16.滅びゆく者、生まれくる者。
アデリアとレティエル。ケンタウロスとガーゴイル。
彼女・彼らとの会談から50年の時が過ぎ去った。
この頃になると人間族は黒死病を何とか克服したが、それでも病にやられる。
或いは寿命によって亡くなっていく者が多数。
古き者の時代は終わり、新しき者の時代に移り変わった。
その拍子に人間族は1世代前の者達が築いてきたエルフ族との和平。
ユーファニアのかつての主神・アテビナを殺す時にこの時の人間達はエルフ族の守護獣達の世話になっていたので、エルフ族と人間族の間で和平の条約が結ばれていた。……などという事実は無かったと一方的に条約を破棄し、2世代前の者達と同様にエルフ族を迫害し始めて最終的には領土に対して口を出すようになった。
エルフ族は本来は人間族の領土である土地を身勝手に占拠していると。
即刻返還するようにと。上から目線で。
何処までも欲望に忠実。自分達と違う種族と分かり合うつもりなどない。
自分達が世界を支配する者であると信じて疑わない愚種族・人間。
アデリアを筆頭にエルフ族は人間族の主張に言葉も出ない程呆れ返ってしまい、人間族との交流の一切を断ち切った。
エルフ族はこれでお仕舞いだったのだが、人間族はしぶとかった。
エルフ族の領土を奪おうとあの手、この手で繰り返しては結界に阻まれて玉砕を繰り返す日々。
今日も今日とて大砲などをリリアテーゼ共和国に向けて撃ち込んでいる。
『よく飽きないなぁ……』
と人間族の阿呆な行動を結界の内側から見守るアデリア。
人間族にもその姿は見えているらしく、何か喚いているがエルフ族が人間族とは関わらないと決定した日から人間族の声も結界が遮音しているので何を言っているのか分からない。
罵声であることは憶測出来るのだが。
アデリアは暫く人間族の行動を気怠げに見守り、飽きたら踵を返してリコベルのエルフ族の集団の中に溶け込んでいった。
**********
リコベルの領主館。
お茶会の庭でアデリアとレティエルは女神アイリスと向かい合っている。
今から2日程前にマティアから少々取り乱した様子で連絡が入り、アデリア達は彼女と会うことになった。
マティアが淹れた紅茶を優雅に飲む女神アイリス。
マティアは"ガチガチ"に緊張しているが、アデリアとレティエルは普段と特別に変わらずにいる。
『な、なんで女神様を前にしてもレティエル様とアデリア様は普段通りの顔をしていられるの』
マティアに感じるは彼女から漂う荘厳な雰囲気。
流石は女神様と云わざるを得ない。冷や汗がマティアの背中を伝う。
静寂が重い。誰も口を開こうとはしない。
『……だ、誰か話を始めてくれたらこちらの気が少しは紛れるのに』
マティアの切実な思いが通じてか、偶然か。
女神アイリスが紅茶の入ったカップをソーサーに置いて話が始まった。
〔単刀直入に言いますわ。わたくしを暫くの期間、この国で匿って貰えませんか〕
女神アイリスがアデリアとレティエルに頭を下げる。
レティエルは彼女を見ているだけ。言葉に応じるのはアデリア。
「人間達は戦争でも始めましたか」
〔……!〕
アデリアの言葉に驚く女神アイリス。
しかし、結界は透明なのだ。ならば人間族の行いも見えるかと思い直す。
なので、だから女神アイリスはアデリアに短く言った。
〔よく見られているのですね〕
「……最初の頃は暇潰しに見ていましたけど最近は見ていませんよ」
〔まぁ! でしたらどうして戦争を始めたとお分かりになったのですか〕
「エルフ族の領土はどうやっても侵せません。ならば、有る所から土地を奪おうと考えるのが人間という生き物だと知っているからです」
〔そう言えば貴女は……〕
「で、この茶番劇をいつ迄続けるの? 女神アイリス。いえ、アリス」
アデリアによる糾弾。……ではなく指摘。
女神アイリス・アリスは小さく震えながら顔を俯かせる。
声が出せない。目の前の女性が巨大化したように感じる。
巨人に睨まれている小人。保護を頼むべき人を間違えた―――。
「貴女は私と同郷の女性で転生者だよね。でも、生まれはユーファニアじゃない。エデルだっけ? 乙女ゲームのヒロインだったんだよね?」
〔どう、して……っ〕
「聖域の妖精達に教えて貰ったんだよ。ヒロインに生まれたら死っていうルートが最近の流行だもんね。貴女はそれを回避する為に向こうの世界、ヒロインが人生で1度だけ使える世界渡りの魔法を使ってこの世界に逃げて来たんだよね? その魔法の副作用で不老不死なんて身体になっちゃったみたいだけど」
