4. 抱いてください
この日、ルシーは初めて公爵家に正式に招待された。
公爵邸は、花が咲き乱れる美しい中庭を季節ごとに楽しめる造りになっている。
今は春の庭が見ごろだということで、そちらに案内された。
庭園には黄色いミモザの花が咲き乱れ、柑橘系のさわやかな香りがほのかに香る。
ルシーとクレマンはその春の庭を連れ立って歩いていた。
「美しい庭園ですね。ミモザの香りがすがすがしいですわ」
「ああ、庭師が丹精込めて作っているからな」
しかし、語り合うことによってお互い信頼関係を築く、というにはほど遠い。
クレマンは警戒しているのが丸わかりで会話も弾まない。
(先日の件があるから仕方ないけれど、それでは前に進めないわ)
ルシーは足を止めるとクレマンの顔を見上げた。
「もう、旦那様はおっしゃっていることとやっていることが全然違いますのね。信頼と愛情はゆっくりと育まれるとおっしゃいますが、全然お話ししてくださらないですし」
「始めから台無しにしたのはあなただと思うが?」
「まあ、それはそうですわね」
ルシーは、硬い声で返すクレマンに同意する。
「ですから、私から、信頼の証に秘密を一つ打ち明けます。使用人を下がらせていただけますか?」
クレマンは眉を顰めたが、片手をあげて使用人に合図を送りルシーの言うとおりにした。
「父も知らない秘密です。……私、実は魔法が使えるんです」
「それは……」
「しいっ」
ルシーは人差し指でクレマンの唇に軽く触れて言葉を封じた。
魔法は特別なものだ。
魔力を持つ者はいるとはいえ、その〝使い方〟である魔法は一般には秘されている。使うことを許されるのは魔塔のみ。
そして、魔塔が開かれるのは王家と四大公爵家の女性のみ、という制限までつく。
──だから、魔法は本来ルシーが〝使えてはいけない〟ものなのだ。
「私の得意な魔法をお見せしますわね……秘密ですのよ?」
ルシーは、クレマンに背を向けると、咲き乱れるミモザへと近づく。
目の高さの枝の一房に手を添え、魔法を使う。
手の平の黄色いミモザが、ほんのりと光り、淡い、ピンクへと色を変える。
クレマンは声もなく、その神秘に見入った。
「本当は、もっとたくさんのことができるはずです。しかし、魔法について学ぶことは、王家と魔塔にしか許されておりません。私には力があるのに、使う術がない。歯がゆいですわ」
「あなたは、魔法に興味があるのか?」
「おかしなことをおっしゃいますのね。当然ですわ。だって、貴族女性は、魔力だけでその価値を決められてきましたのよ。逆に言えば、魔力以外は価値がないと言われているようなものですもの。自分の唯一の価値。そこに興味を持つのは当然のことでしょう?」
ルシーは、クレマンの顔が曇ったのに気づく。
(この話題は好まれないようね)
ルシーは、気持ちを切り替えるようにクレマンの方を見上げて話題を変えた。
クレマンの腕に腕を絡ませる。
「前公爵閣下は、領地からこちらにはいらっしゃることはありませんの? 私、ご挨拶したいですわ」
「父は、母が亡くなって以来ここには来ない」
「ならば、私が領地へご挨拶に伺いますわ」
「そうだな。それがいいだろう」
「そうそう、旦那様には、騎士団のお話を聞かせていただこうと思っていたんですの! こんな逸話がありますけれど、本当なんですの?」
その後は、気を許したクレマンがいろいろと話をしてくれ、二人の距離は少しずつ縮まっていった。
(そろそろいいかしら)
話がはずみ、クレマンの硬さもほぐれてきたところを見計らって、ルシーは行動に移すことにした。
前回の訪問時、執事のジャンに庭を案内してもらって、下調べも十分だ。
ルシーは、クレマンの腕にかけていた手をするりと抜き取ると、一歩後ろへと下がった。
春にふさわしい淡いピンク色のドレスが、ルシーの動きに合わせて軽やかに揺れる。
「旦那様。お願いがございますの」
ルシーは、ドレスのすそを持ち上げた。
「な、いきなり何をっ」
「おわかりでしょう? よく見てくださいませ」
「いや、しかし、だが、」
女性が足を見せるのは、非常にはしたない行為だ。
ましてや素足など。
クレマンは、顔を赤らめ、腕で顔を覆っているが、覆いきれていない。
