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てんせヰのゑゐゆう  作者: 皐月雨皐月晴
一章:安寧の日々
14/28

少年と夫婦と狐獣と少女と/壱

 宵の帰り道。シュルツと羅衣の双眼が、夜、脳へと伝えている景色はきっと異なっている。

 自分が灯りを点けた狐火提灯を「持ちたい!」と頼み込んできた羅衣が、杖を突いて前を歩く。途中であの痛ましい切株を過ぎてからも、ほぼ一本道の何もない歩道を、終始嬉しそうだった

 少年と並んで帰った。先の襲撃もあり、年長者が暗闇に警戒を怠ってはいけない。痩せた体格ながら戦い抜いた同行者も、会話中にはときどき視線を散らしながら、周囲の音に留意しているようだ。

 平和に包まれたキテオンの子どもたちとは、やはり気のもちようが違う……、毎日剃っている顎髭を撫でながらも、そう改めて感服した。

 家の付近、直径3mほどまで近付くと、肌を生暖かい風が撫でた、と錯覚する感覚。行きと帰りの気温の変化でよくわかるに、これがミラの範囲幻術だ。目に見えない炎に触れて【柴火渦・炎結(えんけっ)(かい)】が揺らいだ以上、彼女は二人の帰りを知ったはずである。

 玄関前の階段の雪は、表面が凍って滑りやすくなっている。シュルツは注意を促して「アイスバーンだ」と口にしたが、羅衣には呪文にしか聞こえなかったのだろう。


「もしかして、魔法、魔法なの? 俺も、使いたい!」


(ライは好奇心旺盛だな)


 魔力の扱いもそろそろ教えなければ、と考えてはいた。思うところがあって彼の催促をはぐらかし続けてきたが、夫婦が指導しないのなら自力でも習得せんとする子どもなのだから。

 努力家で気持ちの良い男子。息子にそっくりだ。人に好かれる。それなのに……なぜだろう。

 そんな者たちから、早死にしてしまうのは。元来なら要らぬ苦労まで背負いこむからか。


 ——ミラとも、要相談だ……。


 シュルツは少年の手を引いて、つるつる滑る階段を慎重に登る。

 シューヴィル家の扉の鍵穴に差し込んだ鍵は魔鉄製で、錠前(じょうまえ)の端に浮いた錆が目立つ。

 二人は「雪が降らなくて、良かったね」「儂は晴男なのだ」「俺もその男だ」などと話しながら、上機嫌に笑い合った。

 鍵をあけて、紙袋に詰めたパンと帰り際に買った生活用品を手に帰宅すると。

 パタ、パタ。スリッパの音を立てて、彼らをミラが出迎える。


「ただいま、ミラ」


 二本の長いパンの隙間から、夫は妻の顔を——……。


「……!」


 即座に視線を逸らして、固まった。


 ——門限! すっかり忘れていた。


 一見した限りでは、普段と変わらない表情。微笑を(たた)えている柔和ないでだち。

 何も気付いていない少年が、彼女に駆け寄って本日の報告義務を果たしている。(住民登録をした、パンを買った、赤子が……)


「そしてー……この子。ほら!」

「おや……、アテウ。——……子どもかしら。人に懐くなんて、珍しいですね」


 小さな狐色をマフラーから引っ張り出して、自慢げにミラに披露する。

 両脇から抱えられて、ぷらんと脱力している様子は、警戒心の強い狐獣のそれとは思えない。


「この子を飼っても、いい、でしょうか?」

「——……。……ライ。ちゃんと面倒見れますか?」

「はい!」

「よろしい。それでは、私は反対しませんよ」


 どこか、懸念がなくなったように口もとを笑ませるミラの怒りは、羅衣には向いていない。

 妻は優しい表情で、村の住民と正式に認められた少年の礼を受け取った。

 ところが夫は俯いて、捕まった万引き犯さながら靴も脱がずに玄関に突っ立っているのである。


「——でね、夕ご飯は、シュルツさんが漢気グーロアを、作ってくれるって!」

「そうですか。それは楽しみですね」


 ……私にはそんなの、一度も食べさせてくれませんでしたが。表面に見えるか見えないか、ぼそっと小声で愚痴る妻の面白くなさそうな感情。普段より低音の声色。

 夫の懸念が確信に変わる。


 ——駄目だ…………怒っているなぁ。


 それもそのはず。

 彼は遅くとも17時には帰ると告げて家を出たのだから(現在の時刻は18時45分)。

 近くの棚にやたら丁寧に時間を掛けて鍵を仕舞いながら、心中で嘆く。

 74年間の付き合いでもミラの全てはわからないが、一つだけ、今のシュルツにも察する事ができた。


(危険度は、二だな)


