1. 効率的にいきましょう
「本気か?」
「ええ、もちろん」
苛立ちをにじませた男の声に、ルシーはゆっくりと、余裕すら感じさせる口調で答えた。誰もが聞き入らずにはいられない、甘美で魅力的な声だ。
ほほ笑んで男を見下ろすと、彼女の光沢のあるつややかな黒髪がさらさらと男の上に零れ落ちた。
魔力の大きさを示す濡れ羽色の髪と対照的な白い肌。赤い唇に赤い瞳。それを彩る不敵な笑みが、宵闇の妖精と言われるルシーの妖しい魅力を際立たせる。
モンテリュー王国。
王家に次ぐ名家であるランベール公爵家。
ルシーはその当主夫妻の私室で、自分が見下ろしているこの部屋の主の頬に、つっと指先を滑らせる。──正確には、自分がまたがってベッドに押し倒している、だが。
(モンテリュー王国騎士団髄一の強面騎士団長が女性に押し倒されているだなんて、王都中の誰に言っても信じないわね)
騎士服に身を包んだ短い赤髪のその男──騎士団長クレマン・ランベールは、エメラルドグリーンの鋭い目でルシーをにらみつけた。
ルシーは、動じることなく指先の下でピクリと震えるクレマンの首筋の感触を楽しんだ。
きしりとベッドをきしませ、彼の顔の脇に手をつく。
「結婚前だぞ」
「存じておりますわ」
「一年間は婚約期間を置くのが普通だ」
「それでは長すぎると思いませんこと? 子どもができれば婚姻を早められます。早くに貴族としての義務を果たすこともできますし、一石二鳥ですわ」
「何をふざけたことを」
「私、大真面目ですわ。お互いのためにも、これは理にかなったことではなくて?」
ルシーはゆっくりと彼の上に体を落とす。
「ですから、効率的にいきましょう、旦那様?」
触れ合わんばかりに近づいた唇から、お互いのこぼれた吐息が重なった──。
◇◇◇◇◇
王国貴族の魔力強化のための婚姻法──通称魔力婚姻法。
古くから名前を変えながら連綿と守られてきた、モンテリュー王国の婚姻に関する法である。
男性は二十歳、女性は十七歳になると、男性は爵位が高い順に、女性は魔力が高い順に婚約者が国によって決められる。
男女ともに貴族に限定した法である。
モンテリュー王国は魔力による守護を国の要とし、魔力の高さを畏敬の対象としてきた魔力至上主義の国である。
魔力は血縁に受け継がれる性質があるために、王侯貴族がその威信を維持するために打ち出した法律だ。
「予想通りね」
伯爵令嬢のルシー・デュボワは、邸の自室で結婚相手の選定通知に目を走らせると、面白くなさそうにそれを机の上に放った。
金箔で縁どられた紫色のカードには、ルシーの名前とクレマン・ランベール公爵の名前が書かれている。
今頃相手の手元にも同じものが届いているはずだ。
「お嬢様は、今年一番の魔力の持ち主ですから、公爵家との婚姻は当然です! ああ、今年はなんで王子殿下がいらっしゃらないんでしょう! いらっしゃれば、ルシーお嬢様が絶対にお妃に選ばれたのに!」
「ありもしないことに無駄な時間を使うものではないわ、アメリ」
ルシーの結婚相手となる今年二十を迎える男性に、王族がいないのはずっと前からわかっていたことだ。ルシーは悔しがる侍女をなだめると、肩にかかる黒髪を後ろに払った。
「それよりも、計画通りに行くわよ」
「え。あの……まさか、本当に実行されるんですか?」
「当然よ、早速準備をお願い」
先ほどとは打って変わって、死人を見たような顔で固まる侍女に、ルシーは、挑戦的ともとれる不敵な笑みを向けるのだった。
ルシーは、馬車の窓に映る自分の姿にほれぼれと見入った。
アメリによってとびきりの美女に仕上がっている。
黒髪が映える深い緑色のドレスをまとった姿は品よく整い、軽く結い上げた髪からのおくれ毛が、物憂げな美女の印象を強くしている。胸元のスリットも絶妙な開き具合に調整されている。
「いつもながらにアメリの腕は素晴らしいわね」
「そう思うならやめましょうっ、お嬢様っ。私が必死に作った妖精姫のイメージ戦略がっ」
「ほら、公爵家が見えてきたわ」
