013
なんの進展もないまま一週間が過ぎた。
この頃になると宝生麻耶の追跡とは別に、バルザック社幹部の護衛が最重要任務に組み込まれていた。実際問題いつ宝生麻耶の逆襲があってもおかしくない。仮に本人は逃亡していたとしても、首領奪還に成功したテロ組織が、このまま事を済ませるとは考え難い。勢いに乗じて存在感を示したいはずだ。
夜の闇を忘れさせる豪華な色彩の光。金と女を模様した射幸心を煽る建造物。
護衛任務を終えた俺とキリアは騒音と欲望に満ち溢れたカジノ内を歩いていた。
煌びやかな装飾で彩られた室内と、それに見合う服装を身に纏った上流階級の客人。対照的に悲愴な面持ちで賭博に打ち込む落伍者もいる。苦笑するしかない。政治家が偉そうに謳っている平等と平和はまるで嘘っぱちだ。
王と奴隷。超えられない壁。搾取する側とされる側は確実に分け隔てられている。
ルーレットの遊戯台に差しかかったとき、大人しく隣を歩いていたキリアが興味を示した。契約金が残っているので多少なら余裕がある。
「やってみるか?」
しばらく遊戯台を注視する少女だったが、やがて小さく首を左右に振って否定の動作。
「この遊戯はハウスエッジが高過ぎる。勝てる見込みが少ない賭けに挑むのは愚者のすることだよ。もう少し勝算の高い遊戯があれば挑戦してみたい」
二度見したね。
「ハウスエッジ?」
俺は聞き慣れない単語を繰り返した。
「企業がカジノを運営する目的はわかっているよね?」
「そりゃあ、娯楽を提供するためだろ?」
キリアは路傍に捨てられた汚物でも見るかのような険しい表情を向けてくる。
「そうだね」
「当たってるならそんな顔をするな! いろいろな意味で不安になるだろうが!」
「間違ってはいないけど正しくもないからね。企業がカジノを運営する目的は相応の利益を見込めるからだよ。膨大な費用を差し引いても儲かる仕組みになっている。要するにどの遊戯もカジノ側に有利な条件になっているんだ。この有利になっている率がハウスエッジと呼ばれている。例えばルーレットの場合、零や零零の存在がカジノ側を有利にしているわけだよ」
ぐうの音も出ない。
「どうしてそんな仕組みを知っているのか教えてほしいね」
「キミの後ろで電視映像を見ているうちに憶えた」
確かに俺は電脳端末を通して映画をよく鑑賞している。警察や危険請負人あるいは裏社会に属する主人公が活躍する物語を観て「ありえない」と失笑するのが趣味だからだ。しかし疑問は拭えない。なぜなら俺はカジノの運営方法を丁寧かつ簡潔に説明してくれるような映画を観たことがないからだ。
「電脳端末を操作している俺が憶えていないのにか?」
「キミとボクを同義に考える前提が誤っているんだよ」
キリアが先に歩き出したので、今度は俺が跡を追う形になった。
華やかで騒がしい遊技場を巡回していく。一攫千金を夢見る者、適度な興奮を楽しみたい者、カジノは連中にとって一時だけ現実を忘れさせてくれる空間なのかもしれない。益体のない思考を巡らせていると、急に立ち止まったキリアの背中にぶつかった。普通に接すれば少女の背中は小さく華奢に過ぎる。
「面白そうなものでも見つかったのか?」
俺の問いにキリアは右手を水平に上げた。示された先には遊戯台が二つ設置されている。一方ではテキサスホールデムのポーカー、もう一方ではブラックジャックが興じられていた。今現在も進行役の女性が札を配っている。観戦客を含めて随分と盛り上がっている様子だった。
「やってみるか?」
着物姿の少女は投げかけられた疑問符に即答せず遊戯中の台を眺める。
配られた札を覗き見て一喜一憂する客や、苦悶の表情を浮かべながら、次の札をもらうか否かを考えている客。それらの光景を分析してルーレットにない技術介入の余地を見出したのだろう。やがてキリアは一つの結論を導き出した。
「詳しい条件がよくわからない。遊戯内容を知っているなら教えてほしい」
それぞれの遊戯台を示して解説してやる。
「あっちで行われているのがポーカーだ。配られた札で役を作る。より強い役を目指して札を交換するんだが――いきなり金をかけて楽しむには向いていないかもな。役の種類や強さを理解しているのが前提だからね。あっちでやってるのがブラックジャック。札の数字を組み合わせて合計値が二十一になるよう工夫する。数学系ならキリアの得意分野じゃないか?」
「確かに後者のゲーム内容のほうがわかりやすくていいね」
とりあえずブラックジャックが行われている遊戯台へ移動した。
そこで概要を説明しておく。