 彼女の『不機嫌さ』の度合いだ。

 危険度一は、そっぽを向いて剥れる。

 危険度二は、目の前の状態。にこやかにこそなるが、目だけは笑っていない。

 危険度三は、無視。

 危険度四は、食事抜き。

 危険度五まで到達すると、とうとう狐火が飛んでくる 

 シュルツが妻を一人で留守番させて安心している理由は、狐人がキテオンに与えられた尙御霊、『幻術』にとても長けているからにほかならない。彼女は毎日24時間、家の周り全体にほとんど視認できないほど薄い狐火を隙間なく浮かばせており、実際にそれをもって害意のある侵入者を無力化させたことが二回ある。

 今代、同じ霊玉を操れるキテオン族は、多く見積もっても数人といないだろう。

 卓越しているミラのそれは、対象を幻惑させる効果が特に強力だ。練度の低い初級の霊力であっても、種火のように(くすぶ)りながら相手の視界を覆えば効力は十分。対象は抵抗虚しく彼女の制作幻術に捕らわれて、ちくちくお灸を据えられる。

 キテオンの一般的な幻は、相手を無力化させる目的から辛く苦しい幻を形成して、あるいは、対象の心的苦痛トラウマを記憶から引き摺り出してぶつけるものだ。強い意志と対抗手段がなければ、容易く呑まれ、動けなくなってしまう。

 酷い場合には気絶し、何日も目を覚まさないほどの損傷を脳と心に与えられるため、同族同士でも規模の大きい術の使用は、神の教えである『(しん)の戒律』と一族の掟で規制されている。

 盆地に住まう温厚な獣人達は、明確な危険への対処を除いて高度な術の乱用を避けているのだ。

 一度ミラの幻術を受けると、対象の(主にシュルツの)脳内の片隅から彼女の幻が覆い被さってくる感覚に気付くが、五感すら支配する彼女の術は練度が高く、掛かってからも見破れない。  

 その内容は結解のそれとは違い、(よこしま)な者に悲惨な光景を思い起こさせるといった——強烈な術では決してないのだが……。

 しかし、彼女は執念深い。いや、女性なら誰もがそうなのだろうか。

 小さな、嫌だな、の映像を——……次々と、延々と送り込まれる。


(あれには対抗できん)


 彼は何度も苦しんだ、彼女の幻術空間の内容を嫌でも思い出す。




 朝の歯磨きをしていて、歯ブラシを足元に落とした。慌ててしゃがむが見当たらない。拾おうとした、その手に持って延々探していた。

 朝食が何を食べてもシーマの実の酸味がする。庭で採れる、彼が唯一苦手な実だ。

 仕事用の手袋をはめると穴があいていた、ように見せていた(手の平に大きく)。これでは斧を握るに当たってはまったく役に立たん、と気を落とし、新しい(つい)を両手にはめた瞬間に幻術がきれた。

 手紙を書き終えて、読み返そうとした彼はがっくりとする。万年筆のインクが出ていなかった。泣けてくるが、あの日はただ紙の表面を真剣に擦っていたのである。

 昼時、山で仕事をしながら空腹を感じる時間帯に、妻がさも美味しそうに料理を頬張っている光景が頭をすぎる。夫の好物、川魚の塩焼きを。

 帰宅時、玄関の鍵が開かない。鍵穴には……自分の人差し指を懸命に差し込んでいた。

 夫妻は結婚した日から一日の例外もなく、二人並んで同じ部屋で就寝する約束事を守っている。深夜、シュルツが手洗に起きて部屋に戻った翌朝、ベッドではなく床で寝ていた(せめてもの情けか、毛布だけは掛けていてくれたが)。



 神術の使用には、魔法と異なり術者の体力を消費する。妻は朝から深夜まで集中し、身体(しんたい)の疲労も知っての事で夫に嫌がらせの幻術を見せ続けていたのだから——我が妻ながら凄まじい胆力(たんりょく)の持ち主だと、呆れを通り越して感服した。


 ——謝るか。

 いや、しかしライの前では。


 家内は真摯(しんし)に謝罪すれば許してくれると知っていた夫は、知らず知らずの内に上目遣いになって妻の機嫌を窺った。

 愛想笑い付きだ。これで。


「まあ、何でしょう? (うら)(わか)い、まるで……ぶりっ子女子のような目線を感じますね」


 想定していた反応の、三倍以上強烈な言葉が。

 シュルツの下腹部に、ずむっと突き刺さる。


「おぅふ」


 仰け反って、扉に頭が激突。


「シュルツさーん!」


 羅衣が見かねたように手を伸ばすと、後ろから肩に、ポンと手を置かれる。


「……? ——…………!」


 振り返った少年は、圧倒されたように硬直した。ミラを見上げてぽつりと一言。


「手洗い、(うがい)は大事です、よね」

「そうですね。偉いですよ」


 まだいまいち状況を掴めていないのだろうが、彼の退散は速かった。脱いだ靴を揃えると、あっという間に洗面所に引っ込み、横扉まで閉めた。


「…………」

「…………」

「あの、ミラ。待たせてしまったな。……ほら! 美味しいパンを買ったぞ。仲良く食べようではないか、ふははは!」

「…………」

「は、はは」

「漢気グーロアとやら、楽しみにしていますね」

「——……はぁ」







 ——説明しよう。

 漢気グーロアとは、野菜を一切入れないグーロアである!


