7. なぐさめてくださいます?
この日は、クレマンとの外での初デートだ。
結婚までの手順として、二人の間では、
一、茶会を含むデートを十回すること
二、公爵家の行儀見習いを六か月行う
ということで話がついた。
ちなみにルシーはあまり守るつもりがない。
隙あらば、クレマンを誘惑して先に進めようと思っている。
ただ、今回のデートに関しては少し違う。
──ルシーにはクレマンに言えない目的がもう一つあった。
今日のデートコースは、王立図書館と付近の公園の散歩だ。
実は、王立図書館には高位貴族でないと入れない書庫がある。
ルシーはさりげなくそこに連れて行ってもらうつもりだった。
婚約者という立場で入れるかはわからないが、駄目でもともとだ。
先日話した時にも思ったが、クレマンは貴族の一般男性と同じく、魔法というものに関心が薄い。
(男性の魔力は女性に比べて少ないし、魔力で価値が図られることもないもの。当然といえば当然よね)
貴族の男性でも、魔法と関わることなど一生ないのが普通だ。
よって、彼が何か知っていると期待するのは、ルシーは早々にあきらめていた。
(レアの病気について調べるなら、自分で行動を起こさないといけないわ)
早く公爵夫人になって魔塔へ行ければいいが、それにはまだ時間がかかる。
もし、王立図書館の特別閲覧室に入ることができるならば、それはレアの病気の手がかりをつかむ貴重なチャンスだった。
貴重なチャンスをものにしたいルシーだが、肝心のクレマンが待ち合わせ場所になかなか来ない。
図書館のエントランスで仕事帰りに落ち合おうと約束したのだが、きっと仕事が長引いているのだろう。
「いらっしゃらないわね」
「そうですね。まあ、私は図書館の妖精バージョンのお嬢様を披露できたので満足ですが。見てください、もう注目の的です」
今日もルシーを着飾らせることに余念がないアメリに苦笑しながらルシーはカウンターへと向かった。
せっかく図書館に来ているので、断られるのは覚悟の上で入口の司書の男性に尋ねてみることにする。
「初めまして。私、ランベール公爵家に嫁ぐルシーと申します」
「はっ、はいっ」
ランベールの名を出すと図書館のカウンターの中が一瞬ざわりとする。
ルシーに応対する若い司書の男性の声は、裏返っている。
視界の隅でアメリが得意げだ。
「特別閲覧室に伺う予定だったのですが、夫が遅れていまして。私だけ先に入ることはできないでしょうか?」
「はいっ。こ、ここ婚約者様でしょうか⁉」
(ずいぶん慌てているわね。いけるかしら?)
ルシーは瞳にそっと魔力をのせて精神干渉の魔法を試みる。
今日のルシーは、香水に精神干渉の際に使う香を使っている。
「もうすぐ結婚するので、すぐに妻になります」
「そうか、妻、妻ですね……」
「だめよ」
肩を叩かれて、司書の男性がはっとしたように顔をあげる。
司書の男性の肩をたたいたのは、四十代と思しき女性だった。
白髪が混じった黒髪に金の瞳のその女性は、首元までぴっちりと詰まった紫色のドレスをまとい、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。ピンと伸びた背筋からは気品を感じさせる。
「マ、マルタン公爵夫人」
(四大公爵家の公爵夫人だわ)
ルシーは突然現れた公爵夫人の姿に、慌てて腰をかがめる。
特別閲覧室は、魔塔と同様、王家と一部の高位貴族にのみ開かれた場所だ。
ここは、かろうじて公爵家だけでなく侯爵家にも開かれている。
「頭は下げなくていいわ。ただ、……今回は見逃してあげるけれど、それはだめよ」
「……はい」
「も、もも申し訳ありませんっ」
(精神干渉を使ったのが見抜かれていた)
司書の男性ではなく、ルシーへの叱責だ。
