667話 当主の葛藤
ユマ先輩曰く、地方都市『ミスカトーナ』や公都『クロイセン』はアイオネスト王国の東寄りに位置し、ここよりさらに東はエルフ達の住処――『フィニーケ大静森』が広がっていて、まったくと言っていいほど人間や獣人は住んでいないらしい。
古くから禁足地としてエルフ以外の出入りが制限され、侵せば容赦なく殺される。
そんな深い森の内部も気になるが、まずは少しでもステータスを戻すべく、強くなれる可能性の高い場所へ向かいたい。
その想いでマッピングを進めつつ、アイオネスト王国の西部にあるというSランク狩場――『タイドウ雪原』を目指して空を飛ぶ。
「はぁ……ここはだいぶ冷えるな……」
まだ冬までもう少し時間が掛かると思っていたのに、空気は突き刺すように冷たく、山間部はもう雪化粧に覆われていた。
▽ ▼ ▽ ▼ ▽
ロキがアイオネスト王国の西部に向かって数日後、公都『クロイセン』に到着したユマ一行は休む間もなく当主リエンへの報告に追われていた。
と言ってもグリフォード家の悲願ともいえる望みが叶ったのだ。
ユマ自身はそれを苦だとは思っておらず、どのような内容が書かれていたのか。
その優れた記憶力で非公開書物の中身について語り、リエンも時折質問を交えながら満足気な様子で聞き入っていた。
そうしてユマが自室へ戻ったあと、その場に残った一人の男――警護隊長としてユマに同行していた第二騎士団長のジャンダルムが口を開く。
「リエン様、私からもご報告を」
するとリエンは先ほどまで孫娘に向けていた愛情豊かな表情とはまったく違う、能面に近い顔つきでジャンダルムを見つめた。
「案の定ユマお嬢様は報告をされませんでしたので……こちらが第五の異世界人ロキが手掛ける町、ベザートについて纏めた報告書になります」
言いながら束になった羊皮紙を渡すと、暫く無言でその中身に目を通していたリエンが、数枚捲ったところでぼそりと呟く。
「いくらかは国から情報が回ってきていましたが、水洗便所に農地まで通された下水管と処理施設、それに自動洗濯場……? 聞いたことがないモノもだいぶ多いですね……」
「はい。それらはロキ王が深く係り、我らが滞在中も派手な実験を繰り返していた『新奇開発所』なる場所で生み出されているということですから、まず異世界人特有の知識かと。住民への聞き込みにより、用途や使い方が判明しているモノは一通りそちらに記しております」
「この横にある印は?」
「我が国で模造できるかどうか、ですね。あくまで私見になりますが、造りが単純明快で再現できそうなモノには印を、商業ギルドを通して技術や構造に関する情報提供を受けなければ難しそうなモノは無印としております」
「……」
「しかも驚くべきは、その手の開発物だけにございません」
続くこの男の言葉に、難しい顔をして報告書を眺めていたリエンは顔を上げる。
「町の中には多様な獣人だけでなく、ドワーフやかなり高位であろうエルフも存在しており、さらには魚人と思われる尾ひれの付いた者達も水辺に住み着き、釣り堀という娯楽場や併設された飲食店で働きながら他種族と共存しておりました」
「周囲に海などない大陸中央の国が、魚人……? 見世物の奴隷として、ということですか?」
「いえ、どうやら魚人種はロキ王と懇意な関係を築いているようで、わざわざ彼らが住める環境を整えてまで町に連れてきたということです。聞くところによると、ベザートで暮らす魚人は陸地に住む者達の文化や技術を学びに来ているとか」
「なるほど……」
つまりロキ王は、亜人に対してかなり寛容であるということ。
特に大陸の中央から西に掛けては、亜人を労働資源や性奴隷として見る風潮が根強く残っているため、魚人やエルフまでいるという初耳の情報に興味を抱いていると、ジャンダルムはそんなリエンの様子に手応えを感じながら得意げに語る。
「さらにリエン様、驚くべきことが……報告書の最後をご覧ください」
「……………ッ!?」
「彼の地に神の産物とまで言われる転移陣の存在を確認いたしました。私が知る限りで合計4基、うち2基はそれぞれ別の狩場へと続いているようで、多くのハンター達が実際に利用している姿を目撃しております」
「他の2基は?」
「ギムレーとウートガルズという別の町に移動するための転移陣らしいです。こちらは残念ながら住民として認められた者しか利用できないため、間違いなく存在しているであろうことが分かったくらいで現物までは確認できておりません」
「……とはいえ2基が間違いなく動いているというのなら、その4基全てが正常に稼働し、かつ任意の指定場所に転移できているということでしょう。地図の存在といい、他の異世界人でも到達できなかった領域に、またしても第五の異世界人は踏み込んだわけですか」
そう言ってリエンはゆっくりと息を吐きながら頭を抱えるが、それは単純な脅威からくるものだけではなかった。
地図にしろ転移陣にしろ、それらは数多の知識を求めるエルフとの交渉で大いに役立つ可能性があるのだ。
この歪な関係を改善し、アイオネスト王国の未来を紡ぐためにも、ロキが独自に抱えているであろう情報が喉から手が出るほどに欲しい。
だが……
――眉間に皺を寄せ葛藤するリエンを、傍らに立つジャンダルムは一人静かに眺めていた。
そして僅かに口角を上げ、一度ユマに拒絶された提案を再び口にする。
