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これに勝る知識なんてあるものか<point of view of Kuchinashi>

「えー? 音楽系の個人発表は多分見てたけど、あったかなぁ…」

「ウチは特にボーカルとギターが芸人で…」

 木庭君が佐伯先輩と中学時代の話に花を咲かせていた。

 私は分からないなりに会話に出てくる単語を拾うと、どうやら木庭君が文化祭で出し物をして人気を博したらしいことだけは分かった。木庭君がバンド。似合うような似合わないような、変な感じ。でも言われてみれば、彼は部活でも体を張った演技を取り入れることも多い。ダンスなんて得意かもしれない。

 お父様の楽器に囲まれた部屋で、2人の談笑は続く。

 佐伯先輩は笑って思い出を語り、木庭君も笑顔でそれに答える。2人はとても楽しそうだ。

 …いいなぁ。

 私も2人に合わせて笑顔を作ろうとして、胸がズキリと痛んだ。どうしてか、上手く笑えない。元々表情を作るのが上手い方ではないが、こんなにも頬を動かすのが辛いことなどあっただろうか。

 結局、笑顔が作れぬ私は、そのまま2人の会話をじっと聞き続ける。

「佑介が全部動画撮ってて…多分まだ持ってるっすよ。そうじゃなくとも、文化祭のだけなら実行委員からDVD貰ったので、ボーカルに連絡取れば3年分見れるかも」

 木庭君のその言葉を聞いて、不思議と“嫌だ”と思った。

 それはきっと、私の知らない彼であり、佐伯先輩の知っている彼だから。

 ここで私はようやく悟る。私は、木庭君のことが好きなのではなかったのだと。

 好きな人のことを深く知りたいと思うのは当然だと、昔誰かが言っていた。

 私は、木庭君のことを知りたいとは思えない。なぜなら私は、木庭君のことを知った気でいて、その知っている部分を自分の都合よく信じていたいだけだから。

 木庭君は優しくて、口が上手くて、ちょっとえっちで、でも何を考えているのかよく分からなくて。もちろん、今までの経験から出てきたこれらの印象は、木庭君を表すものではある。

 しかし、当然ながらこれらは彼を構成する要素の一部分でしかない。その一部分だけで、彼を知った気になっていて、その一部分だけで彼のことを好きになっていた。実際の彼はもっと多くの顔を持っているというのに。

 佐伯先輩の記憶に眠る、私がまだ知らない木庭君は、本当に私が知っている木庭君なのか。知らないものを知ってしまえば、もう元には戻らない。佐伯先輩が知っている木庭君は、本当に私が好きな木庭君なのか。印象が変わると言うことは、嫌いになるかもしれないということ。

 だから、私の知らない木庭君を見るのは、どうしようもなく怖い。過去の木庭君を知りたくない。木庭君を、嫌いたくない。

 そしてこれらは、私の我が侭な願いであり、そして木庭 万次という個人に対する冒涜である。

 私は、彼のことが好きだが、同時に彼のすべてを知りたいとは思えない。そのすべてを知った時、彼を同じように好きでいる自信がないから。




 それからしばらく一緒にクラゲを見たり、カードで遊んだりしているうちに、少し気分が晴れた。前のデートの時のこと、木庭君は覚えているだろうか。

 クラゲを見て、木耳の話をしたこと。その後キノコの話をしながら水槽を眺めたこと。階段で躓いて木庭君に支えられたこと。木庭君が映画を見てボロボロに泣いたこと。部長とラーメンを食べたこと。そして…

『キャァアア!!』

「っ…!」

 大音量で響く絶叫に、思わず隣の木庭君に抱きつく。ぎゅっと体が接近して、普段なら赤面だろうけど今の私にそんな余裕はない。スクリーンから顔を背けてひたすらに木庭君の腕にしがみつく。

