2. 身を任せてくださいませ
本日、クレマン・ランベールの結婚相手が決まった。
魔力婚制度により、今年二十を迎える貴族男性には、もれなく王家の印章が押された結婚相手の選定通知が届く。
仕事場である王国騎士団の執務室でそれを受け取ったクレマンは、その紫色のカードを閉じたり開いたりしながら、はあっと大きなため息をついた。
そばで控えていた副官のエリックが首をかしげる。
大柄な筋肉質の骨格に、赤毛の短髪、整った顔立ちを目つきの悪さで台無しにしている騎士団髄一の強面騎士団長は、時々つまらないことで落ち込む。
これは幼なじみであるエリックだけが知る秘密なのだが、今回ばかりはその理由がわからなかった。
「なあ、なんでため息なんてついてるわけ? お前の相手は社交界の華、宵闇の妖精のルシー嬢だぜ。儚げな容姿と見せかけて、実は豊満な体の、男どもの誰もがお近づきになりたがってるあの彼女だぜ」
「お前! そんな目で彼女を見ていたのか⁉」
「いや、そこ食いつくなよ、一般論だって。俺がかみさんにしか興味ないの知ってるだろ! ってか顔! 怖いから!」
愛する彼女と添い遂げるために、侯爵家の次男という地位を捨てて平民になることを選んだのがエリックだ。
「やはり俺の顔は怖いのか……」
「そんなの今更だろ。俺にはお前がさっきから何を悩んでるのかさっぱりだよ!」
身分の高いクレマンにこんな風に軽口を叩けるのは、副官でもあり、幼い頃からの親友のエリックだけだ。
ただし、このような会話は執務室の中に限定される。
「……俺は、教会の教えにあるように、結婚とはお互いの信頼と愛情に基づき、積み重ね、培っていくものだと思っている。愛のない魔力婚姻法から始まった関係でも、お互いに心を開くことによって、愛情が生まれ、幸せな家庭を築くことができるのではないかと思っている」
「いや、やっちまった方が早いだろ」
「お前と一緒にするな!」
「うわっ、冗談だってば! お前、間違っても、妖精姫の前でそんな顔すんなよ」
「ぐっ」
自分の顔が怖いことを指摘され、クレマンは地味に落ち込んでいる。
体の大きなクレマンが少しでも恐ろしい顔をしようものならば、妖精姫ともいわれる彼女は怯えてしまうに違いない。
特に、クレマンとルシーは身分の違いもあり、今までほとんど接点がない。
クレマンのことを噂通りの冷徹で自他に厳しい堅物騎士団長だと思っているに違いないのだから。
「……だから、信頼を積み重ねるには時間が必要だと思っている」
「まあ、そうかもな。そばにいて、まずはお前の顔に慣れてもらうことから始めるしかないだろうなあ」
その時だった。ノックが響き、ランベール邸からの使者がやってきたのは。
「クレマン様、お邸にデュボワ家のルシー様がいらっしゃっております」
◇◇◇◇◇
クレマンは、なぜこんなにも急いで彼女がやってきたのかいぶかしみながら、慌てて公爵邸へと帰宅する。
いやな予感が脳裏を駆け巡る。
(もしかして、俺の顔の怖さや評判を聞いて、一緒にやっていけないと断りに来たのか? それとも、他に想う者がいたとか)
いずれにしても、その結果は女性の人生に多大な影響を及ぼす。王命を断るわけだから、修道院行きやら貴族籍を抜けるやら、大事にするしかない事案だ。
(いや、まだわからない。怯えているようなら彼女を説得する。怖がらせないように、優しく、彼女の心を動かすように)
クレマンは、魔力婚姻法で決められた相手が誰であろうと受け入れるつもりだったし、誰だろうと、粘り強く信頼関係を築いていこうと思っていた。
(それに使用人たちにも申し訳ない)
将来の公爵夫人のために、ランベール家では、当主の私室に隣接する公爵夫人の部屋を早くから整えていた。
今年十七になる令嬢の中では、ルシー・デュボワ伯爵令嬢が随一の魔力持ちと言われていた。
使用人たちは宵闇の妖精と言われる彼女がランベール家に来ることを期待して、ジャンを筆頭に様々なシミュレーションをこなしていたのだ。
クレマンは、彼女がいるという公爵夫人の私室──その隣の共用寝室に向かって急いだ。
扉はわずかに空いている。
ふと、よい香りがして思わず扉に手をかけた。
ノックをしなければと思いながらも、止めることができず、そのままの勢いで扉を開け放つ。
窓からの光を背にこちらを見つめる彼女は、にこりとほほ笑むと優雅にドレスの裾を翻した。
