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提案

「水渡さんが伯鳴市こちらに残りたい理由というのが気になっていたんだ」


 ジャンクションを抜けたところで、こちらから話を振った。運転中で前を向いているため、七海の反応はわからないが、それでも独り言のように話を続けた。


「古井河とも話してみたんだが、結局、これだと確信できる理由は出なくてね」


 考えたのは、友達との思い出づくりや、気になる彼への告白など、ありきたりなものばかりだった。誰かに対して心残りがあるのかどうか、僕たちはそれすらもわかっていない。


「だけど昨日の三ツ森さんからの電話で、気づいたんだ」


 七海の家庭の事情を少しばかり深く知ったことで。


「君は、転校すること自体が嫌だったんだね」


 転校による環境の変化や、友達との別れが嫌なのではない。

 七海は純粋に、今の高校を移りたくなかったのだ。


「親の都合で転校という一方的な扱いは、誰だって嫌に決まっている。がんばって勉強して入った学校となればなおさらだ。努力を否定されたように感じて、落ち込んでしまうのも無理はない」


 それに、三ツ森とのこともある。

 伯鳴を選んだというのは、三ツ森と一緒の学校を選ばなかったということだ。

 あの子との友情と引き換えにして入った学校である、という歪んだ思い入れが、七海を執着させている、のかもしれない。


「しかしどの道、このまま夏が終われば、君は完膚なきまでに伯鳴高校の生徒ではなくなってしまう。二学期が始まったら、どうするつもりなんだい」


 七海の返事はいくつか予想していたし、当然それに応じる準備も整えていた。


 ところが、聞こえてきたのは、


「……ぐすっ」


 という鼻をすする涙声だった。

 想定外だった。


「え? 水渡さん?」


 反射的に助手席を見やると、七海はあわてて腕を上げて、顔を隠そうとする。


「み、見ないでください! っていうか運転中! 前向いてください! 前!」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「……落ち着いた?」


 腫れ物をさわるように尋ねると、七海はタオルに顔をうずめたまま、こくりとうなずいた。


 サービスエリアに車を停めてからも、七海を見ることは禁止されていた。僕は横目で様子をうかがいつつ、どうして彼女が急に泣き出したのか考えていたが、


「わけがわからん、って顔してますね」

「恥ずかしながら」

「あ、こっち見ないでください」

「申し訳ない……」


 氷の声音で突き放されて、視線を前へ戻す。

 サービスエリアは家族連れや、恋人と思しき男女など、たくさんの人々でにぎわっている。

 その中において、女子高生とアラサー男性というのは少々特殊な組み合わせだろう。女子高生が泣いているとなればなおさらだ。職質されたら言い逃れは難しい。


「問答無用で送り返されるって、思ったんです」


 か細い声で、七海は言った。


「目的地も知らされずにドライブだって言われて、最初は浮かれてたんですよ。なのに、気がついたら引越し先の街へ向かってるし、長谷川さんは謎解きを始める嫌味な探偵みたいにあたしを追い詰めるし……」


「そんなつもりじゃなかったんだよ。本題に入ろうとしたところで――」


 君が泣き出したから話が止まってしまって、という続きの言葉を飲み込んだ。しかし七海は当然のごとく察しているようで、こちらに冷たい視線を向けてくる。


「報連相が足りてないです」

「誠に申し訳ない……」

「あたしはやっぱり、送り返されるんですか?」

「いいや、逆だよ」


 ようやく本題を告げる。


「水渡さんさえよければだが、こっちには、君を住まわせる用意がある」


 七海は目を見開いた。


 希望を見つけた喜びと、そんな都合のいいことがあるわけないという諦め。

 相反する感情を同時に抱いて、赤くなった瞳が揺れている。


「でもあたし、もうあっちの学校へ通うことになってて」


「仮に、伯鳴へ通い続けられるとしたら?」


「――そっちがいいです。でも……」


 七海は即答したあと、すぐに視線を落とす。


 難しいと自覚しているのだ。


 確かに、伯鳴へ通い続けるためには、いくつかのハードルがある。

 七海もそれはわかっているが、飛び越え方がわからないのだ。

 だから、ひとつひとつ、言葉にしていく。


「まず、転校先の学校について。これは、取り止めますと連絡すれば済む話だ」


「……はい」


 七海は視線を落としたままつぶやく。


「伯鳴への再転校は――こちらについては、先方にいろいろ確認しないといけない。高校は義務教育ではないから、受け入れてくれる生徒数には限度があるしね。今、古井河に頼んで動いてもらっている」


「センセが?」


 七海は目を丸くして声を上げた。


「そして、これが最も重要な条件なんだが」


「お母さんの許し、ですよね」

 七海は前を向いて、落ち着いた声で言った。


「ああ、そうだ。だからこうして向かっている。直接会って、話をするために」


「そう、だったんですか……。……ぐすっ」


 再びの涙声。七海は指先で目尻をぬぐっている。


「――ちょっ、どうしてまた?」


「嬉しくても、涙は出るんですよ」


 初めて触れる感情に戸惑っているロボットに聞かせるようなセリフだった。


「そうか。……今日のことを思い立ったら、いろいろやることが多くてね」

 泣いている七海にどう声をかけていいのかわからず、僕の口は言い訳めいた事情説明をつらつらと述べ始める。

「急な有休だったから同僚たちに頼んで仕事を替わってもらったんだ。あと、榊原主任に君が休むと伝えたときは、ドスの利いた声で「は?」って聞かれてね。帰ったら何を言われるやら。ローキックだけで済めばいいけど……。あと、古井河にも無茶振りをしたから、こっちのお土産を買って機嫌を取らないと」


「長谷川さん」


「うん?」


「つまりこれって、娘さんを僕にください――ってやつですよね」


 まだ目に涙をたくわえたまま、しかし満面の笑顔で七海は言う。


 僕は小さく首を横に振った。


「違うよ。水渡さんが、自分の意思を、自分の言葉でお母さんに伝えるんだ」


「えぇ……、ちょっとくらいキョドってくださいよぉ」


 七海は笑顔のままで、あざとく頬をふくらませる。


 しかし、あの程度で動揺してやることはできないのだ。

 見え見えの話を振ってくる君が悪い。

 苦笑いで応じつつ、サイドブレーキを下ろす。

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