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亡国色の王女は打算で敵国に嫁ぐ  作者: 灰銀猫


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心を温めるもの

 それからの旅は穏やかに進んだ。というのも野営した翌朝、大きな猪が野営地に突っ込んで来てちょっとした騒ぎになったのよね。興奮した猪は天幕に突っ込み、騎士たちを追い回すなど我が物顔で暴れまわってヴァイラントの騎士が右往左往する中、殿下が一刀で斬り捨ててしまったのよね。『血濡れの王太子』の卓越した剣技を目の当たりにした騎士たちは恐れおののき、殿下の勘気を恐れたのだと思う。


「アリッサ殿、大丈夫か? 些細なことでも言ってくれ」

「ありがとうございます。でも大丈夫ですわ」


 それに、こんな風に殿下が何かと私を気遣う言動が増えたことも影響していそう。それに無理を言って私を連れてきた話が改めてヴァイラントの騎士に伝わったらしく、今では私にまで怯えているように見えたわ。


 そんな中、国境まで一日という街に辿り着いた。この街は国境を超える者たちで賑わい、ファーレンに渡る貴族のためのオーケン侯爵家の別邸があった。私たちはそこに泊まり、明日には国境の砦を超える予定だったのだけど……


「これは……」


 オーケン侯爵家の別邸の庭には三十台ほどの馬車が馬と共に並んでいた。どれも新しく家紋は入っていないけれど立派な装飾が施されていた。これは……


「アリッサ王女殿下、お待ちしておりました」


 恭しく頭を垂れたのはオーケン侯爵だった。直前に腰を痛めたから令息が代わりに護衛団を率いることになったと聞いているけれど、もう大丈夫なのかしら?


「侯爵、お久しぶりですわね。起き上がってよろしいの?」

「ああ、ご案じいただき光栄にございます。ですが療養のお陰でこの通り」


 真っ直ぐに立つ姿は無理をしているようには見えなかった。治ったのならいいのだけど。


「そう。よかったわ。それで、あの馬車は……」

「アリッサ様の輿入れのためのお品だと伺っております」

「私の?」


 聞いていないわよ。もしかして父が……そんな淡い期待が胸を過ぎったけれど、マルクと視線が合った途端、笑みを深めた。もしかして……


「マルク、なにかしたの?」


 挨拶を一通り終えた後、マルクに小声で尋ねた。オーケン侯爵は父が用意したものだと思っていそうだからこの会話を聞かせるわけにはいかない。


「ヘデラーの商会から、アリッサ様への婚姻祝いの品にございます」


 にこにこと優しげな笑顔でそう答えるけれど……商会を……それで理解したわ。彼らが私の体裁を案じて用意してくれたのだと。だけど、これだけのもの、王都を出てからの短い時間で用意したの?


「王太后様よりのご遺言を全うしたまででございます。こうなる可能性があるやもしれぬと以前から準備をしておりました。無理はしておりませんのでご心配は無用です」


 お祖母様が……それに以前から準備してくれていたなんて……確かにあの父が私の体裁を気にかけるとは思えないから嬉しい。本当のことを言うと少し気が重かったから。


 馬車の一行を指揮するのはマルクと商会に属する壮年の男性だった。何度か顔を合わせたことがあるわ。確かお祖母様の警護を務めていたこともある方で、お祖母様が亡くなった後、職を辞して王宮を去っていた。その装いや立ち居振る舞いからは王家の使者と遜色がないように感じる。


「アリッサ殿」


 彼らの心遣いに胸を熱くしていると殿下がやって来た。


「素晴らしい馬車だな。父君の手配か。それとも……」

「祖母の、遺言だそうです。同郷の者たちが内々に」

「そうか」


 それだけで察してくださったのか殿下はそれ以上聞いてこなかったけれど、もしかしてご存じだった?


「マルク、殿下に話したの?」

「殿下には何も申し上げておりません。直にお話しするなど畏れ多いことにございますれば」

「だったら……」


 マルクたちがファーレン王家に通じているとは思えないけれど。いえ、商会だから取引はあるのでしょうけれど。


「フォルツ様を通じて奏上いたしました」

「フォルツって……ラーシュ殿に」


 それで合点がいったわ。そうよね、ファーレンに入った後のことを考えれば事前に話しておく必要があるわ。彼らがここを選んだのも余計な横槍を避けるためだったのでしょうし。


