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亡国色の王女は打算で敵国に嫁ぐ  作者: 灰銀猫


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お義母様の前で交わす誓い

 庭園にさっと風が吹き渡る。葉擦れの音が鳴り花が揺れたけれど、静謐に満ちた空間はそのまま静けさを保っていた。滑らかな白い墓石に刻まれた名は確かにジーク様のお母様のもので、十五年前に亡くなったと聞いている。詳しいことは母国まで伝わっていなかったけれど、まだ若い死が寿命ではないことは察せられた。


「母が、俺の問いかけに答えてくれなくなったのは、十の時だった」


 静かな声が森閑に響く。独り言のようなささやきにはいつもの覇気はなく、墓石を見下ろす大きな身体はいつもより小さく感じられた。十の頃のジーク様……どんなお姿だったのかしら? ちょっと想像出来ないけれど、まだまだお母様が恋しいお年だったはず。


「母は気が強かったし声も大きかった。あの頃は反乱軍に押され気味だったんだが、弱気になった父を母はよく叱咤していたな。俺が知る母は強くて弱音を吐く姿など見たことがなかった。今でも想像出来ないんだ」


 お強い方だったのね。国王陛下を叱りつけていたなんて。


「器が大きい、ご立派な方だったと伺っていますわ」

「そうだな、父などよりずっと王に相応しかった。豪快で破天荒で、周りからもあの二人は逆だったら、と言われていたからな」


 まるでお祖母様のようね。祖父母もそんな風に言われていた。お祖母様はお祖父様の立場に配慮して控え目にされていたけれど。


「ジーク様は、お義母様似なのですね」

「そうだろうか」

「ええ、そんな気がします」


 実際にお会いしたことがないから言い切れないけれど、ジーク様のお兄様たちと比べるとずっとその資質を受け継いでいらっしゃると感じるわ。上のお義兄様は陛下似で穏やかな方だし、下のお義兄様は野蛮だと言って剣も手にされないもの。


「そうだと嬉しい。母のようにどんな時も動じない強く大きな人間になりたいと、そう願って精進してきたからな」

「きっと、お義母様も満足していらっしゃいますわ。こんなにご立派になられたのですから」

「そうだろうか」

「ファーレン一の勇将と讃えられていらっしゃいますもの。きっとお義母様も喜んでいらっしゃいますわ」


 そう告げると少年のようなはにかんだ笑みが見えた。今もお義母様を慕って大切に思っていらっしゃるのね。


「お義母様は、どうしてお亡くなりに?」


 尋ねていいものかとも思っていたけれど、今なら聞いてもいい様な気がした。


「……反乱軍の刺客に襲われた兄上を、庇って亡くなられた」

「お義兄様を……」


 思いがけない理由に咄嗟に返す言葉が見つからなかった。我が国には詳しい死因は伝わっていなかった。事件があったのは対立していた頃だったから隠されたのは当たり前だけど。


 それは夏の暑い日のことだったという。ジーク様とお義兄様たちが庭で遊んでいたところ、どこからか賊が侵入したという。賊に捕まり刺されそうになった二番目のお義兄様の代わりに刃を受けたのがお義母様だった。その傷は深く、また毒が塗られていたのもあり、お義母様はその日のうちに帰らぬ人となったという。


「俺は、ただ見ているしか出来なかった。悲しくて悔しくて……二度と誰も失いたくないと強く思った。それからだな、俺が騎士を目指したのは」


 その願いが今のジーク様を作ったのね。墓石にあった視線がこちらに向けられた。瞳には悲しみが見えたけれど柔らかい笑みが見える。この笑顔の奥にどれほどの苦難があったのかしら……思いを馳せるだけでも胸の奥が針で刺されたように痛んだ。