ルシーは、ドレスを膝まで持ち上げると、履いていたヒールの靴のかかとだけを脱ぎ、えいっと、足を蹴り上げた。
ぽーん、と足の動きに合わせて、ルシーの靴が放物線を描いて池の真ん中へ飛んでいく。
続けてもう片方も。
ぽちゃり、ぽちゃりと池に靴が落ちる音が響いた。
「練習した甲斐がありましたわ!」
「は?」
唖然とするクレマンに、ルシーはにっこりとほほ笑みかける。
「旦那様、どうしましょう。私、靴を池に落としてしまいましたわ」
ドレスの裾から再び白い素足をクレマンに見せると、クレマンは慌てて顔を背けた。
「落としたとは言わんだろう! それに練習とはなんだ!」
「あら、私そんなこと言ってまして?」
ルシーは、そのまま芝生の上に、すとんと座り込んだ。
「何を考えているんだ⁉ 理解できん」
クレマンはそう言いながらも上着を脱いで池に靴をとりに行く準備をしている。
(まあ、紳士ですのね。でも、私はあなたを水で濡らしたいわけではありませんの。まあ、それはそれで素敵でしょうけれど)
筋肉質の体に濡れたシャツが張り付いた姿は、それはそれで楽しめそうだ。
でも、今ではない。
「旦那様は、私に濡れた靴を履かせるおつもりですの? それも、素足のままの私を、こんなところに放置なさって?」
「うっ、ではどうしろと」
ルシーは、にっこり笑うとクレマンに向かって両手を伸ばした。
「……いったい何がしたい」
「まあ、おわかりでしょう? 抱いてくださいませ」
「なっ……!」
「間違えましたわ。抱き上げてくださいませ」
「あなたはっ」
クレマンの頬が赤く染まる。
「早くしてくださらないと、私の足を、公爵家の使用人たちにまたさらすことになりますわ。旦那様にならいくらでも構いませんが、さすがの私でも使用人たちにはちょっと……」
背後にちらりと目をやると、ルシーの靴に気づいた使用人たちが池の縁に小舟を浮かべようとしているのが見える。
自らに向かって真っすぐに伸ばされた両腕を見つめ、クレマンは、ハアっと大きくため息をついた。
ルシーに近づくと、ひざまずき、先ほど脱いだ上着でルシーの足元を覆うようにくるむ。
「まあ、紳士ですのね」
「当たり前だ」
クレマンの左手がルシーの背中に、右腕がルシーの膝裏に回される。
そのまま、クレマンはルシーを危なげなく持ち上げた。
安定感は抜群だったが、ルシーは、きゃっと声をあげ、わざとらしくクレマンの首に腕を回す。
「こうすると安心しますわね」
わざと胸を押し付け、首に吐息をかけるようにささやく。
途端にクレマンの体勢が崩れ、ルシーは本気でクレマンにしがみついてしまった。
「うぐっ。あなたはっ!」
「ふふっ。ねえ旦那様。私、疲れてしまいましたわ。それに恥ずかしくて使用人にあわせる顔もありません。このまま、馬車に連れていってくださいませんこと?」
クレマンもいっぱいいっぱいだったのだろう。
何も言わずルシーの申し出を承諾して、馬車へと送ってくれたのだった。
帰りの馬車でルシーと二人きりになると、侍女のアメリが恨めしそうな顔でルシーを見上げる。
「お嬢様が靴を飛ばす練習をし始めた時は、また何をやらかすのかと思ってひやひやしていましたが、公爵閣下が寛大な方でよかったです」
「今回も、なかなかうまくいったわね」
「もう、こういうのやめましょうよう。心臓がいくつあってもたりません。冷徹堅物騎士団長が、怒り狂ってお嬢様に何かしでかすんじゃないかと、私はもう、気が気じゃなくってっ」
「心配しすぎよ」
(あの方、全然冷徹ではないもの)
最後にしがみついた時に、シャツと首筋に口紅の跡をしっかりつけておいた。
きっと今頃、使用人の前で恥ずかしい思いをしているだろう。
ルシーは、クレマンの困る顔を想像してくすくすと笑った。
けれど、その日は、楽しい気分では終われなかった。
「ルシーお嬢様、伯爵様がお呼びです」
邸に着いたルシーを待っていたのは、父である伯爵からの呼び出しだった。
「お嬢様」
「大丈夫よ、アメリ」
ルシーは不安そうなアメリをなだめると、一人で伯爵の執務室に向かう。
扉をノックし、中に入ると丁寧な淑女の礼をとる。
「ただいま戻りました、〝お義父様〟」
デュボワ伯爵は、冷ややかな瞳で養女である娘を見下ろした。




