014
ブラックジャックの遊戯台が先刻より賑わっていた。どうやら注目を集めているのは着物姿の少女らしく、俺は観客の隙間を掻い潜りキリアのところへ向かう。
視界の端にキリアの姿を捉えた。多くの観客が少女に声援を送っている。
「サレンダー」
キリアが聞き慣れない単語を宣言すると、遊戯台に置かれたチップの半分が回収される。残りの半分は少女側へ戻される。そこでようやく俺はサレンダーの意味を理解した。つまり勝負を降りたのである。賭け金の一部を支払って全額没収の危険を回避する行為は、運より読み合いが重視される賭け事では重要な選択肢の一つだ。しかしことブラックジャックで降りる行為は珍しい。
状況を飲み込めないまま俺は少女の後ろに立った。
「戻ってきたんだね」
後方を一瞥してキリアは唇を揺らす。俺は小声で耳打ちした。
「どうして降りた?」
「勝てる見込みが低いからに決まっている。それだけじゃ足りないの?」
次のゲームが始まる前に待機中のキリアを強引に遊戯台から連れ出そうとしたのだが、力尽くでどうこうできる奴ではないので、俺は景品に仔猫用の玩具が用意されているみたいだから見に行かないかと嘘を吐いて連れ出した。瞳を輝かせている少女を可愛いと思う反面、騙されたと判明したときに繰り出されるであろう鉄拳に意気消沈する。ともあれ連れ出したからには問うしかなかった。
「勝てる見込みが低いってどういう理屈だ?」
不正行為の密談でもないので俺は歩きながら疑問符を投げかける。
「単なる勘じゃないんだろ?」
キリアは気難しそうに眉を顰める。顔には「どうしてわからないの?」と書いてあった。
「ボクの手札は十と六、合計で十六という最悪の数字だった」
「なるほど。でもそれだけが理由じゃないんだろ?」
ブラックジャックにおいて十六は勝利から最も縁遠い数字である。理由は単純明快だ。進行役が一定の法則に従い遊戯しているからで、二枚の合計が十六以下なら三枚目を引き、十七以上なら引かないという方法を採用している。つまりこちら側からしてみれば、十六はそのままだと絶対に勝てない数字なのだ。それに加えて確率的な問題で一から五の札を引ける可能性は極めて低い。ゆえに十六は最悪の組み合わせとされている。
「もちろんだよ」
キリアの唇が言葉を重ねる。
「二枚の札合計値が十六だけでは降りる根拠にならない。ところで京介、キミは他者に配られた札を全部覚えてる?」
「正直な話、キリアに配られた札すら覚えてない」
「だろうね。ボクはすべてを把握しているんだよ」
「ふーん」
少女の記憶力自慢は適当に流しておく。
「それで?」
「もう一つ重要な要素があってね。一度使用された札はデッキと呼ばれる山が組み直されない限り使用されないんだ。使用された札から残っている札を推測すれば、あとは単純な確率論で勝率を大幅に上げることができる」
ここまで聞いて俺は軽い頭痛を覚える。
「もう少し簡単に説明してくれないか?」
「例えば五つある箱の中に一つだけ当たりが入っていると仮定するよね? この場合に当たりを引ける可能性は五分の一。箱の数が四つなら四分の一。三つなら三分の一。二つなら二分の一と当たりを引ける可能性が高くなるよね? 当然、箱が二つのときに勝負したほうが有利になる。ここまではいい?」
「ふむ」
とりあえず相槌を打って先を促しておく。キリアから最終的な結論が告げられた。
「この例だと最大でも勝率が二分の一になってしまうけど、さっき話していたブラックジャックならより高い確率で勝てるというわけなんだよ」
「ということは危険請負人を辞めて勝負師になれば一生遊んで暮らせるわけだな?」
