Episode34:加速するは力か、それとも……
この世界のTips:この世界の世界区分(1)
前提条件として、この世界の地形情報は地球と同じである
コンコルディア王国……西ヨーロッパ一帯
レドルム連邦帝国……ロシアを中心に東ヨーロッパや北アジアなど、その領土は旧ソ連に近い
マフディーヤ自治領……レドルムの自治領と扱われている。中東一帯を支配。
栄漢民主人民共和国……中国を始めとした東、東南アジアを制する。
状況。床に人が倒れている。そしてその中で一人、明確な暴力行為を働く男が一人。防衛隊として何度かこのような盤面に出くわした経験を持つジークの判断は速かった。
「(取り押さえる!)」
最初の会話で、対話による沈静化はすでに捨てた。彼は腰の剣に手をかけ、前傾姿勢でトリノに向かって突進する。それを見た彼がナタを取り出して振り下ろすのに対し、ジークはそれを受け流すべく剣を抜き構える。
次の瞬間、彼は壁まで飛ばされていた。
5月17日、午前7時。
場所はギルド庁舎、だった、騒動の余波で半壊しつつある木造の建物。
天候は晴れ。のはずだが、街を覆う結界がある程度光を吸収するためやや薄暗い。
「(…………!!?)」
壁に埋もれたままかろうじて体勢を整えつつも、ジークは驚愕から抜け出せなかった。
目の前の男はBランク。そして、ジークの目にはどう見積もってもAランクの域を出ない程度の実力であるはずだった。これは決して彼自身の根拠のない妄想ではない。ヘルマンから渡された情報には「数ヶ月前にAランク上位相当のモンスターに一方的に追いかけ回された経験がある」という情報があり、そこから数ヶ月にある程度の成長があるかも知れないことを考慮しても、Aランク相当が限界である、はずだった。
だが一方で違和感も覚えた。先日の交流の会話で同様のことを本人も言っており、なんなら余興で腕相撲までしていた。その時はジークが負けたが、相手も余裕綽々とはいかず、それなりに力を使っていた。そんな相手に、振り下ろす勢いと武器の遠心力を乗せた程度で吹き飛ばすだけの力を出せるか?
「(無理だ!)」
そう結論づけたジークは、その力の真相を確かめるべく再び突撃を敢行する。
「おいおい、止まってくれよ。俺何もしてないだろ?」
すっとぼけ顔ではない。本当に理解できないという顔で、それでも応戦のためにトリノは再びナタを振るう。受け止めることは諦めたジークはS・Eを脚部に集中させて跳躍力を強化、ナタが振り下ろされるタイミングに合わせて飛び上がり、再び天井を蹴ってトリノに肉薄する。
「大人しく、してください!」
「ぐっ!」
流石にそのまま斬るような真似はしない。彼は意図的に剣を振るう速度を緩め、トリノがギリギリでそれを受け止められるように調整してから振り下ろす。もちろん先程から正体不明の圧倒的な腕力を振るうトリノ相手に押し切れるとは思っていないが、少なくとも防御の間彼の意識を奪うことはできる。
「止まってくれって、言ってんだろ!」
「うわあああ!?」
すぐさま武器越しに押し返され、再びジークは吹き飛ぶ。幸い相手にその気はないらしく、空中で無防備になっている彼に追撃は飛んでこない。
そのおかげで、ジークは彼を観察することができた。彼の腕の関節の内側に、一つの注射の痕跡があることに、気付くことができた。
「(……強化剤、おそらくドーピングの系列!)」
幸いにも彼の知識はドーピングに関して一通りの知識を有していた。
ドーピングと言っても色々あるが、その理屈は基本3通りだ。
ステロイドを始めとする、筋肉量を爆増させるもの。
血液ドーピング系列の、持久力を大幅強化するもの。
そして麻薬にも分類される興奮剤など、危険防止に体にかかるストッパーを麻痺させるもの。
精神医学もある程度なら心得ている。昨日の会話で把握した人格からして、トリノはここまで暴力的な人物ではない。
そして、それで見込める強化幅は通常なら数値にして数%が限度。0.01単位で競い続けるスポーツ大会なら凡人が世界クラスになれるが、あいにく戦闘においては大して役に立たない。とくれば。
「(ステロイド系と興奮剤系の同時併用……いや、)」
注射針の跡は一つ。とくれば。
と、考えていたあたりで、先程からの戦闘の余波に耐えきれず建物が倒壊する。ジークはこれ幸いと言わんばかりに片っ端から瓦礫を殴る蹴るといった手段で飛ばし、トリノの周りに集積するよう調整した。