 もうヤダもうヤダもうヤダもうヤダ…。

 楽しいこと考えてたら大丈夫かと思ってたけど、全然そんなことなかったよ…。お父様、何でこんなもの面白いと思っちゃうの? 意味分からない…。

 私達はお父様一推しのホラー映画を鑑賞していた。1人で見る勇気はなかったので、隣には恐怖に対する緩衝材として木庭君を置いてある。

 ドンドンドンドンドン!! と主人公の部屋の扉が叩かれる。木庭君と一緒にビクっと震えて、私はしがみつく腕に更に力をこめた。

 恐る恐る画面を見ると、主人公が私と同じように縮こまっている。そうだよね、怖いよね。い、一時停止、リモコンはどこだ…。

 扉を叩く音が途切れ、主人公もゆっくりと顔を上げる。

 瞬間、画面が切り替わって、血塗れの子供が半分に潰れた顔をグチャっと歪ませた。

「っ~~~!!!」

 声にならない叫びを上げて、必死に隣の木庭君に身を寄せる。怖い! 怖いよう! もう何なの!

 私達は結局、呪われた家でハウスシェアすることになった6人の男女が全員死ぬまで、その映画を鑑賞し続けた。

 途中で止めたいと何度も思ったのだが、怖くてDVDデッキまで動けなかったのだから仕方ない。

 スタッフロールが始まり、ようやくほっと緊張の糸が途切れる。気付けば両目からは涙が溢れていた。これは疲れ目とかそういう涙ではなさそうである。

 何か、よく分からないけど死ぬかと思った。死ぬほど怖いってこういうことか。鼻をズビズビ鳴らしながら、画面を流れていく監督の名前を覚える。今後この人の作品は絶対に見ないことにしよう。

 スタッフロールの後は、呪われた家に主人公の妹が恐る恐る入っていくシーンで終わった。

 怖い。呪われた家怖い。

 まだ恐怖から立ち直れそうもないので、木庭君の腕は放さない。

「…梔子、終わったぞ? もう怖くないぞ?」

 彼が空いている方の手で軽く頭を撫でる。少し恥ずかしいが、落ち着くのでそのまま撫でてもらうことにする。うぅ…でも、しばらく動けそうにない…。

 多分佐伯先輩も同じような状況だろう。この別荘を一番怖がっていたのは彼女だ。もしかすると、私以上にダメージを負っているかもしれない。

 そっと佐伯先輩のソファを窺うと、彼女もまた私と同じように、隣の人にしがみついていた。

 やっぱり怖かったよね…3人で見るんじゃなかっ…

 あれ? 今、佐伯先輩の隣に誰かいなかった?

「…」

 サァァっと血の気が引いていく。木庭君と接近していて、ちょっとドキドキなんて心境になる余裕もなく、全身から再び嫌な汗が噴出す。

 え…? え? 誰? 今、誰かいたよね?

 知らず知らずの内に、握っている手に力が入る。

「…ん? どうした?」

 優しく木庭君の声が落ちてきて、恐々と木庭君と目を合わせる。この恐怖を何とか伝えようとするのだが、口が渇くばかりで言葉が出てこない。木庭君はこの異常に気がついていないようだ。

 どうしよう。このままじゃ佐伯先輩が危ない。

 ぎゅっと木庭君の手を握り締めて、覚悟を決める。

 私は佐伯先輩のソファの方へ、ゆっくりと振り向いた。

 …いた。

 この部屋の4人目。さっきとまったく変わらず、佐伯先輩は誰かにしがみついている。

 せめて木庭君だけは見失わぬようにと、精一杯の力で木庭君の腕を抱きながら、私は4人目の顔を見た。

「…」

 …。

 ……。

 ………。

 端的に言って、それは幽霊でも妖怪でもなんでもなかった。

「…桜木さん。いつからいたの…?」

 見慣れたメガネの美人。使用人の桜木さんだった。

「はい。ちょうど、首が大量に入った浴槽を…」

「いいから! 具体的に言わなくていいから!」




 それから桜木さんがハーブティを淹れてくれた。何でも、桜木さんはホラー映画とか怖くない人間らしい。お父様は怖がりながらもそれを楽しむ人であるのに対して、彼女は怖がっている人間の方が面白いと思う人だ。相変わらず趣味が悪い。