「一体、誰が……」

「犯人はその場で捕らえられたが、牢に入れておいた間に死んでいた」

「自死、ですか?」

「ああ。多分、失敗したらそうするように命じられていたんだろうな」


 そうなるわよね。依頼人の名を明かすことはなによりも許されないことだから。いえ、そもそも間に人が入るから黒幕など知らされていないのでしょうけれど。


「今となっては真相は闇の中だ。あの頃の情勢からすると反乱軍の手の者だとは思うが、確証はない」


 もう十五年も前のことだもの、当時を覚えている人は少ないから犯人に辿り着くのは簡単ではないわね。出来る捜査は終えているでしょうし。


「ああ、湿っぽい話をしてしまったな。すまない」

「いえ、そんなことはありませんわ」


 ずっと気になっていたから真相を知れてよかったわ。


「いいや、今日はめでたい報告をしに来たんだ。それに、母は湿っぽいのは嫌いだったからな」


 そう告げるジーク様の笑みはいつものからっとしたものに戻っていた。繋いだ手が熱い……


「母上、お久しぶりです。ご無沙汰していました」


 墓石に身体を向けると、真っ直ぐに問いかけた。その声は柔らかく、目の前にお義母様がいらっしゃるような、そんな話し方だった。


「久しく顔を出さなくて申し訳ありませんでした。ですが……」


 手を引かれて肩を抱かれた。ジーク様、お義母様の前ですよ……


「ようやく妻を連れて来ることが出来ました。紹介します、私の最愛の妻でヴァイラントのアリッサ王女です」


 愛おしそうな柔らかい声で語りかける横顔は穏やかで、親愛がにじみ出ていた。ジーク様の中ではまだお義母様は生きていらっしゃるのでしょうね。私の中にお祖母様がずっといてくれるように。


「ヴァイラント王国から参りましたアリッサにございます。お会い出来て光栄です」


 手を取られたままなので反対の手でスカートの端を持って淑女の礼をして、生きていらっしゃったらきっとしただろう挨拶の口上を述べた。きっとお祖母様の墓前ではジーク様もそうなっただろうから。


「生きて、お会いしたかったです」

「ああ、母も喜んだだろう。あの人はあんな性格だったが可愛いものが好きだったんだ。アリーのことも気に入っただろうな」


 その言葉に胸が熱くなる。叶わないとわかっていてもあったかもしれない未来に想いを馳せずにはいられない。失った優しい存在への思慕が褪せる日は来るのかしら。いつまで経っても寂しさと尽きぬ愛しさを誘うのに。


 風が静かに前髪を揺らす。ふわりとジーク様のマントが翻り、視線が低くなった。片膝を付いて片手を取られ、下から真っ直ぐに見つめられる。


「アリー、俺は、これまで国と民のために剣を振るってきた」

「ジーク様……」

「この手は幾多の命を奪い、屍を積み上げてきた。そんな俺が人並みの幸せなど、望むべきではないのかもしれない」


 取られた手に込める力が増した。


「すまない。俺の妻になれば一層危険が増し、あなたに苦難の道を歩ませることになるだろう」


 苦しそうに眉間に皺が増す。そうなるでしょうね。王太子妃、いずれ王妃になれば危険は今までの比ではないから。


「だが、そうとわかっていても俺はあなたを諦めることが出来ない。この命が尽きる最期の瞬間まであなたを愛し守り続けると誓う。どうかこれからの人生を俺に預けてくれまいか?」


 揺らぎのない紺碧の瞳は曇りのない青空のように澄み、強い決意が感じられた。そんな風に仰るなんて、反則だわ……胸が言葉に出来ない思いでいっぱいになって息が苦しい……まるで物語のような状況が信じられず、日常とかけ離れた場所なのもあってか夢を見ているよう……


「アリー、愛している」


 乞うように、願うように告げられた言葉に目の奥が熱くなる。心が震えて何か言わなければと思うのに言葉が出てこない……


「ジー、クさ……」


 流れ出る涙に言葉が出てこなかった。色んな感情が一気に表に出てきてしまってどうしていいのかわからない。嫌だわ、いつの間にこんなに涙脆くなってしまったの? おそば様が亡くなってからは泣いたことなんてほとんどなかったのに……


「わ、私の手、も……血で……それに、危険でも、わた……平気……」


 私の手も血に汚れていると、危険でも平気だと、それでも構わないからお傍にいたいと言いたいのに、上手く唇が動かない。涙が止まらなくて言いたいことが言えないことがもどかしい……歪む景色の中、困ったようにジーク様が眉を下げるのが見えた。そんな表情をさせたくないのに……それに、これだけはわかってほしい……


「わ、わたし、も……愛して、いま……」


 ジーク様が立ち上がり、そっと抱きしめられた。それはまるで羽に囲われるような優しいものだった。


「アリー」


 名を呼ばれただけなのに心が震える。優しく背を撫でる手が昂った心を落ち着かせてくれる。愛しさが満ちて何を失ってもこの人の手を離したくないと、死ぬ時も共にいたいと思った。こんなに狂おしい思いは初めてで、少し怖い……それでも、失うことの恐怖に比べたら些細なものだわ……


 それから私たちは暫しの間、まるで一つになったように抱き締め合った。



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