「(おそらくその両方を持ったうえで、従来のそれらより大幅強化されているもの!おそらく、軍事機密レベルでしか、その上で滅多に使用されることがないレベルで!)」
防衛隊の経験が告げる。
正面切って相手するだけ無駄。
「おおい、待ってくれよ!」
瓦礫に気を取られた隙にトリノが掴んでいた男の身柄を掠め取り、そのままそれを抱えて逃げ出すジーク。もちろんトリノもすぐにそれに気付き、逃げるジークを往来の屋台だの何だのそういったものを破壊しながら突き進んで追いかける。
「待ちませんよ!あなた、この人に何してたと思ってるんです!」
「何って……質問してただけだろー?」
「そ・の・質問してた手段が問題なんですよ!」
「でも仕方がないだろ?いきなり殴りかかってきて、質問しようとしたら唾を吐いてくるような奴だぜ?」
「だからといってボコボコにして胸ぐら掴んで持ち上げる人はいませんよ!」
と言っているが、実際のところジークに限って息絶え絶えである。先ほどから脚力強化のためにS・Eを乱用しているせいで単純に消耗が激しいのはもちろん、人一人、それも《掴まることへの協力がない》人間を抱えるというのはディスアドバンテージどころじゃない。
「(……やるしかない!)」
ジークはとある建物の屋上へ足を止め、近くにあった業務用のゴミ箱……流石に中は空である……に男を乱雑に放り込むと、罠として周辺に植物の蔓を張り巡らせる。
ほどなくしてトリノが登ってくる。
「あれ?さっきの奴どこいっ……」
「『Wächter-Ranke』!」
トリノが屋上のドアから出てくると同時に、その十数メートルほど前で屈んでいたジークが詠唱。するとトリノの出てきたドアを囲む形で、範囲十メートルにかけて蔓が張り巡らせる。その様子はさながら、怪盗が出てくる類の映画で金庫などに張り巡らされている赤外線レーザーを彷彿とさせた。
「現在地点第四区画3番地、現在時刻7時22分。申し訳ありませんが、沈静化させていただきます!」
その言葉を皮切りに、トリノの頭上の蔓に突如、果実のような丸い膨らみが現れ、弾ける。内容されていた液体をトリノは頭から被り、同時に戦闘も幕を上げた。
「うわっ気持ち悪っ!なんだこれ!」
「『ドゥ・ビスト・フェアハフテット』!」
先手を打ったのはジーク。ドアの周辺の地面から何本もの、直径2cmほどの蔓が現れる。それはまたたく間に成長するとひとりでに動き出し、トリノの首、胴体、関節を除く身体のあちこちを縛り付ける。先ほど張っていた蔓の網もそれに合流する形で、同様にトリノを縛り付けた。
「ちょっ、おいっ、何すんだよ!」
「(……ああもう、これだから馬鹿力は!)」
相変わらずのとぼけ顔で身を捩るトリノをよそに、ジークの目線は地面にあった。トリノを縛り付ける蔓が生えている地面は、すでにミシミシと音を立てながらひび割れ始めていた。蔓がちぎれなかろうと、そもそも地面ごと持っていかれたらどうしようもない。
「(てか周辺コンクリだよ!?必要な力一本当たり数百キロから数トンだよ!?やっぱドーピングのレベル超えてるでしょ!)」
「……おらっ!」
とか考えている間に地面が破壊される。地面からの栄養供給を絶たれた蔓は急速な成長の対価として急速に枯死、あっという間に朽ち果ててトリノを拘束するものは何もなくなった。
「……(悠長にしている暇はない!)『ὕδωρε・トゥリキミア』!」
ジークの前方に波……ギリギリサーフィンに乗れないぐらいの高さ……が生成され、前方に向かって突き進む。海の波と同レベルなので水圧はさほど高くなく、地面に足をつけているトリノには十分耐えられるレベルである。だが流石に回避などできるわけもなく、一面が水浸しになった。
「今だ!『ψύξηδ・|Κύμα ψύχους《キーマ・プシーホース》』!」
ジークがトリノに向けた左手から魔法による冷気が溢れ、ずぶ濡れのトリノを巻き込み一面の水を凍らせた。だがその直後、その氷はぴしぴしと音を立てる。
「……こんの…」
「(やっぱ生命力もバグってる!でもそんなのお見通しだ!)!」
ジークの手に魔法によってボウリング玉サイズの岩の球が生成され、その勢いのまま前方になげる。
「ぐっ!」
内部までは凍らされてこそいないものの、服という芯を持ってガッチガチに固まった氷により拘束されていたトリノは、身動きもままならないままそれを受ける。砕けた氷により、同じく急激な冷却により耐久を失っていた体が切り裂かれる……ちょっと血がでるぐらい?
