63 帰宅
ようやく家に帰ってきたころには、空はすっかり暗く、「遊びすぎた」と腰痛を感じつつ、「何の声も聞こえないのではしゃいでしまったが、世間は大丈夫だったのだろうか」と心配になって、青空に訊ねてみると、「寒河江ハヂメというクソつよ祓い屋が日本中の怪異事件やらなにやらとか含めて貴方がやってたこと全部ワンオペで担当してるから案ずることなかれ」と答えが返ってきた。
どうやら寒河江ハヂメという祓い屋は神性を持たない純粋な人間のなかで唯一神に勝てる可能性のある男なのだそうだ。「ワンオペはダメだろ」ともっともなことを言うと、「普段は引きこもってるからこういう時に運動をさせないとダメだ」ともっともらしいことが帰ってくる。付け加えるように、青空は「私や貴方以外にもまだ神憑きはいる」という。そういうのがまだいるらしい。
「最初からおたくらを頼ってりゃあ、良かったな」
「そうはならない」
「なぜ?」
「いま私たちが貴方の代わりをできるのは、貴方が頑張ってくれたからだ。そのおかげで我々は準備をすることができたんだ」
「そういうものだろうか」
「ちなみに私なら耐えられなかったろうね。実際、逃げ出した」
「そうか。……あっ」
守道はそこでようやく気がつき、両手にスーパーの袋を持ち、玄関で靴を脱いでいる青空を見た。
「あ、あれお前か!」
「なにが?」
「二〇一三年あたりに、毎日のように、助けを求める声が聞こえてた。いきなり声が聞こえなくなったんで、心配だったんだ。生きてたのか」
「いきなり声が聞こえなくなったというのは、おそらく私が照太郎をともなってフランスに行っていたからだね。逃げたというのはこのことだ。つらいことから逃げたんだ」
「逃げて、当たり前だ」
助けられなかった少年の声。
すっかりおとなびていたから気づくのが遅れた。
「逃げて、正解だ。辛いことから逃げて何が悪い。逃げるのが正しいことなんだ。諦めてでも生きてやるって思ってくれたのは、それは、俺にとってとても嬉しいことだ。あの時、俺に勇気があれば、もっと早くに出会えて、もっと早くにお前のそばに立ってやれていたのに、俺は恐ろしくなってしまったんだ。生きててくれていたんだ」
「泣かせちゃった!!」
「よかった。よかった、ほんとうに」
「茶の間で泣け」
ようやく泣き止んだ頃になって、守道は「心残りがひとつなくなった」と言ったので、步生はどきっとしたが、どうやら死ぬつもりはないらしい。
「昨日から考えてたことなんだ。耕助や、お前や、他の奴らには迷惑かけるかもしれないけどさ。俺、邪視から貰った命……大事に使おうと思う。死ぬってなったら、色々な人のことが頭に浮かんだ。死ぬ直前になって、まだ生きる意味があったことを理解した。悲しいけど、俺も人間なんだな」
守道は懐から変身装置を取り出すと、それを青空に返した。
「これからは、俺も守ってくれ。ビカットマン」
「了解した。まずはそうだな、貴方が一人の男として家庭を持つまで見守ることにしようかな。気になる人とかいないのかよ〜吐いちゃえよ」
「この流れで言うわけないだろ、言ってたまるか」
「ハハハッ」
青空は内心で、とてもホッとしていた。死を経験したからだろうか。それとも、ほかの要因もあるのだろうか。あるいは両方か。守道も自分を変えようとしている。黒いドロットマンはもう現れなくてもいい。これからは白いドロットマンが岩手を守る。
青空はこの日一番の笑みを浮かべた。
「よかった、ほんとうに」
月のほとんどない夜の外、家の直ぐ側の街灯のそばに、風が吹いている。街灯の近くまで寄っていって、煙草を吸っていると、步生がやってきた。
「風邪引くよ」
「これ吸ったら戻るよ」
「俺も吸おうかな」
「俺、これからのこと考えてたんだ」
「へえ。これから?」
「春が来たら、花見とかしたい。夏が来たら、やっぱり海に行きたいし。秋には、紅葉とか見に行きたい。みんなでだ。ここにきて、急にそういうことを思い始めたんだ。尾島青空のおかげでもあるのかもな。あいつの周りにいる人間はどいつもこいつも陽気でうるさい。俺もそうなりたいと思う」
「いいじゃん」
煙草は、ぢりぢり……と空に昇っていく。
「冬が去って、春が来ても、夏が来ても、秋が来ても、また冬が来ても、お前には俺のそばにいてほしい」
「それは、なぜ?」
また思わせぶりなことを言うのだから、と步生は平静を装いながら彼の横顔を少し見てから、また地面の土の茶色がにじんでいるはずの雪の足もとをみた。
「お前のことを知りたい。どういう食べ物が好きなのか、とか……どんな酒を飲むのか、とか。煙草の銘柄は知れたな。次は、どんな良いところがあるのかを全部知りたい。悪いところも全部知りたい」
視線を、一度彼に向けてしまったから。
ふたりの煙草はすでに役目を終えるべきところまでになっていた。
「なんで……?」
「なんでだったかな。恥ずかしくて忘れちゃった」
彼は、からかうように言う。背が高いから、街灯とも近くて、やはり顔は明るくともるし、瞳にも光がついている。
「煙草が死んだな。戻ろうか」
「まだひと箱ある。新しいやつ。分け合おうよ。もっと話そう。ここで、二人だけで話そう。まだ、一時間でも何時間でも……」
そう言って、青いどてらを羽織って光を浴びて、近づいていく彼の瞳を見つめながら、步生は煙草の封を切る。
結局、一箱吸うし。
二人で話していた時間は三十分もなかったから。
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