「ブラックジャックで使われる札は一から十までの数字と、ジャック、クイーン、キングと呼ばれる三種類の絵札から成り立っている。絵札はすべて十と数えて、エースと呼ばれる一は、一あるいは十一と数えることができる。ちなみに札の総数は十三×四種類だから五十二枚だ。ゲームの進行は少し見学すれば概ね把握できるだろ?」
「うん」
集中しているのかキリアの返事はどこか上の空だった。
俺は従業員に頼んでエンをチップに交換してもらう。それをキリアに預けて着席させる。次のゲームが始まり進行役の女性が札を配り始めた。初心者特有の幸運と相棒の思慮深さを考えれば、渡したチップが消えるまでに一時間は要するだろう。
「さてと。それじゃあ俺はちょっと情報収集をしてくるよ」
「え?」
少女は驚愕の表情を浮かべて俺を振り仰いだ。
「野暮用ってやつだよ」
背中に罵詈雑言を浴びせられたが無視しておく。キリアと別れた俺は場内の探索を再開する。
護衛対象がVIP待遇でカジノ側の警護を受けている以上、雇われ危険請負人の俺たちにできることなど限られている。それぞれの範疇で休憩や娯楽に時間を費やすのが関の山だ。俺はカジノ全体の構造を把握しながら共闘仲間に声をかけて回る。途中、きょろきょろと辺りを見回している挙動不審な男を発見した。
「変質者を装って場内を徘徊しろ――という任務を遂行中なのか?」
「ちちちち違いますよ! そんな任務あるわけ――九竜さんじゃないですか!」
挙動不審の男――黒崎健吾は見知った顔に出会って安堵したのか嬉しそうに近付いてくる。身長も体重も容姿もすべてが平均というような特徴のない青年だ。これでもハンコック事務所の一員なのだから人は見た目で判断できない。
「不審者がいないか見回りをしていたんですが、正直、疑い出せば全員が怪しく見えてくるんですよね。どうすればいいんですかね?」
言いながら黒崎は大きく肩を落とした。とりあえず俺は最大の疑問を口にする。
「ルザフとミシェルはどうした?」
「今ごろ豪華客船で酒席を楽しんでいるんじゃないですか?」
珍しく語調に皮肉めいた響きがあった。事情を察した俺は盛大に肩をすくめておく。
「置いてけぼりを食らったわけか?」
「カジノ内部の警護なら危険も少ないからって、いつまで経っても俺のことを子供扱いするんですよね。そりゃまあルザフさんやミシェルさんに比べたら俺なんてまだまだ二流なんでしょうけど……やっぱり置いてけぼりは悔しいですよ」
「悔しいと感じるうちは伸びるさ。それより俺とキリアもカジノ内部の警護をしていたわけだが――お前と同列に扱われているのか?」
「え、あ、そういうわけじゃないですよ! ほら、きっと組織の大きさとかが影響しているんじゃないですか? 九竜さんとキリアさんは大きな後ろ盾がないわけですからね」
慌てふためく黒崎に俺は追い討ちをかける。
「つまり一流の組織に属せない時点で二流ということか?」
「ち、違いますって!」
涙目になっているのでこれ以上の追求はやめておこう。
「そんなことより本題に戻すとしよう」
「本題?」
黒崎はきょとんとしている。焦り過ぎて記憶力が劣化しているのだろう。
「不審者の見分け方だ。まず場内にいる全員を警戒する必要はない。俺たちのような仕事をしている連中は、いつでも銃を抜けるように正装であってもジャケットの前を閉めないからな。そういう格好をしている奴らを重点的に注意しておけばいい。さらに言えば組織的に動いている連中なら互いの死角を消すような配置についているのが基本だ。どれくらいの規模で警備に当たっているのか把握したいときに役に立つ」
俺は基本的なことを丁寧に指導した。黒崎が驚いた表情を浮かべている。
「あの……九竜さんて意外と物知りですね」
ずっこけたね。
「いや、お前が物を知らな過ぎなんだよ。どうやってハンコック事務所に入ったんだ?」
「父がハンコック事務所と取引のある企業の重役なんですよ」
屈託のない笑顔で答える黒崎だった。
「そこまではっきり宣言されると逆に気持ちがいいな」
「ありがとうございます」
「褒めてねえよ」
「ところで」
きょろきょろと周辺を確認しながら黒崎が口を開く。
「キリアさんはどうしたんですか?」
「ちょっと一人になりたい事情があってね。今はブラックジャックをやってるよ」
「意味深な発言ですね。なにかあるんですか?」
「ルルイエさんと待ち合わせをしているんだよ。どこにいるか知らないか?」
俺は事務的に答えた。おどけた様子で黒崎が問い返してくる。
「所長と密会ですか? 九竜さんも隅に置けないですねえ」
「とぼけるなよ。ルルイエさんに進言したのはお前なんだろ?」