「恐れながらリエン様。これも何かのご縁でございましょうし、一度ロキ王に協力を打診されてみては如何かと」
「……」
「ユマお嬢様とロキ王が懇意な間柄であることは明白。だからこそ秘蔵の本を引き出せたわけでございますし、先ほどお嬢様からお話があったように、いずれロキ王がこの町に立ち寄られた際には此度の対価の件という名目で、このお屋敷にも寄られるお約束を取り付けられているのです。これほどの機会、作ろうと思ってもまず作れるものではございません」
「それは確かにそうですが……ジャンダルム、お前がそこまでロキ王を押す理由はなんですか?」
リエンが抱く疑念。
元々野心家であり、今回の往訪にも望んで警護役を志願してきたジャンダルムだ。
より大きな力を持つロキ王に忠心が傾いたのではないかと、僅かに目を細めながら問い質すと、意外な答えが返ってくる。
「あの王との繋がりは、確実に我が国とグリフォード家にとって莫大な利益になると、そう確信したからです。ただお人好しというだけではない……自らを卑下し、望んで謝罪の言葉を口にするあの様子は、異世界人として知識や能力があるというだけで、決して王の器ではございません。それこそ貧民窟で肩を寄せ合い暮らす下民の感性の方が遥かに近しいでしょう」
「……だから、利用できると?」
そう言ってリエンは手にした羊皮紙の1枚を軽く振る。
そこには先ほどリエンが目を通した、模造可能かを示す印が付いたベザートの開発物がずらりと記されていた。
「仰る通りです。あの王を上手に利用し、その上で密な関係性を諸外国にまで周知させれば、我々は理想の盾を手に入れた上で躍進できるかと……エルフとの交渉に関しても、あの王が持つ異世界の知識がエルフの心を突き動かす可能性も大いにあるのではございませんか?」
その言葉にリエンは思わず顔を顰める。
ジャンダルムは知る由もないことだが、一部には異世界人の持つ知識に興味を抱き、そのまま取り込まれているエルフも存在していたからだ。
だからこそリエンは殊更慎重に物事を考え、ジャンダルムの提案を否定する。
「お前は異世界人を……ロキ王を侮り過ぎですよ、ジャンダルム。世に飛び交う彼の噂くらい耳にしたことはあるでしょう?」
「もちろんでございます。そして、だからこそ好機だとも捉えております。実際に彼の者と対面し、十分に言葉を交わした者などほんの一握りでしょう。どの国も、噂と実体が大きく異なることをまだ知らないのです」
「……約2年半前、まだ一介のハンターだったロキ王の逆鱗に触れ、大陸中央のヴァルツ王国が一夜にして数十万の亡骸と共に滅んだのは有名な話ですし、アルバート王国の王都を瞬く間に瓦礫の海へと変えたのも、時期や経緯を考えればまず彼の仕業で間違いないでしょう。このような暴威についてどう考えるのですか?」
「強大な盾を求めるならば、時として周囲を圧倒する力も必要でしょうし、それはロキ王のほんの一面に過ぎません。そして私はグリフォード家――いえ、ユマお嬢様であれば、そのような力も十分に制御ができるであろうことをお伝えしたいのです」
ユマお嬢様であれば――。
ジャンダルムのこの言葉で、リエンは何を言わんとしているかを察する。
つまりは婚姻だ。
リエンはユマから、ロキとは学院の友人関係にあると聞いていたが、同行したジャンダルムからはそのような目が成立し得る間柄に見えたということ。
しかし、どこまで真実なのか……
自分が護衛長としてユマに帯同したことで、ここまで大きな成果をグリフォード家に持ち帰ったのだと。
そう言わんばかりの表情を浮かべるジャンダルムが、より功績を大きく見せようとしている可能性もあるわけで。
リエンは当人もいないことから慎重に言葉を返す。
「分かりました。そのあたりはいずれ、ユマから直接話を聞いてみましょう」
「ぜひ、そのように」
「それと、このようなやり方でロキ王相手に計ろうとするのはお止めなさい。お前が口にしたように、相手は我々貴族社会が持つ常識とはまったく異なる世界で暮らしてきた可能性があるのです。何がきっかけで彼の怒りを買うのか……仮にこの程度と思った模造品が発覚して関係性が拗れでもしたら、お前や身内の命を全て差し出したところで不足が生じるでしょう?」
「し、承知いたしました……」
先ほどまでの余裕ある笑みから一変し、汗を拭いながら足早に退室していくジャンダルムを眺めながら、リエンは暫し物思いに耽る。
孫娘に手を差し伸べ、垂涎ものの希少書物を公開してくれた彼と、目も眩むほどの死者を生み出し、相手が貴族や王族であろうと一切の容赦なく町を破壊する彼と。
いったいどちらの顔が本物なのかは、面識もない自分には分からない。
だが少なくともロキの厚意により、想定よりだいぶ早くユマ達が帰還してくれたお陰で、持ち帰った情報を十分に精査する時間はできたのだ。
勇者タクヤの求めに答えを返すまで、まだ幾分の余裕はあるわけで、だったら不要なリスクを抱えないためにも交渉はグリフォード家のみで行う。
特に異世界人は、不用意にエルフと接触させられない。
そう心に決め、ユマが持ち帰った情報に手応えを感じつつ、グリフォード家総出で準備に取り掛かるが……
――僅か数日後。
エルグラント王国からアイオネスト王国に一通の手紙が届いたことで、グリフォード家は事態を一変させた。











