ラオニサス・エイジス
夕闇が迫る「かわたれどき」、森の奥から絶世の美少女が歌いながら日の丸を片手に現れたら、どんな反応をしたら良いのであろうか?
ボクはここが古代ギリシアということを失念していた。
この時代は同性愛にまったく忌避がない。
むしろそちらが王道とされる腐女子万歳の時代である。
もちろんスパルタンは性欲そのものを抑制して戦意に切り替えているが、それでも生き物としての限界はある。
森の中からボクが出て行ったとき、彼らの目は大きく見開かれ驚愕していた。
その後は鼻息が荒くなり、顔を紅潮させながら手招きを始めた。
愚かにもこの時点のボクは彼らが森の中からの侵入者に緊張しているだけと思ったのである。
「スパルタに向かう途中です。一晩、旅の宿をお借りできませんか?」
そう言った時、彼の顔は笑み崩れ鼻の下は長く伸びていた。
「ええ、どうぞ。ここは二人だけの詰所です。狭くて汚いですが、一晩一緒にすごしましょう。」
本来ならばこの時点で気付くべきであった。
スパルタンの無口さはカラマタで知っていたはずだったの に……
当たり前の答弁に無警戒に近寄っていくと腰の高さ程度の柵のすぐそばまで近寄った。
=ガサッ=
背後の茂みから音がした。
ボクは反射的に後ろを振り向いた、その瞬間だった。
乾いた埃っぽい臭いが鼻から流れ込み咳き込む。
柵のむこうから伸ばされた腕がボクの腋の下を抱え込み、空中に持ち上がられる。
そのまま地面叩きつけられた。
背中を強く打ちつけ、呼吸が止まる。頭も軽く打ったせいで鼻の奥から鉄のような臭いが広がった気もするが、強烈な臭いで呼吸すら困難だ。
ああ、この臭いってホームレスの臭いだ。
垢と汗と小便の饐えた臭い、それがボクに馬乗りになった人物から発せられている。
息を吸うと刺激で咳き込みそうになる。
反射的に息を止めると、痛む背中を上にしてうつ伏せになった。
そのとき、いきなりキトンが腰まで捲り上げられた。
??
下着を着けてないボクの下半身を風が嬲る。
だが上で押さえ込む男のドブのような口臭と体臭が一緒に体に染みてくるようで不快だ。
というか、マジやばいかも!
完全にマウントポジションを取られ、手を押さえられたボクに反撃のすべはなかった。
あせりはするが体の痛みもあってモジモジとしか動けない。
男の下卑た笑いが漏れ聞こえてきた。
=ボスゥ=
サンドバックを叩くような豪快な音がして僕の上から重みが消えた。
「殿、大丈夫ですか!」
聞こえてきたのはサンチョの太い声である。
かろうじて右手を上げて無事をアピールする。
「コリーダ、殿を!」
そのままサンチョは飛び膝蹴りで吹き飛ばしたらしい男に追撃にはいる。
すぐにボクの横にコリーダが来てもう一人の男に戦いを挑む。
ついでピュロスとエウラリアがきて、背中の打撲を調べていた。
幸い草地の地面だったので骨折などはないようだった。
診断が終わる頃には男達はボコボコに殴られ、顔が二倍に膨れ上がるほどになっていた。
「おそらくですが、盗賊の類でしょう」
サンチョが男達を木に逆さにつるすと話し始めた。
「殿が近づいたときに体臭が流れてきたので、スパルタンでは無いと判断して飛び出しました」
その音のせいで殿の反応が遅れたようで申し訳ないと彼はしきりに謝っていた。
スパルタンは訓練のあと水浴、オリーブオイルの塗りこみを日課にしている。
これは擦り傷の化膿を防ぐ習慣だが、同時に体臭を抑えることにつながっている。
森林戦で敵に見つかる要因としては臭いというのは比較的大きい要因を占める。
メッセニア戦役で山岳戦や森林戦を戦ってきたスパルタにその戦訓が残っていないはずはない。
とはいえ、その程度の状況で動けたのはサンチョがもと中華の武人だったからだろう。
奴隷として育ったピュロスは指示待ちで茂みにとどまっていたし、コリーダでも手出しは控えていた。
奴隷が市民に手を上げれば持ち主の市民にも迷惑がかかるというのが身についているのだろう。
今回は助かったが場合によっては謝罪ではすまなくなることも有り得る。
サンチョについては奴隷から解放してどこかの市民権を与えることを、本気で考えたほうがよさそうだ。
しかしまさか自分が襲われるとは思っても見なかった。
キトンを捲り上げられたときは何が起きたかまったくわからなかった。
女性と違って男性は下着が無いからよけい無防備で、ちょっと落ち着いてきたら膝がガタガタいいだした。
ヤバい、男性恐怖症になりそうである。
コリーダが前々からボクが無防備だって言っていた理由が漸く骨身に染みた気がする。
盗賊(仮)がいた建物はだいぶ前に廃棄された見張り所のようだった。
二人の臭いが染み付いているのは不快だが、寝藁を捨てて入れ替えると大分ましになった。
あの二人のものらしい小麦やオリーブオイルも見つかったので、刻んだ香草と一緒にパンにして食べることにした。
乾燥肉とか魚は無かったが葡萄酒は見つかったのでジャム代わりに付けることでおいしくいただく。
その日の夜は、5人で建物の中で寝ることにした。
とはいえその夜は、この時代に流れ着いて以来初めてというほど心細かった。
自分の常識が世界の常識とまったくかけ離れていて、それが自分の身に危険を及ぼすということがたまらなく怖かった。
そのせいで、その晩はエウラリアを抱き枕にした。
彼女はボクの時代の良心が救った結果だ、間違っていないとその暖かい体温が教えてくれる気がした。
彼女の安眠は妨害したかも知れないが、ボクにはどうしても必要なことだった。
もっとも、翌朝エウラリアだけでなくコリーダとピュロスも、なにかいいたげな寝不足の表情だったのは少し疑問だった。
スパルタまで後二日で踏破予定である。
ボクは気を取り直して山道を登り始めた。
ピュロス&コリーダ:なぜエウラリアなの、私じゃだめなの?まさかご主人様はそういう趣味!年齢だけはどうしようもないのに……(泣)
で一晩悩んでました。