少し古い情報になるがハンコック事務所では電網上の管理を通信部が担っている。不正に情報を盗もうとしたことはともかく、受信したメール内容を確認して、働きかけてくれた人物がいることは間違いない。
「真っ先に進言したのはミシェルさんですよ。僕は補足を述べたに過ぎません」
「ミシェルに乗っかっておけば間違いないだろうって魂胆か?」
俺の問いに黒崎は顔を逸らして口笛を吹き始めた。いくらなんでも露骨過ぎる。しかしこいつの場合、素の可能性があるんだよな。
「まさか図星なのか?」
「そ、そんなわけありませんよ。僕は僕の意思で見解を述べたに過ぎません」
「だったら俺の顔を見ながら話してくれ」
そこへ。
「待たせて悪かったな。各方面に人手が割かれて私も多忙なんだよ」
わしゃわしゃと赤髪を掻き乱しながらルルイエが姿を現した。相変わらず二の腕や太股が丸見えの露出が多い格好をしている。俺は儀礼的な常套句を述べておく。
「別に構いませんよ。どちらかと言えばこちらの無理を聞いてもらったわけですからね」
「まずは資料に目を通してくれ。わからないことがあればあとで纏めて答える」
ルルイエは紙の束を俺に渡そうとして――手を止めた。
「その前に場所を変えよう。監視装置に映像が残ると厄介だ」
歩き出した俺とルルイエに黒崎が一礼する。
「それじゃあ、僕は任務に戻ります。九竜さんに教えてもらった方法を試してみますね」
本当に憎めない性格をしてやがる。俺は右手を軽く挙げて挨拶に代えた。
非常出口に近付いたところでルルイエは足を止める。同時に資料を手渡してきた。受け取った俺は一読して重要な箇所を把握する。継続してその周辺を中心に読み込む。赤髪の美女は壁を背に煙草を吹かし始めた。携帯灰皿を所持している様子なので小言はやめておく。時間の浪費は避けたいからな。
「この資料、持ち帰りは可能ですか?」
「悪いがそれは許可できない。内容を書き留めることも認めない。京介が読み終えたらこの場で焼却処分する予定だ」
「厳しいですね」
「当然だ。その資料からはハンコック事務所の権限で除外しているが、原文を読めば、DDDウイルスの製造過程まで網羅されているんだぞ。一個人が所有していい代物じゃないさ」
そう言ってルルイエは紫煙を吐き出した。
資料には生物兵器研究所の資金の流れも記載されていた。裏世界で暗躍している組織に詳しいわけじゃないが、それでもここまで聞き覚えのない組織名が並べられると、特に根拠がなくても偽名ではないかと疑いたくなる。
「質問してもいいですか?」
「早いな。情報の絞り込みを済ませているなら先に言えよ」
呆れた様子でルルイエは愚痴る。
「ここに載っている組織名、どれか一つでも知っていますか?」
資料を示しながら俺は問いかける。赤髪の美女が「どれどれ」と覗き込んできた。
「知らない名前ばかりだな」
「偽名ですかね?」
「その可能性は高いだろうな。わざわざ正式名を使用して証拠を残す理由がない」
「偽名の羅列だけなら問題ないですよね」
許可が下りる前に俺は資料を器用に破いた。反射的に止めに入ろうとするルルイエだったが、行為の意図を理解してくれたらしく、溜め息混じりに背中を壁へ戻すと改めて紫煙を吐き出した。破り終えた俺は複数の紙片と資料を一度ルルイエに返却する。
「紙片だけ持ち帰りの許可をください」
「京介の思考はいつも謎だらけだ」
紙片を確認しながらルルイエは首を傾げた。それから偽名の羅列が記入された紙片を俺へ差し出してくる。
「どうするつもりかは聞かないがあとで処分しておけよ」
「わかりました。恩に着ます」
用件を済ませた俺はルルイエに一礼する。赤髪の美女は煙草を携帯灰皿に押し込む。
「無茶はするなよ」
「ルルイエさんに言われると説得力がありますね」
「用は済んだんだろ? さっさと行け」
面倒臭そうにルルイエは手で追い払った。一人になった俺は喧騒の中へ戻る前に一仕事しておく。携帯端末を操作してグリッドを呼び出した。
ほどなくして回線が繋がる。
「ちょっと頼まれてくれないか?」
「断る」
「以前、ララフェルに詳しい連中でも資金源を知らないと話してただろ?」
「京介、俺は『断る』と言ったんだが?」
「これから言う名前をそいつらに伝えてほしいんだ。ひょっとしたら偽名から正式名を引き出せるかもしれない」
「京介、俺は『断る』と言ったんだが?」
グリッドの言葉を華麗に無視して俺は紙片の組織名を唱えていく。
「お前……絶対ろくな死に方しないぞ。とりあえず書き留めるから最初から言い直せ」