「それは無理だと思うよ。カジノ側も一人を勝ち続けさせるわけにはいかないだろうからね。それなりの対策や特例を用意してくるんじゃないかな?」
「そりゃそうだ」
素直に納得してしまった。なんの捻りもない正攻法で諭されたからかもしれない。
「さてと」
俺は景品展示場へ向かっていた足を止める。
「チップを換金して隠れ家へ戻ろう。目立つとろくなことがないからな」
「そうだね。稼いだ分をキキョウの玩具と交換して終わりにしよう」
「あ」
うっかり忘れていた。
咄嗟に吐いた嘘なので仔猫用の玩具なんて景品にあるわけがない。事が大きくなる前に誠心誠意を込めて釈明してみる。
「いや、あれはキリアを誘い出すための口実なんだよ」
すぐにキリアの視線がこちらへ向けられた。酸素を欲しがる金魚のように口をぱくぱくと動かしている。世界最高の演算能力が復旧する前に俺は脳内で対策会議を展開。なんとか実用可能そうな代替案を述べてみる。
「落ち着いて聞いてくれよ。賭けに勝って儲けが出たのは事実なんだから、キキョウの玩具は専門店で購入すればいい。これで最初の条件と大差ないだろ?」
そのときだった。
「きゃああああああああああああああああああああっ!」
喧騒を切り裂く女の悲鳴。
意識を覚醒させたキリアは刀の柄に手をかける。ほとんど反射的に声の方角へ駆け出していた。相棒の迅速な行動に瞠目していた俺も一拍遅れて反応する。
カジノ内は騒然となっていた。悲鳴を上げながら我先にと逃げ惑う客同士がぶつかり転倒し、あるいは遊戯台を乗り越えようとした客がチップや札を散乱させている。椅子や装飾品の置物が薙ぎ倒されて無残な有様を露呈していた。恐怖に侵された集団ほど手に負えないものはない。
客の波に飲まれてカジノの黒服や危険請負人が思うような陣形を組めないでいた。状況を見極めることが先決と判断した俺は逆流を避けて進む。単純に考えれば人の流れの反対側に原因があるはずなのだ。そこから推測すると目標は非常口の方角になる。嫌な予感を抱きながら俺は走った。
走る。走る。走る。不意に開けた場所へ出た。
瞳に映ったのは非常口周辺を占拠している武装集団だった。自動拳銃を構えてカジノの黒服や危険請負人を威嚇している。最悪なことに複数の人質も取られていた。
俺は最前列から離れた遊戯台の陰に身を潜めて状況を確認する。どうやら武装集団は組織として三流だった。役割分担が曖昧な上にカジノの占拠成功に舞い上がっているような節がある。少なくともハンコック事務所の連中なら気を引き締め直すところだろう。
「私が遅れたせいで面倒なことに巻き込ませてしまったな」
背後からの声に緊張が走る。振り仰ぐと赤髪の美女が唇に人差し指を当てていた。
「皮肉のつもりですか? 本来ならルルイエさんはここを訪れる予定もなかったわけですからね」
「京介ほど私の性格は歪んでいないよ。それよりだ。なにか武器を持っていないか?」
俺は露出度の高いルルイエの服装を見やる。
「まさか丸腰ですか?」
「カジノがテロ組織に占拠されるとは思ってもいなかったからな」
「うーん……あの連中に占拠できますかね?」
「お前、女と暮らして腑抜けになったのか?」
反論の機先を制するようにルルイエの瞳が緋色に変化していく。DDDウイルス感染によって得た深紅色の瞳。普段は目立たないが集中力を増すと色濃く滲み出てくるのだ。
深紅色の瞳が周辺を舐めるように確認していく。視覚とは別の感覚。赤髪の美女が持つ生物を温度の高低で認識する能力だ。低温なら極寒を表現するような青。高温なら燃え盛る炎のような赤。視認できない場所でも存在を体温で探知するため死角がない。
完成された生物兵器の能力である。
「こんな小規模の三流組織にうちの連中が出し抜かれるとは考え難い」
