#032「無料通話」
舞台は、渡部家。
登場人物は、朝丘、渡部、愛実の三人。
『クロアチアか。クラバットの語源だな』
「よく知ってますね。フランス語ですよ?」
『小説に出て来たんだ。夕方と翌朝とでクラバットが違うことに気付いたことを皮切りに、刑事が、その洋館当主のアリバイを見抜く話だった』
「タイトルは分かりますか?」
『あいにく、そこまでは覚えてない。――冷戦時代は、ユーゴスラビアの一共和国だったよな?』
「そうです。複雑さ故の統治の難しさから、七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家と呼ばれていました」
『残りの五つは、セルビアと、モンテネグロと。あとの三つは?』
「スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニアです。私が住んでいる兵庫県も、ヒョーゴスラビアという人がいるんですよ」
『たしかに、神戸市民とか、姫路市民とか、洲本市民とかならイメージしやすいが、兵庫県民と言われても、ピンとこないな』
「県の多様性をユーゴスラビアに準えて言うとすれば、七つの県境、六つの方言、五つの令制国、四つの新幹線駅、三つの空港、二つの海、一つの子午線といったところですね」
『なるほど。うまく当てはめられてるものだな』
「そうですよね。そうそう。贈り物は届きましたか?」
『この度は、結構な品を』
「お礼は要りませんよ。風邪がブリ返したら大変ですから、ちゃんと着替えて寝てくださいよ」
『上が長袖で、下が長ズボンだから、暑そうだと思ったが、着心地がシャリシャリとして汗がベタ付かないから、熱帯夜でもグッスリ安眠できる』
「カット・ソーはダブル・ガーゼ、パンツはヘンプで出来てるんです。通気性が良く、肌触りが心地よいので、快適に熟睡できるとの謳い文句があったのですが、まさしく、その通りのようですね」
『寝付きが良くなったから、寝不足も解消しつつある。そうだ。金魚たちは元気か?』
「あれから、水草と餌を買ってきましてね。優雅に、スイスイと泳いでますよ。そちらのバニ左衛門は、元気ですか?」
『これは熊のほうにも言えることだが、縫いぐるみを見る度に、渡部の声が脳内で再生されるから、参ってる』
「くれぐれも、拙者のことを、お忘れなきよう、お頼み申す」
『やめてくれ。七色の声の持ち主なのは、よく分かったから』
「フフフ。地声と、歌声と、テディーさんと、バニ左衛門さんと。あとの三つは何ですか?」
『咄嗟には浮かばない』
「お兄ちゃん。お姉ちゃんが、お風呂どうぞって」
「はい。いま、入ります」
『一番風呂ではないんだな。長兄だろう?』
「家族内では、体重が軽い順なんです。追い炊きするのも、もったいないので、一旦、切りますね。また、あとで掛け直します」
『あぁ。急がなくて良いからな』
「わかりました。それでは、のちほど」