アリスの喉はカラカラ。
紅茶を今度は優雅さの欠片もなく呷るように飲み干す。
アデリアはマティアに空になったアリスのカップに紅茶のおかわりを注ぐように目線で合図をして行動を促した。
主の[命]に従い、マティアがアリスのカップに紅茶を注ぐ。
〔あ、ありがとうございます〕
「仕事ですので」
マティアの顔色はアデリアの告発により幾分か柔らかなものになっている。
アリスはアデリアに怯えながらも彼女の従者に礼を告げる。
注がれた紅茶には酷い顔をした自分が映っている。
自分の正体を暴いたアデリアはどんな顔をしているのか。
気になるが、顔を上げる勇気はない。
「それにしても同郷の人達って不思議な人達だよね。日頃は上級国民を嫌っているくせに、物語内では上級国民に与するの意味が分からないなって……」
〔ヒロインが上層民を誑かすのが気に入らないからじゃないですか〕
「婚約破棄されてすぐに他国の王太子だとか別の偉い人達とかと仲良くなる令嬢もどうなのって思うけどなぁ」
〔わたくし……。わたしもそう思います〕
「後、何故かヒロインはピンク髪が多いよね。貴女は違うけど」
〔はい。わたしの髪は栗色ですね。ピンクじゃなくて良かったと思います〕
「そろそろ顔上げたらどうかな。大丈夫、だよ」
アデリアに言われてアリスは恐る恐る顔を上げる。
確かにアデリアは"にこにこ"としていてアリスを異なる者として見ている様子は伺えない。
アリスはやっと安心して息をすることが出来るようになった。
一方のアデリア。アリスが転生者で良かったと内心で安堵していた。
もしも転移者であったなら、重度の人間不信のアデリアは途中退席していたかもしれなかった。
彼女の容姿はエルフに近い。魔力はこれも世界渡りの影響でユーファニアの者達の魔力となっている。
世界渡りの魔法は魔力欠乏症に陥るのが前提。成功後にほぼ[空]になった魔力をユーファニアで補充したから魔力がエデルのものと入れ替わったのだ。
「どんな乙女ゲームかは知らないけどヒロインはエルフなの?」
〔えっと、エルフと人間のハーフっていう設定です〕
「でもアリスはエルフにしか見えない。魔力もエルフのものを感じる」
〔それはこの世界にハーフっていう存在がいないからじゃないでしょうか。わたしはエルフの血が強かったんだと思います〕
「つまり世界がエルフにしたってことだよね」
〔はい〕
「そう言えば最初の件だけど」
アデリアはアリスを匿うことに同意した。
死にたくないから逃げてきたのに、死んでしまうのは可哀相だと思ったから。
それと、今迄避けてきていたけどアリスと話してみると楽しかったから。
こうして人間族とエルフ族。どちらにも属さず中立だった女神アイリス・アリスはエルフ族に属するようになった。
アリスは暫くの期間と言っていたが、出来ればずっとエルフ族側にいて欲しい。
などとアデリアは思考する。
リコベルの領主館で暮らすようになったアリス。
アデリアの良い茶飲み友達の関係になっている。
彼女が人間族の側に戻ったら、自分達に都合の良いように利用されること間違い無しだ。
人間という愚劣で卑劣な生き物は彼女が自分達に利用されることを拒めないように何かしらの策を練るだろう。
彼女がそれにより泣く泣く人間族の思惑に乗る。そんなの認められない。
・
・
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「……と私は思うんだけど、何か良い方法ないかなぁ。レティ」
「なぁ、リア。私の前で他の女性の名前を口にするのは止めてくれないか」
「嫉妬してる?」
「当たり前だ」
婦々仲良くベッドの中。
レティエルがアデリアの寝間着に手を掛ける。
この後のことを思い、アデリアの顔が瞬時に紅色に染まる。
「レティ。頭撫でて。ぎゅっもして」
「……っ」
乱れた衣服から覗く妻の色香ある姿。
温泉の効果もあってキメの細かい肌。手に収まる丁度良いサイズの膨らみ。
膨らみに関しては温泉の効果じゃない。アデリアの本来の大きさ。
アデリア本人は「もう少し大きくなって欲しかったよ」と嘆いているが。
妻を見て、レティエルの理性は遥か彼方の空へと飛んでいきそうになる。
「リア、わざとか?」
「ん~、どうだろうね」
妻のほんわかとした笑顔。
見惚れながら頭を撫でているとアデリアがレティエルの理性を吹っ飛ばす。
「レティに撫でられるの好きだよ。もっと撫でて」
『なんだその顔と声色は! こんなの耐えるの無理だろ』
妻に覆い被さるレティエル。