 台所。完成した料理を前に、狐耳がへなりと垂れて年取った男は途方に暮れる。


「ふぅ」


 これからの展開は目に見える。(へん)(てこ)な説明文も頭に流れようというものだ。

 帰りが遅れた大きな理由は、ムイラランの店内でシュルツの来訪が村の皆に知られたからだ。約30年もの間無沙汰(ぶさた)だった、彼らの歓迎に嬉しくなって応対したこの身に非があるのだが。


(だからといって、これは(いささ)か重い罰ではないだろうか)


 食卓に並ぶは、魔法機でもう一度温めたパン。できたてを注ぎ分けた漢気グーロア。

 食事前の祈りを済ませ、シュルツは自信作をスプーンで掬って一口食べる。


 ——旨い……これならミラも……。


 少し前には羅衣が落ち込む一件があった。ミラの許可を得て、アテウの食事にと考えて用意した——パンを細かく千切って入れた皿を目の前に置いたにも関わらず、狐獣は知らんぷりをして、あろう事か羅衣のグーロアに顔を突っ込んで食べ始めたのだ。


「やめっ、いや、それ俺のぉ!」


 悲鳴を上げる少年。むくりと上げた動物の顔は、鼻と口周りが真っ白だった。

 動物は熱い食べ物を嫌うのではないのか。アテウがグーロアを口にするのはどうなのか。

 雑食だから問題ないのか。

 新しい知識を得て変に感心する夫婦。

 そのくせ、出されたパンもしっかり食べて満足したのだろう。布巾で顔を拭いて貰ったアテウは、羅衣の膝掛けになっていたマフラーに体を預けると、図々しくも寝息をたてはじめた。

 それからは、気を取り直した少年が無心にがっついている。

 笑顔でおいしいを表現してくれるのは唯一救われる思いだが、それに比例して、ミラの強張った笑みもどんどん深くなるのだ。

 春と呼ぶには幾分時期が早いというのに、汗が(冷や汗が)止まらない。

 シュルツが心の中でぼやく罰とは、いた堪れないこの空間で食事を取ることだった。

 臀部(でんぶ)が痛いわけでもないというのに、違う椅子に座り直してみたりする。


「シュルツさん! ……んぐ、これが、漢気なんだね」

「そ、そうだぞー」


 気にいってくれて嬉しい。嬉しい、のだが。


「——ライ、野菜も摂取しないと、ね。これも食べてみて。今朝畑で採ったキャベツの炒め物」

「……うーん。今日は、いいです」


 なんたって、今の俺は、漢気ですから! 『きめ顔』で要領の得ない事を口にする少年に、唖然とする妻の顔ときたら……。


 ——ライ、頼むっ、——野菜も……!


 ()わった目でこちらを見る妻。形の良い紫の双眼。若い頃と変わらない、ぱっちりとした目で。

 この子に、可笑しな、ことを、吹き込まないで、そう自分に訴えている。


「ライよっ」

「なんですか?」


 大き目の牛肉を掬ったスプーンを口にいれるまえに、彼はきょとんと尋ねた。


「…………」

「? ——シュルツさん?」

「……よく、噛んで食べなさい」

「はい!」


 何もいえない。


(あのグーロアを勧める老い()れが、一緒に野菜も食べなさいなどと、どの口でいうのか)


 そんなものを気にする男は、(はな)から漢気だなんて口にしないだろう。

 それ以前に、そもそも漢気とは一体なんなのだろうか。

 このまま思考を続ければ、この世界の真理の一つにでも辿りつくのやもしれない。

 そういえば、ムイラランで購入した丸いパンには甘い粒が入っており、彼ははじめて口に入れ

 たがとてもおいしい。餡子(あんこ)、と呼ぶそうだ。

 羅衣も二つに千切ったパンの半分を口に入れ、もぐりもぐりと咀嚼している。


 ——そうだな。

 よく噛んで、たくさん食べて、大きく——……。


「うふふ」


 おしだまる夫を前に、妻の危険度が急上昇。

 食事が始まってからも、彼女が自分の直伝に、一口も手を付けてくれない。これがつらい。


「うふふふふ」

「おいしい! グーロア、おいしい!」

「…………」




 ——危険度五!




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