8. 先日のお返しです
ルシーの元に、王宮舞踏会の招待状が届いた。
今年、魔力婚姻法によって婚約者が決まった貴族全員に送られる招待状だ。
婚約者として初めて公に姿を現す、お披露目舞踏会となる。
当然、全ての貴族は気合が入り、国中の仕立て屋が忙しくなる。
ランベール公爵家では、この日のために、国一番の仕立て屋に三年前から予約をいれいていたという念の入れようだった。
「はわわっ。お嬢様、どうしましょうっ。マダム・トルソーのドレス工房でドレスを仕立ててもらえるだなんて」
仕立て屋に向かう馬車の中で、侍女のアメリは興奮しっぱなしだった。
「どうもしないわよ」
「何を言ってるんですか。これがどれだけすごいことだかわかってますか⁉ マダム・トルソーですよっ。王族ですら三か月待ちになる、この国随一のドレス工房ですよ⁉」
「私は、アメリが見つくろってくれる既製品のドレスでも十分……」
「それはお嬢様が本物をご存じないからですっ!」
ルシーよりアメリの方が興奮している。
ちなみにルシーのドレスはいつも、アメリが買ってきた既製品だ。
(装飾を施したりラインを変えたりするだけで美しく仕上げるアメリの腕の方が素晴らしいのに)
宵闇の妖精のドレスが既製品のリメイクだなんて誰も信じないに違いない。
マダム・トルソーの工房では、ルシーが馬車から降りると、待ち構えていたかのように店員が総出で出迎えた。
「いらっしゃいませ。私が当工房のデザイナー、マダム・トルソーですわ」
年齢不詳の品のよい夫人が丁寧に出迎えてくれた。
「ルシー・デュボワです。婚約者のランベール公爵は、今日は来られませんの」
「承っております。さあ、中へどうぞ」
今日はクレマンは一緒ではない。
最近、クレマンは王国騎士団の業務が忙しいらしく、ルシーとデートをする時間がとれないのだ。
ノルマである十回のデートが一体いつ終わるのか見当もつかない。
「公爵夫人は美しい黒髪をお持ちの方だとわかっておりましたから。黒を映えさせる生地を準備しておりました」
今年の魔力婚姻制度の対象者のうち、爵位の最も高いランベール公爵が、魔力の最も高い女性──魔力にあふれた黒髪の女性と結婚することは既知の事実だった。それがルシーでなかったとしても。
マダム・トルソーは、ルシーの前に、黒に映える美しい生地を並べさせる。
ロイヤルブルー、エメラルドグリーン、ルビーレッド、ゴールド。
いずれも光沢のある美しい生地だ。
(きれい)
ルシーは思わず、息を呑んだ。
中でも特に目を引いたのは……。
「やはり、こちらがよろしいですよね? 公爵閣下の瞳の色と同じ、エメラルドグリーンですもの」
「え?」
マダム・トルソーがテーブルの上の真ん中の生地を持ち上げる。
ルシーは、そこで初めて、クレマンの瞳の色に思い至った。
(相手の色をまとうなんて恥ずかしすぎるっ)
頬に血が上る。
相手の色を身に着ける人もいるにはいるが、それは相手が自分のものであるという自己主張だ。
ルシーは、そこまでするつもりはないし、クレマンだってそうだろう。
正直やりすぎだった。
「美しいでしょう? この生地は、絹を南方に伝わる特別な方法で染色したものなんです」
「きれい、ですけど、その……」
「その生地にしよう」
「旦那様⁉」
耳元で突然聞こえた低い声にドキリとする。
耳を押さえて振り向くと今日は来られないと言っていたはずのクレマンだった。
クレマンはルシーの様子を気にすることもなく、ルシーの横にどかっと腰を下ろす。
「あ、あの」
「この色はあなたによく似合うだろう」
平然としたものだ。
(きっと前後のやりとりを聞いていないのね。やりとりを聞いたら、恥ずかしくて、顔を赤くするんじゃないかしら)
どきりとさせられたのが悔しくてルシーはやり返してやることにした。
「旦那様。女性が男性の色を身に着ける意味をご存じですか?」
「当然だろう」
「え」
「婚約者が自分のものだ。浮気を許さない、という意味だ。俺は、妻に生涯の愛を誓うつもりだ。自分の色を彼女の身にまとわせるのは当然だ」
「なっ、ななっ」
「まあ、お熱いですわ」
(何、なんなの⁉ なんでこんなこと、平気で言えるの⁉)
きっと無意識なのだろうが、その言葉の攻撃力が半端ない。
ルシーの前でうろたえて赤くなるクレマンはいったいどこへ行ってしまったのだと呆然としながら、はたとルシーは気が付く。
(そうだわ、旦那様が赤くなったりうろたえたりするのは、私のほうから迫った時だったわ!)