 その後はしばらく気晴らしに遊んだ後、皆で夕食を食べた。夕食のメニューは私からすればいつもの感じだったのだが、ある程度予想していた通り2人はびっくりしていた。普通の家では、やっぱりこういう夕食は食べないんだね…。

 夕食が終わり、何だかんだと5人で歓談していると長いはずの日もすっかり落ちてしまい、小さな窓からは暗い空がよく見えた。

「今日は、晴れていたわよね?」

「ん? あぁ。晴れてたな。ここにいると全然分かんないけど」

 なら、星が見えるかもしれない。

 私はお父様とお母様に、上へ行くとだけ告げて佐伯先輩と木庭君を連れてダイニングルームを後にした。

 この別荘は5階建て。元々病院だった頃からこの大きさだったらしい。こんな山奥に立てるにしては大きすぎる気がする。そこらへんの計算のできなさ加減が潰れる原因になってしまったのだろうか。

 私は薄暗い階段を上りながら、そんなことを考える。普段運動をしない、体育すらサボり気味な私は、3階へと続く階段あたりから息が切れ始め、脚も重くなる。エレベーターもあるのだが、何となく密室へ行きたくない。いや、昼間のホラーを思い出しているわけではなくてね? 怖くないよ? 別にバスルームでヒロインが殺されたとかそういうのを思い出しているわけではなく。

 …まぁ、ホラーの話はいい。流石に運動、したほうがいいのかなぁ。学校の体育は、夏場でも長袖を着る必要がある私には辛すぎる。この季節は気がつくと汗がべっとりで日焼け止めが少しずつ流れていくし、サングラスしていると目が悪いせいで球技ではまるで役に立たないし。それどころか暑くて意識が朦朧とすることだってある。

 そういえば、私は人より汗をかきにくい体質らしい。これは別に色素とかは関係なく、汗腺の数がどうとかこうとか。北国の人は南国の人よりも汗をかかないとか、そういう話である。保護色的な意味でも、汗腺的な意味でも、私は寒冷地仕様なのだ。気にするほどの体質でもない。人より少ないってだけで、そこそこ汗かくし。それよりは弱視の方が何倍も面倒だ。

 手摺りに体を預けるようにして6階への階段を上りきると、厳重な鉄の扉が目の前に鎮座していた。

 私は息を整えながら鍵を開けると、その重い扉を開け放つ。

「わぁ…すご…」

 佐伯先輩がそんな言葉を漏らす。そうでしょうそうでしょう。ここは私の夜のお気に入りスポットなのだ。

 目の前に広がるのは、一面の芝生。そして上は満点の星空。

 町の明かりは遠く弱い、光を遮るように造られているこの屋敷からも人工の光はほとんど漏れない。ここの屋上は、天体観測にはそこそこいい場所なのだ。田舎なので空気も澄んでるしね。山奥だから虫は多いけど。

 私達は設置されているベンチに3人で腰を下ろして、空を見上げる。虫の声と風の音、そして自分達の生きている音だけが響く夜空を、じっと見ていた。

「…あ、飛行機。ほら」

「赤く点滅してますね」

「いや、もっと他に見るものあるじゃないっすか…」

 だって動く物って思わず目で追っちゃうし…。

 私は何となく、星を見ている木庭君を見る。じっと上だけを見ている木庭君の表情は真剣だ。何かを探しているようにも見える。彼は星座とか知っているのだろうか。…知らなそう。

「あ、琴座見っけ。じゃあ、あれが夏の大三角だね」

 逆に知っていそうな佐伯先輩が、得意気に空を指差す。その指の先を目で追ってみるのだが、私にはよく分からない。どれも同じような星に見える。というか、私の視力ではその星が見えているのかが怪しい。