「それは――」
出かかった言葉を飲み込む。ここで言い争っている時間はない。
「なにが仰りたいんですか?」
「裏で手引きをしている奴がカジノ内にいるんだろうよ」
髪を掻き乱しながらルルイエは言葉を吐き捨てる。最悪の筋書きだが、状況から考えれば、その可能性は高い。もし危険請負人の中に潜む裏切り者にしてやられたなら、その確保を依頼されていた俺の失態と非難されても仕方ない。
糞っ垂れだ。そこへ別の声が割って入る。
「まだ二人で密談してたんですか?」
場に相応しくない間抜け声を出す黒崎だった。緊迫感が台無しである。呆れながらも赤髪の美女は部下に指示を飛ばした。
「武器は持っているか?」
「任務中ですからね。各種取り揃えていますよ」
無視されたことをおくびにも出さず黒崎は拳銃を床へ並べた。ルルイエは回転式拳銃と補充用の弾倉を拾い上げる。俺は遊戯台から顔を出して再び状況を確認した。上流階級層の客人を複数人質に取り陣形を保っている武装集団と、それらを遠巻きに囲む黒服と危険請負人という図式のままである。
戦局に変化がないまま時間だけが過ぎていく。
「警察の交渉人はまだなのか? 無能にもほどがあるだろ」
苛立ちをぶつけるように赤髪の美女は毒吐いた。
「煙草でも吸って落ち着いたらどうですか?」
「そんな気分じゃない」
一言で切り捨てられた。仕方がないので別方向の話題を振ってみる。
「なにかの時間稼ぎですかね?」
ありがちな可能性の一つを示唆した。ルルイエは周囲を警戒しながら応じる。
「どうかな。なんにせよ時間短縮で物事を進めてほしいね」
刹那――まるで話を聞かれていたかのように武装集団の一人が演説を始めた。
「すべての国民は平等で、幸福でなければならない。政府は国民の平和を守ることが我々の責務だと言った。しかしどうだろう? この国は憂いている」
演説者の手には通信機器が握られている。それを見て赤髪の美女は溜め息を吐いた。
「なるほど。どこぞの放送局の電波を乗っ取って、このくだらない演説を広域に発信するための待ち時間だったみたいだな」
「それならカジノを占拠する必要はないでしょう?」
「そんなことはテロリストに聞かないとわからないさ」
扇動者は口調を変えて宣告した。
「この国が平等で平和だというのなら――なぜ妹は殺された!」
「なぜ迫害を受けなければならない!」
「なぜ飢えて死ぬ者がいる!」
「なぜ――誰も助けてくれない!」
賛同する声が口々に上がる。扇動者は両手を上げて叫びを制した。
「宝生麻耶は言った。それはお前が弱いからだ――と。強くなればなにも奪われない――と。そして政府と異なり宝生麻耶は我々に力を与えてくれた」
言い終えると武装集団は錠剤のようなものを口に含んだ。その様子を黒服と危険請負人は警戒しながら見守る。なにかが起こる前触れであることは明らかだった。
「さあ、弱者よ! 力が欲しいなら我らのもとへ集え!」
演説者はそこで通信機器を投げ捨てた。
「思う存分、奪い合おう!」
宣言と同時に武装集団は各方面へ単独で突っ込む。役割分担と迅速な意思の疎通が求められる集団戦において、それは自殺行為以外のなにものでもなかった。包囲していた黒服や危険請負人が一斉に応戦する。勝負は簡単に決まるはずだった。ところが三流と思われた敵は弾丸の雨を紙一重で回避して反撃に転じる。まずは重装備の小銃を乱射して最前列の黒服四人を一掃した。
武装集団は最前線の連中が怯んだことを見逃さない。しかし意気揚々と攻め込んできたところで、手にしていた自動小銃が伽藍の中空へ舞う。脅威を止めるため敵の腕ごと斬り捨てたのは着物姿の少女が放つ一閃だった。
