私も概ね同意見だし!
佑介が、じっと部長と梔子を見ている。
何も言わずに、何やら粘着質な笑みと共に。
…何だこれ。気持ち悪い。
その姿に覚えのある悪寒を感じながらも、俺は佑介の肩を叩く。かれこれ十数年は一緒にいるが、これまでは見られなかった行動だ。気味が悪いが、それ以上に心配である。何か悪い物を食べたのか。今日の昼飯も俺と佑介は同じ内容のはずだが…。
「…佑介」
「ん? 何かな」
俺を見る顔はいつもの笑顔だ。何も変わらない。つまり、佑介は部長と梔子(もしくはいずれか片方)に特別な何かを感じて笑っていたということになる。
…特別な何か、か。
梔子と部長に気付かれないように、俺はそっと佑介に顔を近づける。
「…好きなのか?」
「え?」
佑介が嫌そうな顔をして身をよじる。…近過ぎたか。
俺は少し離れた距離をそのままにして言葉の補足をする。
「あの2人のどっちかが好きなのか?」
「あぁ…えーっと…どっちかっていうか、どっちも?」
どっちも!?
梔子はともかく、部長はこいつのタイプではないと思っていたが、全然そんなことなかったのか。いや、だってほら、部長は、その…胸、が…ね? ほら、あれよ。…あんまりない、じゃん?
うん。まぁ、ちょっとはあったけど。未だに部長と話す時、意識しないと勝手に目が胸を見ちゃうくらいにはあったけど。あれがもし本当にぺったんこだったら、俺がこんなに苦労することもなかったね。間違いない。…時々夢に見るんだよなぁ。起きた時の部長に対する罪悪感がぱない。そんな俺は基本的に小心者。
…話が逸れた。どうやら、佑介は普段好みと言っているタイプではない部長と梔子に恋しちゃったというわけか。さっきの表情は、好きな子を見る笑顔にしては、どこか覚えのある寒気がしたけど。
「…まぁ、悪いとは言わないけどさぁ…関係を持つならちゃんと誠意を持って行動しろよ?」
「関係を持つ? 何言ってるの?」
俺の言葉に、佑介が首を傾げる。…好きだけど関係を持つつもりはない? どういうことだ。あ、あれか。どっちか1人を選ぶなんてできないっていう優柔不断主人公気取りか。まぁあの2人相手に二股でもしようものなら、1週間もせずに佑介を心底嫌いになりそうだから、俺としてはそっちの方がいいかも…。あんなにいい人達を騙すなんて許せん。特に部長には見逃してもらった恩もあるし。
そんな俺の考えを他所に、佑介はとんでもないことを言い放った。
「僕があそこに入っていったら台無しじゃないか」
「…台無し?」
ナニイッテンダコイツ。
いや、まぁ、若干可能性が残っている選択肢がある。それは俺と佑介がかれこれ数年悩まされ続けてきた問題で、俺は絶対に認めたくはないものなのだが。
「んー…あれだよね。もうあの2人は芸術並みだよね。一緒にいるだけで絵になるよ」
「…」
佑介と2人で廊下を歩くと、たまに後ろから話し声が聞こえてくることがある。「今日も一緒にいるわ」とか「2人は小学校からいつでも一緒よ」とか「うへへ…同じ、部活…同じ、通学路…うへへ…」とか「やっぱり四十万君が責めよね」とか。…少なくとも、小学校から同じ学校なのは、あなたもですが…。
うん。あれだよな。今の佑介から感じる悪寒は、その類の物だ。そして、視線の先には部長と梔子。
「止めようぜ、兄弟…」
「ふへへ…万次もこっちに来なよ。最高に気持ちいいよ…」
俺がうなだれると、佑介がべちゃっとした笑みを浮かべる。
俺の親友が、百合趣味に嵌ってしまったようです…。
佑介が俺に2人のカップリングの良さを語ろうと、俺と内緒話を始める。
しばらくうんざりしながら佑介の話を聞いていると、急に悪寒が走って俺は思わず身震いした。
「…?」
佑介もまたキョロキョロと周囲を見回している。どうやら奴も同じ物を感じたらしい。…おかしい。あの悪寒を感じたのはさっきの佑介以外では部室の外ばかりだ。そして今、この部室に部外者はいない。
…ここの部員に、“腐敗者”がいるのか…?