「ありがとう、マルク……」

「そのお言葉だけで十分にございます。それに、感謝のお気持ちは王太后様へ」


 お祖母様に……まさかこんな形で守っていただけるとは思わなかったわ。嬉しすぎて泣いてしまいそうだけど、さすがにここでそんな姿を見せられないわ。


 馬車を検分すると、中には豪奢なドレスや宝飾品、身の回りの品に紅茶や香油などの嗜好品、更にはドレスを作るための生地やレース、未加工の宝石なども積み込まれていた。凄いわ、これだけの品を一商会が……彼らの尽力に熱いものが込み上げてくる。諦めていた人並みが叶うなんて、思いもしなかったもの。


「明日はいよいよ国境の砦です。明日お召しになるドレスなどはお部屋にご用意しております」

「部屋に?」

「隣室にドレスや宝飾品一式を」


 逸る心を抑えながらその部屋を目指した。私が使う予定の部屋の隣の客間には、今までに着たこともない豪奢なドレスがトルソーに掛けられていた。深い青に白と金のレースや刺繍が差し色になっていて、上品で清楚な印象だわ。生地も光沢があって柔らかくて極上のものね。レースや刺繍も。こんなに繊細で美しいものはエルリカのドレスでも見たことがない……


「素晴らしいですわね」


 エリーが隣でため息をついていたけれど同感だわ。こんなに素晴らしい品、滅多にお目にかかれないわ。これならファーレンに行っても侮られることはないわね。


「同じような品を揃えてあります。ファーレンに着いてからもアリッサ様に肩身の狭い思いはさせません」


 マルクの確固たる言い方に我慢出来なかった。ドレスの輪郭が歪み頬を冷たいものが伝い落ちる。


「アリッサ様……」


 エリーがそっとハンカチを差し出してきたのでそれを受け取って涙を拭いた。ハンカチの優しい香りに一層心が温まる。


「ああ、どうやら衣装の心配は無用だったようだな」


 入ってきたのは殿下だった。後ろにはラーシュ殿とレオもいる。


「で、殿下……」


 嫌だわ、泣いていたところを見られてしまったかしら? 子どもじゃないのに恥ずかしい……


「アリッサ殿、どうした?」


 途端に殿下が慌て出した。


「え?」

「泣いていたのか? 何があった? 誰かに何かされたか?」


 急に距離を詰められて思わず一歩引いてしまったけれど……失礼だったかしら? 殿下も目を丸くしている。


「も、申し訳ございません。嬉しくてつい……」

「嬉しい?」

「はい。こうして色々と用意してもらえたことが」


 心配をおかけしてしまったのね。申し訳ないわ。そんな思いを込めて笑みを浮かべたら殿下が一層困惑した表情を浮かべた。どうかされたかしら? そういえば、衣装の心配が無用って……


「殿下、衣装を用意してくださったのですか?」


 そういえば体裁のことは気にするなと仰っていたわ。だったらせっかくのご好意を無にしてしまった?


「僭越ながら申し上げます。殿下が衣装をご用意してくださったのでしたら、今回は是非そちらに」


 マルクが恭しく低頭してそう告げた。


「しかし、王太后殿のお心を無にするわけにはいかぬだろう」

「いいえ、王太后様は万が一の備えにと用意するよう我らに命じられました。ですが、今回は殿下のご意向で急遽ファーレンに向かうこととなりました。であれば殿下がご用意してくださった衣装の方が周りに対しての影響は大きいかと存じます」


 それって……殿下が一目惚れして無理を通したって話のこと? 確かに殿下の用意した衣装を着た方が周りからは寵愛深いと思われるわよね。


「なるほど、マルク殿の言う通りですね。申し訳ないが今回は殿下が用意した衣装の方がいい宣伝になるでしょう」

「左様でございます。どうかその様に。こちらの衣装はファーレン風のものもございますれば、今後いくらでも出番がありましょう」


 結局ラーシュ殿とマルクの間で話が付いてしまったわ。もしかしてあの二人、前々から相談していたのかしら?


 その後、殿下が用意してくれた衣装一式が運び込まれた。こちらはファーレン風の意匠で、マルクたちが用意してくれたドレスと同じかそれ以上に立派な品だった。手の込んだ細かいレースや刺繍におのずとため息が漏れてしまう。エリーと二人で暫くドレスの前から動けなかった。


 それにしても、立派過ぎて私がドレスに負けてしまいそう……なんて贅沢な不安なのかしら。こんなにも心を躍らせる不安もあったのね。お祖母様と殿下の心遣いに胸の奥底から温かくて優しいものが込み上げてくる。このドレスを着た自分を想像すると今までに感じたことのない高揚感に包まれた。





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