煮魚とたまちゃん
読んでいただきありがとうございます。
どうしてもだったかと言われたら消去法だったかな。
中学の担任だった加藤先生は、私は看護師が向いているから、普通科ではなくて看護学科のある高校に行ったらどうかと進めてくれた。
でもまだほかの道にも憧れていた、例えば漫画家とか保育士さんとか調理人さんとか……。
結局、普通科の高校に進学して楽しく学生生活を送り、真剣に将来のことを考えていかなければならなくなった時、加藤先生の言った言葉を思い出した。
工場や事務職は私には無理だから、看護師さんになろうかなそんな気持ちで私、春日珠未は看護の仕事に足を踏み入れた。
無事に看護学校に合格し、初めて担当させてもらう患者さんとの思い出話。
「たまちゃん今日も寝てるのよごめんね」
私が看護学校の実習で担当させていただいた木内佳子さんは、心不全が悪化し入院してからは環境の変化で少し場所や周りの人が誰だかわからなくなって、24時間のほとんどを眠って過ごされていた。
「唐木さん今日もよろしくお願いします」
看護学校に入り始めての実習は、患者さんとコミュニケーションをとること清潔ケアをさせてもらうことが大きな目標なのだが、佳子さんは寝ていることが多く、私がコミュニケーションをとるのは付き添いでいつもいる佳子さんの娘さん。
朗らかな人で、実習がうまくいかない私を気にして、いつもいろんな話をしてくれる。
「もう毎日たまちゃんが来てくれるのに、母さん!眼を開けて」
娘さんが佳子さんをゆするが眼を開けない。
「困ったものね~。たまちゃんの実習がうまくいかないじゃない」
「唐木さん佳子さんの好きなこととか、得意なことは何ですか?」
「そうね、料理は好きで上手だったわよ、私は母さんの作る煮物が好きよ」
「私も料理をするようになったんですが、この間白身のお魚煮たら崩れちゃって」
「母さん、たまちゃんに料理のコツくらい教えてあげなさいよ」
娘さんが佳子さんの肩をゆすると佳子さんは薄っすらと眼を開けた。
「ああ。ようやく目を開けた」
私は佳子さんの耳元で、煮魚について聞いてみる。
「佳子さん。昨日白身の魚煮たんですけど、直ぐに崩れちゃって、どうしたらいいですかね?」
「ん?」
「魚の身が崩れないようにするにはどうするんだっけ?」
娘さんも佳子さんの耳元で声をかける。
「ん~?さっと煮たら一度冷まして取り出すといいよ」
佳子さんはそう言ってにっこり笑ってくれた。
実習中、佳子さんとちゃんと話したのはこれが最後だった。
✿ ✿ ✿
ただただ佳子さんの隣で、娘さんと話をするだけの実習は、一週間があっという間に過ぎた。
「来週にはベッドから降りてもよくなるだろうから、車いすで散歩にでも行くのはどうかしら、そうしたら昼と夜の区別もだんだん付けられるしね、来週はもっと関わることができるよ、頑張ってね」
実習指導の担当看護師さんに励まされて私は実習の半分を終えた。
土日の休みを終えて、病棟に行った私は担当教員に呼び出され、佳子さんの病状が急に悪化し個室に移ったと聞かされた。
うとうと寝ているのは変わらないが、話しかけると「たまちゃん、たまちゃん」と私の名前を呼んでいるのだと聞いて、私は涙が止められない。
「佳子さんの状況では清潔の援助はできないから……他の患者さんに担当を変えてもいいけどどうする?」
自分は佳子さんに認識すらされていないと思ってたのに……。
「たまちゃ~ん。たまちゃ~ん」
先生と話す隣の個室から佳子さんが私を呼ぶ声が聞こえる。
私はボロボロと泣きながら、担当の先生にお願いした。
「最後まで、佳子さんの担当をさせてください……私にはなにもできないかもしれないですけど」
先生はポンと私の肩に手を置く。
「泣いたままお部屋に行かないようにね」
私は涙をごしごしと拭い、佳子さんの病室のドアをノックした。
「はーい。どうぞ」
娘さんの元気な声が聞こえる。
部屋に入ると、佳子さんは眼を閉じたまま、私の名前を呼んでいる。
「ほら!母さん、たまちゃん来てくれたわよ!眼を開けて」
「…………」
「たまちゃんほら座って、もうね、土曜日に急に具合が悪くなってから、息子が来ても孫が来てもずっとたまちゃんを呼んでるのよ、手でも握ってあげて」
「佳子さん…………苦しくないですか?」
佳子さんは私の手を少しだけ握り返してまた眠ってしまった。
その日から実習が終わるまで、夜の佳子さんの様子を聞いてはボロボロ泣いて、涙が止まれば病室に向かい佳子さんの手を握る毎日で実習期間が終了。
実習が終わり一週間ほどで、佳子さんはお亡くなりになったと学校の先生に聞いた、お葬式に行ってもいいわよと先生に言われたけれど……まだ学生の私は佳子さんの死に向き合うことができていなくて、行くことができなかった。
(T_T)