「…まぁ、僕と万次が深い仲なのは違いないし、別にどう思われようとも構わないんだけど…ナマモノが食べられるとか引くよねー」
「お前が言うな」
「だからさ、エロに男は必要ないの。むしろ邪魔。万次もAV見る時、男優のケツ見て抜かないでしょ?」
「そりゃ、男のケツ見て抜く趣味はないけどよ…」
俺は佑介と夕暮れの空の下を猥談しながら歩いていた。もちろん通学路が同じなので鈴先輩も一緒にいる。すみません、先輩…。俺はどちらかといえばこんな話したくないのですが、佑介が…。俺の気持ちを知ってかしらずか、佑介がさらに猥談を続ける。
「だったら、責めるのも責められるのも女の子の方が、2倍興奮できるじゃないか」
「それは分からん…」
やはりこいつの思考は宇宙人なのかもしれない…。いや、今回に限っては単純に俺の理解が及んでいないだけの可能性もあるが…。
俺が理解を示さないでいると、佑介が憤慨したように俺を睨んだ。今日は妙に押しが強いな…。よし、ここは少し揉んでやろうか。いつまでも同じ内容の話を聞かされるのも嫌だし。鈴先輩に聞かれても常識的な考えだと思われる範囲でエロスとは何かを伝授してやろう。
「じゃあ、万次にも分かりやすく説明するとね…絡み合う肢体! 上気した肌! 艶かしい嬌声! …ほら、興奮してこない?」
「だって、男優に感情移入…というと語弊があるかもしれないが、男優と同じタイミングでしゃせ…その、気持ちよくなると、普段より気持ちよくないか?」
「え…万次ってゲイ…?」
「それらのエロスは何もレズモノに限った話じゃないだろう」
「その要素が2倍に増えるわけだよ? エロくないはずがない」
「俺がゲイだったら、お前のこと放っておかねぇよ」
「ありがとう。鳥肌が立ったよ」
「エロってもんは、多ければいいって物じゃない。パンチラとパンモロだったらパンチラの方が甘美だ」
「万次のそれは単に、女の子に慎みを求めてるだけでしょ?」
「どういたしまして。俺はゲイじゃないが、男に何かされてる女に興奮するわけだよ。出されてる彼女と、出している俺の組み合わせに興奮しているわけであって、それには男優がいないと話にならない」
「むー…それは…そうかもしれないけどー…」
「そうそう。慎みだよ。だから少なくともタチに興奮することはないわけであってさ、それを加味するとレズモノのエロスは多くともネコの分だけになるだろう? エロの総量が1:1で変わらないなら、+αとしての要素がある方が単純に言って、抜ける」
「だから、レズモノは見ない、と…」
ふん。この話題で俺に勝とうなど百年早いわ。
…。
…はっ! 鈴先輩の前で物凄くぶっちゃけた猥談をしてしまった。
俺は慎重に鈴先輩を窺う。彼女は呆然と俺達を見ていた。
「…その、すんません。ついうっかり鈴先輩の前でこんな話を…」
うぅっ…美少女に非常識な変態だと思われた…。
「あ、いや、その…だ、大丈夫だよ。うん。私も概ね同意見だし!」
「え!?」
同意見!? どっちと!?
「…あっ、そのっ、違くてね!?」
鈴先輩の言い訳は、その後夕暮れの空の下でしばらく続くのだった。
夢を見ていた。
何の夢だったか忘れてしまったが、何だかとてもいい所で終わってしまったような気がする。…ダメだ。全然思い出せない。
ちょんちょんと袖を引かれて、俺はようやくここが電車の中だと思い出した。隣に座る鈴先輩は、ちょっとはにかみながら立ち上がる。
「ほら、もう駅だよ」
そうだ。今日は佑介と一緒に電車に乗ったら、鈴先輩と電車内で会って、3人で座ったのだった。
急いで鈴先輩の後を追おうと立ち上がる。
…。
違和感を感じた。いや、違和感と言うにはあまりに馴染み深い感触だったが、具体的には下半身が変に強張っている。…寝ている間に、随分成長したなおい。
「…どうしたの?」
俺は懸命に平生を装って電車を降りた。しかし、ばれないようにと思うと姿勢が不自然になり、姿勢を直すと俺の息子はスラックスの中で激しく自己主張をする。…まずい。何でよりにもよって鈴先輩と一緒に登校する日に寝てしまったんだ俺は。そして、どうでもいいが夢の内容も予想がついた。なんで鈴先輩と一緒の日にそんな夢を見るのか…。こっちは普段の行いが悪いせいか。
「いえ、大丈夫です」
鈴先輩の問いに、自然に自然に実に自然に答えると、ホームで待っていた佑介が噴出す。こんにゃろう…人の苦労も知らないで…。