とかやっている間にトリノの服にこびりついた動きは関節部分を中心に破壊され、高速能力を失う。彼は勢いに任せて地面を振り鳴らし、周辺に衝撃波を放って氷とついでにジークを吹き飛ばした。
「ふん!」
「ですよねぇ!」
吹き飛ばされた状態からなんとか受け身をとるも、残った氷でツルツルすべったジークは危うく建物の屋上からおちかける。そんなことをしている間に
「おろ?」
トリノは突如、膝から崩れ落ちた。
「(よし!)」
戦闘が始まるのとほぼ同時にしかけていたもの。「トリノの頭上の蔓に作り出した、果実のような丸い膨らみ」。あれこそが彼の、ある種の罠。
あの蔓は、彼が魔法による品種改良を重ねがけした上で出力した、「ツヅラフジ」という特殊な植物。
本来ツヅラフジは有毒。その全体にはアルカロイドという毒となる物質が含まれ、傾向接触しようものなら神経系に影響を及ぼす毒となる。無論その蔓から滴る液を浴びたところでその大半は皮膚に弾かれるのだが、彼の作り出したそれは皮膚に少しずつ侵食し、その上で皮膚の上に吸収されなくとも残り続ける。加えて先程の氷砕きで発生した裂傷からは次々と成分が染み込む。つまり
「(捕獲完……!)」
油断。一瞬のそれを突く形で、ジークの顔面に拳が炸裂する。先ほど膝から地面に崩れ落ちたはずのトリノは、次の瞬間すでにジークを殴り飛ばしていた。
「(……S・Eの応用運用……!)」
身体機能の強化に使えるなら、身体の代謝に仕えないはずがない。ある程度の研鑽こそ必要だが、それを行うことができれば。
植物由来の毒物を体内から除去するなど、わけない話である。
「……ゥ……。」
まさしくクリティカルヒット。血があふれる鼻と口を押さえたもののボトボトと血を垂れ流し、ジークは後退してかがむ。殴り飛ばされる時に中途半端に力を入れていたのか、ただ殴り飛ばされるだけでなくそのエネルギーを大なり小なり自分の体で受けるような行動でもしないと受けないレベルの裂傷。もはや継戦は困難である。
「……グフッ!」
「あー……もう気は済んだか?」
当事者、彼をこのようにした本人はいたって取り乱すこともなく、ゆっくりと彼に歩み寄る。別にジークに負の感情を向けているわけでもないトリノはそのまま彼に歩み寄り、
彼の服のポケットから飛び出した、通話状態のスマートフォンを見つける。
トリノは思い出す。戦闘を開始する直前、彼が発した言葉を。彼が自分に積極的に高威力な攻撃を使わず、ひたすら遅滞行動に準ずる行動を取っていたことを。
「ッ!?」
「『ウーラウプスライフ』!」
トリノが驚愕したときには、すでに全てが終了していた。木刀によって繰り出された一撃が彼の首の後ろを穿ち、トリノは一瞬にして無力化された。
「大丈夫ですか?」
「……ひゃふにほれ|はいひょうふにみえまふ《だいじょうぶにみえます》?」
「軽口を叩けるぐらいには大丈夫と判断して問題ありませんね。」
そういい、アメリオはジークの顔に手をかざし回復魔法を発動。ジークの顔はすぐさま修復され、あっというまに元の端正ながらもどこか幼さののこる可愛げな顔立ちが復活する。
「それはそうと、どういう状況ですか?」
アメリオはもともとホテルにいた。結界の構築に際してホテルを出たところをジークとの通話に捕まり、そこから聞こえた会話を元にここをつきとめて、今しがた屋上のドアから飛び出すと、目にも止まらぬ早さでトリノを無力化したのだ。
「えっと……それが僕にもさっぱりで……」
メタ的時系列:Episode33でトリノと他の冒険者達が交わした会話をジーク本人は聞いていない。彼はあくまでも暴力行為そのものを止めようとしただけであり、実際の喧嘩(?)の内容に仲裁しようとしたわけではないのだ。いや、聞いたところでするにはするだろうが。
「ふむ……では、一度彼が起きるまでまつとしますか。」
「そうですね。ん?」
と、ジークは念のため魔法で出力した蔓の中でも特に丈夫なものを選んでそれを縄代わりにトリノの腕を縛り、そこで一つ違和感に気付く。
「あれ?そう言えばカレンさんは?」
「(「なんとも言えない」的なため息の音)知らないほうがいいでしょう。」
「?」
「……むにゃむにゃ、ドロテアさんわたしのわんちゃんたちを実験動物がわりにしないで……すう……。」
後輩が死ぬ気で戦っている間、この子は未だにホテルで爆睡ちゃんをかましていた。この日から数日、これを知ったヘルマン達からの呼び名が「役立たずカレン」になりかけたのは言うまでもないことだろう。
「……彼女の話はさておき、体はもう大丈夫ですか?」
「えっと……身体的な意味ならもうだいたい良いんですけど、なんといいますか、疲労感がどっと……。」
「最低Aランク相当とやり合ったんだから当然です。ここは一旦ホテルに
「離れて!!」
叫び。アメリオがジークの服を掴み、無理矢理引き寄せる。
まるでキャンプファイヤー並みの業火をたてて、眠っていたはずのトリノの全身から焔が巻き上がったのは、そのたった数秒後の出来事であった。
「!?」
突然の出来事に理解が追いつかないジーク。アメリオも、直前にトリノの体から異常発生した炎属性魔法力の奔流に気づいてこそどうにか教え子を守ることができたが、なぜこのようなことが起きたのかは未だに理解できていなかった。彼すらも混乱に目を見開く。
だがその目線は、次の瞬間、別の方向に引き寄せられる。
「あら。いまのでまとめて仕留めるつもりだったのだけれど。思ったよりも反射神経がよろしいようで。」
ハイヒールの音を響かせながら歩み寄ってきたのは、一人の女性だった。




