第2話
こうして『グリーン』の商品の受け渡しは無事に終了した。この日から『レッド』の日常に、死んでしまった元メンバーが加わるようになった。機械ということを忘れてしまうような滑らかな動き、肉声としか思えない声、『レッド』のことを知り尽くしている発言の数々。本当に生き返ったかのように、死んだはずの少女達の姿が隣に存在するようになった。最初は極度の警戒心を以って接していた『レッド』の面々だが、段々と打ち解けていくのも時間の問題だった。見知った戦友相手に、警戒心が続く訳がないのだ。思考も口癖も生きていた頃そのままの、目を見張るような再現性。それはボロが出るどころか、日を追うごとに本人が目の前にいるとしか思えなくなっていった。『ブルー』のような仲間意識はないとはいえ、一緒に死線を潜り抜けた相手とまた話せるとなれば、やはり心が動かされる者がでるのも必然だ。特によく一緒にいたメンバーが死んでしまった者は、自然とAIといる時間が長くなっていった。
『グリーン』の商品が真価を発揮したのは、何と言っても抗争だった。武力衝突を多く経験してきた者達が一気に戻ってきたも同然であり、彼女達の素早く的確な指示は組織員の身を幾度となく救った。スマートフォンに入れれば常に持ち運ぶことが可能なため、突然襲撃を受けても場所を選ばずに彼女達に助けを求めることが出来た。(たまかがスマートフォンを持っていないことを知って、『レッド』はあまりスマートフォンを所持していないと誤解したらしいやよゐが、大量のスマートフォンを『レッド』に貸してくれた。)また、試験的に会議にAIを参加させてみたところ、故人のAI……特に林檎が、様々な奇策や戦術を披露してくれた。たまかが長になってからは相手を傷つけるような襲撃は行わないようにしているためそのほとんどが不採用となったが、捕らえられている味方を誰も思いつかないような方法で助け出す策、暴れている組織から銃や不法な薬を密かに奪う策など、中には実行に移したものも沢山あった。敵の襲撃から生き延びる方法も、敵を襲撃する方法も、全てAIが導いてくれた。たまか達だけではとても考えが及ばないような策も、山ほどあった。それはAIが賢いという以上に、『生き返った』死者達が優秀であったのだろうと察せられた。『レッド』の勝率は、右肩上がりだった。『レッド』の組織員のAIを見る目は、ただの『商品』ではなく、心強い『味方』を見るものへと変わっていったのだった。
***
「本日は午後から三組織の長による定例会議がありますので、そちらに参加予定です。後は『不可侵の医師団』に行って、医療物資の不足分を補ってこようと思っています」
小鳥の囀りが響く朝。眩しい朝日が差し込む中、たまかは集まった幹部達へと情報共有を行っていた。毎朝簡単な連絡事項を共有するため集まるのだが、実はこの形式の朝礼は今週で廃止される予定だ。各自スケジュールをクラウドサーバーにあげ、各々都合の良いタイミングで確認する方式に変更するためである。合理性を好む『レッド』が今までこのような形をとって来なかったのは、セキュリティの問題があったからだ。長を始めとしたメンバーの予定が他組織に知れてしまえば、待ち伏せされたり手薄な時を狙い襲撃されてしまったりする。そこで今回、限られた者にだけ権限を付与して閲覧出来る範囲を狭め、さらにスケジュールを確認した際にカメラ機能が稼働するシステムを搭載した。他組織の顔が映ればすぐに対処出来、情報漏洩の可能性があれば誰がいつチェックしたかの証拠が残り容疑者を絞ることが出来る。さらにはAIのメンバーが二十四時間リアルタイムで監視することが出来るため、不審な動きがあってもすぐに動くことが出来る。そういうわけで、現在の朝礼の形を廃止し、デジタル化をすることに踏み切ったのだ。次からは顔を合わせ、挨拶をするだけとなる。……一応顔を合わせなければ死体発見が遅れたりスパイを見落としたりする可能性があるため、そこを通話会議にすることは避けた。何事も慎重に、それが『レッド』の方針だ。
「はい、では他に連絡事項のある方は——」
たまかの本日の予定の共有が終わり、桜が部屋に集まった者達の顔を見渡した時だった。突然勢い良く扉が開いた。品行方正な『レッド』において、けたたましい音が鳴り響くことは滅多にない。集まっていた幹部達が、揃って出入口へと振り返る。
「朝礼中失礼します。『慶蛇』との取引中『ラビット』のロケットランチャーに巻き込まれ、『慶蛇』の三名とともに『レッド』のメンバー二名が拉致されました。また、傘下である『慶蛇』が被害に遭ったことにより、『ブルー』が報復に向かっている模様です」
「『ブルー』が現場に到着したら、『慶蛇』と『レッド』が裏で繋がっていることが確実にバレるな。捕まった者は機密情報を所持しているわけではないが……どうする?」
場の視線が、たまかへと集う。たまかは毅然として口を開いた。
「救助に向かいましょう。情報の保持の有無は関係ありません。助けられる人がいるのなら、私達は全力で助けるべきです」
長の指示に、『レッド』の幹部達は即座に抗争時の顔付きへと変わった。
「AIを起動するぞ」
一声掛けると、茜がいの一番に足を踏み出した。机の上に乗るパソコンのスリープモードを解除すると、「全員起こしてくれ」と指示を出す。それに応えるように、即座に周りのパソコンも画面がついた。会議中は内容を聞かれないよう、AIは全てスリープモードにしている。画面に映った故人のAI達へ、桜が代表して手短に状況の説明をした。それが終わると、幹部達の中からすかさず声が上がった。
「まずは『ブルー』を足止めしましょう。何より『ブルー』に『慶蛇』と『レッド』の繋がりを知られるのが一番致命的です」
『慶蛇』は『ブルー』の傘下の組織だが、裏では『レッド』に寝返り様々な情報を提供してもらっている、らしい。これは林檎の時代からの関係らしく、たまかの指示や策略ではない。
『『ブルー』に情報が知られないようにすることこそが大事であり、『慶蛇』や『レッド』の捕虜に価値があるわけではありません。『ラビット』の方には介入せず、現場へ向かう『ブルー』が通る道を限定させた上で地雷を仕掛け、狙撃部隊を配置するのが効率的だと思います。なるべく『レッド』が関与しているという痕跡を残さない方が良いでしょう』
一台の画面に映る少女が、通る声で提案した。『レッド』の紅色の制服に身を包む彼女は、どうやら生前は施設科部隊のリーダーをしていたらしい。『レッド』らしい合理的で無駄のない案だが、たまかは首を振ってみせた。
「……いけません。『ラビット』に捕らわれた方々も助け出します。襲撃しようとしている『ブルー』に対処する者達と『ラビット』に拉致された方々を救出する者達で、二手に分かれて行動しましょう」
画面の中の少女達は、揃って「理解出来ない」という顔をしていた。『ラビット』に捕らわれた者達をリスクを冒してまで助けるメリットはないと思っているのだろう。一方この場にいる幹部達は、たまかがこのように言うのは想定内だったようで、誰も口を挟まなかった。
「『ラビット』が五名を捕らえている場所は、わかりますか」
たまかは報を伝えに駆け込んだ少女へと顔を向けた。呼吸を整えていた彼女は、長へと頷いて答えた。
「はい。『慶蛇』との取引に使っていた建物の二軒先です、住所は……」
彼女の言った場所は、『ブルー』の縄張りに近い場所だった。あまりもたもたしていると、『レッド』が行動を起こすよりも先に『ブルー』が到着してしまうかもしれない。
「そこの五階に立て籠もっていると思われます」
『あのね、いいかな? その建物がある通り、ほとんど低い建物ばかりで狙撃には向いていないと思う。細い道だから、地雷も置き方に工夫が必要かも』
梅が発言し、元施設科部隊のリーダーの画面へと顔を向けた。確か梅は生前、狙撃部隊のリーダーの経験があったはずだ。経験豊富な彼女なりの視点による意見は、考慮に含めるべきだろう。AI達に続いて、桜も口を開いた。
「あの通りには『ふとべ産業』もありましたよね。本日『ふとべ産業』へ商談に向かう予定の者達は、先遣隊となって『ブルー』のルートを固定させておいてください。トラックや瓦礫などの物理的障害だけではなく、有毒ガスの散布や威嚇射撃なども許可します。『ブルー』は敏感な者が多いため、どうせすぐに見破られて怪我をすることはないでしょう」
桜はちらりとたまかを一瞥し、そう付け足した。
「『ブルー』のルートを固定したあとは、そのまま『ふとべ産業』へ向かってください。あくまでも悟られないように、注意して行動を」
桜の言葉に、二人の幹部が部屋を出て行った。たまかはそちらに反応することなく、頭の中で策を探り続けていた。
(『ブルー』を傷つけずに足止めする方法、そして『ラビット』が立て籠もっている場所を無傷で突破する方法を考えなければなりません。『ブルー』は武力に長けていますから、直接対峙してどうこうする方法は使えないでしょう。麻酔銃のようなものを用意しても、狙撃に適さない場所でしたらすぐにバレて殺されてしまいます……)
たまかが苦しみながらもなんとか案を絞り出そうとしていると、『では』と鈴のような声が部屋に響いた。その一言で、場は一気にしんと静まり返った。少女達の注目が、一台のパソコンへと集まる。
『『ラビット』を『ブルー』に始末させたあと、四階に誘き出して閉じ込めるのはどうでしょう。『ブルー』に『レッド』との繋がりを見られることになりますが、その場で殺して情報を持ち帰らせなければ問題ありません』
画面の中の林檎は、完璧な微笑みを貼り付けたまま穏やかに続けた。
『その通りは何度か通ったことがありますが、確か該当のビルは四階が無窓階だったはずです。閉じ込めた後は毒ガス、もしくは放火による処理が適切でしょう。そちらへの誘導は『慶蛇』の制服を模した格好をすれば『ブルー』は疑うことなく釣られます。精巧でなくても構いません、『慶蛇』は話をこちらに合わせるでしょうし、『ブルー』は細かいところまで確認するような方々ではありませんから』
すらすらと淀みなく言葉を続ける彼女は、その間も笑みを絶やさない。
『恐らく『ブルー』が到着する方が早いと思いますので、我々は焦って先回りするだけ無駄です。『ブルー』の襲撃を見届け、『ブルー』が『ラビット』へ報復している間に行動しましょう。四階で毒ガスの散布か着火の準備が完了しましたら、上階を盗聴して『ラビット』が全員殺されたのを確認し、『慶蛇』に成りすまして四階に残党がいる旨を叫んでください。急いでいる様子を出せば、『ブルー』はあまり深く考えずに現場に向かうはずです。『ブルー』は傘下に手を出した上に好戦的な『ラビット』を優先して殺すでしょうから、『ラビット』が死んだ直後であれば『レッド』の人員はまだ襲われておらず無事なはずです。あとは四階へ駆け付ける彼女達の最後尾についていき、『ブルー』の者が全員部屋に入ったところで鍵をかけるだけで終わりです。『ブルー』はすぐに扉を蹴破ろうとするでしょうから扉にも細工が必要ですが、その辺りは現地に向かいながら話しますね。いかがでしょう』
『レッド』と『慶蛇』の関係を『ブルー』に知られることなく、『レッド』の人員を見殺しにせず、そしてこちらについている『慶蛇』との関係性や無窓階といった環境のアドバンテージを最大限利用できる堅実な案に思えた。限られた時間の中、冷静沈着に最善の策を提案する林檎の姿。「この人に任せれば安心だ」と思わず頼りたくなるような、そんな貫禄が彼女にはあった。生前もこうして『レッド』を指揮していたのだろう。林檎を見つめる『レッド』のメンバーも、上に立つ者へ向ける信頼感の滲む視線を向けていた。皆の期待する、長の理想像がまさに具現化している。
「……いけません」
たまかの一言で、林檎に向いていた注目が全てたまかへと移った。部屋の空気が変わる。彼女の案に頼れば成功はほぼ確実であることは、たまかにもわかっていた。それでも、その案を飲むことはできない。
「『ブルー』の方も『ラビット』の方も、傷つけるわけにはいきません。全ての方が無傷で済む方法を考えましょう」
……沈黙。たまかの言葉に、場は重い静寂に包まれた。旧長と現長の視線が絡み合う。たまかを真っ直ぐと見つめる画面の中の小顔は、やはり完璧な微笑みを貼り付けたままだった。部屋に変な緊張感が走り、張り詰めた空気が少女達を支配する。耳が痛い程の、静けさ。
『そうですか』
周りの不安を他所に、林檎はあっさりと引いただけだった。微笑んだままの彼女の顔からは、失望や怒りは微塵も感じられない。彼女の心中は、いつだって周りに悟ることなど出来はしない。
『では、こういうのはどうでしょうか。まず、『ブルー』に『ラビット』の立て籠もったビルを誤認させます。『ブルー』にある情報はロケットランチャーに巻き込まれたことと『慶蛇』が拉致されたことだけですから、隣のビルからロケットランチャーで威嚇射撃をしたり、『慶蛇』の制服の一部が窓から見えれば勝手に誘導されるでしょう。『ラビット』の方は……』
淡々と代替案を述べる林檎を見ながら、たまかは内心ほっと胸を撫で下ろしていた。ここで衝突していたら、確実にたまかの方が負けていただろう。
(林檎さん……もしかして、私が却下することまで見越して提案していたのでしょうか)
周りの視線から、自分へ注がれる期待を感じとったのかもしれない。今の長はたまかなのだと、メンバーに知らしめる意図があったのではないだろうか。説明を続ける林檎の顔を窺ってみたが、やはり彼女の胸中を探ることは出来なかった。
たまかの要望を満たすことが出来る、林檎の代替案を採用することとなった。手短に担当の割り振りを済ませ、現地に向かう者はすぐに準備に取り掛かり始める。
「朱宮さまが帰ってきた感じがするわ」
「敵無しね」
遠くの幹部達の会話が耳に届き、たまかは思わずそちらをこっそりと盗み見た。彼女達の顔には希望が宿り、期待に満ちた嬉しそうな表情をしているように見えた。
「……自身で考え行動することこそが『レッド』に相応しい人間像です。人に頼ってばかりではなりませんよ」
同じく耳に届いたらしい桜が、二人へと苦言を呈した。そして、たまかを振り向く。もしかするとたまかの心中を心配してくれたのかもしれない。しかし彼女はたまかを見て、動きを止めた。
「たまかさん。……もしかして、現地に向かおうとしています?」
「はい、ほぼ確実に怪我人がいますから」
周りに交じって準備をし始めたたまかを見て、桜は一度口を閉じた。しかし彼女の中で予想は付いていたらしく、止める言葉は出て来なかった。
「合図があるまでは隠れていてください。わたくしがお付きしますので、離れないように」
桜はネックストラップのついたスマートフォンをたまかへと差し出した。たまかはそれを受け取ると、髪先を分けて首へと掛けた。
「五名全員怪我が酷い場合を考えると、『ラビット』に突入する隊にもう少し人手が欲しいです。どなたかもう一人二人、来ていただけませんか」
たまかは部屋を飛び出す前に、メンバー達へと声を掛けた。すると、すぐさま手が挙げられた。
「うち、午前は比較的余裕があるんです。……同行してもいいかしら」
名乗り出たのは、灯だった。意外な顔に、たまかは目をぱちくりと瞬いた。しかし時間がないことを思い出し、すぐさま「お願いします」と返して廊下へ駆け出した。
(灯さんが指名を受ける以外で率先して手を挙げるなんて、珍しいですね……)
後ろからついてくる灯の足音とともに、そんなことを考える。そして前を駆ける桜の背中へと視線を向けた。彼女が走るのに合わせて、揺れる小さな機械が顔を覗かせていた。
『隣のビルの階数は……通りにある監視カメラの映像を見ると、四階みたいだね。屋上から撃つとすぐに見つかって発砲される危険があるから、四階の窓から撃とう。今日の風速は……』
スマートフォンからは、梅の声が響いていた。
『担当はくろむ、貴方が適任だと思う。重火器の扱いの経験も豊富だし、貴方はここぞという時に冷静でいられるから。……大丈夫、期待してるよ!』
梅の快活な声が辺りに響く。メンバーを励ましているようだ。仲間意識の低い『レッド』ではあまり見ない光景である。
(梅さん、『レッド』には珍しく随分社交的な方だったんですね)
生前言葉を交わすことのなかった彼女の、初めて知る一面だった。走りながらそんなことを考えていると、スマートフォンから再び明るい声が聞こえてきた。
『それに灯! 一緒に来てくれて嬉しいよ。灯には射撃のサポートを任せてもいいかな? 灯ならきっと上手くやれるから!』
後ろから「うん、わかったよ梅ちゃん」という声が聞こえてきた。嬉しいのか、声が高い。灯が手を挙げた理由が、たまかにもわかった気がした。
『レッド』の敷地を出たところで、『ブルー』に対処する隊と『ラビット』に対処する隊で別れた。たまかは『レッド』の少女数人と共に小道を駆けていった。AIの一人がナビをしてくれるため、その案内に従ってひたすら走っていく。
『……監視カメラに『ブルー』の制服が映りました。位置から考えて、そろそろ現場に到着するはずです』
たまかの胸元から、林檎の冷静な声が聞こえてきた。首から下げたスマートフォンは、たまかが走るのに合わせて大きく揺れている。
『囮の建物、ドアが自動ドアですね。……旧式です、ハッキングして閉めておきましょう。五秒くらいは稼げると思います、拳に破片が刺さることに期待しましょう』
『ラビット』が立て籠もっているらしいビルが遠くに見えてきた。その隣、誘導に使うビルの自動ドアが、誰もいないはずなのにひとりでに閉まっていった。
(……そんなことも出来るんですね。話していると忘れそうになりますが、AIですもんね……)
けたたましい銃声が聞こえてきた。遠くに薄群青色の制服の少女達の姿も見える。彼女達は閉まったドアに気付くと、間髪入れずに殴り割っていた。拳に破片が刺さるとは、このことを言っていたのだろう。
『では、『ラビット』の方は事前に共有した通りに。……たまかさん』
名前を呼ばれ、どきりとした。たまかは慌てて「は、はい」と返事をする。
『監視カメラの映像で『ラビット』が罠にかかったのを確認しましたらお伝えしますので、それまでは隠れていてくださいね』
画面を見下ろせば、いつも通りの完璧な微笑みがたまかを迎えた。たまかはこくこくと頷いた。
(やっぱり林檎さんがいると、安心感が違いますね)
巧妙な策に加え、AIならではの利点をフルに活用している。今の彼女は敵なしに思えた。たまかは桜とともに三階に残り、他の『レッド』のメンバーが上の階へ上がるのを見送った。ちらりと隣を横目で見る。桜の熱い視線は、たまかの首から下がるスマートフォンへ向けられていた。彼女もたまかと同じようなことを思っているのかもしれなかった。
『ラビット』へ対処するメンバーには、元施設科部隊のリーダーのAIがついている。そして『ブルー』に対処するメンバーには、狙撃部隊のリーダー経験のある梅が。どちらも上手くいくだろうという確信があった。
怪しいとばかり思っていた、『グリーン』の商品。いざ蓋を開けてみれば、勝率は上がり、皆笑顔になる素晴らしい代物だった。もちろん警戒は必要だが、必要以上に変に恐れ過ぎていたかもしれない。たまかは薄暗い部屋の中で待機しながら、今までの態度を少し反省したのだった。
「最近やけに『レッド』の勢いが良いと思ってたけど、やっぱり『グリーン』の商品のお陰だったんだね」
だだっ広い部屋、周りにはいくつもの空席のテーブル。ここはどの組織の息も掛かっていない、廃ビルの一角だ。もともと高級施設が入っていたのか、端が見渡せない程の広い部屋に、豪華絢爛な装飾が施されている。巨大なシャンデリア、上品なカーペット、彫刻の施された壁。ここは元々ホテルの会場か何かだったのかもしれない。その中央で、制服の違う三人の少女達が一つのテーブルを囲んでいた。机上には、ソーサーに乗ったティーカップが円を描くように置かれている。
