重なる静かな嫌がらせ
鬱々とした雨はその後二日の足止めを招いたけれど、三日目の朝にはやっと雲の切れ間から青い空が見えた。街道の土砂崩れは思ったよりも大きなもので復旧にはかなりの時間を要するとの報告が上がった。馬車を何台も連ねた私たちが通るのは難しいため、街道を大きく迂回することになった。あと五日ほどで国境に着く予定だったけれど、そのせいで三日ほど余分に日がかかるのだとか。しかも……
「野営、ですか?」
迂回してから三日目の宿はまさかの野営だった。隣国の王太子殿下相手にと思ったけれど、さすがに殿下をお迎えするには狭く粗末なため、野営をすることになったという。殿下は気にされていらっしゃらないけれど、その行程に疑問を感じた。
「はい、申し訳ありません。この辺りには殿下がお泊りいただけるような宿がございませんので……」
少しも悪いと思っていなさそうにオーケン令息が慇懃に答えた。この辺りは僻地で町らしい町もなく、小さな寒村に一軒、夫婦でやっている小さな宿があるだけだという。
「だったら仕方がないな。俺は構わん、野営には慣れているからな」
殿下は気にした風はなく、粛々と野営を命じるため馬車を下りられた。野営するのは構わないけれど、これまでの行程に疑問を感じずにはいられなかった。
「ねぇ、エリー、おかしいと思わない? この辺りに宿がないと知っていたのなら、しかも半日ほど進んだ先には宿場町も貴族家の屋敷もあるのよ。だったら昼に通過した街で泊まればよかったのに」
「仰る通りですわ。昼間通った街で泊まれば、次の宿場まで一日で着くはずです」
よかった、私の思い違いじゃなかったのね。
「無理に進む必要はありませんもの。なんだか嫌な感じですわ」
エリーが周囲を気にしながら声を潜めた。彼女がそう言うのも無理はないわ。あの足止めされた後から、我が国側の不手際が目に付くようになったから。急に経路を変更したから宿の手配に苦慮するのはわかるけれど、それにしても不手際が目立つ。
昨日は私の部屋で雨漏りがあって、慌てて部屋を変える羽目になったわ。その前日は私とエリーの馬が盗まれかけて、気の荒いフロイデが暴れて大変だった。幸いにも近くにいたファーレンの騎士が気付いてくれたから難を逃れたけれど、我が国の騎士は何をやっていたのかしらと思ってしまう。こんなことは考えたくなかったけれど、こうも続くと嫌がらせなのかとすら思ってしまう。
「野営となると警備に一層気を付けなければなりませんわね」
「ええ。エリーも気を付けてね」
「ご心配なく。その辺の男どもなど蹴散らしてやりますわ」
「エリーったら。無茶しないでよ」
エリーも腕は立つけれど、今回警戒しなきゃいけないのは騎士だから厄介だわ。もっとも、王太子妃として嫁ぐ私を害するほどの考えなしはいないと思うけれど。ただ、バルベ令息の例もあるから絶対にないと言い切れないのだけど。
その日は小さな村の一角を借りての野営だった。大きな天幕がいくつも連なり、その周囲を騎士が守る。殿下はファーレンの騎士が建てた天幕に、私が我が国の騎士が建てた天幕を使うことになったのだけど……
「まぁ、地面がぬかるんでいたのかしら? 敷物が濡れて使いものになりませんわ」
エリーが眉をしかめた。案内された天幕は広さこそ十分だったけれど、建てた場所が悪かったのか敷物は濡れ、ところどころは土色に変わっている。信じられないわ、こんな場所に建てるなんて……
「申し訳ございません。ですがどこも同じような状態なのです」
無表情のままそう告げるオーケン令息の向こうでは、若い騎士がニヤニヤした表情をしていた。それで確信したわ、わざとだと。信じられないわね、我が国の恥をさらすつもりなのかしら?
「失礼、アリッサ殿。夕食だが……」
なんて言い返してやろうかと思っていたところに騎士の後ろから現れたのは王太子殿下だった。なんて間の悪い……いえ、むしろその逆かしら。何かを感じたのか言葉を止めて私たちをまじまじと見ていたけれど……
「絨毯が濡れているではないか? なぜこんな場所に建てた?」
殿下が尋ねたのはオーケン令息だった。途端に無だった表情が焦りと気まずさに置き換えられるけれど、それもそうよね。今の殿下の言葉はつまり、天幕すらまともに建てられないのかと呆れられているも同然で、我が国の騎士の質の低さを暴露したようなものだもの。そしてそれは責任者である彼の能力を示すものでもあるわ。
「そ、その、場所がなく……」
殿下の真っ直ぐな視線を受けて、オーケン令息は気まずそうに答えた。もしかして殿下も何かお気づきになった?