「お嬢様ぁ」
もちろんアメリの涙声は華麗に無視された。
約束もなしに訪れた公爵邸では馬車が一度止められたが、紫色のカードを見せると、すぐに執事がルシーの案内にやってきた。
五十代と思しき執事は、丁寧にルシーに応対する。
「未来の奥様に主より先にご挨拶できること、光栄でございます。私は当家の執事を務めておりますジャン・ローランと申します。ジャンとお呼びください」
「ええ。よろしくね、ジャン」
「主には使いを出しました。使者が戻るまでの間、私が邸をご案内いたします」
「ありがとう」
クレマン・ランベールが騎士団の訓練中なのは、知っている。
先触れも出さずに訪れたのは、クレマンの出鼻をくじいて強引にことを進めるためだ。
(それにしても、さすが公爵家の面々ね。私が突然訪れたのに、落ち着いたものだわ)
いささか強引に邸を訪れたルシーに対し、ジャンもその他の使用人も隙のない対応だ。
案内ルートが、あらかじめ決められていたかのような卒のなさだ。
ジャンは、ルシーを歴代の当主夫妻の肖像画が飾られた回廊へと案内する。回廊には歴代の公爵夫妻の絵姿がずらりと並んでおり、建国前より続く名門公爵家の歴史を物語っている。
「公爵夫人の中には、魔塔とかかわりを持たれた方も多かったのよね」
「はい。魔塔は、王家と四大公爵家のみに開かれた場所ですから。クレマン様の母君も魔塔に通われておりました。お早くお亡くなりになられましたが」
「そう、いろいろ教えていただきたかったのに、残念だわ」
この国の要となる魔力による国防を、結界維持という方法で一手に担っているのが魔塔だ。さらには、魔塔は限られた高位貴族の、それも女性しか入ることができない。
ルシーとしては、魔塔について、この公爵家の家政について、両方の意味で師となる公爵夫人に教えを乞えないのはとても残念だった。
その後は邸を見て回り、テラスに通されてお茶をふるまわれる。
その間ずっと執事がついて回った。
この家には、留守を預かる主人がいないのだ。
クレマンの母はずっと前に亡くなっているし、父は一人息子に家督を譲って領地へ移って久しい。
結婚前とはいえ、ルシーは国に決められた婚約者だ。次代の公爵夫人になることは確定事項だと言って良い。
すなわち、この家には、ルシーを止める者はいない。
クレマンがあと三十分ほどで到着すると連絡を受けた時、ルシーは行動を起こすことにした。
「ねえ、ジャン。もう私の部屋は整えてあるんでしょう?」
「もちろんです。本日魔力婚姻法により、ご婚約者が決まることは存じ上げておりましたから」
ルシーはにこりとほほ笑む。
「部屋を見たいわ。案内してくれる?」
「もちろんでございます」
ルシーの無礼な物言いにも、ジャンは恭しい態度を崩さなかった。
「やっぱりやめましょうよう、お嬢様」と目で訴えるアメリを無視して、ルシーはジャンについて、公爵夫人の私室を訪れる。
壁にかかる美しいタペストリー、精緻な彫りの施された書斎机やスツール、暖炉に鏡など、公爵夫人の私室は品のいい調度品で埋め尽くされていた。
公爵夫人の私室の隣には、夫婦の共用寝室があり、その奥には、当主の私室がある。夫婦の寝室も、調度品の数は少ないが、とても落ち着く作りだった。
ベッドがやたら大きいのは気になったが。
「まあ、素敵なお部屋ね」
お世辞抜きにそう言うと、ジャンもうれしそうに微笑む。
「奥様にお気に召していただけて光栄にございます。他にもご入用なものがありましたら何なりとお申し付けください」
ルシーが窓際の椅子に座り外を眺めていると、正門から続く道を馬で駆け抜ける人影が見える。
やがて、ざわめきと共に、乱暴な長靴の音が、廊下に荒く響く。
当の主人の方は、ルシーの突然の来訪に使用人ほど落ち着いてはいられないらしい。
バタン、と勢いよく開いた扉の先に向かって、ルシーは淑女の礼をする。
「おかえりなさいませ、旦那様」
顔を上げた先には、クレマン・ランベール。
ルシーの未来の夫がいた。




