3. やってしまった方が早いのに
クレマンを押し倒すところまでは計画通りだ。
ルシーの精神干渉の魔法では、大したことはできない。
香を使い、驚かせ、精神的に無防備な状態にしてやっと気持ちの後押しをする──その程度だ。
でも、それで十分だ。
(いざ始めてしまえば、止められないものなんでしょう? 男って)
何を考えているかわからない、いつも周りをにらんでいる、冷徹で堅物の王国騎士団長──それが世間でのクレマンの評判だ。
けれど、それがただの噂に過ぎないということは、今の彼の様子を見ているだけでもわかる。
にらみつけるようにルシーを見ているけれど、怒っているわけではないようだ。
ここまでの会話とルシーの指に反応する様子から察するに、きっとどうしようかと内心慌てているに違いない。
(なんだか、大型犬みたいね)
ルシーは、クレマンの首から胸に手を滑らせると、体を重ねるように覆いかぶさる。
初めて顔をまじまじと見つめると、思いのほかきれいな顔をしていることに気づく。
(あら、おでこのしわをどうにかしたら、かなり魅力的になるのではなくて?)
指でしかめた眉の間のしわを伸ばしたくなってしまって手を伸ばしたところ、ルシーの手が、パシッとつかまれ、体が反転した。
「待て。黙って言い分を聞いていれば、なんだそれは!」
どうやらルシーの精神干渉はもう解けてしまったらしい。
公爵家の人間なのだから、潜在的な魔法力は高いのだろう。魔法力の高い相手には、ルシーの精神干渉はさらに効かない。
クレマンの瞳には、はっきりとした意志が宿っている。
(残念)
「言葉の通り、効率的に結婚生活を進めるための方法ですわ」
「お前がそうしたいのはわかった。しかし、一方的すぎるだろう。俺はそんなことを望んでいない」
ルシーは正直驚いた。
「まあ、そんな男性がいらっしゃるだなんて」
「むしろなんだ。その男への偏見は!」
「では、旦那様はどんな結婚生活を望んでいらっしゃるの?」
「……俺が望むのは、温かい家庭だ。一緒に時を過ごすうちに、信頼と愛情はゆっくりと育まれるはずだ。ゆっくりと自分たちのペースで培っていければ、よいと思っている」
ルシーから目をそらしながらクレマンはぼそぼそとつぶやく。
(ゆっくりって二回も言ったわ)
頬が赤いのもきっと気のせいではないだろう。
「まあ、そんなこと考えている間にさっさとやってしまった方が早いですのに」
「なんであいつと同じことを言うんだ⁉」
「まあ、同じことをおっしゃった方がいらっしゃいまして? その方とは気が合いそうですわ」
「勘弁してくれ」
クレマンは、ルシーを押さえているのとは別の手で頭が痛いというように、額を拳で押さえた。
(そろそろ、かしら)
ルシーは、扉の方にちらりと視線をやった。
「それより、積極的ですわね。旦那様」
「積極的?」
ルシーは、にこりとほほ笑む。
その瞬間、扉が開いた。
「きゃあ、公爵様っ! お嬢様に何をするんですかあっ」
開けた扉の向こうから、ルシーの忠実な侍女アメリが〝予定通り〟大声を上げてくれる。
(ナイスね、アメリ。お給料を上乗せしてあげるわ)
扉の向こうから部屋の中を覗き込んだ面々には、ベッドの上でルシーを押し倒しているクレマンがしっかり見えているはずだ。
ちなみにクレマンが会話に集中しているうちに、ルシーは、ドレスをめくり、しっかりと足をはだけさせておいた。
「坊ちゃま、じいは見損ないましたっ」
「いや、ジャン! これは違うっ」
慌てふためくクレマンは、キッとルシーの方をにらんでくる。
(残念ながら、もうあまり怖くはないわね)
「あの、こうなった以上、結婚を早めていただかないと。お父様になんと言い訳したらよいか……」
「お嬢様っ、なんておいたわしい」
「デュボワ嬢っ」
「はい、出来得る限りご結婚を早めるよう手配いたします」
「おい、ジャン、勝手に話を進めるな! 俺の話を聞け!」
結局、クレマンは使用人たちに厳重に口止めを行い、残念ながら寝室での一件はなかったことになってしまった。
(まあ、貸しを作っておくのもいいわね)
あまり強引に行きすぎてもいらぬ軋轢を生むだけだ。
ルシーもここで引き下がることにする。
「デュボワ嬢」
「ルシーとお呼びください、旦那様」
帰り際、クレマンにエスコートされ、ルシーは馬車に向かった。
クレマンはずっと苦虫を嚙み潰したような顔で殺気をまき散らしており、周りの使用人たちはいつ妖精姫が泣き出すかとハラハラしているのが感じ取れる。
「呼んでくださらないと、泣いたふりをしますわよ」
「……ルシー嬢」
「はい、旦那様」
「……俺はまだ旦那ではない」
クレマンの不満をルシーは、妖精のような笑みで受け流す。
「ふふ、どうにか、落ち着くところに落ち着きましたわね」
「……不本意だが」
あの後、すぐに結婚したいルシーと、ゆっくり事を進めたいクレマンとの攻防は、いったん決着がついた。
結婚までの手順について、クレマンが、「手紙のやり取りから始めて、少なくとも茶会を含むデートを二十回はして、公爵家での行儀見習い期間一年を終えてからでないといけない」というのに対し、ルシーはそれを半分まで縮めさせた。
(まあ、もちろん守るつもりはないけれど)
言葉が途切れたので顔を上げると、クレマンはルシーの横顔を見つめていた。
「先ほどは話がうやむやになってしまったが、あなたは、なぜそんなにも結婚を急ぐんだ?」
「さあ、どうしてだと思われます?」
ルシーは、クレマンに逆に問い返す。
「結婚後、義務を果たした後の自由恋愛を望んでいるのか?」
自由恋愛──魔力婚姻法に縛られたこの国の貴族は、自由な結婚が許されない。それゆえ、魔力婚の一番の目的である「血を継ぐ(つなぐ)」という役目を果たした後は、自由恋愛に興じる貴族が多い。
魔力婚に引き裂かれ、けれど平民になるという選択肢をとれない者たちの、行きつく先でもある。
「ふふ、それも……あ」
不意に立ち眩みを起こし、バランスを崩してルシーはよろけてしまった。
クレマンが抱きとめ、事なきを得る。
「お嬢様、お疲れですか⁉」
「そうね、今日は疲れてしまったみたいだわ」
慌てて駆け寄ってくるアメリの支えも受けて、ルシーは馬車へと乗り込んだ。
「それではまた一週間後に伺いますわ」
「……ああ」
扉が閉まると、馬車は動き出す。
「結婚を急ぐ理由……そうね、私にはあまり時間がないのよ」
窓の外に向かってつぶやくルシーの声は、アメリにすら届かなかった。