「さすがにここで夜を明かすのは不便だろう。アリッサ殿、俺の天幕を使ってくれ」
オーケン令息を一瞥した殿下が思いがけないことを仰った。
「まさか! 殿下の場所を譲っていただくわけには参りませんわ」
さすがに国賓の殿下を追い出すなんて出来ないわ。我が国の名にも関わってくるし。
「そうは言うが、ここでは着替えもままならないだろう?」
「ですが……」
「俺はラーシュらの天幕を使う。なに、いつものことだ、気にされるな」
そう言うと殿下は振り返った。その先にはラーシュ殿がいて、「仕方ないですね」とあっさり受け入れていたけれど、そういうわけには……
「共に来てほしいと無理に願ったのは俺だ。アリッサ殿が快適に過ごす責任は俺にある」
で、殿下、それは建前で事実とは違うのに……そう思ったけれど殿下はフリーダとミアにすぐ移動するように命じてしまい、エリーもそれに嬉々として従っていた。オーケン令息たちが顔を青くしていた。そういえばそういうことにしたいと殿下は仰っていたわね。
そのまま殿下に連れられて殿下がつかう予定だった天幕にやって来た。私のよりもずっと豪奢で立派な造りで広い。エリーがフリーダたちと私の荷物を広げているけれど……本当にいいのかしら?
「アリッサ様、お気になさることはありませんわ。殿下は野営に慣れていらっしゃいます。時には木陰で仮眠を取ってやり過ごすこともあるのですから問題ありませんわ」
「そうですよ。見た目の通り頑丈でそれくらいでどうにかなる方ではありませんから」
「そ、そう……」
だったらいいのかしら? なんだか凄い言われような気もするけれど、十年近く戦いっぱなしだと仰っていたからそういうものなのかしら? それにしても……
今回の件でオーケン殿だけでなく騎士たちも私をよく思っていないことははっきりしたわ。両親や兄は私を見下していたし、よくない噂が立っても放置したままで否定することはなかったわ。そのせいだとは思うけれど、こうなると宿の手配やフロイデたちのことも彼らの仕業だったのかもしれない。疑いたくなかったけれど、今日はあからさまだったわね。だってぬかるんでいたのは私の天幕があったあの場所だけだもの。
それから食事を殿下と共にとり、再びこの天幕に戻った。すぐ横には殿下たちの天幕があり、その周りには囲うようにファーレン人の天幕が並ぶ。ヴァイラントの騎士は私のために張った天幕を中心に並ぶ。普通は護衛する側が周囲を囲むのだけど、ファーレン側は早々に天幕を張ってしまい、我が国の騎士が囲う余地を残さなかったのだけど、この配置って……
「エリー、どうやら殿下は我が国の騎士を信用していらっしゃらないようね」
就寝
の時間を迎えると警護のための松明だけが残された。天幕の中にも闇が広がる。幸いにも夜目は利くから困ることはない。フリーダは入口に、ミアはその反対側で共に眠る中、エリーに小声で話しかけた。
「あ、やっぱり。そんな感じはしますよね」
エリーも同じように感じていたのね。
「第一、隣国の王太子殿下がご一緒なのに、雨漏りをする部屋を手配するなんてあり得ませんもの。例え同行者の部屋でもです」
やっぱりそうよね。手配が間に合わなかったのなら仕方がないと思っていたけれど。
「それに、馬のこともです。フロイデと私の馬だけ盗まれそうになるなんておかしいですよ。馬は他に何頭もいたのに」
「地方は治安が悪いというからそういうものかと思いたかったけれど、やっぱりそうなのかしら」
「確証はありませんが、そう思っていた方がよろしいかと。幸い馬たちはファーレンの騎士が面倒を見てくれているから安心ですけれど」
「そうね」
あの騒動の後、殿下が私たちの馬を預かると仰ってくださった。断る理由もないからお願いしたけれど、そうして正解だったわね。フロイデたちに何かあったら嫌だもの。
「マルクは大丈夫? 嫌な思いをしていないかしら?」
「嫌なことをされても記録しながら楽しんでいるんじゃないですか」
あっけらかんとエリーはそう言ったけれど、確かにそうかもしれない。一見すると敬虔な神官に見えるけれど、戦いになれば容赦がないし、抜け目もない商人でもあるのよね。あの外見と優しげな笑顔で皆騙されているけれど。
「残り五日ほどですが、十分にお気を付けください」
「ええ、エリーもね」
さすがに殿下が私を気に入って無理やり連れて来たというあの話を信じたのなら手を出してくることはないと思いたい。そんな事実はないけれど、エリーやマルクも一緒だから今はそれを利用させてもらうのが最善ね。彼らは血が繋がった家族よりもずっと家族らしくて大切な存在なのだから。どんなことがあっても彼らのことは守ってみせるわ。




