スパルタ双王家
日の光の残る中、浮かび上がったスパルタの町は思わず裏道から入りたくなるような、そんな親近感を醸しだしていた。
とはいえアポロンの神殿旗の立場もある。
正々堂々と広い道から入る以外の選択肢は無かった。
夕飯の準備の匂いが風に乗って漂ってくる。
パンを焼く匂い、チーズを炙る香り、そして葡萄酒と酢の匂い……酢?
「ピュロス、この酢の匂いは分かるか?」
「はい。スパルタで酢を使うといえば黒スープですね。」
黒スープ? 何でも豚の血をベースに香草と酢を効かせた不味いので有名な一品らしい。
ただ栄養的にはマサイの戦士が牛乳と牛の血だけで暮らせるように、決しておかしな組み合わせとは思えない。味は予想も出来ないが
アクロポリスが近づくにつれ巨大な劇場が目を引くようになってきた。
それはアクロポリス南西斜面に鎮座する全幅140mの馬蹄型の建築物で、全部が白大理石で作られた巨大かつ美しいものだった。
収容人数はすり鉢状に配置された椅子の雰囲気からみるにデルフォイの3倍程度というところだろうか?
1万から2万人程度の収容能力、とんでもない巨大建築物である。
この辺はスポーツが盛んなスパルタの面目躍如たるものがある。(競技も観戦も)
目立つような建物はあとはアゴラぐらいだろうか?王家が二つもある割には壮大な城とかはまったく無縁である。
そんなことを考えながら街に入ろうとしたときに建物の影から二人の男が現れた。
なんというかしなやかな猫を思わせながら全身ワイヤーのような筋肉に覆われた漢達である。
間違いなくスパルタンの戦士だろう。
道をふさぐように現れたところを見ると警邏係ではないだろうか?
彼らの手には太い薪の手元だけを削って握りやすくしたような無骨な棍棒が握られていた。
「デルフォイのアポロン神殿から神託を伝えに来たアーシア・キリスト・テゥである。私の素性はエウリュポン王家のプトレモスが確認できる。通しなさい」
その言葉を聞くと一名がアゴラの中央のほうに走り、もう一名が手招きでついてくるように指示してきた。
「衛兵の装備が剣ではなく棍棒ですが……本気で危険な国ですね」
不敵な笑みを浮かべながらサンチョが言い放った。
剣より棍棒の方が危険?
ぱっと見、剣のほうが危険なんだが?
サンチョはそのまま話を続けていた。
「中華でも棍を警備隊が使いますが、それよりも太くて短い。当れば致命傷でしょう」
先頭を進むスパルタンは軽く睨むとしゃべるなという風な仕草をしてきた。
ここまできてサンチョが話しかけてたのは兵士にではなく、ボク達に危険な相手だから注意しろという警告を発していたのが漸くわかった。
棍棒を持っている人間は手加減付きでいきなり殴ってくる可能性がある分、剣を持った人間より注意が必要だ。そう彼は伝えたかったに違いない。
劇場の前を通り抜け中央に向かう、行き先らしいのはバベルの塔の一階だけのような直径50mの円塔である。
もっとも高さは10mもないので周りの景色にまぎれて存在感は薄い。
それが近づくにつれて重量感でこちらを圧迫してくるようだった。
巨大な倒れたタイヤみたいな外観の建物の中央に洞窟のような入り口があった。
遠目で見たところ入り口付近に二人の男性が立っていた。
こちらに気付いたらしい一人の男が手を上げた。
たぶんビオスの父親のプトレモスだろう。
近づきながら様子を見ているともう一人のほうの男に顔を向け頷いた。
それだけで意志が伝わったらしく、衛兵らしい男がその場を去っていった。
……ここまでスパルタンの声を聞いてない、彼らは本当に話せるのか疑問に思い始めた。
そのときにプトレモスが話しかけてきた。
「ビオス、まだ神懸りが解けてないのか。」
「ええ、アーシア・キリスト・テゥと名乗っています。」
「原初の神の子アーシア?」
「まあ、そういう意味です。」(本音は元祖キリスト・アーシアなんだけど)
「今回は?」
「デルフォイからデマラトス王に関する神託を伝えにきました。」
ここで彼の表情に驚愕が走った。
神託は本来デルフォイでしか行われず、それを神殿の人間が伝えにくることはない。
占ってほしい都市の人間が、神託に立会い内容を確認するのが今までの手順である。
偽造や誤伝を考えると、それ以外の方法はとられることはなかった。
一つには神託を行った人間はたいてい死んでしまい直接話す事はできないこと。
もう一つは神託を間違って受け取って実行した場合の神の怒りへの恐怖である。
神の怒りは恐ろしい。
まるでテストで採点で×を付けるように、都市を破壊すると伝えられている。
アポロンとアルテミス兄妹神はその点でも例に困らない、まさに神の振る舞いをする神である。
ゆえにアポロンの神託は受け取った以上、それに従わなくてはならないという強制力を有する言葉になる。
神託の言葉を疑えば国家を滅ぼしかねず、偽者ならば決して従ってはならない、非常に面倒な爆弾になってしまう。
そんなものを扱う手順、いわばマニュアルというべき慣習をヘレネスは長い時間をかけて作ってきた。それが突然の慣習外の行動である。
しかも前回神託に成功した王家の一員が行ったのである。
偽者というには信用性が高すぎた。
神託に従うか、従わないかいずれにせよ大きなリスクをはらんだ判断が必要になる。
プトレモスはそこまでを考慮して、王達に判断を任せることに決めた。
長老会には王の判断を添えて判断してもらうことになるだろう。
王達には喜ばれないであろうが……自分の身には重すぎる判断だと判定した。
「謁見できるのはアーシアだけだ。」
そう告げるとボクのみを引きつれ建物の内部を進み始めた。
建物の中は迷宮のようであった。
天井はなく壁のみで作られた迷路のような構造をしていたが、通路の幅は1m程度しかなく右に左に進んでいくうちに完全に自分の位置を失ってしまった。
かろうじて太陽の方向からどの方位へすすんでいるかはなんとかなくわかるのだが中心がどの方向が分からなくなっているのでどうしようもない。
壁は全て白大理石で作られているので目印になりそうなものもない。
やがて円形の部屋に辿りついたときにはかなりの疲労を感じていた。
その部屋の中央に二つの白大理石製の玉座があり、ひとつには知的な感じのする壮年の人物が、もう一つには全身から活力を漲らせた見事な体の人物が座っていた。
ボクが部屋に入ると、プトレモスは通路にもどり、3人のみが残された。
「「デルフォイの使者よ、来て伝えよ」」
二人の王の声は重なり、同じ言葉を告げてきた。