「ま、導入せざるを得なかったってとこでしょ。どう、使ってみた感想は?」
『ラビット』の黒白の制服を着た姫月は、にやにやとした顔を隣の純白の制服へと向けた。たまかは、う、と苦い顔を浮かべた。
「……過剰に排他的になりすぎていたな、と反省しました。皆さん仲間に再会出来て嬉しそうでしたし、何より策の立案がとてもスムーズで……」
「最近『ブルー』の奴らが戦果を挙げられずに帰ってくることが多いのはそのせいか。勧めなければ良かったかな」
薄群青色の制服、その短いスカートを舞わせて長い脚を組み、水面は口惜しそうにそう言った。行儀悪く頬杖をつくと、これ見よがしに純白の制服へと視線を送る。たまかは口を滑らせすぎたかもしれない、と両手で口元を隠した。
定例化した、三組織の長による三者会談。今にも殺し殺されかねないような緊張感に満ちた物騒な様相を誰もが想像しているが、実際は全く異なる。お互い敵意のない少女達の話す姿は、長閑なティータイムのような穏やかさが漂う。情勢やお互いの持つ情報の交換、そして組織間の取り決めなどを終えた後は、こうして雑談タイムとなるのが恒例だった。もちろん雑談と言えども、組織に関わることや周りの動向に関する話題がほとんどとなる。しかし会議程肩肘を張らずに話せるこの時間は、たまかにとって心地よい時間だった。そしてそれは姫月や林檎と「昔のようにまた話したい」と願っていた水面にとっても、きっと同じはずだ。望んでいた形とは異なるであろうが、それでもこれが今実現できる最大限の光景だろう。お互いに命を奪い合うことなく、こうして顔を合わせてお喋りに花を咲かせられるなど、少し前までは考えられなかったことだ。
「ま、三組織仲良しこよしで同じ条件になれて良かったじゃん。それで、『グリーン』の情報については何か掴めたの?」
姫月は黒のレースで包まれた手をティーカップへ持っていき、自身の口へと運んだ。上品な匂いが、たまかの鼻にも届く。中身はロイヤルミルクティー、姫月が持って来たものだ。毎回三者会談の際は、誰かしらがお茶やお菓子を持ってくる。他の組織の持参した物を口にするなど『レッド』の者が知ったら卒倒しそうであるが、たまかは二人の持ってきた物を拒否したことはない。水面も姫月もたまかを害そうという意思などないと、知っているからだ。
「探れる限り探りましたが、『グリーン』がどこかの組織と繋がったり、何か思惑があるような痕跡が見つかったりはしませんでした。ただ、どうにもお金儲けが目的でもなさそうなんですよね」
たまかもティーカップを両手で包み、口をつけた。品のある甘さと温かさに、心が安らぐ。
「じゃあ三組織とパイプが欲しかった、ってとこかな。いいじゃん、それならあたし達にも利があり、向こうにも利がある」
水面は悠々と笑い飛ばした。たまかもティーカップから口を離し、頷いてみせた。
「そうですね。抗争の匂いがしないので、たぶん理由はそんなところだと思います。となると、変な動きを見せない限りは様子見で良さそうですね。あんなに凄いものを開発しても抗争利用しないなんて、とても素晴らしいことだと思います」
たまかはほくほくとそう答えた。どこの組織も他の組織を潰し、敵を殺すことしか考えていない連中ばかりだ。その中で『グリーン』の立ち回りは、自分達の立場を弁えた、珍しい程平和的なものだった。最先端の技術が誰かを傷つけるために使われなくて、心底良かったと思う。たまかの『グリーン』の技術への言及に、水面が興奮したように同意する。
「本当、あの商品は凄いよな。一足先に天国に行った奴らそっくりでさ。好みもそのままだし、得意なことも変わらない」
水面は目をキラキラと輝かせていた。純真な子供のように、笑みを浮かべる。
「あいつらとまた悪党どもを蹴散らすことが出来て、すっげー楽しい。昔に戻ったみたいでさ」
心から嬉しそうな表情は、見ているとこちらまで釣られそうになるものだった。たまかは自然と微笑みながら、「そうですね」と頷いた。
「どうやって生前の情報を得たのだろうと疑問に思っていましたが、きっと戦場の目撃情報などから地道にプログラミングしたんでしょうね。驚異的再現度は、彼女達の努力の結晶なのでしょう」
たまかは疑心暗鬼だった反省を活かすように、楽観的に言って笑みを浮かべた。
「それに、エラーも全くでないのが凄いです。機械って、すぐに動かなくなるイメージだったので驚きました」
たまかの褒めそやす言葉に、「んー」と姫月の悩ましい声が割って入った。盛り上がっていた水面とたまかは、揃って一人冷静なままの姫月へと顔を向けた。
「エラーじゃあないんだけどさ。……『ラビット』の子達がいじくりまわして遊んでる時に見つけたんだけど」
桃色と紫色の混じった長い白髪を払い、姫月はそう前置きをしてから話を切り出した。
「どうも、他の組織のAIにアクセスできるっぽいんだよね。たぶん、『グリーン』は想定していない挙動だと思う」
「他の組織の、AIに……?」
たまかは姫月の言葉を呆けたように繰り返した。初めてきく情報だ。それから、はっと顔色を変える。
「そ、それって他の組織の情報を抜き放題なのでは……!?」
「いや、AIにも意思があるからさ、教えてはくれないよ。話しても敵意剥き出しにされるだけ。むしろ話していたらこっちの情報を抜かれそうだったから、『ラビット』の子達に止めさせたくらい」
姫月は二人の顔を窺った後、身を乗り出した。その顔には、にやりとした意地の悪い笑みが浮かんでいた。
「なーんか悪さ出来そうじゃない? これ」
近づいた愉快そうな顔に、水面とたまかはぱちくりと瞬いた。『グリーン』の想定していない、他の組織のAIにアクセス出来る挙動。それを使った、『悪さ』。少し間を置いて、二人は同時に口を開いた。
「いえ、意図していない挙動なら不具合でしょうし、普通に『グリーン』に報告するべきでは……」
「確かにな! 他の組織のAIをインストールした機械を粉々に出来れば、あいつらの鬱憤も晴れるかもしれない!」
顔を晴らした水面と顔を曇らせたたまかは、お互いに顔を見合わせた。
「そんな非生産的な破壊活動は意味がないと思います。スマートフォンやパソコンだって、今の時代貴重なんですから……」
「でもお前らの組織員をボコすよりはいいと思わない? 誰も怪我をしない、平和的な復讐の仕方だと思うけれど。それはお前の望むことでしょ?」
水面の真面目な顔での反論に、たまかはぐ、と言葉を詰まらせた。
「確かに、人が傷つくよりは機械が一台壊れる方が、平和的……なん、ですかね……?」
一理ある気がする。たまかはむむ、と考え込んだ。水面は畳み掛けるように続ける。
「そうそう、今のままじゃあお互い危害を加えないっていうのは難しいからさ。昨日だって『暴れている他の組織を優先するから、最近大人しい『レッド』は後回しでいい』って言っただけで、皆不満たらたらだったもの。『レッド』や『ラビット』が憎くてしょうがないって気持ちは、あたしらだってどうすることも出来ないし」
水面は机の隅に放られていた、豪快に開けられた袋へと手を伸ばした。コンビニに売っているような、安価なチョコレート菓子だ。水面は一つ摘んで包装を取り、投げ入れるように口に放った。
「機械がそれを和らげてくれるんなら、活用していけばいいと思う。……ん、これ美味いな」
「……甘さ控えめを選んだからね」
姫月は小さな声でそっと付け足し、自身もチョコレート菓子へと手を伸ばした。たまかは難しい顔で水面の言葉を咀嚼していた。
「そう、ですね。でもそれなら、『ラビット』のように『グリーン』にそれ専用のAIを借りればいいと思いますよ。別に『グリーン』に隠れてこそこそやる必要もないと思います」
「『ラビット』のように、……って?」
再びチョコレートを取ろうとしていた水面の手が止まった。水面の顔が、姫月の顔を捉える。
「もう『ラビット』では『ブルー』の子のAIを破壊して楽しんでる、ってこと?」
水面の視線を浴びながらも姫月はマイペースにもぐもぐと口を動かし続け、やがてごくんと喉を鳴らした。
「……うん。『ラビット』の子達の新しい遊びの一つだよ」
「何それ、趣味悪……」
「いや、あんたのとこだって同じことしようって今話してたじゃんか」
嫌悪感を顕にする水面へ、姫月が棚に上げるなとばかりに指摘する。そしてわかっていないなとばかりに、二つ結びを揺らしてやれやれと首を振ってみせた。
「そういうんじゃなくてさー。もっと楽しい事に活用出来ないかって言ってんの」
「楽しいことぉ……?」
怪訝な顔をする水面へ、姫月はミニハットを揺らして頷いてみせた。
「例えば、『グリーン』のAIを召喚して問い詰めたりさ」
「で、出来るんですか?」
突拍子もない案に、たまかは僅かに期待を滲ませて尋ねた。姫月はたまかへと目を合わせると、ふ、とニヒルな笑みを漏らした。
「いや、今の段階では出来ない。そもそも『グリーン』のAIは作られてなくてさ。『ブルー』、『レッド』、あとは中規模の組織のやつがいくつかあるだけだった」
「じゃあ無理じゃない」
水面は唇を尖らせた。姫月はたまかへの穏やかな声を仕舞い、「これから可能になるかもしんないって話じゃん」と切り返していた。
「もし今後『グリーン』のAIが作られたのが確認出来たらさ、その時は『グリーン』に内緒で『グリーン』の目的を聞き出せるかもしんない」
「……それなら『グリーン』の奴を拷問した方が早くないか?」
「そしたらAIを貸し出してくれなくなっちゃうでしょ。こっそりAIにきければ、その心配もナシ」
ほう、と感心し出した水面の横で、たまかが眉間に皺を寄せながら口を挟む。
「それ、結局『グリーン』にバレちゃうんじゃないですか? ログを取ったり、逐一監視したりしていると思いますが……?」
「流石にプライバシーは守ってるんじゃない?」
「『グリーン』の匙加減次第になってしまいますし、実行に移すのは難しいかと」
たまかの真面目な顔でのストップに対し、姫月は「そっかあ」と大人しく引き下がった。彼女は背もたれへと持たれ込むと、無念そうに暫し天井を仰いだ。そんな姫月の様子を見て、水面が無言で菓子の袋を差し出す。姫月はのそのそと起き上がると、差し出された袋へ手を突っ込んだ。チョコレート菓子を一つ掴んで取り出し、個包装を剥がすと口に入れた。
「んぐんぐ……まあいいよ、後々なんか楽しそうなことに使えそうってことで共有しただけ」
『楽しい事』を常に求めている『ラビット』の長らしい案だが、実行は先送りとなったようだ。果たして実現する日が来るのかは定かではないが、一先ず長達へ共有はしたため良しとしたらしい。口からチョコレートが無くなったタイミングで彼女は再び口を開いたが、今度は別の話題だった。
「……AIと言えばさ、最近は『ラビット』の子のほとんどがAIで遊んでるから、『ブルー』にも『レッド』にもあまりちょっかいだしてないでしょ? AIのお陰で、抗争が減ってきているよね」
(今朝、ロケットランチャーに巻き込まれたばかりですがね)
たまかはチョコレートを頬張りながらも心の中で訂正を入れた。その横で水面が頬杖を解き、脚を組みかえた。記憶を辿るように視線が上へとあがる。
「確かにな。『ラビット』があまりちょっかい出してこないから、うちも下種共の相手に集中出来てる。今週は十以上の組織を潰せた。良い未来へ近づいたと思う」
水面は誇らしげにそう言って、片手を広げた。しなやかな指の先を眺めながら、たまかも最近の様子を頭の中で思い起こした。確かに振り返ってみれば、『ラビット』絡みの抗争に駆け付ける頻度が以前より減ったような気がする。……以前の数が異常だったと言えばそれまでだが、どんな形であれ抗争が減ったとなれば怪我人も減ったわけで、喜ばしいことではある。
「もしかするとこのままさ、殺す対象が全部AIになって、組織同士で争うことなんてなくなるかもしれないね?」
姫月はそう言って、たまかへと含みのある笑みを向けた。
「そうしたらあんたが望む世界が現実になるよ、たまか」
ティーカップへ伸ばしかけていた手を止め、たまかは目をパチパチと瞬いた。たまかの理想の世界は、『誰も傷つかない世界』だ。確かにこのまま抗争が減り続け、最終的にゼロになったとしたら、それは怪我人がいなくなることを意味する。生身の人間が殺し合わず、憎しみの感情をAIにぶつける世界が来たとしたら、たまかの理想の世界が叶ったと言えるのかもしれない。……しかし。
「……なーんて。ま、無理だろうけど」
「……そうですね。抗争はゼロにはならないと思います」
姫月は自らの発言をあっさりと撤回し、肩を竦めた。冗談だろうとわかっていたたまかも、あっけなく同意する。誰よりも現実的な姫月が、そんな夢想を本気で語るはずがない。たまかはティーカップのハンドルを掴み、温くなったロイヤルミルクティーを一口啜った。
『ラビット』も『ブルー』も、このまま大人しくし続ける訳がない。この先抗争が無くなれば、二つの組織が理想とする世界の実現は遠くなる。それにAIを導入していない組織も数多く存在するため、AIが全てを賄うのは物理的に不可能だ。抗争が減っているのは、恐らく今だけの一時的なものだろう。
「そもそも姫月さんだって、『ラビット』の皆さんが抗争のない世界で満足するとは思っていないのではないですか?」
「まあね、一番堪えられないのはうちだろうね」
潔く認めると、姫月はあっけらかんと笑った。ただの軽口だったらしい。
「だからまあ、それは置いておいて。話したかったのはそれじゃなくて……」
いつもの飄々とした態度が消え、彼女の声色が僅かに変わった。
「抗争の減っている、今しか出来ないことについて話したかったんだ」
淡い笑みの裏で、何か大事なことを切り出そうとしているように見えた。先程の軽口は、話し辛いことを誤魔化すためだったのかもしれない。
「抗争の減っている、今しか出来ないこと?」
水面はチョコレートを再度口へ雑に放り、首を傾げた。瑠璃色の艶やかなインナーカラーが、肩から零れ落ちる。二人の注目を浴びた姫月は、視線を下げた。
「うん。……あのさ」
彼女にしては珍しい程、慎重に恐る恐ると切り出す。
「林檎の墓参り。出来ないかな」
水面もたまかも、姫月のそわそわとした言葉にきょとんとしていた。予想外の言葉に、共に目を白黒させる。
「林檎さんの、……墓参り?」
「うん」
姫月はおずおずと二人の顔を窺った。上目遣いの瞳が忙しなく動く。水面、姫月、そして林檎は同じ学校に通っていた旧友で、親友のように仲が良かったようだった。敵対してからは顔を合わせることすらなくなってしまったが、誤解が解けて自分の気持ちに正直になった今、生きた姿でなくとも一目会いたいという気持ちを抱いていても何ら不思議ではないだろう。
「……林檎の墓って、たぶん『レッド』の中でも一番奥に位置しているよね? 普段ならうちや水面は絶対に立ち入れない場所にあるはず」
林檎の遺骨は、『レッド』の縄張り内にある墓所に埋葬されている。姫月の言う通り、彼女の墓は墓所の最も奥に位置している。他の組織に墓荒らしをされないよう、厳重に立ち入りが制限されている区域だ。
「でも抗争が減った今、人目につく機会も減ってる。少なくとも『レッド』の領域で『ラビット』や『ブルー』の奴と顔を合わせる確率はぐっと低くなっているはず。墓参りに行くなら、今しかないんじゃないかって思ったの」
姫月は熱を帯びた声で訴えた。普段の腹に一物抱えたような怪しさが嘘のように真剣な瞳だった。それ程、彼女は心の中で強く望んでいたのかもしれない。水面もその表情に隠しきれない希望を浮かべ、曇りのない眼を真っ直ぐとたまかへと向けた。
「……出来る、の? 林檎の墓参りなんて……」
(……そうですよね。お二人は長い間、ずっと林檎さんとお話したいと思い続けてきたんですから……)
たまかは悲し気に眉尻を下げた。二人の想いが痛い程伝わる分、「ぜひ墓参りに来て下さい」と歓迎してあげたかった。しかし、現実はそう甘くない。
「……抗争が少なくなったとはいえ、『レッド』の皆さんは見回りを欠かしませんし、侵入者にはどこの組織よりも敏感です。……私が手引きをしたとしても、……墓地への侵入は難しいと思います……」
たまかは体を縮め、言いにくそうに姫月へと答えた。姫月はその言葉に、しゅんと肩を落とした。
「……そっか。まあ、そうだよね……」
くるんと弧を描く長い睫毛を伏せ、視線がテーブルへと下がる。項垂れる姫月は、長い二つの髪の束も相俟って元気を無くした兎のようだった。
「……」
水面も形の良い眉を悲痛に歪め、小さく俯いた。しかしすぐに顔をあげると、暗い空気を吹き飛ばすように明るく声を張り上げた。
「今まで対立してたあたしらが墓参りなんて、虫が良すぎるよな。あいつが一番辛いときに傍にいてやれなかったんだから、そんな資格ないよ」
水面は無理やり笑みを貼り付けてそう言った。そして、たまかへと顔を向ける。
「たまか、良ければ姫月の分も墓に花を供えてやってくれないかな。そろそろあいつの月命日でしょ」
水面の提案に、たまかは力強く頷いた。
「勿論です。お二人の分も、私が代わってお墓参りしておきますね」
それくらいなら、たまかにも力になれる。水面はたまかの返事を聞いて満足そうな表情を浮かべた。それから、項垂れたままの姫月へと身を乗り出す。
「……それでいいか?」
優し気な声色だった。
「……ん」
「よし」
姫月は未だに悲しそうに肩を落としていたが、顔をあげないままながらも短く返事をした。水面は姫月の返事に、柔らかな笑みを浮かべた。まるで妹を見守る姉のような、温かな眼差しを向ける細められた瞳。姫月と視線が合っていないからこその、取り繕わない心からの感情。
(お二人はいつも言い合ってばかりですけど、お互いの見えないところでいつも大事そうな眼差しを向けているんですよね)
そしてそれは、この場にはいない林檎も同じだったのだろうと思う。三人はいつも当たりが強く言い合ってばかりなのに、誰よりもお互いの気持ちがわかって、陰で大切に想っている。三者会談でそんなところを目撃する度、学生時代もこのような関係だったのだろうなと容易に想像がついた。昔は当たり前のように茶化し、隣で話し、一緒に遊んでいたのだろうと思わせる瞬間が多々あった。今は二人とも遠慮をして、まだまだぎこちない部分が覗いている。
(でも、大丈夫です。お二人とも、自然とこうしてお互いを想えているのですから)
きっとすぐに昔の関係に戻るだろう。たまかは密かにふふ、と微笑みを漏らした。それから姫月を見守る水面へと声を掛ける。
「水面さんの分も、三人分の花をお供えしておきますね」
「おう。ありがと」
水面はたまかへと顔を向け、朗らかな笑みを浮かべた。
「……いつか……うちや水面が林檎の墓参りに行ける日は、来るのかな」
ぽつりと零れた声は、姫月のものだった。彼女は俯いた下で、テーブルの一点を力無く見下ろしていた。
「絶対来ますよ。そのために、私達三人で平和な世界を実現させるんです」
たまかは迷いなく言い切った。実現を信じて疑わない顔で、曇りのない眼差しを二人へと向ける。
「急に争いを無くすなんて不可能です。それでも少しずつ、お互いの誤解を解いて、歩み寄って、力を合わせれば……いずれ手を取り合える未来が来ます。だって、御三方がそうだったんですから。組織同士だって、きっと同じ道を辿ることが出来ます」
たまか達に出来ることは、それを後押しする環境づくりだ。休戦日を作ったり、抗争以外の手段を提示したり。そうしたところから入り、やがては憎しみ合っている組織の者達が、殺さないことを無理矢理ではなく自ら選ぶような、そんな未来を形作ることが大事なのだと思う。
「誰も傷つかない世界が来たら……三人で、林檎さんのお墓参りに行きましょう。皆で一緒に報告するんです」
たまかは目を輝かせて、そんな未来に想いを馳せた。二人を見ていると、三人で林檎の墓参りが出来る日もそう遠くないような気がした。姫月は顔をあげると、曖昧に笑みを浮かべてみせた。
「……そうだねえ。そんな世界が来たら、そうしよう」
