遅れて重なる 第72話
第72話
「朝の向こう側」
風が吹いていた。
柔らかい、 本物の風だった。
ギアはゆっくり目を開ける。
眩しい。
白い天井。
錆びかけた換気ファン。
古い蛍光灯。
どこにでもある、 小さな部屋。
「……は……?」
喉が掠れる。
身体を起こそうとして、 脇腹に激痛が走った。
「っづ……!」
「起きた」
聞き慣れた声。
視線を向けると、 椅子に座ったカレンがいた。
腕を組み、 不機嫌そうな顔でこちらを見ている。
「三日寝てた」
ギアは瞬きを繰り返す。
「……三日?」
「そう。死にかけ」
「いや普通もっと心配しろよ」
「した」
即答だった。
だが少しだけ、 目元が赤い。
ギアはそこで気付く。
部屋の窓。
その向こうに、 “空” がある。
本物の青空。
ノイズも、 崩壊も、 観測リングもない。
ただの朝。
人の生活音。
遠くを走る列車。
鳥の声。
ギアは呆然と呟いた。
「……終わったのか」
カレンは少し黙り、 それから肩を竦める。
「誰にも分からない」
「世界法則そのものが変わったから」
「観測システムも沈黙したまま」
ギアは苦笑する。
「なんだそれ」
「アンタのせい」
カレンは睨む。
だが、その表情はどこか軽かった。
ずっと張り詰めていた何かが、 ようやく消えたように。
ギアは周囲を見る。
「……イリスは?」
沈黙。
一瞬だけ、 空気が止まった。
ギアの胸が冷える。
だが。
「ここにいるよ」
声。
部屋の入口。
ギアが振り向く。
イリスが立っていた。
変わらない白い髪。
静かな瞳。
だが——
違う。
彼女から、 あの“同期ノイズ”が消えている。
まるで、 ようやく “普通の人間” になれたみたいに。
イリスは少し困ったように笑う。
「そんな顔しなくても消えてない」
ギアは力が抜けた。
「……紛らわしいんだよ」
カレンが呆れた顔をする。
「アンタ達ほんと面倒」
イリスが小さく笑った。
その笑い声が、 やけに自然で。
ギアは一瞬、 言葉を失う。
今まで、 彼女は “役割” として笑っていた。
世界を維持するために。
誰かを安心させるために。
でも今のは違う。
ただ、 嬉しいから笑っていた。
ギアは視線を逸らす。
「……なんか、調子狂うな」
「なにそれ」
イリスが吹き出す。
カレンまで笑いを堪えている。
その時。
部屋の隅で、 古いモニターが突然点灯した。
三人の動きが止まる。
ノイズ、砂嵐。
そして、画面中央へ、 一行の文字が表示される。
《外宇宙同期反応 確認》
沈黙。
カレンの顔から笑みが消える。
「……嘘でしょ」
さらに文字が続く。
《未確認観測領域 接近中》
《推定到達時間——》
表示が乱れる。
最後に。
画面いっぱいへ、 巨大な“眼”が映った。
だが違う。
以前のものより、 遥かに巨大。
そして、その瞳は。
確かに、 こちらを “認識” していた。(




