5. そのためにお前を買った
伯爵家の執務室で、ルシーは義父の前に立った。
茶色の髪に青い瞳、中肉中背の特徴のない容姿をした四十代のデュボワ伯爵は、その冷ややかな目だけが印象的な男だ。
値踏みをするような目でルシーを見つめる。
「今日、公爵邸に行ったそうだな。ランベール公爵には気に入られているんだろうな」
「はい、抜かりなく。今日も、私を抱き上げて馬車まで運んでくださいましたわ」
「堅物という噂の公爵も、女には弱いと見えるな」
デュボワ伯爵は口元を歪ませると、執務室の椅子に深く体を沈ませた。
「わかっているだろうな。お前の役目を」
「存じております。公爵夫人としてあの家に深く根を張り、デュボワ家に利をなすよう努めます」
「まずは公爵を篭絡して、婚姻を早めさせろ」
「はい、承知いたしました」
ルシーは再び頭を下げると、伯爵に背を向ける。
「そのためにお前を買って、役立たずのお前の妹まで治療してやっているんだからな」
思わず叫びたくなる口を閉じるために、ルシーは唇をかみしめた。
口の中に血の味がにじむ。
(だめよ。取り乱してはだめ。絶対にだめ)
この男は、人の弱さを瞬時に見抜く。そうやって家門を成長させてきたのだ。
幼かったルシーは立ち向かう術を持たず、この男にいいように利用され続けてきた。
でも、ルシーはあの時のままの幼い少女ではない。
「ええ。お義父様には、とても感謝しておりますわ」
ルシーはにっこりと笑って振り返ると、とびきり優雅に膝を折った。
「ふん」
伯爵が面白くなさそうに鼻を鳴らすのを聞き流すと、ルシーは執務室の扉を閉めた。
◇◇◇◇◇
ルシーは八歳の頃、母に連れられ妹と一緒にこの国にやってきた。
他国と国交のないこのモンテリュー王国に入るのに、母がどのような特別な手段を使ったのか今となってはわからない。
ほどなくして母は亡くなってしまったが、ルシーたち姉妹は優しい老夫婦に引き取られ幸せに過ごしていた。
けれど、ルシーの魔力の高さを示す黒髪がデュボワ伯爵の目を引いてしまう。
ルシーは伯爵家に養女として引き取られた──政略結婚の道具として。
クレマンと公爵邸での茶会を終えた翌日、ルシーは下町へと向かっていた。
朝の喧騒の中、慣れた道を通り老夫婦の営む雑貨屋を目指す。
街娘の服に着替え髪を茶色に変え、化粧もほとんど行っていないルシーは、美人ではあるがさほど目立つほどではない。
雑貨屋の裏口をノックすると「はあい」とかわいらしい声が聞こえて、思わず笑みがこぼれる。
次いで、げほげほと咳き込む音がする。
ルシーは、扉が開けられるのを待たず、慌てて中へとかけこんだ。
「レア!」
「ルシー、お姉、ちゃん。げほっ」
テーブルのそばでは、焦げ茶色のショートヘアの十歳ぐらいの少女が床にしゃがみこんでいる。
「レア、レア、大丈夫なの⁉ ベッドへ行きましょう」
背中をさすっていると、少女の咳も落ち着いてくる。
「やあだあ。そんなに心配しないで。最近よくなってきたの。今のは、お姉ちゃんが来てくれたのがうれしかったから」
心配をかけまいと無理に笑う様子が痛々しい。
ルシーとよく似た顔立ちの、赤い瞳の少女──血を分けた実の妹だ。
細い体は十歳ぐらいに見えるが、本当は十二歳だ。病は、妹の体の成長を遅らせている。
「私もずっとレアに会いたかったの」
ルシーは妹を椅子に座らせると、その髪を撫でた。
かきあげる指の隙間から、少女の〝元の〟髪色が見えてしまっている。
「色替えの魔法をかけるわね」
「うん。あ、でも、ちょっとだけ見ておきたいな。お姉ちゃんと、私の本当の色」
「わかったわ」
ルシーは、カーテンを引くと、自分の髪の色を、元の黒に戻した。