現実的な姫月は、恐らく平和な世界が実現するなどとは信じていない。それでも彼女は、たまかの意見を否定することなく同意してくれた。
「『グリーン』のAIのお陰で、不可能とも言えなくなってきたしな。死んだ奴らにも協力を仰いで、少しずつ組織員の意識を変えていければ、案外すぐに実現するかも……なんて」
気休めではありそうだが、水面もそう言ってたまかを後押ししてくれた。たまかは希望に満ちた目を細めた。
(何より……長の三人が同じ方向を向いています。ですからきっと、『誰も傷つかない世界』は必ず現実に出来ます)
どんなに壁や困難が待ち構えていたとしても、先導する者達が同じ気持ちなら乗り切れるはずだ。姫月の願いも、きっと現実になる。たまかは嬉しそうに顔をほころばせた。希望が胸に満ちていく。
「あのっ、さっき会議中に出した中立地帯の大幅拡大の件ですが、もう一度話し合いませんか! 実現の日を前倒ししましょう!」
たまかは勢い良く身を乗り出し、二人へと顔を近づけた。居ても立っても居られないというように、そわそわと二人を窺う。こうなったたまかはもう止められないと知っている二人は、目尻を下げて口元を緩めた。やる気に満ち溢れた少女を中心に、再度三者による会議が開かれる。
「やっぱ……林檎の任命は正しかったんだよなあ」
姫月が小さな声で、ぽそりと漏らした。聞き取れなかったたまかは僅かに首を傾げたが、姫月はレースに包まれた手をひらひらと振り、「なんでもない」と発言を流したのだった。
***
「んじゃー、また一週間後な」
エレベーターに乗り込む前に、水面はたまかと姫月を振り返った。紺色の髪をさらさらと靡かせ、精悍な麗しい顔に笑みを浮かべる。別れの挨拶を短く済ますと、彼女は二枚歯を響かせてかごへと乗り込んだ。中には迎えに来た青空が立っていて、たまか達に睨みをきかせていた。今にも襲い掛かってきそうな眼光である。青空は自身の大将が乗り込んだのを見て、エレベーターのボタンを操作した。手を出すのは流石に堪えてくれたらしいが、扉が閉まる直前に「私が一発かましてもいいんですよ!」「いや、三者会談で抗争は御法度だろ」という会話が小さく聞こえてきた。そのままエレベーターは下へ降りていったようで、階数表示の点灯が一階まで流れるように移っていった。
「そんじゃ、うちも帰ろうかな。密会の邪魔しちゃ悪いし」
横の姫月もそう言って、たまかへと含みのある笑みを向けた。たまかは返事に窮し、苦笑いを返した。
「なんか、いろいろいい方向に進んでる気はするよね。来週もこの調子だといーね」
フリルとレースに塗れた大きなスカートを揺らし、厚底が音を立てた。姫月は別のエレベーターへ小走りで駆け寄ると、顔の横でレースに包まれた手をひらひらと振った。そしてパニエにより膨らんだスカート、桃色と紫色のメッシュの入った長い二つ結びを靡かせ、エレベーターへと乗り込んでいった。たまかもフレンチスリーブから伸びた手を、小さく振った。やがて扉が閉まり、小柄な黒白のフリルの塊はその向こうへと消えていった。
「……」
たまか一人となったエレベーターホールは、しんとした静けさに包まれた。その静寂は、遠い端のエレベーターの扉がひとりでに開いたことにより破られた。中から、カツンと二枚歯の音を響かせて人影が現れる。
「やっほーたまかさん。一週間ぶり~」
緻密な模様が彩る長い袖を振りながら、薄群青色の制服に身を包んだ少女がにこやかに登場した。ウェーブがかったアイボリーのショートカットを揺らし、高い背丈がたまかの横へと並ぶ。ハーフアップに編み込まれた先が花の簪によって留められているのを見て、たまかはそういえば、とふと思った。この髪型を、近いうちに見た気がするような。しかし彼女が朗らかな笑みをたまかへ向けたことにより、些細な気付きはすぐに霧散してしまった。
「今日も会議は平和に終わったねえ。いやー、なによりだよ」
彼女は盗聴していたことを隠そうともせず、あっけらかんと笑った。たまかも一週間ぶりの再会を喜び、彼女に笑みを返した。
「お久しぶりです、椛さん」
『ブルー』の制服に身を包む彼女は、実は『レッド』の一員である。彼女は林檎に『ブルー』のスパイの任務を命じられ、『ブルー』に身を置いている。その都合上『レッド』の長であるたまかとはなかなか接触の機会を作ることは難しかったが、三者会談の会場にはほとんど人の目がないことに着目した椛から、三者会談後に密かに会う事が出来ないかと提案を受けたことにより今に至る。今では三者会談の後は椛と忍んで会うのがお決まりだ。姫月には勘付かれているようだが、水面には気付かれていない。
「死んだ人達のAIが導入されて目が増えたから、抜け出す時間も最小限にしないとまずそうなんだよねえ。というわけで、『ブルー』の内情だけ共有しますね」
椛は早速本題に入った。彼女はどこか掴みどころがないように見えて、仕事はテキパキとこなすタイプだ。たまかも言葉を挟むことなく同意した。
「『レッド』も導入を決めたようですが、『グリーン』のAIが『ブルー』に導入されました。全部で十八台、今後さらに追加される見込みです。経緯としましては、『ブルー』は仲間意識が強い組織ですから、大切な人を喪った悲しみから立ち直れない人達も多く、彼女達が強く望んで縹がそれに応える形で実現したようです。AIを使ってその悲しみを埋めよう、ということですね」
「はい、その辺りは水面さんからも直接伺っています」
「あ、そうなんだ。では現状についてなのですが……メンタルケアという意味では大成功だったのですが、成功し過ぎた分、依存傾向にある者が多く出ているように見受けられます」
「依存傾向、ですか?」
椛は頷くと、振袖をそっと撫でながら話を続けた。
「大切な人が戻ってきたように錯覚するのでしょうね。AIとばかりずっと話していて、外に出たがらない人も増えています。あの暴れ馬の集まりがだよ!?」
椛は信じられないというように語気を強めた。その言い方には大分私情が入っている気がする。
「勿論、死者と再度向き合うことにより、正しく更生した人もいます。結果は様々ですが……AIを導入したことにより、『ブルー』のメンバーに強い影響があったということは間違いありません。それは大切な人を喪った人だけではなく、組織全体に言えることです。『ブルー』の懐かしい顔ぶれがAIとして戻ってきてから、『ブルー』はますます賑やかになって活気が溢れるようになりました。またAIによって立ち直った人々が多く復帰したことにより、戦力も増えて勝率も上がっています」
『グリーン』のAIを導入した結果、『ブルー』はより強く明るい組織となったようだ。『グリーン』との取引は成功だったと言える。しかし、椛は僅かにその表情を険しくして続けた。
「ですが……不穏な空気も感じています。どうもAIに賛成している人と快く思っていない人で、二分しているように思うんだよね」
うーんと悩まし気な顔で零す椛へ、たまかは驚いたように口を挟んだ。
「え……でも、水面さんが導入を決めたんですよね? 絶対服従である『ブルー』で、水面さんの意見に反対している人がいるんですか?」
「いや、表立って反対している人は誰もいません。ただ、メンバーと話していると、心の内ではAIをよく思っていないんじゃないかなーと感じることがたまにあるんです」
かなり意外である。水面の言うことに無条件で付き従うことが多い『ブルー』のメンバーでも、水面とは違う意見を持つことがあるらしい。
(でもそうですよね。今までが上手くいっていたとしても、今回は死者をそっくりに模して動かすAI。人それぞれ思う所があるのは当然であって、全員の意見が一致するはずがないんです)
AIを快く思っていなかったたまかだからこそ、疑問を覚える人達の気持ちもよくわかる。例え忠誠を誓った相手と違う意見だとしても、なかなかその引っ掛かりを消すことは難しいだろう。きっと死者のAIが正しいのかという問いに、正解などないのだろうから。
「胸中でAIを快く思っていない人達も、暴動を起こしたり縹に背いたりしようという意思は今のところないようです。ただ縹は今後もAIを増やそうとしているようですから、いずれ小さな衝突が起こる可能性はあります。……その時が『レッド』にとっての勝機になるかもしれません」
椛は袂を舞わせ、両手を後ろで組んだ。そして、たまかを見下ろして見透かしたように微笑む。
「……ま、君はそんなことしないんだろうけどね?」
「……はい。『ブルー』を攻める気はありません。ですがそうですね、もし『ブルー』内で揉め事が起こったとしたら、その時は……陰から力になりたいです」
その言葉に、椛はけらけらと明るく笑い声を響かせた。たまかは真面目な顔を解き、横の椛を見上げた。
「やっぱたまかさんは面白いね。……きっと朱宮さまも、草葉の陰で泣いてるよ」
「……それは嬉し泣きという意味ですよね?」
たまかは念を押すように尋ねた。そもそも林檎が泣いている姿など、想像がつかないが。
「あはは、うん、勿論。力になりたい、か。たまかさんらしくていいんじゃないかな。じゃあ雲行きが怪しくなったら、私もそのように動きますね」
椛は顔をあげ、遠くの窓の外を一瞥した。そしてたまかへと顔を戻すと、「では、そろそろ」と報告を切り上げた。他の長二人が帰った後で、たまか一人が会場に長く残っているのは不自然だ。他組織から違和感を持たれないようにするためにも、そろそろ去った方がいい頃合いだろう。
「……はい。引き続き、任務の方よろしくお願いします。くれぐれもお気を付けて」
「うん、任せて」
椛は朗らかな笑みを見せた。軽く請け負っているように見えるが、彼女は長く『ブルー』に潜んで正体を悟られずに情報を抜き続けてきた。彼女の腕は信頼していいだろう。
たまかは水面の使っていたエレベーターのもとへと向かった。椛が一足先に下降ボタンを押して呼んでくれた。一階で止まっていた表示が動き出す。二人は並んで到着するのを待った。
「……そういえば、死者のAIについて、椛さんはどっち派なのでしょう?」
会話がないのも寂しいと思い、たまかはなんとなく話題を振った。静かに二分している『ブルー』に身を置きながら、彼女はどちら側の立場で内情を見ているのだろう。なかなか答えが返ってこないことを疑問に思って横を見れば、椛はその顔から笑みを消していた。
「……そうだね……」
いつもの調子で軽い返答が返ってくると思っていたたまかは、遠くを見つめる寂しそうな表情を物珍しそうに見上げてしまった。
「どっちでもない、かな」
「どっちでもない?」
「うん、私には関係ないから」
意外とドライな回答が返ってきたことに驚いていると、椛は呆けるたまかへと視線を向け、誤解を正すように言葉を続けた。
「興味がないわけじゃないよ。私にも、もう一度会いたいって強く願う人はいる。いつだって彼女のことを忘れたことなんてない。でも、その子は組織へ入る前に殺されたから……『グリーン』がその子のAIを作るとは思えないんだ」
「ああ……」
死者のAIに無関心というわけではなく、会いたいと願う者のAIが作られることがないと分かっているからこそ、賛成とも反対とも言わずに距離を置きたいということらしい。
「……大切な人と再会出来る人達を、羨ましく感じたりしますか?」
「最初は羨ましくも思ったりしたけど、今は全然思わないかな。依存して機械に話し続ける子達を見てると、その光景を見て死んだ子が喜ぶとはとても思えなかったんだよね。だからAIが良いか悪いかは置いておいて、私の大切だった人のAIはなくていいかなって」
階数表示の点灯が、段々と端へ近づいていく。そろそろ終点だ。
「それに、私があの子と会う時は胸を張れる自分になってからがいいと思ってる。大切な人達を守り切って……」
チーン、と高い音がエレベーターホールに響いた。エレベーターが到着したようだ。
「……『ブルー』を消滅させた時」
エレベーターの扉が開いた。たまかは思わず、椛を振り向いた。彼女は丁度一歩前へと出たタイミングで、表情を窺うことは叶わなかった。御太鼓を揺らす背中はすたすたとエレベーターへ近づき、開いた扉を押さえた。もう片方の手をエレベーターの中へと導くように伸ばす。長く垂れる袖、振り返るアイボリーのウェーブヘアー。先程の冷たい声色が嘘のような、朗らかな笑みが現れた。
「さ、たまかさん。乗って乗って」
勧められるままに、たまかはエレベーターへと乗り込んだ。椛は一度かごの中へ入ると、一階のボタンを押してすぐに離れた。二枚歯を響かせ、数歩下がる。
「じゃあね、また来週~」
いつものにこやかな笑み。長い袖を揺らしながら、彼女はたまかへ向けてひらひらと手を振り続けた。扉が閉まっていき、見送る薄群青色の長身はその奥へと消えていった。
「……」
降下を始めたかごの中、たまかは狭い空間で一人俯いた。振動も音もなく、ただ静寂が支配している。
(知りませんでした。椛さん、『ブルー』に強い恨みを持っていたんですね……)
憎くて仕方がない人達に囲まれた日々を、彼女は一体どのような気持ちで過ごしているのだろう。たまかは重ねた両手を意味もなく摩った。
(……組織員一人一人境遇は違っていて、敵対組織に大きな憎しみを抱えている人がいることもわかってはいました)
だからこそ、争いはなくならない。自分の大切な人を殺されて、殺したい程憎く思わないはずがない。メンバーが容易に消せない程の強い怒りを敵対組織へ向けていることも、わかっているつもりだった。
(でも、改めて身近な人の心の内を聞くと……)
たまかの目指す『誰も傷つかない世界』では、その復讐を果たすことは絶対に叶わない。強い感情を抑え込み、大切な人を奪った人が笑顔でいることを容認することになる。それを、たまかはメンバー達へ強いらなければならない。平和な世界を目指すとは、そういうことだ。
(それでも、私は……その世界を目指したい)
たまかは重ねた手を包み込むように力を込めた。
(誰も傷つかない世界は、その復讐の連鎖を断ち切れますから)
誰かが復讐を堪えて殺すことを諦めれば、その分同じ境遇の人の誕生を防ぐことが出来る。椛のように大切な人を奪われた人々にとって、酷な事を強いていることは分かっている。それでも全て理解し背負った上で、誰も傷つかない、争いのない世界を目指して進み続けたい。そうでなければ、真に平和な世界は永遠に訪れはしないだろうから。
(椛さんも私の方針に異を唱えていないことからして……きっと心のどこかで理解してはいるのでしょう)
復讐が無意味で、無限に続く呪いだということを。
(人を殺す以外で……彼女達の憎しみを軽減させる方法はないのでしょうか。大切な人を奪われた人達が、少しでも苦しまずに済む方法……)
たまかの頭に浮かんだのは、『グリーン』の最先端技術を用いた商品だった。
「……」
たまかは唇をきゅっと結んだ。
(『ブルー』でその有効性は証明されているようでした。依存する人も出てきているという話でしたが……平和な世界を実現させるための鍵は、案外あのAIなのかもしれません……)
まるでクイズ番組のように、チーンという高い音が響き渡った。はっとして顔を上げると、丁度目の前の扉が開いていくところだった。差し込む光の眩しさに目を細める。一階に着いたようだった。
(大切な人そっくりのAI……それと接することで、大切な人を亡くした心の穴は完全に埋めることが出来るのでしょうか)
それが叶うのだとすれば、遺されてしまった人が復讐に走ることなど無くなる。抗争は無くなり、皆の総意のもとに平和な世界を迎えることが出来る。『グリーン』にもあのAIの製作過程にも未知の部分はあれど、『誰も傷つかない世界』を実現する近道となるのなら、利用することに躊躇は出来ない。
(……でも……)
しかし、たまかはその表情に影を落とした。
(じゃあ、人の命って……なんなのでしょうか)
AIで代用できる命。そこに価値はあるのだろうか。自分が必死に治療してこの世に繋ぎ止めてきた数多の生は、果たして機械で補えるようなものだったのだろうか。
たまかは純白の靴を鳴らし、エレベーターを降りた。その顔は、見えない答えを求めるように思考の海へと深く沈んでいたのだった。
***
■Side B
廊下には、部屋から漏れた賑やかな声が響いていた。長身の先の美しい顔から、小さなため息が漏れる。話し声が聞こえてくる方へと、水面は紺色の髪先を靡かせて二枚歯を進めた。明かりの漏れている扉の前までやってくると、ノックもなく豪快に扉を開いた。力の加減をしなかったため扉が壁に打ち付けられてミシリと大きな音を立てていたが、細かいことは気にしなかった。
「消灯時間過ぎてるでしょー、もう寝な」
「はっ、縹様!」
部屋に集まっていた『ブルー』の組織員達は、突然の大将の登場に慌てふためいた。にわかに騒がしくなった室内に構うことなく、水面はくあと欠伸を漏らした。そのまま扉の枠縁へと背を預けて、緩やかに腕を組む。部屋にいた薄群青色の制服を着た少女達は、横並びになって揃って水面へと大きく頭を下げた。
「五月蠅くしてすんません! ただいま片付けます!」
「ん」
部屋中に響くハキハキとした大きな声に、水面は眠いのを隠そうともせずに雑に返した。
「お前が大きな声出すから迷惑掛けたんだろうが!」
「いたっ」
この中では一番古株の少女が、横の少女の頬に思い切り拳を叩きつけた。少女は吹っ飛び、勢い良く壁に打ち付けられた。その鼻から、つうと一筋の血が流れていった。
「お前ら、すぐ電源落とせ!」
吹っ飛ばした少女に構うことなく、大声の指示が飛ぶ。『ブルー』の少女達は一目散に散り、各々パソコンの操作をし始めた。
「……生き返った奴らと会話してたのか」
少女達が急いで操作する背中を眺めながら、水面はポツリと漏らした。見ればこの部屋にはデスクトップパソコンが集められていて、十台近くのパソコンの電源が付けられているようだった。遠目にモニターを覗けば、懐かしい顔ぶれが映っている。廊下まで響く程賑やかだったのは、皆で会話を楽しんでいたからだろう。一台のモニターに映る少女と目が合い、水面は小さく手を上げて挨拶をした。画面の中で少女が嬉しそうな顔を浮かべたのと同時に、モニターが切れた。真っ暗な画面が広がり、少女の姿は忽然と消えていた。
「おい、伸びてねえで早く消せ!」
「は、はい……!」
ボタボタと鼻血を垂らしていた少女は、怒鳴られてびくりと上体を起こした。慌てて電源がついたままのパソコンへと這っていく。真っ赤な鼻を振袖で乱暴に拭い、マウスをカチカチと急かすように鳴らす。横では一台、また一台とシャットダウンされ、画面から少女の姿が次々と消えていた。
「あっ……!?」
鼻血で制服を汚した少女が、不意に声を漏らした。焦りからマウスを操作する手が滑り、変なところをクリックしてしまったらしい。見たことのないウィンドウが表示され、彼女は目に見えて焦っているようだった。
「はー、しょうがないな。貸せ」
「す、すみません!」
横にいた少女が引っ手繰るようにマウスを取り上げ、代わりにシャットダウンをしようとパソコンの前へと寄った。鼻血を垂らしたままの少女は、申し訳なさそうに何度も頭を下げた。床にボタボタと赤が広がる。
「……ん?」
画面を覗いた少女達の動きが止まった。どうやら勝手に誰かのAIが立ち上がってしまったらしく、真っ白なウィンドウがデスクトップ画面を覆っていた。すぐにデータが読み込まれ、表示が始まる。水面も欠伸を噛み殺しながら、二人の頭越しに画面を覗こうと背伸びをした。モニターの中央には、一人の少女が映っていた。
「……!」
部屋の者全てが、息を呑んだ気がした。二つの頭越しにちらりと見えたのは、鮮やかな紅色の髪。鼻血をボタボタと零した少女が言葉にならない声をあげて後退り、水面からも全体が見えた。画面に映る小柄な姿は、遠い日々に毎日隣で見つめ続けたものだった。『レッド』の紅色の制服に身を包み、両手を前で上品に重ねている。覚えのある、隙のない佇まい。全てを見透かしたような、淡い微笑み。
(林檎……!)