その後、別室で採寸が行われる。
コルセットにドロワーズの下着姿で採寸を行うが、ルシーは途中でいいことを思いついた。
採寸が終わったところで、ルシーの着替えのために一人残ったメイドに声をかける。
「ねえ、そこのあなた」
「は、はい」
おどおどとした、気の小さそうな子だ。
彼女ならきっと行けるだろう。
ルシーは、そばにやってきたメイドの瞳をじっと見つめると、首筋をすっと指でなで上げ、その指で彼女の顎をもちあげた。
メイドの彼女は、真っ赤になって、うろたえる。
「ねえ、お願いがあるの」
魔力を声にのせて耳元でささやく。
ルシーの使える魔法の一つ、精神干渉の魔法だ。
「旦那様をここに連れてきて。それからできるだけこの部屋に人が入ってこられないようにして」
「はい、かしこまりました」
ほどなくクレマンが採寸室へとやってきた。
「どうした?」
衝立があるため、クレマンは、ルシーがどんな姿をしているかわからない。
「旦那様が、お忙しい中、出向いてくださったことにお礼をしていなかったことを思い出しましたの」
「婚約者として当然のことだ」
「でも、だいぶお待たせしてしまいましたでしょう? 申し訳なくて」
「問題ない。待つことは男のたしなみだからな」
「ふふ、頼もしいですわ。ただ、それを当然だと思うような女になりたくないのです。私にお礼をさせてくださいな」
「その言葉だけで十分だ」
「いいえ。お礼を言いたいのではなく、私はお礼をしたいのです」
ルシーは、衝立から離れると、クレマンに体ごと飛び込んだ。
もちろん、先ほどのコルセットにドロワーズのままの姿だ。
「な、ルシー嬢! あなたは何を⁉」
「あら、大きなお声を出すと外の者が入ってきますわよ」
「ぐっ」
クレマンに初めて会った時のように魔力干渉を使おうとしたが、少し迷ってやめることにした。
ルシーは、クレマンの腰に手を回して抱きついた。
クレマンはルシーを引きはがそうと肩をつかむが、ルシーが小さく「痛っ」と叫ぶと、すぐにその手の力を緩めた。
もちろん嘘だ。
見上げるルシーの胸元は、あざといぐらいに押し付けられている。
この谷間はルシーの武器として十分役に立っている。
「旦那様、お礼、受け取って下さいます?」
「そ、それは、どういう」
「どういうお礼がいいですか?」
ルシーをにらみつけているようにしか見えないクレマンだが、その頬は赤い。
ルシーは次の瞬間、クレマンの襟のクラバットに体重をかけてぐいっとひっぱる。
「隙あり」
そして、背伸びをしてクレマンの頬に口づけた。
「あ、あなたという人は」
「ふふ」
採寸室がノックされ、アメリの「お嬢様」と言う声がする。
ルシーはクレマンのクラバットから手を離すと「先日のお返しです」とつぶやく。
「……っ!」
クレマンは、赤くなった頬を腕で隠すようにして、顔を歪めたまま、採寸室を出ていく。
「あれ、公爵閣下、もうお帰りに? どうされたんですか?……お嬢様、また何かなさったんじゃ……」
「さあ、どうかしら?」
アメリの不審げなまなざしにルシーは満足げに微笑んだのだった。