「ほ、ほら、遅刻しちゃうよ」
…。
あれ? 鈴先輩の顔が赤い。
…バレテル。
鈴先輩にばれていると気がついた後は、俺の息子は急速に勢いを失っていった。どうやら小心者の俺に露出性癖はなかっようだ。よかったね。もう遅いけど。
通学路の間、気を遣ってくれたのか鈴先輩が、高校生らしいさわやかな話題を振ってくれたのが心苦しい。優しさって時に残酷ね。いつも以上に口数の多い鈴先輩を2年生の昇降口前で見送り、俺と佑介は1年生の昇降口へと向かった。
「いやー、災難だったね、万次」
「ホントにな…」
笑いをこらえる佑介を小突いて、下駄箱を開ける。そこで、視界の端に見知った日傘を捕らえた。最近日差しの強さを気にしてか、日傘だからと言ってこいつだとも限らない程度には日傘人口が増えた。しかし他の日傘使いなんて目じゃないほどの日傘使いっぷりだぜ。流石物心ついた時には日傘を差していただけはあるな、ベテラン。…いや、そんな話を彼女から聞いたことはもちろんないが。
「…おはよう」
「あぁ。おはよう」
「おはよー」
3人で挨拶を交わして、靴を下駄箱にしまう。朝、日傘ベテランの梔子に会うのは珍しくない。通学路の途中まで仕事へ行く父の車で登校しているらしいが、その時間と俺達の電車の時間が丁度重なるようだ。
今日も玄関で会ったってことは、どうやら道路状況は通常通りらしい。
「…そうだ。あなたにお願いしたことがあったの」
靴を履き終えた梔子が、そんなことを言う。こいつが頼みごととは珍しい。頼ってくれるのは嬉しいが、同時に不安でもある。
「俺に協力できることなんだろうな」
「できなかったら四十万君に聞くだけよ」
そりゃそうか。俺は納得したのだが、俺の左側で不思議そうな声が上がる。
「あれ、僕でもいいんだ。…ということは、デートのお誘いじゃなさそうだね」
佑介の呟きに、俺と梔子の歩みが止まる。…こいつ、あの日のこと知ってるのか…?
部長以外には話していないのに…。しかし、佑介もまた、俺達の様子を怪訝な表情で見ていた。
「…まさか本当に2人は付き合ってたりするの…?」
まずい! 今、佑介の中では梔子は部長とセックスする関係だ! ここで俺が梔子の彼氏だと思われれば、俺が抹殺されかねん!
「ち、違うわ!」
そうだ! 言ってやれ梔子! 梔子が若干慌てながらも反論する。…でも、デートではぶっちゃけ死ぬほど可愛いと思ったし、ここできっぱりお友達宣言されたら立ち直れないかも…。
そんな俺の心配は、杞憂に終わることになる。彼女の予想もしなかった言葉によって。
「そのっ、2人の仲を引き裂こうなんて思ってないから!!」
仲を、引き裂く…?
梔子の叫びに、周囲の視線が集まる。はっ、まずい!
「ちょちょちょっちょっと来い!!」
俺は梔子の手を強引に引くと、人気のない実技棟に連れ出す。俺はこれと非常に良く似た状況を覚えている。どの程度覚えているかというと、未だに昨日の様に思い出せる。それほど鮮烈な、“失恋”の記憶である。
梔子を壁側に立たせると、俺は壁に右手を勢い良く押し付けた。母さん、父さん、俺は立派に壁ドンできるようになりました。多分、表情のせいでカツアゲにしか見えないんだろうけれど。
「おまっ、お前、何あんな場所であんなこと言ってんだ!」
「…ぁのっその…」
思わず声が荒くなる。梔子を至近距離から睨みつけていると、急に佑介が俺の左腕が引いた。
「待って待って。梔子さん泣いちゃうから…」
佑介が俺を梔子から引き離しながら、そんなことを言う。こいつなんでこんな冷静でいられるんだ。あんなこと玄関なんて人の多い場所で言われたらどうなるか知らないわけじゃ…。佑介に落ち着いている場合じゃないと口を開きかけた時、俺の耳は彼女の声を聞いた。
「…ごっ、ごぇん…っなさぃ…」
ひどく震えた声に振り返ると、梔子が泣いていた。そりゃもうボロボロと。
「あ、いや…その…」
「ひぐっ…ぐすっ…」
女の子の涙を見て、頭に上っていた血が急速に引いていく。…ど、どうしよう!? 女の子を泣かせてしまった! こんなの小学生以来だ!
「あーあー、なーかした。僕しーらない」
「その…わ、悪かった。怒鳴ったりして…」
「うぅっ…ごめっ、ごめっさぃいぃ…」
…その日の朝の時間は、泣きじゃくる梔子をなだめている内に過ぎてゆくのだった。