眠気が一気に吹き飛んだ。水面は画面に釘付けになったまま、呼吸も忘れたように固まっていた。ずっと会いたいと思っていた姿が、目の前にあった。……まるで、夢の中にいるみたいだ。
『あら? ……『ブルー』の方々が、一体何用でしょう』
突然呼び出されたであろうにも拘らず、その声は落ち着き払っていた。画面の中の少女は微笑みを深くしたが、目は笑っていなかった。その大きな双眸は、ついと水面へと向けられた。突然目が合い、水面は心臓が跳ねあがった。
『縹の指揮で敵組織の前長のAIを破壊して憂さ晴らしですか? 野蛮で非生産的、愚劣の骨頂ですね。あなた達の程度が知れるわ』
「お前っ……っ!」
流れるような罵倒に、一番古株の少女が堪らずと言ったように怒鳴り声を上げた。逞しい右腕が勢い良く振り上げられたかと思うと、画面目掛けて一直線に向かっていく。止める暇もなく、ガシャンという大きな音が響き渡り、拳がモニターにめり込んだ。画面には無数に亀裂が走り、ボロボロと破片が崩れ落ちていった。歪んだ画面の中で、林檎は微動だにせずに微笑んだままだった。拳が貫通していようが、どこ吹く風だ。その視線は、真っ直ぐと水面へと向けられたままだった。
(……そういえば、姫月が言ってたな。他の組織のAIを呼び出せるみたいだ、って……)
動揺を抑えて頭を必死に動かし、昼下がりにあった三者会談を思い起こす。ついでに、『レッド』がAIの導入を決めたとたまかが言っていたことも思い出した。となると、『レッド』が林檎のAIを作っていたとしても、なんら疑問はない。むしろ彼女の価値を考えれば自然な流れである。それを『ラビット』のように、組織を跨って誤って呼び出してしまったということらしかった。
「……ふん、機械でもその減らず口は相変わらずなんだな」
挑発するような視線へ、水面はなんとかそう返して、鼻で笑ってみせた。上手く笑えていたかどうかはわからない。心の中はドクドクと心臓が跳ねまわっているみたいで、耳に響く程五月蠅く鳴っていた。
『あなた達のように、嘔啞嘲哳の羅列の末、拳を持ち出すような手合とは違いますので』
くすりと不敵に笑う、敵対組織の元リーダー。
(本当に……林檎だ……)
声、姿、振舞い、言葉選び、どれをとっても彼女としか思えなかった。まるで、彼女が目の前で生き返ったようだ。
(ま、また話せてる)
上手く呼吸が出来ない。誤解が解けて、お互いに殺し合うことをやめて、その上でまた話がしたいとずっと思ってきた。そんなこと、もう二度と叶わないと思っていた。今、それが現実になっている。
「……お前達みたいに無意味な言葉を並べ立てるより、拳の方がよっぽど力があるからね」
僅かに声が震えた。それでも部屋にいる組織員達の目もある手前、なんとか言い返す。
(……でも……)
画面の中から水面へ向く眼差しは、完全に敵へ向けるものだった。
(……昔みたいにとは、やっぱりいかないか……)
当たり前といえば当たり前だ。そもそもこれは『グリーン』の作り出した機械なわけで、水面と林檎が仲が良かったという情報がインプットされているはずがないのだ。林檎の気を許したようなはにかみを思い起こして、水面はひどく胸が締め付けられた。
(あの頃には、戻れない)
それは敵対を決めた時に、わかっていたことではないか。こうして言葉を交わせること自体が既に奇跡なのだ。しかし虚しさと悲しさが心の中で大きく渦巻いて、感情を掻き乱す。水面は唇を結び、拳を強く握り締めた。
「ごたごた言ってんな、いっぺん死んどけ!」
水面の様子を逆鱗に触れたと勘違いしたのか、画面に拳をめり込ませていた少女がもう一度拳を振り上げた。血の滴る拳を、再度画面へと打ち付ける。ミシッと嫌な音が響いた。今度こそモニターは完全に壊れたらしく、亀裂だらけの画面は真っ暗になった。血に塗れた破片が崩れて拳の周りから落ちていく。敵対長の姿が消えた部屋の中は、しばし静寂に包まれた。
「……縹様」
暗くなった画面から拳を抜き、少女は水面へと振り返った。そして、頭を下げた。
「この度は騒がしくしてすみませんでした。寝る前にご不快にさせてしまった落とし前、つけますんで」
彼女の旋毛を見下ろしながら、水面は組んでいた腕を解いた。彼女は、責任は自分が取ると言っている。絶対服従である『ブルー』で、長の機嫌を損ねさせるのは死を意味する。水面はゆっくりと、もたれていた背を壁から離した。
「ちゃ、茶々様! 私達も罰を受けます!」
周りの少女達は頭を下げたままの先輩へ必死に言葉を投げていた。しかし先輩はその声に一切の返事をしなかった。
「……ああ、そうだな。お前らはもう寝な」
水面は頭を下げ続けている少女の前へ立つと、周りへと言葉だけで離れるよう促した。少女達はびくりと怯え、再度先輩へと視線を移した。古株の少女は何も言わずに頭を下げたままだ。周りの少女達は水面へ頭を下げると、部屋から逃げるようにして出て行った。
「……」
二人になった室内で、水面は小さくため息を漏らした。頭を掻く。
「明日殴り込みに行く時、先陣を切れ。それでチャラだ」
「え?」
反射的に頭を少し上げ、少女は戸惑いとともに水面を見上げた。ボコボコにされて床に転がされるようなことを覚悟していたらしい。
「寝る前にシャワーまた行くのめんどいんだよ。それに最近お前も暴れ足りなかったでしょ? 一番乗り出来れば、思う存分暴れられるよ」
少女はぽかんとしていたが、水面が返事を待ち続けていると、再度深く頭を下げ出した。大きく口を開けて叫ぶ。
「わ……わかりました!」
「うん、ここは片付けとくからお前も寝な」
水面は放置されたままのパソコンを見渡した。まだ数台、電源がついたままだ。
「で、ですが……」
「お前の手、怪我してるでしょ」
少女は真っ赤に染まった自身の手を見下ろし、言葉を詰まらせた。
「……すんません」
「明日の大活躍、期待してるからな」
水面は励ますように彼女の背中を叩いた。それ程力を入れたつもりはなかったが、体格のしっかりした彼女の体は大きくよろけた。少女は大きな返事を響かせた後、小走りで部屋を出て行った。御太鼓が扉の奥へ消えるのを見届け、水面はふうと息を漏らした。
(……たまかが悲しむからな)
『ブルー』では暴力は躾、そしてコミュニケーションの一環だ。しかし新しい『レッド』の長は、それを良しとしない。別に彼女に迎合するつもりはないが、不要な怪我を避けられるのならば避けた方が賢明だろう。最近は『レッド』や『ラビット』との抗争が少なくなった分、中小組織へ殴り込みに行く頻度が増えている。メンバーの負傷は、少なければ少ない程いい。
一人残った部屋の中で、水面は無造作に並ぶパソコンへと振り返った。適当に目についた台から、シャットダウンの操作をしていく。
「おやすみ」
AIの起動を終了させる時は、必ず声を掛けた。画面の中の少女達は、以前戦いを共にした家族達だ。寝る時は挨拶をするのが当然だろう。彼女達は挨拶を返したり、深くお辞儀をしたりして消えていった。一台、また一台と電源を消していく。
「これで終わりか? ……いや、あと一台あるな」
操作していたパソコンの電源が切れたことを確認して顔をあげると、まだ電源ランプが光ったままのパソコンを見つけた。繋がれたモニターを確認しようとコードの先を目で辿ると、破片が飛び散った粉々の画面が視界に現れた。モニターは破壊されているが、パソコンが壊れた訳ではないため電源は入ったままとなっているようだ。シャットダウンするには、モニターを変える必要がある。水面は壊れたモニターのコードをパソコンから抜いた。
「……」
既にシャットダウンを終えている他のパソコンから、モニターのコードを抜いて持ってくる。低く音を立てているパソコンへと近づいてコードの先を差し込もうとして、ふと手が止まった。
(……林檎のAI、もしかして起動したままか?)
モニターが壊れる直前の光景を思い起こす。迫り来る拳を物ともせず、微笑みを絶やさずに佇む姿。……また、彼女と会う事になるのか。水面はごくんと唾を呑み込んだ。止まっていた手を再開させ、コードの先をパソコンへと差し込む。ゆっくりと体を離し、ぎこちなくモニターを覗き込んだ。——目が合う。
『……』
破壊される直前と寸分狂わない姿で、小さな少女が映し出されていた。その大きな双眸は、じっと水面を見上げている。見慣れた旧友、そして敵対組織の長の姿。水面は一瞬顔をしかめたあと、無言のままマウスを手にとった。カーソルをスライドさせ、AIの起動を終了させるボタンへと持っていく。彼女は自分を憎むべき敵対組織の長として見ている。小言が飛んでくるかもしれないと思いながらも、水面は無言を貫いた。何と声を掛ければよいのか、わからなかった。ずっと話をしたいと思っていた相手が目の前にいる嬉しさと、完全なる憎しみの対象としか見られていないであろう悲しさ。ずっとこうしていたい気持ちと、すぐにでも別れたい気持ち。反する二つの思いが、胸の中で渦巻く。どちらにせよ、敵対組織の長とあまり長くいるべきではない。変な焦りとともに、水面は素早くカーソルを移動させた。あとはワンクリックするだけで、彼女の姿は消える。水面は躊躇いなく人差し指を動かそうとした。
『……水面』
スピーカーから聞こえてきた小さな声は、淡々とした冷たいものではなかった。常に口調や抑揚、声量、印象をコントロールする『レッド』の長としてのそれではない。水面は金縛りにあったかのように指の動きを止めた。思わず目を見開く。高く舌足らずで、鈴のような可愛らしい声。威厳や挑発のために作られたものではない、彼女の素の声。昔、毎日聞いていた声だ。水面は幻聴を聞いたような顔をして、ぎこちなく終了ボタンから画面の中央へと視線を移した。ここには、目の前で光る一つのモニターと自分しかいない。自分の名前を呼ぶ人など、一人しかいないのだ。モニターの中の少女は、終了ボタンを押されなかったこと、そして水面の視線が自分に向いたことにほっとした様子だった。彼女は柔らかく目を細め、水面へ向けて小さくはにかんだ。先程の挑発するような笑みとは全く違う。まるで、旧友に向けるような笑み。
『……良かった。……無視、されなくて』
水面は呆けたまま、光るモニターを見つめていた。……今、彼女は自分をなんと呼んだ? 頭が真っ白になって、理解が追いつかなかった。
『……わたし、ずっとこうして話したかったの。皆の前では悟られる訳にはいかなくて、こうやって話せなくて……』
一度目が逸らされる。長い睫毛、揺れる内巻きの髪先、胸の前で組まれた小さな手。等身大の彼女。まるで、学生時代に時が戻ったかのようだった。
『ずっと……ずっとね。水面とまた……話したかった』
画面の奥で、あどけない笑みが咲いた。水面は魂が抜けたように画面の前で固まっていた。水面がずっと望んでいた光景が、目の前に広がっていた。毎日夢見て、日々焦がれていた現実が目の前にあった。
『昔みたいに……水面と沢山、いろんなことがしたかった。くだらないことを話して笑い合って……ううん、そんな贅沢は言わないわ。ずっと、隣にいたかった。わたし達、それすらももう出来ないと思っていたから』
林檎は寂しそうにそう言って小さく笑みを浮かべた。水面がずっと恋焦がれていた言葉をスピーカーが紡ぎ、水面が何よりも求めていた光景をモニターが映し出していた。横では飾り気のないパソコンが、稼働音を低く唸らせている。
『出来れば、姫月も一緒に三人で。……あの頃みたいに』
「……あ……」
水面の口から、震えた声が漏れた。まだ目の前の光景が信じられないように、水面の瞳は画面に囚われたままだった。
『……? 水面……』
驚愕に染まったままの水面の顔を覗き込むようにして、モニターの奥の林檎は小さく首を傾げた。
『水面は……そうは思っていなかった?』
「……っ!」
水面は思わず息を呑んだ。林檎は寂し気に微笑むと、そっと瞼を伏せた。
『……そうよね。急にごめんなさい。……分かっているわ。水面がわたし達のこと、酷く憎んでいるということくらい。……今の話は、忘れ——』
「そんなわけない!」
気付けば水面は叫んでいた。部屋中に響くような、鋭い声だった。
「……そんなわけ、ないよ」
水面はくしゃりと顔を歪め、今にも泣きそうな顔をした。
「ずっと……ずっと、きっと誰よりも話したがっていたのは……あたしなんだ」
二人が隣にいることが当たり前だった学生時代。あの宝物のような日々に戻りたいと、一体何度願ったことか。
「でも……出来なかった。あたしにそんな資格なかった。だってあたしは、アオイを殺した姫月の仲間達を殺した。怒りのまま、何度も何度も殺戮を繰り返した。協力を断った林檎とも敵対して、数え切れない程抗争を繰り広げてきた。二人に会うことなんて、出来なかった」
裏切られた悲しみ、仲間を殺された憎しみ。あの時から、仲間以外全てが邪悪な心を持った敵にしか見えなくなった。それでも抗争の日々の中で、二人を想う気持ちは消えてはくれなかった。気付けば二人が傍にいた時のことを思い出して、二人の笑顔が頭に浮かんでしまった。憎き仇のはずなのに、二人を求める気持ちは日に日に強くなっていった。相反する二つの感情を持ちながら、水面自身も二人への気持ちが良く分からなくなってしまった。でも本当はきっと、二人への友愛の気持ちが真実だった。殺し合いを繰り返した事実がある以上、もう後には引けなくなっていただけだった。
「あたし、ずっと後悔してるんだ。お前が組織を発足して、あたし達と抗争をするようになったのは、あたしと姫月が敵対したからだ。あたしがちゃんと……お前が無理して組織の長をしていることに気付いて、辞めさせてやれてたら……お前の手を汚させずに済んだんじゃないか、って……。平和な道を歩んで、友達に囲まれて過ごす未来があったんじゃないか、って……」
たまかが次期『レッド』の長になったときいて、まず申し出たのが長を降りる助力だった。本当は、あの言葉を掛けたかった相手は——。
「お前はすぐ強がって無理をするって、わかってたのに……。あたしは怒りに染まって、自分のことしか考えられてなかった。なんで気付いてやれなかったんだろうって、ずっと後悔してるんだ。ごめん。お前の人生を狂わせて、独りぼっちにさせて、本当に、ごめん……」
水面の瞳から大粒の涙がこぼれ、頬を伝っていった。震える手で、スカートの裾をぎゅっと握り締める。ずっと、ずっと言いたかった言葉だった。嗚咽交じりに心の内を吐き出し、深く頭を下げた。しかし、水面も心の奥で気付いていた。この言葉を言うべき相手は、目の前のモニターではない。
『……』
スピーカーからは、沈黙が流れていた。口汚く責められる覚悟は出来ていた。作り物、紛い物でも構わない。本物の林檎の代わりに、怒って決別してくれるのならそれでもいい。きっとそれが、生きている内に林檎から聞くことの出来なかった本心だから。
『……水面は馬鹿ね。それに、傲慢だわ』
「……え?」
スピーカーから流れてきたのは、怒りの色の微塵もない声だった。そろそろと頭を上げると、モニターの奥の林檎はじっと水面を見つめていた。その顔には怒りも悲しみも浮かんでいない。
『言っておくけど、わたしが組織の長になったのは水面のせいではないわ。わたしが自分で選んだ道よ。だから誰かの責任なんかじゃないし、水面が罪悪感を抱くのも筋違い』
……まるで、本物の林檎のような言葉、口調。……そうだ。あいつはきっと、怒らずに冷静にそう言って——
『それに、わたしは無理なんかしてないわ。一度たりともね』
——小さく口を尖らせたあと、そっと笑って。あたかも目の前に死んだ林檎が蘇ったかのように、彼女の姿と昔の影が重なった。水面の体から、力が抜けていく。
「……そっか。……そうだな」
ポロポロと零れていく涙を拭くこともせず、水面はくしゃりと笑った。愛しさが溢れたような笑み。
「お前は一度だって、強がったりしてないんだもんな」
林檎がいかにも言いそうなセリフだった。彼女は誰よりも強がりで、誰よりも完璧で、そして誰よりも優しいのだ。
「……う」
懐かしさと温かさで胸が満ちて、後から後から涙が溢れて止まらなかった。ぼやけた視界の中で、作ったものではない、あどけなさの残る柔らかな微笑みがこちらを向いていた。
(……わかってる。これは機械だ。機械に懺悔して赦してもらうなんて……本物の林檎に対する冒涜だ。これで赦された気になったらいけない。いけないのに……)
……それなのに。
(あたしがずっと求めてきたものが……目の前にある)
『レッド』の長として作られた完璧な笑みを捨て、あどけなく笑いかけてくれる旧友。あの頃と同じ様に、飾らずも優しい言葉を掛けてくれる舌足らずな声。夢にまで見た、望んでいた光景。これ以上ない幸福感が胸を満たし、けれどそれは偽りの物だと心の奥の理性が咎める。二人を憎み、想っていた時と同じだ。二つの相反する感情が水面の胸の中で掻き乱れ、分からなくなるほどぐちゃぐちゃに交わっていく。
『……ねえ水面。そろそろ『ブルー』の見回りの人が来るんじゃない? 遠くで二枚歯の音が聞こえるわ』
林檎の言葉に、水面ははっとして濡れそぼった顔を時計へと向けた。確かに見回りの時間が迫っていた。こういう細かいところに気が付くのも、とても林檎らしかった。水面は慌てて長い袖の先で目元を拭った。すんと鼻を啜り、再び目の前のモニターへと顔を向ける。林檎は真っ直ぐと水面を見上げていた。口元に浮かぶ笑み、細められた瞳。友愛の情が滲む、可愛らしい顔。
『ねえ、もし良かったら……また一緒に話してくれない? 二人きりになれたときに』
「……」
水面は一瞬八の字に眉を寄せた。……わかっている。これは、機械だ。
『……ごめんなさい。困らせるつもりはなかったのだけれど』
目の前の顔は、そう言って哀しげに微笑みを浮かべた。……違う。そんな顔をさせたかった訳じゃない。
『そうよね、水面の気持ちも分かっているつもりなの。少し我儘が過ぎたわ——』
「違う」
思わず林檎の言葉を遮ってしまい、水面は誤魔化すように視線を泳がせた。モニターの中の林檎は、人形のような顔でその目をまんまるにしていた。
『……』
「……あたしが……お前と話したくないわけ、ないだろ」
水面は視線を逸らしたまま、絞り出すようにそう言った。かき乱された心は、まだ様々な感情が渦巻いたままだ。しかしこれだけは、水面の嘘偽りない本心だと言い切れた。
『……ふふ』
林檎は柔らかく微笑んだ。『レッド』の長としては絶対見せないような、心から嬉しさを噛みしめる笑みだった。
『ありがとう。……水面のくだらない話、また聞けるのが楽しみね』
「お前の小難しい話より百倍面白いぞ。どうせ気付けば夢中で聞いてるくせに」
まるで時が戻ったかのように、昔のように言い合う。そして二人は、同時に笑みを零した。
(……こんなの、間違ってるはずなのに)
どうしようもないほど、幸せだった。
(駄目だ。これは本物の林檎じゃない。違うのに……)
『じゃあ……シャットダウンするわね。AIは自分で電源を落とすことも出来るから、今度からは声を掛けてくれるだけで大丈夫よ。……水面も早く寝なさいよ?』
くすりと愛し気に笑みを零した後、林檎は画面の中でひらひらと手を振った。あの頃からあまり成長していない、白い小さな手。
『おやすみなさい』
微笑みを残し、プツンと音が鳴ってモニターの電源が切れた。彼女の言っていた通り、横のパソコンも自動的にシャットダウンされていた。目の前に広がるのは、淡く自分の影が映る闇だけだった。
「……。…………」
まるで、夢を見ていたような気分だった。静まり返った、一人だけの室内。消えてしまったモニターを、水面は茫然と見つめ続けていた。頭が上手く現実を処理出来ない。
(ま……また、林檎と話せた)
何も映っていない、暗いモニター。そこに反射する水面の顔は、まるで抜け殻のような表情をしていた。
(あの頃みたいに……)
震える手で、思わず口元を覆った。ようやく先程起こったことを脳が少しずつ認識し出し、口から変な笑みが漏れた。
(……嘘みたいだ)
ある意味嘘だ。だってあの林檎は、機械なのだから。
(わかってる、あれは機械、AIだ。……でも、それでも、不可能だと思ってた、ずっと願っていたことが……現実に……)
彼女そっくりの思考をし、彼女そっくりの言葉を放ち、彼女そっくりの姿と声で、彼女そっくりに微笑む。彼女はAIだが、林檎と全てが同じならば——それは本当に、ただの機械だと言えるのだろうか。
「……」
扉越しに遠く二枚歯の音が聞こえてきて、水面ははっとして顔をあげた。そうだ、そろそろ見回りが来る時間だった。水面は急いで立ち上がった。健康的な引き締まった太ももが、短いプリーツスカートの下へと隠れる。壁のスイッチを押して部屋の照明を消し、自分の部屋へ戻ろうと慌てたように扉を開けた。部屋を出た途端、廊下の奥の小柄な少女と目が合った。水面は思わず凍り付く。対して見回りをしていた少女は、水面に気が付くとずんずんと近づいて来た。跳ねる群青色のショートカットヘアー、低い背丈、あまり良いとは言えない目つき。水面の前までやってきて真っ直ぐと見上げるのは、いつも横にいる顔、水波だった。
