27
朝がやって来た。清々しく晴れた空。
数時間前まで街を包んでいた闇など、何処にもなかったかのように燦々と降り注ぐ陽光が街を照らす。
人々は目を覚まし、街は慌ただしく動き出していた。
朝の薫りを乗せた風が、扉の隙間から吹き込み顔をくすぐる。
ぐっすりと眠っていた藤四郎はくすぐったさから寝返りを打ち、僅かに意識を醒ました。
「ん~……」
薄めを開き、部屋の壁に掛けられている時計に目を向ける。
時刻は、まもなく午前八時。準備や通学時間を考えるならば、遅刻せず通えるギリギリの時間だ。
そんな起きなければいけないという思いと反して、身体は心地の良い布団から出ることを拒んでいる。
昨日の夜の騒動では頑張った。だから、少しくらい遅刻してしまってもいいだろう。
そんな考えが、藤四郎の脳裏を過ぎる。
「弟く~ん? そろそろ起きなくていいの~?」
ふわふわとした華子の声が、部屋の外から聞こえてくる。
耳触りの良い優しい声が、頭の中に入り込み反芻する。
「起きるか……」
脳が動き出せば次第と身体も目覚めていき、藤四郎は布団から起き上がった。
のそのそと部屋を出て、華子に促されるまま朝食をとる。
食卓に源六の姿はない。既に食事を済ませ、自室で安静にしているようだった。
「いってきます」
「いってらっしゃい。気をつけるのよ~」
一目源六の様子を伺いに行こうかと考える藤四郎であったが、朝の忙しい時間、悠長にしている暇はなかった。
いそいそと支度を済ませ、いつも通り華子に見送られながら家を出る。
「さて、と……学校行くかぁ」
朝日を浴び、藤四郎は大きく伸びをしながら歩く。
歩きながらポケットからスマートフォンを取り出し、時間を確認する。
このまま歩いて行けば、確実に遅刻であった。
普段の彼ならばさほど焦ることはない。
それはそれで仕方のないこと。学校が終わるまでに間に合えば良いくらいの気持ちである。
だが、今日は違った。昨夜の楓の言葉を思い出す。
――くれぐれも明日は学校を遅刻しないように。
別れ際、念を押すようにかけられた言葉。
「あー……今日遅刻したら不味いか。不味いだろうなぁ……」
折角、楓との協力関係を築き、仲も良くなってきているところだ。
ここで遅刻をして印象を悪くして、この関係を台無しにする。
そんなことは藤四郎も避けたかった。
「今日は、電車使ってくか」
宝来学園へ向かう方法は、徒歩以外にも電車通学がある。
そちらのが通学時間は短くて済むのだが、藤四郎は徒歩での通学を好んでいた。
朝のラッシュ時はほぼ全ての車両が、学園などがある都心部へ向かう人々で埋まってしまう。
そんなところへ行けば、中には桜花組を知っている者もいるだろう。
公共の場で問題が起これば面倒なことにもなる。
彼自身、人混みが好きではないというのもあるが、自衛の意味もあり藤四郎は電車での通学は控えていた。
楓との約束もある。一つ覚悟を決めて、藤四郎は駅へと足を向けた。
駅に着くと、同じように電車を待つ人々で溢れている。
スーツを着たサラリーマンや、藤四郎と同じように制服を着た学生。
その他にも大勢の人が、電車の到着を待っている。
駅のホームへと一台の列車がやって来た。
シューっと音を立てて電車の扉が開く。車内から降りる乗客は殆どいない。
乗車口に列んでいた人々が、次々と電車に乗っていく。
藤四郎もその人波に沿うように電車へと乗り込んだ。
満員の車内。少し動けば隣の人の肩とぶつかってしまうくらい余裕がない。
――これが嫌なんだよな、朝の電車って。
内心うんざりしつつも、藤四郎は車内に吊された胡乱な広告に目を向ける。
不倫。政治。嘘か誠か、様々な不祥事が取り沙汰されている。
その中でも一つの見出しが目を惹いた。
【突如現れた謎のヒーロー・エンジェルの正体とは!?】
自分も既にゴシップのネタにされる側なのだと思い、藤四郎はどっと疲れが押し寄せたような気がした。
それに続く見出しも、世間から巻き起こる賛否両論。善悪の論争である。
何が正しくて、何が正しくないのか。
藤四郎自信、正義などと名乗るつもりはない。己が信じる行いをしてきたに過ぎなかった。
この問いは、堂々巡りなのかもしれない。
そうこう考えながら、藤四郎は電車が目的地へ到着するのを待っていた。
電車がまた駅の一つに止まり、人々が入れ替わり立ち替わる。
人の波が流れたことで、乗客達の立ち位置が変わる。
そんな光景を眺めて居ると、ふと藤四郎は違和感を感じた。
誰かに見られているような感覚。人の視線の気配だ。
――誰かに見られている? 敵意は感じない。何処から……。
藤四郎は、己に向けられる人の気配には敏感だった。
特に悪意というものを察するのに長けている。
今向けられたものが敵愾心からくる視線ではないと感じ、藤四郎は視線の主を探した。
少し離れた場所。車両の隅にある壁の側で、赤いカーディガンを着た金髪の少女がこちらを見ていた。
カーディガンの下には、藤四郎と同じ宝来学園の制服を着ている。同じ学校の生徒のようだ。
その少女は顔を俯かせ、下唇を噛んで何かに耐えているような表情をしている。
不信に思った藤四郎は、少女の後ろを見る。
スーツを着て眼鏡を掛けた真面目そうな壮年のサラリーマンが、不自然なほど少女に密着している。
――痴漢か。
痴漢。電車に絡むトラブルとしては代表的なものだ。
ただ相手を捕まえれば良いというものでもない。
恐怖心などの様々な理由で、被害者の中には訴え出られない者もいる。
また中には免罪を被り、人生に傷をつけられる者もいる。
苦虫を噛み潰したような顔で、藤四郎は少女の方を見る。
小さく震える彼女の身体。
再び少女がこちらを見た。今度は、しっかりと藤四郎と目が合った。
その瞳からは、一滴の涙が流されている。
――これだから電車は嫌なんだよ。
トラブルに巻き込まれてはたまらない。
藤四郎は静かに深呼吸をして、前を向いた。




