6. この熱が伝わればいい
今日は両家の婚約が取り交わされる日だ。
婚約の取り交わしのために、クレマンと執事のジャンが、ヴァロワ伯爵家を訪れることになっている。
国による結婚相手の選定通知は、正式な婚約と同等の拘束力を持つ。とはいえ、婚約の詳細条件は各家で個別に取り交わされる必要があるのだ。
魔力婚姻制度が根付いて久しいこのモンテリュー王国では、魔力順位の高い女性は、爵位の高い貴族家に生まれるのが普通だ。よって婚姻時、爵位に格差が生まれることはあまりない。
クレマンのランベール公爵家とルシーのヴァロワ伯爵家のように格差のある婚姻は珍しかった。
そのような場合の救済のため、格差のある婚約においては、爵位の低い家に対し便宜を図ることが法律で義務付けられている。
これを利用して、ヴァロワ伯爵がとんでもないことを言いだすかもしれないが、ルシーにとってはどうでもいいことだ。
そんなことよりも、早く公爵夫人の座を手に入れて魔塔へと赴くこと。
それがルシーの一番の優先順位だ。
ルシーが応接室に呼ばれたときには、すでに婚約の取り交わしが済んだ後だった。
「ルシー、こちらに座りなさい」
「はい、〝お父様〟」
ヴァロワ伯爵は上機嫌で自分の脇にルシーを座らせる。
ちなみにルシーが養女であるということは秘密だ。
領地にいた病弱の娘が健康を取り戻したため王都に呼ばれた、ということになっている。
法律で養女が認められていないわけではないが、貴族の「血」でないことが知られると途端に婚家も含めて扱いが下げられるからだ。
向かいのソファに座るクレマンはというと、鉄壁の無表情だ。
いつもはにこやかなジャンも同じ様子なところを見ると、ヴァロワ伯爵がだいぶ無理を言ったのかもしれない。
ランベール公爵家は、領地に香辛料とハーブの産地を持ち、王都での大きな利権を持っている。
(ヴァロワ伯爵は流通の利権を要求したのかもしれないわね。どうでもいいけれど)
「ルシーは、この通り魔力と顔だけが取り柄の娘ですが、その分言うことをよく聞くよう育てました」
クレマンがルシーに視線を向ける。
眉毛がわずかに動いたような気がするのは気のせいに違いない。
「我が家はご存じの通りの新興貴族。こだわるような面子もありません。結婚に関する式典やその他の決まり事については、全て公爵家にお任せいたします。娘は、昼夜を問わず、何事も婚家に従うように教育してきました。公爵閣下のお好きなようにしつけていただければ、何事もすぐに上達するでしょう」
(それは夜の作法のことかしらね)
侮辱の言葉は聞きなれているが、あまりにあからさまな物言いに、ルシーは笑ってしまいたくなる。
「お望みでしたら、しつけはこちらで済ませてからお渡ししますが……」
「あなたは、父でありながら娘を何だと思っているんだ! それが親の言うことか!」
ヴァロワ伯爵の失礼な言葉を今まで黙って聞いていたクレマンは、突然たたきつけるようにそう言うと立ち上がった。
「不愉快だ。私は失礼する」
そう言うと、大股に応接室から去っていった。
「このバカ娘め! 恥をかいたではないか!」
投げつけられたグラスがルシーのそばをかすめた。
壁に当たったグラスは粉々に砕け散る。
ルシーに当てなかったのは、ルシーが商品だと知っているからだ。
「お前に骨抜きになっているのではなかったのか⁉」
「だからこそですわ。私がこの家で大切にされていないことを感じ取り腹をたてられたのではないかと」
ものは言いようだ。実際はルシーへの情ではなく、清廉潔白を地で行くクレマンには伯爵の言葉が不快だっただけだろう。
「ちっ」
「虐げられていると訴えて、早く連れ出していただけるようにいたしましょうか?」
「ぬけぬけと!」
失礼いたします、とルシーは伯爵の言葉を最後まで聞かずに部屋から外へ出た。
「旦那様!」
ルシーは、エントランスの前で、馬車に乗り込む前のクレマンを捕まえることができた。
いや、馬車にもたれて腕組みをしている様子からすると、ルシーのことを待っていたのかもしれない。
今までも冷たい表情が多かったが、こんなにも怒りをあらわにしているのを見たのは初めてのような気がする。
「いつもより怖いお顔ですわね」
「すまない。一番傷ついたのはあなただったのに。あの場に置いてきてしまった」
彼のその言葉に思わず笑みがこぼれた。
「いいえ。先ほどは、かばってもらえてうれしかったです」
「貴方は、ヴァロワ伯爵に大事にされているのかと思っていた。だからこそ、我がままにふるまっているのかと。……結婚を急いでいたのは、父君にせかされていたせいか?」
ルシーは曖昧にほほ笑んだ。
そうだと言えば彼からの印象はよくなるだろう。
だから連れ出してくれと切実に訴えれば、彼は同情からその望みを叶えてくれるかもしれない。
ルシーの目的は、レアの魔力による病の原因を探るために、一刻も早く魔塔へ行くこと。
その目的のためならば、ルシーは彼の同情を買うように動くべきだった。
けれどルシーは、なぜか彼に嘘をつきたくなかった。
「この私が? 心外ですわ。あの程度で父に屈するとでも?」
「ならば、なぜそんなに結婚を急ぐ」
「あら、申し上げたでしょう? 効率的に、ことを運びたいからですわ」
クレマンは、途端に不審げにルシーを見下ろす。
その表情にもう同情の色はない。
(これでいいわ。同情なんかしてもらわなくても、あなたを落としてみせますわ)
「結婚式を早めてくださいます?」
「いや、あの男の思惑に乗るのは癪だ」
「では、私をあの家から救い出してくださいませんか?」
「さっきと言っていることが違うだろう!」
「まあ、残念」
ルシーは、くすくすと笑いながらクレマンの手を握った。
そして、その手をそっと頬に押し当てる。
クレマンは、一瞬手に力を込めたが、その手が引き抜かれることはなかった。
何だか心がとても温かい。
ルシーは両手で包み込んだクレマンの手をそっと下におろしていき、──自分の胸にあてる。
「何をする⁉」
今度はクレマンにすごい勢いで手を引き抜かれてしまった。
「私の心の熱が伝わればいいと思ったのですが」
(本気でそう思ったのだけど)
「言葉で言えばいいだろう!」
いい雰囲気はどこかに消し飛んでしまった。
「今日はこれくらいで勘弁して差し上げますわ」
「お前はどこまで本気だかわからん!」
「あら、いつも本気ですわ」
ルシーをその場に残し、クレマンは馬車に乗り込んだ。
ふと、動きを止める。
「……本当に耐え切れないならそう言え」
ルシーは息を呑む。
軽口で返さなければならなかったのに、答えることができなかった。
ルシーの言葉を待たず、馬車は出発する。
ルシーは、その馬車が視界から消えるまで見送った。
そっと胸に手を添える。
胸の奥の温かさはいつまでも消えることはなかった。