「大三角以外だと、北極星から伸びてるのが小熊座。分かりやすいのはこのぐらいかなぁ」

「全然分からねっすわ」

 同じように佐伯先輩の指の先を見ていた木庭君も、諦めたように背もたれに寄りかかる。

 …私が見上げている星空と、佐伯先輩が見上げている星空は違う。もちろん木庭君とも。私は遠視とか近視とか、そういう水晶体の屈折異常ではない。いや、もちろんそれもあるようなのだが、色素がない所為で目の中の光が散乱してしまう。それで網膜まで上手く光が伝達しないのだとか、そもそも視細胞が発達していないのだとか色々あるらしい。

 だから、もしかすると私は、彼らに見えている星の数割を知覚できていないのかもしれない。

 そのことを考えると、少し寂しくなった。私は星空を見上げた感動すら、この友人と分かち合うことが出来ないのか。

 胸にわずかな圧迫感を感じながら、もう一度月のない空を見上げる。霞む視界に、星がきらきらと瞬いている。

 佐伯先輩が、ぽつりと呟いた。

「まぁ、星座なんて分かったところでいいことなんてあんまりないよ。星が綺麗だってことだけで十分。これに勝る知識なんてあるものか」

 それは、木庭君の言葉への返答だった。

 しかし同時に、私の心にもすっと入り込む。

 …そうかもしれない。

 だって、こんなに綺麗なのだから。それでいいじゃないか。

 見える見えないではない。きっと、同じ感動を味わっているということが大事なのだ。

「…確かに、そうかも知れないですね」

「もちろん、星座を知ってた方が楽しみは増えるけど、それってやっぱり副次的なもので、本質じゃない」

 昼からずっと心の隅に巣食っていたモヤモヤが融けていくような、そんな感覚。

 虫の声を聞きながら、星空を見上げるとそんな不思議な気持ちになった。

 ぼんやりと星々を眺めていると、突然左手に温かい物が触れた。

「っひゃあ!?」

 驚いて手を引っ込めると、目を丸くしている木庭君と目が合う。もしかして今の、木庭君の手?

「あ、いや、悪い。急に」

「…何?」

 バツの悪そうに視線を逸らす木庭君に、心臓がバクバクしたまま何とか言葉を返す。びっくりした…。え、今のって私の手を握ろうとしたってことだよね? どうしてそんなこと…。

「その…素敵な笑顔だなって思ったら、思わず手を握りたくなって…よく考えたら何気に怖いこと言ってるよな。すまん」

「すてっ…」

 素敵な笑顔!?

 ななな、何を突然?!

 あまりの衝撃に、私は左手を抱き締めたまま固まる。それを見た木庭君が、申し訳なさそうに頭を下げた。

「本当に、すまん。ごめんなさい。自分でもよく分からないんだが、そのよく考えずに手が出てた…」

「そう…」

 素敵な笑顔…素敵な笑顔…初めて言われたぞ、そんな台詞。まず、異性に“素敵”と言われたことがない気がする。いや、学校の友達にもないな。他の知り合いには言われた記憶があるけど、あれは社交辞令だからな…。

 私は恐る恐る左手を元の位置に戻す。木庭君は、気を遣ったのか自分の足の上に手を置いたまま空を見ていた。

 …別に、手を握りたいわけではない。ただ、その、木庭君がそうしたいというなら、私もそれに反対する気はないというか。ただそれだけであって、これは別に特に他意はないのだ。

 えい!

 私は、そっと左手を伸ばして、木庭君の右手を取った。

「…梔子?」

「…」

 木庭君の手は、少しゴツゴツしていて大きい。鍵盤楽器をやっていただけはあるな。私が彼の手をにぎったまま離さないのを確認すると、木庭君も私の手を握り返してくる。

「っ…」

 …口から心臓飛び出るかと思った…。

 虫の声を掻き消すような心音を聞きながら、私達は空を見上げた。



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