「……縹様? 何かありましたか?」
水波はその顔を険しくし、長へと尋ねた。口からちらりと八重歯が覗く。
「敵襲ですか? それともトレーニングでも……?」
「ああ、いや……何でもない。……忘れ物を取りにきただけだ」
水面は空の両手を掲げ、水波を宥めた。水波は乗り出していた身をゆっくりと戻した。「そうですか」と言って、彼女は頷いた。
「失礼しました。おやすみなさいませ」
「ああ、おやすみ」
水面は笑みを浮かべて挨拶を交わし、二枚歯を鳴らして足早にその場を後にした。水波はその背中の御太鼓をじっと見送った。廊下の奥に水面の影が消えたあと、水波は水面が出てきた部屋の扉を開けた。照明を付けると、いくつものパソコンとモニターが姿を現した。それらを見渡し、水波は僅かに表情を曇らせた。
「目……赤かったよな」
水波は顎へ手を当てると、何かを考えるように俯いた。その視線の先は、暗闇が広がるばかりのモニターだった。
部屋は静かだ。時計の針が時を刻む音だけが、小さく音を立て続けていた。
***
■Side W
「うん、どれも異常なしです。エラーログも確認出来ませんでした」
『レッド』のアジトの一室にて、深緑色の制服に身を包んだ少女が立ちあがりながらそう言った。彼女が操作していたノートパソコンの画面は、アルファベットが羅列されたウィンドウから一人の少女の立つ空間へと切り替わった。それを確認してから、少女はたまかへと振り返った。厚手の生地から晒された白い肩とうなじを、反対側から垂れた薄い若緑色の布がふんわりと撫でていく。緩く結ばれた二つの萌黄色の髪の束が、くるくると髪を跳ねさせたまま彼女の胸元へ着地した。
「以上でメンテナンスは無事に終了です。何かAI関連でお困りのことはありますか?」
やよゐはにこりと営業用と思われる笑みをたまかへと向けた。その胡散臭い満面の笑みを、たまかは心中を探るようにじっとりと見つめた。
(メンテナンスといっても、ログの確認といくつかのパッチを当てただけでしたね……)
何か怪しい動きがないか長直々に見張っていたのだが、やよゐのメンテナンスに変わったところはなかった。映像ファイルや履歴の情報を抜いたような素振りもなかった。……やはり、少々疑心暗鬼になり過ぎているのかもしれない。彼女の笑みが胡散臭く見えるのだって、きっとたまかの脳内に良くないフィルターが掛かってしまっているからだ。
「……ありがとうございます。困っていることも、特にありません。とても……素晴らしい働きをしてくれています」
たまかは作業のために集めて並べられたノートパソコンへと視線を向けた。故人のAIが参入したお陰で、ここ最近の作戦は完遂率がほぼほぼ百パーセントに達している。的確な助言、蓄積された経験、全ては『レッド』の策に莫大な力を与えていた。
「ふふ! お力になれているようで、良かったです」
やよゐは嬉しそうに体を揺らした。その笑みは、本心から喜んでいるように見えた。
「では、あたいはここらで失礼しますね」
「はい、お疲れ様でした。えっと、代金は……」
「ああ、メールで送った通りキャッシュレス制を導入したので大丈夫ですよ!」
「……そうでした」
たまかは先日受け取った『グリーン』からのメールを脳裏に呼び起こした。今の時代、取引は基本的に現金を用いる。なぜなら金を保管する程の信用を、どこも持ち得ていないからだ。金の預け先がないため、組織はどこも自らの管理で金を保有している。受け渡しも当然そこから自分達で持ち出し、相手と会って直接渡すことになる。少し手間は掛かるが、確実な取引のためには必要なことだ。銀行も存在してはいるが、最近不祥事を起こした財団が管理していることもあって、今となっては利用している組織はほぼゼロに近い。
その仕組みが当たり前の時代で、『グリーン』が提案してきたのは銀行を介さない上に現金不要の前代未聞の取引だった。といっても最終的に現金の受け渡しを自分達でするというところは変わらず、要は相互信頼を前提とした帳簿上の取引を挟む、会社時代のクレジットカードの仕組みのようなものだった。『グリーン』は書類上だけで一旦支払いの受領をし、後日数回分の代金をまとめて受け取りに来るというものだ。これは客の支払い能力を見極める必要があるやり方だと思うが、その点三大組織であれば何の不安もないということなのだろう。担保として、支払いが出来ないと判断された場合は直ちにAIを遠隔で停止させるという契約を結んでいる。……正確に言えば最初に提案されたのは『グリーン』が疑似的に銀行の役割を果たす『金銭管理完全デジタル化金庫データベースシステムの提供』だったのだが、丁重にお断りした。『レッド』は資金状況を晒す程『グリーン』を信用していない。
「門までお送りします」
「おや、長直々にですか? いやー、厚待遇ですねえ! 生き返った皆さんが優秀すぎるお陰でしょうか」
やよゐはにゃははと上機嫌に喜んだ。『レッド』は客人に無礼を働くような真似はしない。別に深い意味はなく、見送りは最低限のおもてなしである。たまかとやよゐはパソコンの並んだ部屋を出て、揃って廊下を歩いていった。辺りを照らす煌びやかな照明、額縁に収まる名も知らぬ絵画。ふかふかの鮮やかなカーペットは、二人が踏み締める度にその形に沈んでいく。
「……そうだ。AIのことで、一つ気になることがあるのですが……」
「おや、不具合ですか?」
並んで歩きながら、たまかはふと思い出したことを切り出した。やよゐは興味深そうにたまかの顔を覗き込んだ。
「いえ、不具合ではありません。実は……」
たまかは先日の三者会談での姫月の発言を思い起こしていた。他の組織のAIにもアクセス出来てしまうということ。そしてそれを悪いことに使えるかもしれないということ。
(『グリーン』に隠れて何かに使えそうという姫月さんの考えは確かにそうなのですが、このまま隠して『グリーン』の情報を探るのに成功する確率よりも、『グリーン』の預かり知らぬところで『ラビット』や『ブルー』が脆弱性を悪用して予想もつかないような凶行に及ぶ確率の方が高い気がするんですよね……)
それは避けなければならない。きっと死傷者が多数出る。そして万が一そうなった場合、『グリーン』に仕組みの穴を隠していたことが知られたら、協力してもらえない可能性がある。AIの専門家の力を借りられないようでは、事態の収拾は難しくなるだろう。そのような未来は防ぎたい。
(……やっぱり、『グリーン』には正直に伝えるべきだと思います)
たまかは心の内でそう結論付け、やよゐへ他の組織のAIへアクセス出来てしまう旨を告げた。勿論、「何かに使えそう」と企んでいた姫月の発言は全てカットだ。
「ふむ、他の組織のAIに……ですか」
たまかの説明が終わると、やよゐは真面目な顔をして口を閉じた。この反応からして、やはり想定外の挙動だったようだ。エレベーターホールに着くまで、しばらく彼女は無言のままだった。いろいろと考え込んでいるようだ。エレベーターに乗り込んで扉が閉まったあと、やよゐは漸く顔を上げた。そしてたまかに向かって、口を開いた。
「……別にいいんじゃないでしょうか」
「へ」
あっけらかんとした言い様に、たまかは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「だって、特に困ることもないですよね? エラーが出るとか動作が止まるという訳でもないですし。他の組織の方を呼び出せたとして、その方が正直に組織の内情を吐くとも思えませんし、敵に協力をするとも思えません。問題ないのではないでしょうか?」
もともと『ラビット』には個人情報を付与しない他組織の姿のAIを貸し出していますしね、とやよゐは平然とした顔で付け足した。エレベーターが一階に到着し、扉が開く。眩しい程の光が差し込み、面食らっていたたまかははっとして足を動かした。エレベーターを出て、二人で広い廊下を歩いていく。
「そう……ですか? いやそうかもしれないですけど……」
軽く流されるとは思っていなかったたまかは、戸惑いを隠せずに視線を泳がせた。開発者の意図しない挙動は、もっと大ごとに取り扱われるものなのかと思っていた。
「その穴を突いて、何か他の悪さをされる可能性はないのでしょうか? それに他の組織のAIを呼び出して拷問などをされた場合、情報漏洩を防ぎきれませんよ」
「おや……一番それをしそうな組織の長に指摘されるとは。まあ、そうですねえ……」
やよゐはたまかの言葉を一考するように、うーんと唸った。
「AIに拷問が通じるのかという疑問は残りますが、確かに把握しながら放置するのは良くないかもしれません。ラテラルムーブメントなどで組織間を横断されてしまうのもいいとは言えないですし。優先度は低いですが、修正箇所として内部共有しておきましょう」
取りあえず対応してくれるらしい。たまかはほっと息をついた。
「はい、よろしくお願いします」
「それにしても、驚きですね。『レッド』はそのような情報を独占して、いざという時に利用するのが得意じゃないですか。どうして教えてくれたんですか?」
体を巻く厚手の布から覗く白い肩、その先の掌を広げ、やよゐは不思議そうに尋ねた。彼女の後ろで垂れる若緑色の薄い布が、揺れる度に光に反射してキラキラと輝いていた。
「『ブルー』や『ラビット』に悪用された場合、多数の死傷者が出るのではないかと懸念したからです」
たまかは正直に答えた。廊下の奥から歩いてきた『レッド』の少女が、すれ違いざまに深くお辞儀をした。それを横目に見ていると、やよゐが怪訝な顔で再度尋ねた。
「それは組織の利益より優先することなのですか?」
「はい。一番大切なことです」
即答して、やよゐを真っ直ぐと見上げる。たまかの目に、曇りは微塵もない。
「……」
やよゐは視線を絡めながらも、何も言わなかった。彼女も小さな組織の営業担当として、たまかという人間を見極めようとしているのかもしれない。
「私は、人が傷つくことがない世界を目指しています。誰も抗争で死なない、平和な世界を」
たまかは歩きながら、両手を摩った。視線を自身の手へと落とす。視界の端に、医療従事者の証拠である純白のワンピースが映った。
「どこの組織も他の組織を潰し、他人を殺すことしか考えていません。それでも……少しずつ変わっていけたらと思っています。誰もが自分らしく生き、尊い命が失われない、そんな世界を目指して」
たまかは顔を上げた。深緑色の海を過ぎ、こちらをじっと見つめる真面目な顔を見上げる。
「だから、『グリーン』が最先端技術を人を殺すことに用いなくて、とても嬉しかったんです。……出来ればこれからも、人を殺すことではなく、人を生かすことにその技術を活かして頂きたいと思っています」
たまかは純白のリボンのついた靴を止めた。
「……そのためでしたら、いくらでもお積みしますよ」
やよゐも足を止めた。廊下の中央で、二人は見つめ合った。真っ直ぐと逸らされることのない双眸は、揺るぎない覚悟を宿している。やよゐはそれを、苦笑を浮かべて受け止めた。
「そうでしたか。まあ、それでしたら……あたい達の目的は、一致していると言えるのかもしれません」
「『グリーン』の、目的ですか?」
思いがけず探っていた話題が当人から出て、たまかは反射的に食い付いた。やよゐが歩みを再開させたため、たまかも慌てて後に続いた。
「あたい達は、この素晴らしい技術を人のために役立てたいと考えています。ITは人の生活を豊かにし、『有り得ない』と言われてきたことを可能にしていく無限の力を秘めています。その素晴らしさを世の中に広め、そしてITの価値に気が付いて欲しいのです。ハイテクは人を笑顔にし、人を救うのです」
やよゐの言葉には、営業の時以上に熱が籠っている気がした。漸くたまかは、彼女の本心に触れられたような気がした。
「……そうですね。死者のAIなんて……蘇生のような不可能なことを、貴方達の技術は可能にしました。そして大切な人を喪った人達は、貴方達の技術によって笑顔を取り戻しました」
まるで魔法だ。それを現実にする力が、最先端技術には備わっている。
「そうでしょう? あたいは『グリーン』が凄く誇らしいです。やっぱりデジタルこそが正義であり、至高なのですよ。……まああたいは、実はあんまりプログラミング方面には詳しくないんですがね。あたいと同じくネット大好きな仲間達が、その技術を駆使してすんごいものを作ってくれました。だからあたいは自分に出来ることをしようと思って、それを沢山の人に届ける役割を買って出たというわけです」
遠目に見えてきたエントランスは、扉越しに光が差し込んでいて眩しかった。
「やよゐさんは、もともと営業のようなことをしていたのですか?」
『グリーン』、そしてやよゐのことを詳しく知るチャンスだ。多くの情報を集めることが出来れば、もしかすると『グリーン』の核心に迫ることにも繋がるかもしれない。そう思ってたまかが問いかけると、やよゐはぽりぽりと頬を掻いた。
「や、全然です。……たまかさんって、動画とか配信とか見たりします?」
突然の質問に、たまかは目を点にした。そして、首を振る。
「あまり見ませんね。スマホやタブレットの類を持っていませんし……日々治療と勉強で精一杯だったので。学生の時は、ノートパソコンで時々見たりはしていました」
「そうなんですね。あたい、長い事ゲーム実況をやっておりまして」
さらりと告げられ、たまかは点だった目をさらに丸くした。
「あ、ゲーム実況って言ってもわかんないですかね? ゲームをプレイしながら、それを実況するっていう……ネットでは結構人気コンテンツなんですよ。抗争の激しくなかった時代は、動画サイトのランキングの上位を独占することも珍しくなかったらしいです。実況って言っても解説が主なわけじゃなくて、大きなリアクションを面白がってもらったり、リスナーの皆と一緒に楽しんだり、要はエンタメの一種ですね……」
エントランスへ入ると陽の光が差し込んできて、やよゐは手を翳して影を作りながら話を続けた。
「ゲームの面白さを伝えるために、活舌を良くしたり、ハキハキと声を張るようにしたり、トークに気を遣ったり。話す技術は割と頑張ってきた自負があるので、自分に出来るのは営業かなあと思ったんです」
「な、なるほど……。確かにやよゐさんのお声、聴き取りやすいですし素敵なお声ですよね」
「そう言ってもらえると嬉しいです! 最近はゲーム実況だけでなく、雑談配信とか耐久歌枠とかも求められてやっているので、発声練習をするようになったんです。そのお陰かもしれませんね……」
やよゐは照れたように頭を掻いた。たまかは聞き慣れない言葉に、首を小さく傾げた。
「たいきゅう……、うたわく?」
「ああ、チャンネル登録者数が目標の数にいくまで歌い続ける、ライブ配信のことです。リスナーさんと一緒に目標数の達成を見届けることが出来るんですよ。あたいは最近だと、百万人いくまでゲームソング縛りで三時間くらい歌い続けましたね」
「ひゃっ……ひゃくまんにん!?」
思わず叫んでしまった。聞き違いかと思ったが、やよゐは訂正を挟まなかった。
「いやそれっ……、……架空の人間が混じってたりします?」
「失礼ですね! 不正は一切ありませんよ」
「いや、ですが……国の人口を優に超えていますよね?」
どう考えても計算が合わない。しかしやよゐは、あっさりと頷いただけだった。
「はい。チャンネル登録者の多くは、この国の外の方々です」
「……外の……」
「びっくりですよね? この国の他にも沢山国があって、そこにはこの国より遥かに多い人間が住んでいるみたいなんです。この国では男児は外の国に連れていかれますが、彼らも酷い扱いを受けるようなこともなく、そこで普通に平和に暮らしているらしいのです。しかも他の国では、なんと日常的に抗争が起きていないようなのです! ……羨ましい! あたいも銃声に邪魔されずに思う存分真エンディングで号泣したいです!」
やよゐはぐっと拳を握り締めて嘆いた。意外と情熱的な性格なのかもしれない。遠くを歩く『レッド』の少女達が、嘆きの声に何事かと振り返り、首を傾げて任務へと戻っていった。
「あたいのチャンネルが人気なのは、リスナーの皆さんが住んでる国とこの国の状況が違い過ぎるのが理由みたいなんですよね。あたいの感想が新鮮で面白いらしくて。例えばゲームで登場する銃に、あたいは「これは音が五月蠅いから実況中に使われたら嫌だ」とか「これは昔某据え置きゲーム機を撃ち抜かれたから一生許せない」とかコメントするんですけど、そもそも外の国は法律が生きていて、無暗に銃を使うと逮捕されるらしいんですよ。だからあたいのそういう何気ないコメントがウケるらしくて、草を生やすついでにほいたら登録しちゃるぜよってなるみたいですね」
「草を、生やす……」
「あっ、良くない。ネットスラングを一般人に使うオタク、良くない……!」
やよゐは自戒するように口元を隠したあと、笑みを取り繕った。
「もしよかったら、たまかさんもぜひ一度、ゲーム実況を見てみてください。勿論、実際にご自分の手でゲームをやってみてくださると、より嬉しいです! ゲームって、滅茶苦茶楽しいんですよ。抗争しているより、何百倍も何千倍も」
エントランスから外へと出ると、晴れ渡る空から陽の光が差して、二人の体を包み込んだ。
「だからたまかさんが目指す誰も傷つかない世界が実現したら、あたいも嬉しいです。そうしたら皆抗争をやめて、思う存分ゲームを楽しめますから!」
やよゐはにっこりとたまかへ微笑んで見せた。その顔は、営業スマイルより遥かに素敵なようにたまかには思えた。
(……本心、に聞こえますね)
少なくともゲーム好きなことは事実のように聞こえる。もしやよゐの言うように『人のために役立てたい』というのが『グリーン』の活動目的なのだとしたら。やよゐの言う通り、たまかと『グリーン』は同じ方向を向いているということになる。たまかは微かに表情を柔らかくした。
「……ありがとうございます」
それに純粋に、目指そうとしている世界に賛同してもらえるのは嬉しかった。今の抗争社会、抗争を無くすことに同意する者は極稀だ。頭ごなしに否定されないだけでも有難いことだった。
「誰も傷つかない世界が実現して、『レッド』の長を降りる日がきたら、私もゲームに興じてみたいです。その時は、ぜひおすすめのタイトルを教えてください」
たまかの言葉に、やよゐは虚を衝かれたような顔をした。何か変なことを言っただろうか。たまかが様子を窺っていると、彼女は焦ったように視線を泳がせ始めた。
「……どうしましたか?」
「や、ちょっと……驚いてしまって。何と言って良いかわからず……」
たまかは小さく首を傾げた。狼狽えていたやよゐはようやく落ち着いてきたようで、たまかへとぎこちなく視線を戻した。そして、ぽつりぽつりと零し始める。
「あたい達はずっと、抗争そっちのけでネットに入り浸ってきました。ずっと自分達の大好きなことに全力で、そればっかりに夢中になって。だから皆から、蔑視ばかり受けてきました。敵を傷つけることすら出来ないただの遊びにかまけている人間だと、疎まれ、馬鹿にされ続けてきました。だから……そんな風に言ってもらえるとは、全然思っていなくて……」
やよゐは感銘を受けたように、その双眸を陽に煌めせた。そして、身を乗り出す。
「おすすめのゲーム、沢山あるんです! ぜひたまかさんにも楽しんで頂けるよう、準備しておきますね!」
やよゐは嬉しそうに、屈託ない笑みを浮かべた。たまかもその顔を前にして、一緒になって微笑んだ。
(……少し、気持ちがわかる気がします)
たまかも抗争ばかりの日々の中、誰も傷つかない世界が来たらいいのにとぼやいたことは幾度とある。しかし夢物語か空想の類と思われるか、治療で忙しいことへの愚痴だと思われるのがオチだった。自分にとって譲れないものが周りに理解されないのは、やはり辛いし寂しい。やよゐもそのような経験をたまか以上にしてきたからこそ、たまかの理想の世界を否定しなかったのかもしれない。
門が見えてきた。そろそろ別れの挨拶を切り出す時だ。なんだかやよゐのことを少し知れて、彼女と距離が近くなったように感じた。『グリーン』の目的を知りたいという思惑も勿論あったが、純粋に彼女のことをより知れて有意義だったように思う。
「次のメンテナンスは一ヶ月後となります。そうだ、増台について——」
見えてきた門を見て同じことを考えていたらしく、やよゐはビジネストークへと戻った。しかし彼女の言葉は、突然響いた大きな爆発音に掻き消された。地面が揺れる。……結構近い。二人はすぐさま音の方へと振り返った。黒い煙が濛々と立ち上がっている。場所は『レッド』のアジトから見える距離だ。
(……敵襲でしょうか?)