「あなたのために言っているの。魔法への興味があるようだけれど、その興味はまだとっておきなさい。もし魔塔へ来たいと思っても、来るのは……そうね、旦那様と二人だけの時間をゆっくり過ごして、子どもができて落ち着いてからがいいわ」
一般論を言われているだけなのだろう。
けれど、ルシーには──レアにはそんな時間は残されていない。
その思いが反論になって溢れてしまいそうになりぎゅっと唇をかむ。
(魔法を使ったことを見逃してもらえたことを感謝すべきなのに。私は身勝手ね)
「ルシー嬢」
顔を上げると、クレマンがルシーのすぐ脇まで来ていた。
マルタン公爵夫人は、クレマンを見上げるとにこやかにほほ笑んだ。
「お久しぶりですわね、ランベール公爵様。ご婚約おめでとうございます」
「はい、ご無沙汰しております、マルタン公爵夫人。お祝いのお言葉ありがとうございます。公爵夫人もお元気そうで何よりです」
顔見知りらしい二人は簡単な挨拶を交わし、マルタン公爵夫人は去っていった。
「何かあったのか?」
「いいえ。結婚の心得をお話しいただいただけですわ」
ルシーは目を伏せた。
「図書館の中を回るか? 見たいといっていたろう?」
ルシーは首を振る。
特別閲覧室に入れないのならば中に入る意味はない。一般の書庫はすでに通いつくしている。
「図書館は口実です。実は裏の公園の菩提樹の並木道を二人で歩きたかったんですの」
図書館の裏は公園になっていて、美しい菩提樹の並木道が続いている。
当初の計画では、青々とした菩提樹の並木道を二人で歩き、気持ちを盛り上げようとしていたのだが、とてもそんな気分にはなれなかった。
沈んだ気持ちのままでいると、くらりとめまいがしてつまずいてしまった。
「おい!」
腕を引かれて、ルシーはクレマンに抱き留められる。
ルシーは苦笑する。
気持ちは体にまで影響するらしい。
「つまずいてしまっただけですわ」
「ならいいが。……いったいどうしたんだ? らしくないな。何もしかけてこないし……いや、何かしてくれと言っているわけでは! そうではなく、その……」
(何をおっしゃりたいのかしら?)
「あ、あなたは、笑っている方が、か、かわいらしい」
言われた言葉に驚いて顔を上げる。
(旦那様が初めて私のことを……褒めて、くださった……)
気が付くと、心の奥に温かいものが湧きだしてくる。
彼は、慰めようとしてくれただけかもしれない。
けれど、どちらでもいい。
その言葉がうれしかった。
「ふふ」
春の日差しはこんなにも穏やかで温かい。
クレマンの隣も、こんなにも居心地がいい。
(落ち込むなんて無駄な時間、私には必要ないわ)
「少し思うところがあって落ち込んでいたのです。なぐさめてくださいます?」
「どうすればいい?」
「キスをしてくだされば!」
「っ、……話を聞いてやろう!」
「それでは痛めた心は回復しません」
見上げるルシーに、クレマンの表情は凍り付く。
クレマンの口元が、歯ぎしりをするように歪む。
周囲からは、クレマンににらまれたルシーが、怯えて目に涙を浮かべるような、寒々しい光景にしか見えていない。
クレマンの顔がルシーに徐々に近づいてきた。
ルシーは目をつぶった。
額にわずかなぬくもりを感じると、すぐにそれは消えてしまった。
ルシーは、クレマンと目を合わせないように顔を背け、その腕に体を預ける。
(きっと、すごい顔で頬を赤らめてらっしゃるんだわ)
見上げたら、そんなクレマンの顔が見えるに違いない。
(それはそれで楽しみだけれど、今日は許して差し上げるわ)
ルシーはそう考えると、自分が顔を上げない本当の理由には気づかないふりをした。
──自分もまた、赤くなった顔をクレマンに見せたくなかったのだと。