しばらくして切断された右腕と小銃が床へ落下する。状況を理解するより先に標的は銃弾を浴びて絶命していた。俺は身を潜めていた遊戯台から飛び出して少女の名前を呼ぶ。
「キリア!」
次の瞬間。
ルルイエに左腕を掴まれて力任せに引っ張られた。直後に銃弾が後方の床に減り込む。角度から推測すると元の位置に残っていれば当たっていたかもしれない。即座に立て直して俺は前方へ催涙弾を投げ捨てた。ガスが噴出して脅威の進行を食い止める。それに合わせて赤髪の美女が狙撃してきた武装兵に発砲。見事に命中。被弾した敵はゆっくりと膝から崩れ落ちていく。
ここで深追いはしない。すぐさま遊戯台の陰へ戻る。
「明らかに先程までと動きが違う。あの錠剤は人体を強化させる薬物か?」
ルルイエの見解に俺は軽く顎を引いて同意。さらに言葉を付け加えておく。
「性質の悪い連中が人員募集を兼ねて力試しを計画したんでしょうね」
「錠剤の効果を確認しながら世の中に不平不満を抱いている連中を誘き寄せるわけだな」
「こんな時代ですから復讐や私怨に縛られている連中には効果的な餌でしょう」
俺は遊戯台から顔を出して戦局を確認する。思惑はともあれ敵の戦術は単純だった。強靭な肉体と弾幕を利用した強攻策である。あちらこちらで激しい銃撃戦が繰り広げられていた。派手な銃声と壁や床を削る被弾音が狂想曲を演出している。
「人質を盾に長期戦へ突入されるより時間短縮かもしれませんね」
「この状況で揚げ足を取るなよ」
言葉を交わしながら俺とルルイエで応戦。黒崎は通信機で外部へ連絡を取る。
「現在、武装集団と交戦中。人質は解放されています。至急、増援をお願いします!」
反撃しながら美貌の女所長が愚痴る。
「腕が鈍ってるんじゃないか?」
実際、辛うじて前線を維持できているのは赤髪の美女の功績だった。正確な牽制をしながら装弾数六発を四秒で撃ち切る。手早く回転式弾倉から排出された空薬莢が床で小さく跳ねた。専用器具を用いて瞬時に六発の弾丸を一括装填すると、ルルイエは間髪入れず前方へ銃口を構え直していた。
まったく無駄のない動作。仕方がない。とりあえず逆切れしておこう。
「こっちは経費削減最優先だから訓練で実弾を使用できないんですよ!」
怒鳴りながら空薬莢を排出。専用器具を使って六発同時装填。
「酷い職場環境だな。危険請負人としてどうなんだ?」
「裏社会や地下組織の連中に手を貸さないだけ素晴らしいでしょうが!」
口を動かしながら引き金を絞る。移動する隙を与えないための牽制だ。
「最底辺の連中と張り合ってる時点で聞いてるこっちが哀しくなるな」
「ほっといてください」
最後の一発を放つ。排出と装填。動作が加速していく。
「喋るほど射撃の精度と速度が上がるとは――京介、お前どんだけ変態なんだ?」
「無駄口を叩く暇があるなら応戦してください。それとも俺と同じ症状ですか?」
「おかしな現象だと自覚はしているんだな」
長引く膠着状態。均衡を破ったのはキリアだった。
身を潜めていた柱から姿を現すと同時に武装集団の首領を捉える。一瞬で回避不可能と判断したのだろう――武装集団を束ねる男は刃を左肩で受け止めた。すぐさま肉に食い込んだ菊一文字を左手で押さえ込み、さらに右手に持った銃で刀の弱点である側面を銃撃。一般的な刀ならそれで折れるはずだった。しかし菊一文字は折れないどころか傷一つ負わない。
なぜなら幻影――第五階位であるキリアの刀は存在するどんな物質でも傷付けることができない代物だからだ。しかし逆説的に考えれば、それ以外は普通の刀でしかない。強靭な身体と世界最高峰の演算能力を持つ少女だからこそ価値を引き出せる一品なのだ。
首領の顔が驚愕に歪む。キリアは不敵な笑みを浮かべてその顔面に蹴りを入れた。