頭の中で今日が休戦日ではないことを確認する。最近大人しかった『ラビット』や『ブルー』の可能性も、充分有り得る。敵対する組織、そして裏切りそうな兆候のあった組織を頭の中に並べ立てながら、たまかは煙の昇る方へと駆け出そうとした。
「あっ、どちらへっ?」
やよゐの慌てたような声が引き留める。たまかは深緑色に包まれた少女へと振り返った。
「怪我人がいるかもしれません。治療に向かいます!」
手短に説明し、今度こそ駆け出そうとする。しかし一、二歩進んだだけで「待ってください!」という大声が再度追い掛けてきた。客人を無視するわけもいかず、たまかは足を止めた。
「普段抗争から距離を置いているあたいにだってわかりますよ。抗争現場に身一つで突撃するなんて、怪我を負いにいくようなものです」
「大丈夫です、私は『不可侵の医師団』の人間ですから。それより救命は時間との勝負なのです、早くいかないと……」
「いやそちらさんは『レッド』の長じゃないですか! 絶対ややこしいことになりますよ……、まあまあそう焦らずに!」
今にも走り出しそうなたまかを宥め、やよゐは自身を巻く布と布の間に手を突っ込んだ。中には内ポケットを忍ばせてあるらしく、出てきた手にはスマートフォンが握られていた。
「『不可侵の医師団』へ繋ぎや!」
『『不可侵の医師団』『古着屋』の検索結果を表示します……』
「違うちや! 『不可侵の医師団』! 連絡! して!」
やよゐは小さな機械に向かってムキになって叫んだ。デジタルの専門家も意外とデジタルの扱いは下手くそらしい。スマートフォンから聞こえたのは死者のAIのような流暢な声ではなく、あからさまな合成音声だった。彼女のスマートフォンには死者のAIが搭載されている訳ではないらしい。姫月が『グリーン』のAIは存在していなかったと言っていたのは、どうやら本当だったようだ。
『……はい。こちら『不可侵の医師団』です。どうされましたか』
やがてスマートフォンから先程とは違う声が聞こえてきた。生身の声だ。そしてたまかの聞き覚えのある声でもあった。おそらく『不可侵の医師団』に所属する者の声だ。
「爆発が発生したようで、死傷者がいるかもしれません。出動して頂けませんか」
『わかりました。場所はどこでしょうか』
「えーと……『不可侵の医師団』ってメール受信環境ありますか? あればGPSによる位置情報を自動取得したものを文字に起こして送りますが……」
『……?』
スピーカーからは、困惑したような息遣いだけが聞こえてきた。『不可侵の医師団』のデジタル化はあまり進んでいない。内情を知るたまかは、やよゐに向かって首を横に振ってみせた。
「……ああ、気にしないでください。ええと、正確な住所は知らないので近辺情報をお教えしますね。四番道路を——」
やよゐは簡単に説明を終えると、スマートフォンをタップした。通話を終了したらしい。それから、たまかへと顔をあげた。
「『不可侵の医師団』を呼びました、治療はそちらに任せましょう。大丈夫、すぐに来てくれるはずです」
たまかは爆発のあった方へと向け続けていた体を、ようやくやよゐの方へと戻した。それを確認し、やよゐも肩の力を抜いたようだった。
「あたいも近くに敵がいるようじゃ無事に帰れませんからね……協力しましょう。『レッド』のAIにアクセスする許可をください」
「……いいんですか? 特定の組織に肩入れしないのでは」
「このまま一人で帰るとなったら、間違いなく道中で殺されてしまいます! なので流石にボスも許してくれるでしょう……」
(確かどの組織にも平等に接するのは、『グリーン』のボスである泰泉寺しをりさんにキツく言われているから、なんでしたっけ)
以前やよゐが漏らしていた言葉を思い起こす。『レッド』のためではなく保身のために一時的に協力するだけなら、言いつけの範囲外だろうということらしい。確かにこのままやよゐを帰すのは、見殺しにするも同然だ。近くに敵意のある組織の者がいることは確実、対して『グリーン』のメンバーはとても抗争慣れしていない。放るわけにはいかないだろう。たまかは険しい顔のまま、頷いてみせた。
「……わかりました。『レッド』のAIを呼び出すんですね? 許可します」
AIを呼び出すくらいなら、問題はないはずだ。それにやよゐのことはたまかが直々に見張っているため、何か変なことをしてもすぐに発見できる。そう考え、たまかはやよゐの要請を承諾した。
「感謝します。大丈夫です、突発イベントはウマいって相場が決まってるんすよ」
やけくそのように軽口を叩いたあと、やよゐはスマートフォンの操作を始めた。すぐに画面に一人の少女の姿が現れた。小さく華奢な体躯、紅色の艶やかな髪。林檎だ。同時に、遠くで銃声が聞こえてきた。爆発のあった方角だった。
「朱宮様、一時的にですがあたいも協力することになりました。よろしくお願いします。近くに他の組織がいるようなのですが、状況は把握されていますか?」
『はい』
「たまかさんはあたいと一緒にいて、詳しいことを知りません。朱宮様はどうです?」
『対処出来ます』
林檎は短く簡潔に答えた。いつもの上品で完璧な微笑みが浮かんでいる。
「よし。ではたまかさん、それに朱宮様、半径五百メートル以内にいる『レッド』の皆さんの機器全てに、朱宮様のAIを強制的に映します」
「わかりました」
(そんなことが出来るんですね。……ハッキングの一種でしょうか)
たまかはやよゐへと頷いて見せた。やよゐはスマートフォンに表示したキーパッドを素早く叩き、何やら操作をした。すぐに「OKです」と言って指を離す。これで近くの『レッド』のスマートフォンやパソコンに、林檎の姿が共有されているらしい。画面の中の林檎は、変わらず両手を重ねて静かに佇んでいる。彼女は微笑みを絶やさぬまま、口を開いた。
『『レッド』の敷地の北部で爆発がありました。投げ込まれた手榴弾はDM51、個数は三。さらに北で『ブルー』の者達が七名、集団でいるようです。……対処に向かおうとしている方々、お待ちください。近くに身を隠してください。持ち出した手榴弾も使わぬよう』
画面の中で淡々と林檎が指示を出している間に、やよゐはもう一台スマートフォンを取り出していた。電源を入れているところからして、予備のもののようだ。
『近くにいる『ブルー』の者達の犯行としては、違和感が残ります。『ブルー』は爆発のあった後、現場から逃走することも門から攻め入ることもしておりません。銃声が近くからあがったことからして、彼女達は逆に現場へ向かってきているようです。つまり、『ブルー』はあの爆発を『レッド』が自分達へ向けて仕掛けたものだと誤認している可能性があります。もちろん、あの爆発は『レッド』が起こしたものではありません。そのような任務を遂行中の者は一人も確認出来ませんでした。従って、あの爆発は第三者の介入の可能性が高いです。辺りの監視カメラをハッキングして他に人がいないか映像を確認してみます……』
暫しの沈黙を挟んだあと、林檎はすぐに口を開いた。
『……見つけました。他の組織の者が、南方の角に隠れて通りを窺っております。少し時間を巻き戻して手元を拡大し解析しますと……グレネードピンを持っているようですね。手榴弾を投げたのは『ブルー』ではなく、彼女達で間違いないでしょう。恐らく爆弾を仕掛けた者を誤認させて、『レッド』と『ブルー』が抗争を始めることを期待していると思われます。その間になんらかの行動を起こそうとしていたのでしょう。まず対処すべきは『ブルー』ではなく、この者達でしょうね』
「……」
(爆発が発生してすぐで、ここまで相手の手の内が読めるなんて……)
『グリーン』の商品が無ければ不可能だっただろう。『レッド』は『ブルー』の仕業だと思い込み、『ブルー』に応戦することに掛かり切りになってしまっていたかもしれない。それにしても『ブルー』と『レッド』をぶつけてその間に何か事を起こそうとは、なかなかに恐れ知らずな組織である。
『たまかさん』
名を呼ばれ、たまかは頭の中で考えていた思考を切り上げた。完璧な微笑みを見下ろし、「はい」と答える。
『位置的に、空き家に回り込んで潜んでいる者達を狙撃することは可能ですが……いかがいたしますか?』
「……いえ、無傷で捕らえましょう」
たまかは迷いなく言い切った。林檎もその答えを予想していたらしく、笑みを絶やさぬまま特にリアクションをすることはなかった。
『では、隠れている者達を捕らえる者、そして爆発現場へ駆け付ける『ブルー』を遠ざける者の二手に分かれる必要がありますね。隠れている者達の狙いは不明ですが、『レッド』を手薄にしたいのならば敷地内への侵入を考えているはず……このまま泳がせ、言い逃れ出来ない状況になるまで追い込むべきだと拝察いたします。拷問しないのならば狙いを吐かせるのは難しくなりますし、実践して頂いて証言に代えましょう。となれば、彼女達の狙い通りに『ブルー』と『レッド』が交戦を始めたと演出する必要がありますが……』
建物の方から足音が近づいてきて、たまかは顔をあげた。見ればスマートフォンを首から下げた桜がこちらへと向かってきていた。その両手は拳銃を握り、いつでも構えられるよう下へと向けられている。片耳にはイヤホンが装着してあり、彼女も林檎のAIの指示をききながら移動しているようだった。
『同時に『ブルー』を現場から遠ざけたいですね。……北部の空き家から威嚇射撃でもして、そちらに誘導致しましょうか。ただ誘導した『ブルー』と直接交戦するとなると、どうしても『レッド』の分が悪いですが……』
林檎は何やら新たに頭の中で策を企てていたようだが、たまかの横で上がった「はい!」という元気な声により思考を中断したようだった。たまか、そして合流した桜は、声の主であるやよゐへと揃って顔をあげた。彼女は右手をぴんと天へと伸ばしていた。白い素肌の上で若緑色の薄い布が翻り、風に靡いていた。
「あたいにお任せください。空き家に『ブルー』を誘えれば良いのですよね? ドローンを飛ばして、遠隔で起爆させましょう!」
画面の中の林檎は口を閉じ、暫しやよゐを見上げていた。頭の中で勘案していることはきっと、『グリーン』が信用に値するか、そして発言通りの有益な働きをしてくれるかということなのだろう。
「……林檎さん、やよゐさんにお願いしてみてはいかがでしょう」
たまかは横から口を挟んだ。このまま『レッド』の者が『ブルー』と衝突するとなれば、怪我人が出ることは避けられない。その点、やよゐの案ならば怪我人を出さずに済むかもしれない。それに『グリーン』の技術が優れていることは、商品を始めとしてこの目で見てきた。やよゐと少し話してみた印象としても、彼女が安易に人を騙すような人間には思えない。警戒は解いてはいないが、ここでいきなり裏切られる確率は低いだろう。彼女の協力の申し出は、有難く受け取った方がいい。
『……では、お願いいたします』
たまかの言葉が後押しになったのかは不明だが、最終的に林檎はそう言って受諾した。現長の意向には背かないようにしている傾向が見られるため、今回もたまかの意に従おうとしたのかもしれない。
『『ブルー』が空き家へ向かい離れたあとは、『レッド』の者もそちらに向かったと思わせるために皆さん身を潜めておいてください。敵が『レッド』の敷地内に入りましたら、盗聴器や監視カメラで足取りを追いましょう。充分な距離を保ち、尾行もお願いいたします。狙いがたまかさんの命ならば執務室、『レッド』の情報ならば作業部屋、金目のものならば金庫の鍵の保管場所へそれぞれ向かうでしょう。どこかの部屋に入る素振りがありましたら、スタンガンで動きを封じてください。『ブルー』に抗争を任せようとしたということは、武力に長けている者達とは思えません。そのためわたし達でも交戦は可能でしょう。入口に罠を仕掛ける時間があれば、そちらでも構いません。また念のため、狙撃部隊も準備をお願いします。屋上と寮の三階に待機をしてください。どの階に向かうとしても対応できるでしょう。……桜』
たまかの横の小柄な体が、弾かれたようにびくりと背筋を伸ばした。その顔は、驚きの中に嬉しさが滲んでいる。
「は……はい」
『あなたならもう向かっていると思いますが、たまかさんの護衛をお願いします』
「す、既に合流しております。お任せくださいませ……!」
『重畳です』
林檎は淡々と続けていた言葉を切り、微笑みを深くした。
『では皆さま、実行をお願いいたします。皆さんの機器のスピーカーの音量をゼロにいたします。ご武運を』
画面が暗くなり、少女の姿が消えた。音量は身を隠すのに音が出ると不都合だという判断だろう。たまかは画面から顔をあげ、横の『グリーン』の少女の顔を見つめた。
「……ドローンを使うとのことでしたが、用意はあるのですか?」
「いえ、『グリーン』から飛ばしてもらいます」
彼女の持つ二台目のスマートフォンには、『通信中』の文字が表示されていた。横の桜もたまかと一緒になって覗き込む。それと同時に、画面には薄暗い部屋、そして一人の少女と数多の機器が映り込んだ。相変わらずのエナジードリンクの缶、いくつも交差する何本ものケーブル。『グリーン』の作業部屋のようだ。
「こずゑ! 今クラウドに上げたマップにピン刺した場所まで、至急ドローン飛ばしてくれない? 爆弾内蔵して、遠隔で爆発出来るように……、って」
やよゐは捲し立てていた言葉をふと止めた。画面には突然の通話に驚いたように固まる少女が映っている。彼女は以前も画面越しに一度だけ見たことがある。モスグリーンの跳ねたショートカットヘアー、照明を反射する少し大きめの眼鏡。やよゐがこずゑと呼んでいた、『グリーン』の少女だ。やよゐが口を閉じると、スピーカー越しに人の声が流れているのが鮮明に聞こえてきた。ラジオにしては、言葉に抑揚がありすぎる。
「あれっ……これ、あたいの実況じゃん!? なんで作業用BGMにしてんの!?」
やよゐは説明を求めるように画面へと食い気味に身を乗り出した。画面に映る『グリーン』の少女は、動揺を隠すように眼鏡の位置を直した。そして、慌てて横のキーボードでショートカットキーを押した。聞こえていた声がピタリと止む。
『いや、その……無音も寂しかったんで……適当に……』
「恥ずっ! いやだからってインスタントに消費しないでほしいな! ちゃんと見て! ゲーム画面を見て!!」
『いやもう二周してるんで……それよりなんか急ぎって言ってませんでした? ドローン?』
こずゑの言葉に、むきになっていたやよゐは大事なことを思い出したように表情を戻した。
「そう、急ぎ! 対応できる?」
『出来ますけど……リミットは?』
「三分!」
『りょ。ドローンは自分やるんで……楚(すはX)、爆弾の方頼めます?』
こずゑは画面越しにこちらから部屋の奥へと顔を向けた。するとパソコンや電子機器の奥から、がばりと頭が生えてきた。顎の先まで伸びた重い前髪、後ろ髪も先が見えない程伸びっ放しだ。まるで幽霊が現れたように錯覚し、たまかも桜も声を漏らしそうになった。しかしその幽霊は、よく見れば『グリーン』の制服を着ていた。彼女も『グリーン』のメンバーらしい。髪に隠れて見えない目も口も動いた気配はなく、代わりにこずゑの目の前のモニターから通知音が鳴った。ミニウィンドウがポップアップし、そこには『おk』とチャットメッセージが表示されていた。黒髪に埋もれた頭はすぐにパソコンの山の奥へと戻り、カタカタと素早くキーボードを打つ音とガサゴソと何かをどかす音が聞こえてきた。
『どうせ爆発させるんですよね? ……ドローンじゃなくて、試験中のやつ使ってみますか。丁度手元にあるし』
画面の中でこずゑはそう独り言を漏らすと、機器の山から何かを掴み、引き上げた。それが人間の手首だと認識出来た途端、たまかは今度こそ声を漏らした。
(『グリーン』は人体を傷つけるようなことをする組織ではないと思っていたのですが……!?)