「私を煽るとはいい度胸だ」
「だって、愛してるから」
レティエルの耳元でアデリアから愛の囁き。
バカップル婦々はそれから……。
**********
アリスが領主館で暮らすようになってから5年後。
低劣な人間族は自分達の愚挙の行いによって自滅した。
戦争が齎すものは[負]。この世界の[負]は魔獣の出現を加速化させる。
人間族の領土各地で起こった魔獣大行進。
数に対処し切れなかった人間族は次々に魔獣達に食われていった。
やがて、絶滅。餌が無くなった魔獣達が次に始めたのは共食い。
その際に魔獣達は瘴気を撒き散らし、元人間族が暮らしていた領土は環境の汚染によって生物が住めない土地と化した。
ユーファニアで生き残った守護獣やエルフ族・他生物達から見て死の土地。
瘴気が薄まる迄100年。だがその前にこの世界に新たなる人族が誕生した。
―魔族―
彼女・彼らは瘴気を魔力とする者達。
魔獣とは違い、知性や理性がある。
瘴気を糧とするので汚れていた土地は浄化されていく。
結局、100年も待たずにユーファニアは元の美しさを取り戻した。
そして、ユーファニアに訪れるは転換期。
瘴気を魔力と出来る魔族でもどうにも出来ない魔獣が現れるようになったのだ。
滅びた人間族が残した負の遺産・怨念が魔素を瘴気に変えて現れる魔獣。
魔族でもこれを魔力とすることは出来ない。
エルフ族も他人事ではなく、これ迄よりも領土に出没する魔獣の出現率が増加。
暇を持て余していたハンター達は一転、駆除に追われるようになった。
原因は聖女アデリアが[人間]の怨念などという汚物を体内に入れることを無意識で激しく拒絶しているから。
これらのことから魔獣は怨獣と呼ばれるようになり、それ迄は互いに互いのことを様子見していたエルフ族と魔族は怨獣を討伐する為に手を組むようになった。
以後、エルフ族と魔族は良き関係を築いていく。
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元・ウィンブルム神聖国。現・ウィンブルム融和国。
人間族の領土に在ったこの国は魔獣達によって破壊の限りを尽くされて見る影が無くなっていた。
その国がエルフ族と魔族の両種族の手によって再建された。
神を祀る国ではなく、2種の人族の友好の証。象徴の国。
女神アイリスではなく、ただのアリスとなった少女が元首として統治する国。
彼女に呼ばれて訪問して来たアデリアとレティエルはアリスの案内で彼女が[政]を行う時に使われる宮殿を見て回っている最中。
エルフ族と魔族の友好を示す国らしく互いの種族・アリスの侍女として雇われている者達が宮殿内を行き交っていたり、互いの種族の特徴について書かれた図書が収められている資料館があったり、互いの交流を広める場があったりするのを実際に目にするのは感慨深いものがある。
だがやはり……。
他の何も愛する妻に勝るものは無い。
今は離れている妻の手。アデリアの手を"そっ"と取るレティエル。
アデリアはレティエルの手を握り返して自分の伴侶に微笑む。
「レティ。ちょっと屈んで」
「ん? 分かった」
妻に言われて素直に従うレティエル。
アデリアはレティエルの頬に口付けた後に小声で語る。
「今日も大丈夫だよ。帰ったら私をあげるね」
言い終わってから急に恥ずかしくなってレティエルから目を逸らすアデリア。
レティエルもアデリアが言ったことを脳内でよく咀嚼して、理解したら身体の中の何処からか熱が出て来て妻の顔をまともに見れなくなってしまう。
ぎくしゃくした動きになる婦々。それでも繋いだ手は決して離さない。
『うわぁ! 私、なんてこと言ってるの~。恥ずかしい』
『言葉に破壊力がありすぎだろう』
2人して真っ赤な顔。
アリスは横目で見て見ないフリをしつつ、こっそりと2人のことを拝んだ。
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後日談。
アデリアとレティエル。
2人は何処に行くにも絶対に一緒。
しかも過度なスキンシップは必須事項。
これらの事柄から2人は女性達の間で「白百合の双聖女様」と尊みを帯びた呼称で親しまれるようになるのだが、それはまた別の話。
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裏切られた少女はフェンリルの妻となりて
番外編2 Fin.
番外編はこのお話で最終話となります。
ご拝読いただいた方、心より御礼申し上げます。
作者こと彩音