以前クレマンにも見せたことのある色替えの魔法で、髪色を明るい茶色に変えていたのだ。
「きれい」
深い、濡れ羽色の黒髪が光沢をもって波打つ。
「長くて艶があって、さらさら。私もお姉ちゃんみたいな髪だったらなあ」
「ごめんね」
「違うの! お姉ちゃんとお揃いだったらうれしいって思っただけだよっ」
レアが髪を短くしているのは、ルシーのせいなのだ。
ルシーは、レアの色替えの魔法を解くために短いこげ茶の髪に手を当てる。
少し触れるだけで、レアの髪は塗り替えられるように黒に戻った。
ルシーの髪を光沢のある濡れ羽の黒とするならば、レアの黒髪は、ルシーよりもさらに深く、重い、ぬばたまの黒だ。
(女性の髪色は、黒色が濃く、深いほどに魔力が大きいとされるから……)
五年前、ルシーは色替えの魔法をうまく使えなかったため、ヴァロワ伯爵に黒い髪色がばれて養女として連れていかれた。
当時のレアは幼く、髪色も黒くはなかった。魔力も強くない、病弱な妹まで面倒を見ることをヴァロワ伯爵は拒んだ。
(それが幸いしたわ)
今のレアの髪色を見たら、ヴァロワ伯爵はレアを放っておかないだろう。
無理矢理にでも嫁がせて、子どもを残すための道具にする。
病弱なレアがそんなことになったら、間違いなく命を縮める。
「ふふ、お姉ちゃんとお揃い!」
「そうね、私たち、そっくりね」
ルシーは、レアの隣に腰かけて、一緒に手鏡を覗き込んだ。
黒髪に赤い目の年の違う少女が二人、並んでいる。
ひとしきりその姿を楽しんだ後、ルシーは、レアの髪に指を埋める。
再び色替えの魔法を使う。
頭の中で魔法陣を描き、レアの髪を色だけに限定して変化させる。
黒の髪色は魔力の象徴。
魔力による抵抗をねじ伏せる。
レアの髪が短い理由は、長い髪だとルシーの色替えの魔術がきかないからだ。
それほどまでにレアの魔力は強い。
ヴァロワ伯爵は、その言葉通りレアを医者に見せてくれた。
そして、その結果わかったのは、レアの病の原因が「わからない」ということだけだった。
派遣された医者は、今は治療と称して栄養剤や症状の緩和のための薬を置いていくだけだ。
(レアの病の原因はおそらく、魔力過多による、感覚失調、臓器不全、機能障害──母と同じ症状だわ)
貴族の暮らしをさせてもらえるようになり、ルシーは魔力に関することを必死で勉強した。
けれど、わかったのは、魔法に関する情報は王家と魔塔のみに独占されており、貴族ですらほとんど何も知らないという事実だった。
医者にわからなかったのは、貴族にすら秘された魔力に関する病だからだ。
この国では、ルシーが母から教わっていた、色替えの魔法を含む簡単な魔法ですら公にされていないのだ。
(もしかしたら、魔力に関する何かが決定的に違うかもしれない。あるいは、国外から来た私とレアは、何か体質が違うのかも)
せめて知識のある大人の親戚がいれば、と思うが、ルシーとレアにはこの国で頼れる身内は、今は誰もいないのだ。
ある人を思い浮かべてルシーは首を降る。
もう、あの人は生きているのかすらわからない。
(目の前にない可能性にすがるのは無駄でしかないわ)
「さあ、きれいなこげ茶色になったわ」
「あ、さらさら。ありがとう」
ルシーは、レアの髪の色替えを終えた。自分の髪も同じ色へと変化させる。
「今度もお揃いだね」
「ええ」
「ふふっ、げほっ」
再び咳き込むレアの背を慌てて撫でる。
(レアの魔力はどんどん大きくなってきている。全然大丈夫なんかじゃないのよ)
女性の魔力は、十代後半まで成長を続けるのだ。
そして、レアの病に関して調べる術は魔塔にしかない。
(早く公爵夫人になって、魔塔へ出入りできる権利を手に入れるの)
ルシーには、いや、レアには時間がないのだ。