たまかの反応が画面越しに見えたのか、こずゑは画面の方へと振り向いた。モニター越しに、目が合う。
『ああ……驚かせちゃいましたかね。これ、死体ではないですよ。人工物です』
「人工……物?」
『そです。人工皮膚を全面に貼ってあって、血管も通っています。えいやっと』
こずゑは軽い掛け声と共に、さらに手首を引っ張り上げた。手首の先には腕があり、肩があり、そして頭と胴体が現れた。どう見ても人体である。薄く血管の浮かぶ、綺麗な肌。さらさらと零れる髪の毛、くたりと重力に従って垂れる動き。……人間の死体にしか見えない。
『『レッド』の皆さんも愛用してくださっている死者のAI、それに体を持たせられないかと開発をしているんです。今はパソコンとかスマホとか、画面越しに表示するしかないじゃないですか。でもそれだと、生きているっていう感覚が薄いですよね?』
なんだかとんでもないことを言っている気がする。たまかは口を半開きにして聞いていた。
「画面の中に表示されるだけではなく、AIが実際に体を得られる、ということですか……?」
横の桜が、思わずと言ったように口を挟んだ。画面の奥で、こずゑは平然とした顔で頷いてみせた。
『実はもう試験段階でして、ほとんどバグも潰してあるんです。実用もすぐそこって感じです。今回はドローンを用意するより、この子に直接現場で自爆してもらった方が早いでしょう。データも取れますしね……っと』
通知音がピコンと鳴って、こずゑは話を中断した。彼女の奥のモニターには、『爆弾準備おk』と新しいメッセージが届いていた。それを確認すると、こずゑは通話画面から離れ、奥のパソコンの前へと向き直った。そして、猛スピードでキーボードを叩き始めた。彼女の頭越しに見える画面には、何やらアルファベットの羅列が次々と入力されていた。プログラミングしているらしい。彼女の指が離れたと同時に、先程こずゑが掴んでいた少女が勝手に起き上がった。その動作は自然で、とてもロボットや人工物のようには思えなかった。こずゑはパソコンから離れ、起き上がった少女へと声を掛けた。
『指定の場所まで行って、爆弾を爆発させてください。監視カメラを見る限り通りの向かいに乗り捨てられてる車があったので、それに乗っていけばすぐに着きます。爆弾はすはXから受け取ってください』
『わかりました!』
白いティーシャツに黒の短パンというラフな格好をした少女は、こずゑに向けて元気よく返事をした。その声は、人間のものとしか思えない。生身の人間をロボットだと偽り騙していると言われた方が、まだ信じられる気がする。その顔はたまかの知るものではなかったため、彼女は誰か特定の人を模したAIではないようだった。少女は奥から爆弾を抱えて戻ると、そのまま画面外へと走っていった。スピーカー越しに聞こえる足音はどんどんと小さくなり、やがて消えた。
『GPSで追跡して、ログもバッチリ取っています。……車を見つけて乗り込みましたね。あと数十秒で目的地に到着、爆弾を起爆させるでしょう』
こずゑはモニターを一瞥しながらそう言って、眼鏡の位置を直した。奥のモニターでは何やら文字の羅列が引切り無しにスクロールしていた。あれが先程出発した少女の行動のログなのだろう。
『……てか、お宅はなんで『レッド』の味方をしてるんです? ボスに言いつけますが?』
画面へと顔を近づけるこずゑの奥で、通知音がピコンと鳴った。モニターには新着のチャットメッセージが届いていて、『焼き土下座ktkrwwwwwwwww』と表示されていた。
「いんや味方やのーて! どこかの組織の人がうろついてて、帰れそうになかったんだよ……」
やよゐがトホホとなりながら説明をしていると、遠くで爆発音が大きく鳴り響いた。たまかも桜も顔をあげ、音のした方へと顔を向ける。遠目に、一件の空き家らしき建物が見えた。どうやら半壊しているようで、黒い煙があがっていた。
『……爆発しました。近くの監視カメラの映像をハッキングしますね……なんか、『ブルー』の人達が寄ってきてます。大丈夫です?』
「うん、作戦通りだよ。ありがと!」
やよゐはスマートフォンをタップし、通話を終えた。そして、何やら他のアプリを立ち上げた。画面に現れたのは、林檎のAIだった。
「朱宮様、『ブルー』の誘導に成功しました。隠れている組織の奴らも、そろそろ動き出すと思われます」
『『グリーン』の惜しみない協力、感謝いたします』
林檎は画面の奥で微笑んだ。
「あたいは他にすることはありますか?」
『いえ、敵に見つからないよう身を隠すか……、『ブルー』に見つからないよう迂回すれば、もうお帰り頂くことも出来ると思います』
「いえいえ、乗りかかった舟ですから最後まで御供しますよ!」
やよゐは胸を張ると、スマートフォンから顔をあげてたまかへと顔を向けた。
「たまかさん、あたいも一緒に行動してもいいですか? 何か他にもお役立て出来るかもしれませんし」
たまかは予想外の言葉に驚きながらも、「わかりました」と答えた。話がまとまったところで、桜が真面目な口調で話に入った。
「もし敵の狙いがたまかさんの命でしたら、たまかさんが見つかることは敗北を意味します。ですので、我々は捕縛の連絡が入るまで隠れていることがお仕事です。……ついてきていただけますか」
桜は拳銃を下向きに構えたまま、先陣を切って走り出した。向かうは建物の方角だ。その後にたまかが続くと、後ろからやよゐも追ってきた。桜が向かったのは、個人寮の建物だった。その中の一室、恐らく空き部屋と思われる部屋に入ると、桜は鍵をかけた。たまかとやよゐは部屋の中で身を潜め、桜は扉に貼り付いて廊下の音を窺っていた。
そのまま数十分程経った。桜の首から下げているスマートフォンの画面が、自動的についた。画面には、梅のAIが映っていた。
『桜! 侵入者を無事に捕まえたよ。武器の類も取り上げた。詳しい話はこれから聞くところだけど、どうも『レッド』のアジトに爆弾を仕掛けて吹っ飛ばそうとしていたみたい。尋問するから、桜も来てくれない?』
桜は真面目な声で「わかりました」と返し、たまか達へと振り返った。
「たまかさん、捕縛完了いたしました。警戒は解いても問題ないでしょう。わたくしは尋問の方へと加わります」
「わかりました。護衛、ありがとうございました」
「いえ、これがわたくしの任務ですので。……それに……朱宮さまに仰せつかった役目ですから」
桜は視線を逸らし、小さくはにかんだ。
(桜さん……林檎さんに指名されて、嬉しかったんですね)
たまかも桜の嬉しそうな様子を見て、微笑みを漏らした。例えAIとはいえ、ずっと仕えてきた林檎に頼ってもらえたことを、彼女が喜ばないはずがない。桜は誤魔化すようにぺこりと深く一礼すると、部屋を出て行った。その足取りは軽やかだった。
(今回も、林檎さんの策に従って成功を収めることが出来ました。AIの凄さも、そして林檎さんの凄さも……何かある度に、身に染みて感じます)
それはたまかだけではないだろう。『レッド』の組織員達のAIを見る目からは、敵意が完全に消えている。それに機械ではなく、まるで彼女達が生きているように接し、頼るようになった。この光景は、死んだ彼女達が生き返ったと言っても何ら過言ではない。
「どうでしょう、たまかさん」
横から明るい声が掛かり、たまかははっとして顔をあげた。やよゐはビジネススマイルを浮かべ、人差し指をピンと立てた。
「事態を無事に怪我人なしで収めることが出来ました。たまかさんにもご満足いただけたのではないでしょうか」
確かに『グリーン』の商品が無ければ、怪我人がゼロで済んでいたかどうか怪しい。林檎の策と正確な状況把握、そして何より犠牲のない『ブルー』の誘導が出来たお陰だったのだから。
「故人のAIだけでも有用なのは勿論ですが、先程のような体を得たAIを軍事ロボットや救命ロボットとして戦場に投入すれば、今後はより死傷者数を減らすことが出来るでしょう。たまかさんの理想とする、『誰も傷つかない世界』の実現へ貢献してくれること間違いなしです!」
やよゐはにこやかな笑みを浮かべ、両手を合わせた。
「こずゑに実用化を早めるよう、なんとかお願いしてみますね! これで危険な場所に生身の人間が行かなくて良い時代がくるはずです!」
輝かしい未来を想像し、やよゐはにししと忍び笑いを漏らした。嬉しそうな彼女を見ていると、完全な善意から言ってくれているのであろうことがたまかにも伝わった。たまかの理想の世界の実現を一緒になって喜んでくれるのは、有難いことではある。
(ですが……)
理想の世界に近づくかもしれないというのに、たまかは一緒になって喜ぶことが出来なかった。
(体を得た死者。それはもう、本当に……)
心の中のもやもや。それを言葉にすることが出来ず、たまかは密かにワンピースの裾を握り締めた。『レッド』にとって、間違いなく有用であるはずなのに。死傷者を減らす、画期的な技術になり得るはずなのに。胸に広がる、恐怖に近い気持ち悪さ。禁忌に触れたような罪悪感。たまかはやよゐを直視することが出来なかった。
「では、あたいはこれで! はあー、やっと帰れます」
一仕事終えたと言うように、やよゐは手の甲で額を拭った。その言葉に、たまかは俯いていた顔をあげた。
「……『ブルー』が完全に離れたか分かりませんから、途中まで護衛をつけましょうか?」
「確かに、そうですね。お言葉に甘えさせていただくことにしましょう。そうだ、それならたまかさんともう少しお話をさせて頂いてもよろしいでしょうか? 実は少し思ったことがあって……」
たまかは小さく首を傾げた。しかし、「わかりました」と言って頷く。
「では護衛と共に、私も途中までご一緒します。丁度この後、『不可侵の医師団』へ行こうと思っていたところだったので。話は道中でお伺いしましょう」
たまかとやよゐは部屋の外へ出ると、途中で合流した灯を連れて『レッド』の敷地を離れた。通りには人影はなく、『ブルー』の姿も見当たらなかった。三人は周りを適度に警戒しつつ、話をしながら道を進んだ。
やよゐの「お話」というのは、『不可侵の医師団』への技術提供についてだった。救助要請の連絡に対する自動的な位置情報取得システムの搭載、各医療機器の最適化、カルテの管理データベースの提供、オーダーメイドの大型診断機器の導入。要するに彼女の提案は、怪我人の治療に『グリーン』の最先端技術を役立てられないかというものだった。『不可侵の医師団』のデジタル化の進んでいない現状に触れて思い立ったようだ。それらは、たまかにも非常に魅力的に聞こえた。治療する環境が良くなれば、それだけ多くの患者の命を救えることに繋がるだろう。『不可侵の医師団』の上層部が首を縦に振るかは微妙なところだが、『レッド』の口添えがあれば実現も可能になるかもしれない。それ程三大組織の影響力は大きいのだ。
やよゐの提案は、営業担当だけあってメリットの強調が非常に上手かった。たまかもデジタル化の進んだ『不可侵の医師団』の姿に思いを馳せ、胸をときめかせながらきいていた。『レッド』だけではなく、『不可侵の医師団』においても、より傷つく人のいない世界に近づくことが出来たとしたら。健康、そして笑顔が広がる世界が待っていることだろう。
「たまかさん、おさがりください」
やよゐの言葉に耳を傾けていると、不意に灯が険しい顔で一歩前へと進んだ。手にした拳銃に力を込めたのが、後方からも見えた。灯の忠告の直後、角の向こうから飛び出してきたのは薄群青色の制服姿だった。全部で四人。その先頭を務める者がたまかへと顔を向け、美しい精悍な顔立ちが現れた。
「……たまか」
水面だった。お互いに驚いた表情で、敵の顔を見つめ合う。その後ろには水波、さらに後ろの二人は部下のようでたまかの見覚えのない少女達だった。
(先程爆発の時にいた『ブルー』の方々の中に水面さんが混じっていれば、監視カメラの映像を見ることが出来た林檎さんが報告していたはずです。……先程誘導した人達とは別部隊のようですね)
爆発音が聞こえ、別の場所から駆けつけてきたのかもしれない。道中でばったり出会ってしまった敵対組織の長達は、お互いの顔を気まずさを押し殺して見つめたのだった。
「『レッド』の長! それに……」
後ろの『ブルー』の部下達が、いつでも襲い掛かれるように構えを取って叫んだ。その先は、怪訝な顔をした水波の口から零れたのだった。
「……『グリーン』? なんで『レッド』と『グリーン』が一緒に……?」
水波の目は鋭く、完全に敵を見る視線だった。たまかとやよゐの顔を交互に見つめ、彼女は眉間の皺を深くした。何か企んでいると、誤解をされた気がする。たまかは釈明しようと両手を挙げかけたが、やよゐが声を張り上げる方が早かった。
「ち、違います! 『グリーン』はどの組織にも肩入れしません! お客様には平等に商品を提供します! 誤解です!」
やよゐの大きな声は閑静な住宅街に木霊した。あわあわと取り乱すやよゐを、水波はギラギラと睨みつけながら腕を組んだ。
「どこが誤解なんだ? 一緒にこそこそ移動している目の前の光景こそ、何よりの証拠だろうが」
水波はそう吐き捨てると、二枚歯をカタンと鳴らし、一歩踏み出した。かと思えば、目にも留まらぬ速さで拳が繰り出されていた。反応する時間すらなく、水波より高い位置にあるはずのやよゐの顔が思い切り揺れた。やよゐはその威力に押し出されるように、地面へと勢い良く叩きつけられた。欠けた歯が、地面へと遅れて転がっていった。彼女は力を振り絞って上体を起こすと、赤く腫れた頬を押さえた。痛みに小さく唸り声を漏らすやよゐへさらに寄ると、水波はその深緑色の胸倉を荒っぽく掴んだ。
「み、水波さん」
たまかは慌てて二人の間に入ろうとした。水波は今にも二発目を繰り出しかねない勢いで、目と鼻の先のやよゐを鋭く睨みつけていた。
「てめえらがあの得体の知れない商品とやらをばらまきやがったのも、全部何か企んでたんだろ! あんなくだらないもの、全部壊すべきなんだ!」
水波は唾を飛ばしながら、掴んだ顔へと怒鳴りつけた。大きな憎しみが透けているような気がして、たまかは戸惑いから伸ばしかけていた手を止めた。その横で、灯が拳銃をぎゅっと握り締めた。彼女は水波の言葉に、思う所があるようだった。
水波の袂が高く舞った。強烈な二発目が振り下ろされることを察し、やよゐは強く目を瞑った。水波の力強い手で固定されているやよゐに出来ることは、それくらいしかなかった。
「……ッ」
しかし、水波の拳はいつまで経ってもやよゐの顔にめり込むことはなかった。やよゐは、目をそろそろと薄く開いた。振り上げられた水波の手首を、後ろから水面の手が掴んでいた。片手で掴まれているだけなのに、水波の手はびくとも動かせないらしい。水波は勢い良く長を振り返り、睨むようにして見上げた。
「……縹様」
「早とちりし過ぎだよ、ミナミ」
水面はぱっと掴んでいた手を広げた。解放された水波の手首には、赤く痕が残っていた。
「説明を求めるよ、『グリーン』。お前らはただの商人なんじゃなかったの?」
水面は落ち着き払っているように見えるが、その眼光には獲物を逃さない威光が宿っていた。逸らされることない豹のような瞳に射貫かれ、やよゐは震えあがりながらも首を振った。
「ど、どこきゃの、組織が……」
歯が欠けたことにより上手く発音できなかったらしく、彼女は一度ごくりと唾を呑み込んだ。
「どこ、か、の組織が、爆弾を所持して潜んでおりましてですね、『グリーン』に帰ることが出来なかったのです。『レッド』の長のたまかさんは、人を見殺しにしないお方。商談がてら、護衛をつけて共に行動をしてくれていたのです」
「……」
水面はたまかを一瞥した。たまかは伸ばしかけていた手を胸の前で結び、じっと水面を見上げていた。
「成程。筋は通ってるね」
水面はそう言って、その目からギラギラとした敵意を消した。
「もう一度訊くけど、『グリーン』は『レッド』に肩入れしたわけじゃあないんだね?」
「勿論です。あたい達はどの組織にも平等に接し、平等に商品を提供します」
「うん。その言葉が嘘だった場合、お前の命はないけど本当なんだね?」
「本当です! お時間頂ければ潜んでいるどっかの組織の姿が映った監視カメラの映像も提供出来ますよお!」
わあと泣きそうになって必死に叫ぶやよゐを見下ろし、水面は腰に両手を当てた。
「映像なんていらないよ。たぶんお前の言うことは事実だろうね」
水面はやよゐの様子から確信を持ったようで、あっけなく申し出を退けた。そして、その視線はやよゐから水波へと移った。鋭い目が細められる。
「……」
一瞬だった。水面の拳が、瞬く間に水波の頬を殴りつけていた。その衝撃に水波の小さな顔は押し潰され、低い打撃音が辺りに響いた。やよゐと同じように、水波は小柄な体ごと地面へ叩きつけられた。やよゐもたまかも灯も、唖然として倒れた水波を見下ろした。水波の頬は真っ赤に腫れあがり、口の中から血が一筋垂れていった。彼女は呻き声を漏らし、震えながらも上体を起こした。水面は水波から顔をあげると、やよゐへと向けた。やよゐはその視線に、びくりと体を震わせた。
「これでチャラにしてくれ。……ほら、立ちな」
低い声を投げられた水波は、急き立てられるようによろよろと立ち上がった。土に汚れたプリーツスカートを叩くこともなく、彼女は血に塗れた口元を長い袖で乱暴に拭っただけだった。
「『ブルー』は今後も『グリーン』と取引を続けたい。これで水に流してくれるね?」
水面本人は意図していないのだろうが、首を縦に振らなければ拳が飛んできそうな圧があった。やよゐは青ざめた顔で必死にこくこくと頷いた。
「も……もちろんです」
「うん。じゃあ、あたしらはもう行くよ。急いでるところなんでね」
その言葉に、後ろに控えていた『ブルー』の少女達がざわめき出す。
「縹様、『レッド』の長は殺さなくていいんすか?」
「私達、やれますよ!」
水面は小さくため息をつき、意気込む仲間へと振り返った。
「家族が助けを求めてるってのに、これ以上時間食ってる場合じゃないでしょ。ほら、さっさと行くよ」
水面は言うが早いが、二枚歯を響かせて走り出した。あっという間に遠くなる背中の御太鼓を、『ブルー』の部下である少女達は困惑を滲ませて突っ立って見送った。
「……」
俯いたままの水波の頭越しに、血が一滴滴り落ちて地面へ落ちるのが見えた。たまかはおずおずと口を開いた。
「水波さん。治療を……」
「いらねえ」
吠えるように叫び、水波は前髪の奥からたまかを鋭く睨みつけた。今にも殺されかねない眼光に、たまかはたじろいで口を閉じた。水波の憎しみに染まった視線は、たまかからやよゐへと移された。彼女はやよゐを鋭く睨み付け、ぐっと歯を食いしばった。唇から再び血が漏れて、顎の下へと流れていく。しかしどれだけ睨んでも、『グリーン』の者に手を出すことは水面の意に反する。水波の手が不意に横へと突き出されたかと思うと、その手は『ブルー』の部下の腕を掴んだ。勢い良く引っ張られた『ブルー』の少女の腹に、水波は突き上げた二枚歯の先を食い込ませた。そのまま細い脚によって力強く蹴り出され、少女の体が吹っ飛ばされる。短い悲鳴は、土埃に掻き消された。咳き込む声が響く。