「おかえりなさいませ、旦那様」
淡い光に縁どられた黒髪は美しく輝き、結い上げた黒髪の首筋にかかるおくれ毛はなまめかしい。
強調された胸の谷間は、なめらかな曲線を描いて視線をさらう。
クレマンは、はっとして自分が犯した無礼を詫びる。
「……ノックもせずに部屋に入ってしまい申し訳なかった。クレマン・ランベールだ」
「ルシー・デュボワですわ。旦那様」
クレマンは、慌ててルシーの胸元から目をそらす。
部屋の隅に控えていたジャンの視線が痛い。
「お約束もなしにぶしつけな来訪をしたこと、非常に申し訳なく思っております。まずはお詫び申し上げますわ」
「いや、驚いたが、きっと理由があったのだろう」
「……はい。お話ししたいことが。すみませんが人払いをお願いしても?」
未婚の男女という立場上、二人きりになるべきではないが、二人は結婚を前提にした関係だ。あの紫の通知は、婚約と同等の意味を持つ。
(二人きりになってもいいということは、この婚姻を断ろうということではないはずだ)
クレマンは、そう思うことで希望を見出し、ジャンと、数人の使用人に外へ出るよう合図した。ルシーが連れてきたと思しき見慣れない侍女も外へ出る。
「お座りになりませんか?」
ルシーはいつの間にかベッドの端に腰かけていた。
(なぜそこへ座る⁉)
「さっきお水をこぼしてしまいましたの。こちらでもよろしくて?」
確かに私室にある椅子には、花瓶の水がこぼれている。
仕方なくベッドの端に彼女と距離をあけて座ることにする。
怖がらせたくない。
「なぜ、そんなに離れて座りますの?」
「俺のような大男がそばに座ったら、女性は恐ろしいのではないか?」
「恐ろしいことをなさるのですか?」
「いや、しない! 断じてない」
「では、よろしいのではなくて?」
そういうと、ルシーは、クレマンのすぐ隣に座り直す。
服が触れ合う。
(近すぎるだろう!)
ルシーの赤い瞳にのぞき込まれて、クレマンはとっさに顔を背けた。
「どうして顔をそらしますの?」
「いや。俺の顔は、女性を怖がらせてしまうから」
何もしていなくてもにらみつけていると言われるクレマンだ。
妖精と言われ、蝶よ花よと育てられた伯爵令嬢は、自分のような人間に免疫がないに違いない。
それ以外にもあらぬところが気になりかけて、クレマンは、なるべくルシーの方を見ないように目をそらす。
「この結婚は、あなたには不本意かもしれない。しかし、お互いに少しずつ慣れていければと思っている。歩み寄り、努力することで結婚生活をよりよくしていかないか?」
「いいえ。そんなに努力する必要なんてありませんわ」
「それはどういう……?」
「旦那様、私、常々思っていることがありますの。魔力婚とは、なんて効率的な素晴らしい制度だろうと」
「……は?」
「だって、魔力婚姻法がなかったら、庶民のように自分か親が結婚相手を探さなければなりません。その手間たるや、膨大なものです。それを費やさずに面倒な結婚までの過程を決めてもらえるんですよ」
(今、面倒とか言ったか?)
「こんなに効率的にできている制度なんですから、活用しない手はありません」
ルシーは、クレマンの胸に手を添えた。赤い瞳が、のぞき込むようにクレマンの瞳を見つめる。
その目をそらせない。
「身を任せてくださいませ」
ルシーの手に押されると、クレマンの体は、どさりとベッドに倒れこんだ。
(自分のような大男が、華奢な彼女の力で?)
しかし、なぜ、と考えている時間はなかった。
ルシーは、ドレスの裾を持ち上げると、ベッドの上で膝立ちになり、倒れこんだクレマンの上にまたがる。
「本気か?」
「ええ、もちろん」
娼館には行ったことがある。この行為がなんだかわからないほど子どもではない。
しかし、これはなんというか、違う。
違うとは思うが、深く考えられない。
「努力なんて必要ないのです。ただ、流れに身を任せれば」
「……結婚前だぞ」
「存じておりますわ」
「一年間は婚約期間を置くのが普通だ」
「それでは長すぎると思いませんこと? 子どもができれば婚姻を早められます。早くに貴族としての義務を果たすこともできますし、一石二鳥ですわ」
「何をふざけたことを」
「お互いのためにも、これは理にかなったことなのです」
ルシーは妖艶にほほ笑んだ。
「ですから、効率的にいきましょう、旦那様?」




