遅れて重なる 第59話
第59話
「第58観測個体」
崩壊が始まっていた。
白い精神同期空間に、 巨大な亀裂が走る。
空間そのものが、 軋みながら剥がれていく。
だがギアの前に立つ “黒い影” だけは、 微動だにしなかった。
影は、 ギア自身と同じ姿をしている。
同じ顔。
同じ声。
違うのは――瞳。
そこには感情がなかった。
ただ、 永遠の観測を続けてきた者だけが持つ、 冷え切った静寂がある。
『回答しろ、第58観測個体』
影が言う。
『お前は、 何のためにループを終わらせる?』
ギアは息を呑む。
「……何のため?」
『過去57体、 全観測個体は同じ場所に到達した』
黒い空間の奥。
無数のギア達が映る。
ある者は怒りに飲まれた。
ある者は絶望した。
ある者は、 イリスを殺そうとした。
『だが全て失敗した』
影の声に感情はない。
『世界を救おうとした者ほど、 世界を壊した』
ギアは拳を握る。
「……だから何だ」
『お前も同じだ』
瞬間。
影が消えた。
次の瞬間には、 ギアの目の前にいた。
「っ――!」
衝撃。
ギアの身体が吹き飛ぶ。
空間を転がり、 床へ叩きつけられる。
速い。
いや。
“同期している”
相手はギアの思考を先読みしていた。
影が静かに近づく。
『お前は怒っている』
『イリスを苦しめた世界に』
『だが怒りで選んだ答えは、 必ず破滅する』
ギアは立ち上がる。
口元から血が落ちた。
「……だったら」
視線を上げる。
「じゃお前は何なんだよ」
沈黙。
影は初めて、 わずかに目を細めた。
『私は“最初のギア”』
空間が震える。
『正式観測個体番号: GEAR-00』
ギアの背筋が凍る。
最初の、ギア。
つまり全ての始まり。
『私は最初に、 イリスを救おうとした』
影――GEAR-00は、 静かに語る。
『最初に失敗した』
その声には、 わずかに疲労が滲んでいた。
『だから理解した』
『世界は救えない』
『人類は同期に耐えられない』
『繰り返すしかない』
ギアが叫ぶ。
「だからイリス一人に全部押し付けたのか!?」
空間が震えた。
初めて、GEAR-00の感情が揺れる。
『違う』
低い声。
『押し付けたのではない』
『彼女だけが、 耐えられてしまった』
静寂。
その言葉は、 あまりにも重かった。
イリスだけが壊れなかった。
いや。
壊れながら、 立ち続けてしまった。
だから、 観測者にされた。
だから、 永遠に終われなかった。
ギアの奥歯が軋む。
「……もう十分だろ」
GEAR-00は答えない。
ギアは続けた。
「何百回も、 何千回も繰り返して――」
「まだ足りないのかよ……!」
その瞬間。
遠くで、 少女の声が聞こえた。
『……ギア』
イリス。
ノイズ混じりの声。
『……来ないで……』
ギアの目が見開かれる。
『ここから先は…… “終端領域”……』
空間の奥。
黒い塔のさらに向こう。
そこに、 巨大な“扉”が見えた。
錆びついた、 天を貫く門。
その表面には、 無数の手形が刻まれている。
まるで。
過去の誰か達が、 必死に開こうとした痕跡。
GEAR-00が告げる。
『あの先に、 観測中枢の本体がある』
『そして』
その目が、 ギアを真っ直ぐ見る。
『イリスがいる』
ギアの鼓動が止まる。
だが次の言葉は、 さらに重かった。
『現在のイリスは、 既に観測者ではない』
「……何?」
『観測システムとの同期率、 98.7%』
空間に、 赤い警告表示が浮かぶ。
《IRIS:人格融解進行》
《個体境界消失まで残り僅か》
ギアの顔色が変わる。
GEAR-00が静かに言った。
『もう間に合わない』
『お前が選ぶのは、 救済か』
一拍。
『それとも――終焉か』
その瞬間。
巨大な扉の向こうから。
“何か” が、 こちらを見た。




