところにも。
私はクッションの上をずるずると背中で滑り、クッションを枕にして仰向けになった。
「唯一の取り柄だと思ってた怒りや復讐ですら、墓穴用のシャベルになるの? なにこれ。もうやだ」
彼がまた笑う。「あんま気まぐれにデカい復讐かましてると、あとが面倒になるぞ。アニタの時みたいに復讐してほしくてお前に相談して、味方してくれみたいになって、けどお前が味方しなかったら、逆恨みされることだってあるかもしんねえ。それならそれで、お前が悪になるんだろうけど。お前のキライな、人間関係のこじれがはじまる可能性が」
「ああ。もう手遅れ。すぐ仲なおりしたけど、四月にケイ絡みでリーズとニコラが喧嘩した。ケイが二人に悪口言ったのを、私がまともに怒らなかったから、そのことで二人が軽くモメたらしくて」
「へー? まあ、やりすぎるとそうなるってことだ。お前の復讐にはけっきょく、正義が働いてるからな。結果的には完全悪じゃないし、頼った側だって被害者をとおせる。アニタの時みたいなのは、復讐って意味だけなら、完璧だとは思うけど」
──完、璧。
「わかった」私は開き直った。「もう難しく考えるのはやめよう。悪事を働いたのは加害者。頼ってくるのは被害者。復讐する私は悪。それでいい」
ゲルトも笑って納得した。
「ま、いいんじゃね。種が撒かれた時は撒かれた時だし、人間関係がこじれた時はこじれた時だろ。お前はそういう性格だったはず」
口元がゆるむ。「うん、そう。くだらないことは考えない。考えてもしかたない。私が悪だと思ってんだから、悪なのよ。もうどうでもいい」
「それでいい。──あ。なんかさ、イヴァンとカルロがトルベンとのこと、すげえ気にしてた。お前の許可が出たら教えろって。セテにはすでに話したけど」
「へー。イヴァンはわかるけど、カルロは詮索好きだよね」
「そうか? あんま気にしたことないけど。お前は詮索に敏感すぎ。もともとミステリアスなんだから、少々は我慢しろ。イヤなこと訊かれたら、話したくないって言えばいいだろ。それにあいつは転校生で、最近までお前とまともに話してなかったんだから、ある意味しょうがない」
なんとなく納得した。「主事に聞いて、あのリストが校長の手に渡ったとこまではわかったんだけど、それがクラス分けに効いてるのかはわかんないけど──考えたら、あの場にいたからって、あいつの名前まで書いてよかったのかな。勢いでアニタ入れて七人、全員て言ったんだけど」
「いいんじゃね? お前の普段の悪ふざけにも慣れてきてるし、わりと楽しんでるだろ。ダヴィたちのおかげもあるけど、お前のあれこれもわりと効いて、今は誰とでも話してるしな」
そういえば、わりと話してるような。
「ひとつおもしろいこと教えてやろうか」ゲルトが言った。
「なに?」
「あいつが転校してきてすぐ、ダヴィデとイヴァンは話しはじめたんだと。担任に校内案内するよう言われたのがあの二人でな。んで、廊下でお前を見かけたらしいんだ。カルが、あの女がいちばん可愛いって言ったらしいんだよ、お前のこと。けどダヴィもイヴァンも、速攻で止めたらしいぞ。あれは悪魔だからやめとけって。関わるとロクなことないからって」ゲルトは笑いながら言い終えた。
「ちょっと待って、悪魔ってなに。悪魔ってなに」私は二度言った。
彼はまだ笑っている。
「悪魔は悪魔だろ。そんであいつら、お前と普通に話してるじゃん。カルロに、お前ら話してるじゃねえかってつっこまれたらしいんだ。したらダヴィデが真剣な表情で、“俺らはもう呪われてるから手遅れだ”っつって」
こちらも思わず笑った。
「ちょっと待て。呪ってないし! なに言ってんの!」
笑いながら彼はさらに続ける。
「でな、ダヴィはしょうがないから、あいつをトルベンのとこに連れてったんだよ。ベラのことどう思う? みたいに訊いて。したらトルベンが、“あんな魔女に近づいたら一生不幸になる”って言って終了。やたら意味深に聞こえたらしくて、カルロはとりあえず、お前に近づくのやめることにしたんだって」
彼につられ、私もまだ笑っていた。
「最低。マジ最低。なんなのあんたら」
「いや、俺らはそこまで言ってない」笑いながら言う。「とりあえず関わらないほうがいいとは言ったけど」
「ひどすぎ。いじめか」
「いや」苦笑いを抑えた。「お前は無神経で無頓着で無関心なくせに、人間関係には妙に神経質だからな。顔どうこうでつるむのはダメなんだって。恋愛感情絡められたくないだろ」
──ああ。
ゲルトが続ける。「それにグループ的には、お前のめちゃくちゃな性格についていける奴じゃないと、相手できないし。お前と同じでアホっぽい噂を嫌ってて、周りの目を気にしなくて、しかもお互いに気遣わない奴っていう暗黙の条件だってある。その時はあいつがどんなか、まだよくわかんなかったからな。俺らなりに色々考えてんだっつの」
なるほど。「え、ここ、感謝するとこ?」
「いや、それはしなくていい」彼はまた笑いだした。「俺ら全員、近づかないほうがいいってあいつにアドバイスしたのは、紛れもない本心からだから」
「ふざけんな!」
ゲルトとの電話は約二時間、午前零時を過ぎるまで続いた。
そのあと、小学校三年の時のトルベンとのやりとりを説明するメールをアニタに送り、ゲルトと電話しているあいだに届いていたらしいケイからのメールにも返信して、返ってくるメールに何度か返事を送った。
二人とのメールが終わった午前一時近く、そういえばと思って、アゼルにジョンアへの餌を説明するメールを送ると、撒いてんじゃねえかとつっこみの電話がかかってきて、三十分以上そのまま話した。
けっきょく、眠ったのは午前二時前だった。