「いいか」
水波は蹴り捨てた少女に見向きもせず、やよゐへと顔を向けて凄んだ。やよゐはその顔を恐怖に強張らせた。水波は倒れた少女の腹を、思い切り上から踏みつけた。二枚歯が薄群青色の布越しに柔らかな皮膚へ刺さった途端、倒れた少女は声にならない音を口から漏らした。
「これ以上変な真似してみろ。楽に死ねると思うなよ」
やよゐを睨みつけながら、水波は少女の腹に押し付けた足を大きく動かした。少女が苦しそうに叫ぶのを、やよゐは凍り付いたまま聞いていた。やがて水波はその足を仲間の腹からあげ、水面の去った後を追うように走っていった。残された『ブルー』の少女は倒れた仲間を支えて立ち上がらせると、肩を貸してのろのろと二人に続いてこの場を後にした。『ブルー』の制服姿が遠ざかり、遠くの角を曲がって見えなくなる。へたり込んだやよゐは、漸く安堵したように息を吐き出した。たまかは見えなくなった薄群青色を憂うように、四人の消えた方を見据えて眉尻を下げた。
(水波さん……なんだか様子がおかしかったです)
もともと『ブルー』は暴力組織であって、仲間を『教育』するのは日常茶飯事だ。『ブルー』の少女達が手が出るのが早いのも知っている。しかしたまかの中で、水波はむやみやたらに暴力に頼らない印象があった。だからこそ、『ブルー』に捕らえられたたまかが無傷で帰って来られたのだ。しかし先程の彼女は理性を捨てて憎しみのまま行動していた。そんな彼女を見るのは、初めてだ。たまかはしゃがみ込み、座り込んだままのやよゐと目線を合わせた。彼女の頬は、痛々しい程赤く腫れあがっていた。
「応急処置をします。それ以上の治療は、『不可侵の医師団』まで行ってから行いましょう」
たまかはサイドポーチを開け、清浄綿とガーゼを取り出した。軽く消毒を済ませ、ガーゼを貼り付ける。問診をして頭や骨に痛みや違和感がないことを確認しながら、彼女の口内を確認した。歯は欠けているようだが、他に大きな怪我は見当たらなかった。
「鎮痛剤、飲みますか?」
「うう、いただきます。はあ~、ボスになんて報告しましょう……」
やよゐは鬱々としたまま大きなため息を漏らした。どこかの組織に肩入れをしたと客に疑惑を持たれたとあれば、『グリーン』のリーダーの意思に反する事態だろう。彼女は始終めそめそとしながら鎮痛剤を受け取り、たまかと共に『不可侵の医師団』へ向かったのだった。
頬に湿布を貼ったやよゐとの再会は意外にもすぐで、メンテナンスの翌々日だった。彼女は『レッド』へと、ぞろぞろと人を引き連れてやって来た。いや、正確に言えば人ではない。こずゑが開発していると言っていた人工的な体を持つAIが、ついに実用段階に入ったのだ。やよゐの後ろに立つ少女達は、どう見ても生身の人間にしか見えなかった。髪の一本一本に至るまでサラサラと零れ、肌には血管が透けて見え、唇もぷっくりと艶やかだ。瞳は虹彩まで透き通っていて、佇む姿や呼吸をする動作まで至極自然。生きている人間と変わらない見た目のその機械を、『グリーン』は今までと変わらない値段で提供すると告げた。既に『ブルー』と『ラビット』には話を通し、二組織とも導入を終えているのだと言う。……そう言われたら、『レッド』は断れない。何より『レッド』の組織員達のAIを見る目は以前とは変わっていて、内部から反対意見も上がらなかった。そもそもAI自体は同じで体の有無が違うだけなのだから、『グリーン』への警戒という観点で言えば断る理由もない。たまか達は借りていた大量のパソコンやスマートフォンを『グリーン』へ返却すると同時に、十人の機械の仲間達を迎え入れた。自身へにこやかに挨拶をする梅を見ながら、たまかは横たわった彼女の青白い顔を思い起こしていた。生気のない顔で動くことのなかった彼女が、目の前でたまかへと笑みを向けている。その光景は、画面で見ていた時より一層ざわざわと胸の中を搔き乱す不気味さを感じさせた。桜や灯や茜も、画面の中で動いているのを見ていた時とは違い、自身の手を取り、香りを漂わせて横に佇み、息を吐いて髪を靡かせる故人達へ最初は動揺していたようだった。しかしそれは在りし日に存在した光景であり、彼女達にとっては記憶にあった日常が戻ってきたようなものである。『レッド』のメンバーは皆、すぐにその状況を受け入れていったようだった。昔のように、大切な人が隣にいる。例え機械だとしても、その幸福感は沼地の泥のように彼女達を沈ませていく。もう機械は機械として見られることはなく、生き返った一人の人間として扱われているようにたまかは感じていた。それは傍から見れば、何ら『蘇生』と変わらないように思えた。
戦場にも変化があった。人の体を得たAIは、一昔前で言う自律型ロボット兵器の進化した形とも言うことが出来る。『ブルー』は共に戦う仲間として、故人のAIを連れて戦場に赴くようになった。一度は失われた、優れた体術の使い手達が蘇ったのだ。故人のAI達は戦場で大活躍を見せ、『ブルー』はかつてない勢いをつけていた。他の組織からすれば苦労して倒した中ボスが揃って復活したようなものであり、『ブルー』一強だった正面衝突の際の戦力差はさらにひらくこととなった。故人のAIが体を得て一番恩恵を受けたのは、間違いなく『ブルー』であると言えよう。第一線で戦闘を任せる以外にも後輩への指導や訓練にも関わっているようで、体を使った戦闘を得意とする『ブルー』はその利点をフルに利用しているようだった。
一方で『ラビット』も、おもちゃがアップグレードしたことに大喜びしているようだった。手足を捥いだり腹を切断したり、生身の人間と同じ様に『遊ぶ』ことが出来るのは彼女達にとって画期的だったらしい。拷問も出来るし、一緒に心中することも出来る。彼女達は大満足で故人のAIを連れ回しているようだった。その結果彼女達の興味は専ら故人のAIにばかり向くようになり、益々他の組織へ抗争を仕掛けることがなくなっていった。『転生会』の開催も増え、死ぬことへの抵抗もより少なくなったようだ。友達だった故人のAIを何度も殺してあげる遊びが『ラビット』では新たに流行り、たまかも何度もそれを見せつけられる羽目となった。
それらを考えると、一番変化がなかったのは『レッド』なのかもしれない。『レッド』は今まで同様、『グリーン』への警戒心を持ちながら体を得たAIを抗争へと利用していた。重要な情報は見せず、距離を置いて強かに利用する。故人の得意としていた分野を活かし、策を練ってもらったりその経験から助言を得たりと、その使い方自体に変化はなかった。しかし画面の中で動くのを見るのと実際に隣にいて動くのとでは、大分心証が異なる。抗争の道具としては変化はなくとも、それに接するメンバーの態度は日に日に変わっているように思えた。故人のAIの横にいる時間が増え、機械へ向ける視線は感情が籠り、その一つ一つの動きに微笑みが零れる。生き返った大切な人間が傍にいるのだから、当たり前ではある。——『依存』。椛の報告を思い起こして、たまかは密かに顔を曇らせた。
新しい技術は、すぐに日常となっていく。体を得た故人のAIは各組織に溶け込み、当たり前のように隣に立って抗争に参加するようになった。『グリーン』は三組織を始めとした客へAIを売り込むだけで、相変わらず大人しいままだ。『人のために、最先端技術を役立てたい』。やよゐの言っていた目的は、いよいよ真実味を帯びてきたのだった。
***
■Side B
鹵獲した銃を点検していると、頭上から名前を呼ぶ声が降って来た。水面が紺色の髪を肩から流して見上げれば、そこには共に『ブルー』を創立したかつての仲間の顔があった。
「お疲れ。他の銃の確認は済ませたよ。ほとんど使えるみたいだ」
切れ長の目、彫りの深い顔立ち、ぶっきらぼうな表情。座り込んだ水面を覗き込む顔は、『ラビット』によって殺されたはずの『ブルー』の少女、碧だった。未だに彼女が自然に話し掛けてくることに、一瞬違和感を覚えてしまう。しかしすぐに、それがどうでも良くなるくらいの嬉しさが込み上げる。彼女は水面の学校生活において、姫月や林檎の他に初めて出来た友達だった。周りに年上や同い年の友達がいなかった水面にとって、彼女は唯一弱みを見せられる人間だった。愛想がなくて一見怖い彼女だが、面倒見が良く、とても優しい『いい奴』である。彼女とこうしてまた『ブルー』の活動をすることが出来て、嬉しくないわけがない。
「残党もいないみたいだし、引き上げようぜ。押収した物品は私とアコ達で持っていくから、ミナモは先に戻ってなよ」
落ち着いたハスキーボイスは、彼女が生きていた頃のものと全く同じだ。耳についた二つのフープピアス、シアンのメッシュごと後ろで細く束ねられたウルフヘアの長い襟足。全てが当時のままで、全てが懐かしい。
「……じゃあ、そうしようかな」
水面はその厚意に素直に甘えることにし、言うが早いが立ち上がった。手にしていた銃を人差し指を軸にして半回転させ、グリップを碧へと向ける。差し出した銃を碧が受け取るのと同時に、彼女の背中の奥で人影が迫ってくるのが見えた。狼の毛先のように逆立つ白い髪が、ツーサイドアップにされている。彼女はぶんぶんと大きく手を振って、二人のもとへと駆け付けた。ラメ入りの濃いアイシャドウが広がる目は、真っ直ぐと水面へと向けられた。
「ミナモ! 武器の確認終わったよ! ……って、もしかしてもうアオイが言ってた? 走り損じゃんね」
愛湖は不貞腐れたように唇を尖らせた。彼女も、以前命を落とした『ブルー』の一員だ。力自慢の『ブルー』の中でも随一の怪力を誇り、『ブルー』創立から長らく主戦力として活躍していた。元々は水面に喧嘩を売って負けたというお互いいい印象のない出会いだったが、愛湖の妹を助けた一件で彼女は憎んでいた相手である水面の仲間となった。明るくて人懐こく、裏表がなくて仲間想いである彼女は、まさに『ブルー』を象徴するような存在だったといえよう。
「アコは走るくらいでへばらないだろ。私達で残された武器と金を集めて、車か何かに乗せて持って帰ろう。確かここに来るまでに、乗り捨てられてた車があったはず」
「じゃあアコ、車持ってくる。任せて」
「体よくサボろうとしてるだろ」
「だってー、大きい銃運ぶと汚れるじゃん。走り回ってペディキュア剥がれるのも嫌だし……、今日は上手く塗れたんだから。見てよアオイ」
愛湖はその場で二枚歯の履物を脱ぎ始め、露になった裸足を見せつけるように碧へと伸ばした。その爪は全て、綺麗にマリンブルーに塗られていた。確かに塗りムラがなく、均一で艶やかだ。
「どうよこれ? これを傷つけちゃうのはあまりにも惜しいじゃない?」
愛湖は得意気に胸を張った。碧はやれやれという表情で見下ろした後、顔をあげた。
「……アコは金の方集めて。武器の方は私が集めるから」
「さっすがアオイ! 話が分かるね!」
愛湖は嬉しそうに、したり顔で笑みを浮かべた。
「アオイにも塗ってあげよっか」
「いいよ、それよりさっさと集めて早く戻ろう」
そこで碧は、はたと気付いたように水面の顔を窺った。
「……ミナモ、ずっとだんまりだな。どうかした?」
「ん? いや、どうもしないよ」
水面は苦笑を漏らして、ひらひらと手を振った。碧はそうかと返し、特に気にした様子はなさそうだった。そのまま愛湖へと顔を向け、金庫らしきものがあった場所を伝え始める。
(なんか、不思議な気分だ)
昔の光景が、そのまま目の前に広がっている。彼女達は機械なのに、その言葉も動作も彼女達が生きているとしか思えない程自然だ。押収品を自発的に運ぶことだってするし、ネイルポリッシュだって塗る。まるで死んだことの方が嘘みたいに、在りし日が続いているような錯覚を覚えた。些細な日常の光景が、どうしようもない程愛おしく感じる。
「縹様! ……アコ様、アオイ様もいらしたんすね」
奥から大きな声が響き、薄群青色の制服を着た少女が走ってきた。『ブルー』の一員である少女は水面のもとまでやってくると、怒りを滲ませて報告をした。
「倉庫に縄で縛られた十歳くらいの子供がいました。すぐに解放しましたが、泣いていて動こうとしません。どうやらここと敵対する組織の家族で、人質に取られていたみたいっす」
「酷い事するな」
水面は形のいい眉を寄せ、顔を顰めた。やはりここの組織を滅ぼしたのは正解だったようだ。
「怪我はあるか?」
「いえ、無傷です。捕らわれてから時間も経ってなかったようで、健康面では問題はないっす」
あとは帰すだけだが、泣いていて動かず困っているということらしい。こういう時に頼れる人間が、丁度傍にいる。水面は横の碧へと顔を向けた。
「アオイ、その子の保護を頼めるか? 家まで送ってやってくれ」
「いいけど……、……別の人の方が適任だと思う」
碧は珍しく口ごもって、遠慮がちにそう言った。自分から手を挙げるとまで思っていた水面は、その返答に目を丸くした。
「え、なんで?」
「子供は苦手でさ……怖がられるし、どう接していいかわからないし。極力近づきたくないんだよ」
(あれ……)
「そ……そうか」
嫌そうな顔をする碧へ、水面は曖昧な表情のまま頷いてみせた。それから、重い動きで愛湖へと顔を向ける。
「じゃあアコ、頼めるか? お前、妹いるだろ?」
「うん、いーよ。ココよりは絶対大人しいしね~?」
愛湖は二つ返事で承諾し、自身の生意気な妹を思い出したのか肩を竦めてみせた。『ブルー』の少女は「こちらです!」と早速駆け出し、愛湖も水面達にウインクを残して後を追いかけて行った。任せて、ということらしい。
「アコがいてくれて良かったよ」
碧は助かったとばかりに、苦い顔をしながら御太鼓と狼のような白髪の後ろ姿を見送っていた。水面はそんな彼女の横顔を、横からそっと盗み見た。
(アオイ、昔と感性が変わったのか?)
碧は五歳程も年下であろう林檎を内心可愛がっており、子供好きであることが窺えた。碧は面倒見が良いし、後輩の水面を疎ましがらなかったことからしても納得だ。同じく子供の世話が好きな水面にとって、自分との共通点を感じてなんだか親近感が湧いたものだった。自分と碧は似た者同士なのだと思え、密かに嬉しく感じていた。だからこそ、碧が変わってしまったことに軽くショックを受けた。そこまで考え、水面ははたと気付いた。
(いや、そういえば機械だったな……)
生身の人間と変わらぬ姿で動いていると忘れそうになるが、そういえば彼女は故人のAI、『グリーン』の『商品』だった。変わったもなにもない。水面はそれを思い出し、同時に頭に疑問符を浮かべた。
(AIの再現性は完璧に見えたが、再現出来ていない部分もあるんだな。……そりゃそうか)
当たり前と言えば当たり前だ。『グリーン』の者達の手によって作られた、機械なのだから。本人そっくりに作られているだけで本人ではないのだから、再現出来ないところなどいくらでも存在するだろう。『グリーン』は「我々は故人が生き返る手助けをしただけなのだから、生き返ったAIが本人が持っている知識を持ち本人と同じ思考をするのは当然」と説明をしていたが、こうして齟齬が出ている以上当然だがそんなことはなく、AI達はやはり人の手によって一から作られているらしかった。
(そういえば、たまかが不審がってたんだっけ。瓜二つのAIをどうやって作って、その情報はどこから仕入れたのか、とか……)
こうして再現から漏れてしまっている情報があるということは、『グリーン』は本当に一つ一つの情報をせっせとプログラミングしてAIを作っているということになる。水面はその努力と技術に素直に感心した。同時に、疑問が浮かぶ。
(再現出来ている情報と出来ていない情報の違いはなんだ? いや漏れてる情報があるのは当たり前であって、こんだけ再現出来てることの方が異常なんだけどな。たまかじゃないけど、これだけの情報をどうやって仕入れたのかは、少し気になるな……)
情報を抜き活用するのが得意な『レッド』から買ったとでも言われれば納得できるが、たまかが疑問に感じているという時点でその線はない。水面は難しい顔をした。しかしそもそも考えることはあまり得意ではない。「ま、どうせ本人や友人に取材でもしたんだろ」と軽く結論付け、すぐに思考を放棄した。碧や愛湖などの故人が『グリーン』と繋がりを持っていたという話は聞いていないが、『ブルー』の面々ならば取材を申し込まれれば気前よく応じてやりそうな気もする。
「んじゃ、あたしはそろそろ戻るよ。あとは任せていいか?」
水面は考えることを止め、碧へと尋ねた。この後ある組織の頭が『ブルー』の本拠地へ来ることになっている。そのため水面は一足先に本拠地に戻らなければならない。
「うん。……はあ、アコが子供を上手く連れてってくれてるといいけど……出くわしたら最悪だ」
気乗りしない様子で碧はため息を漏らした。碧の姿で、碧の言わないような言葉を言われる違和感。水面は思わず苦笑を漏らしたのだった。
道中は敵の影もなく、つまらないものだった。時折遠くで銃声や爆撃音が響くのが聞こえて来る。水面は二枚歯を鳴らしながら、『ブルー』のアジトへの道を進んでいた。時間的には余裕があるため、特に急ぐ必要もない。見渡す限り一人だけの長い道を、鼻歌交じりに歩んでいく。空き家ばかりの細い道を抜けると、公園のある通りが見えてきた。周りには疎らに草木が生い茂り、風にさわさわと靡いている。辺りの塀は抗争の余波か一部崩れており、水面はなんとはなしにそれらを眺めながら進んでいた。
銃声に交じっていくつかの靴音を耳が拾い、水面は二枚歯をピタリと止めた。……全部で三人分。水面は息を殺し、僅かな靴音から相手の位置を探った。塀の向こう、段々と近づいてくるようだ。靴音の種類は二種類、一人は後方の二人より近い。音の鳴り方からして、こちらへ走ってきているらしい。水面は塀に身を寄せ、軽く構えた。『ブルー』の長の命を狙っている刺客の可能性もある。水面は無敗を誇っているとはいえ、こうして不意を突けばタイマンでも勝てると思ったのかもしれない。度胸のある奴は好きだ。水面はじっと耳を欹てた。靴音の間隔からして、恐らく相手の身長は百四十センチから百五十センチの間くらいだ。一応姿を現した時に直ぐに一撃入れられるよう、相手の頭の位置目掛けて拳を構え、静かに待つ。
やがて足音が大きくなり、塀の向こうから人が飛び出してきた。水面はその姿が視界に入った途端、構えた体勢のまま固まってしまった。目に飛び込んできた、鮮やかな紅色。風が舞い込んで膨らむ、グラデーションが広がる薄手のスカート。さらさらと流れる艶やかな髪。焦りが滲んだ小さな顔が、水面へと向く。目が、合う。
「……!」
『レッド』の制服に身を包んだ少女は、水面のよく知っている顔をしていた。昔、毎日傍で見ていた姿が目の前にあった。勢いのまま通り過ぎた足を、彼女はゆっくりと止めた。
「み、水面……?」
林檎だった。死んだはずの彼女は、その小さな口から必死に息を吸いこんでは吐き出していた。全力で走っていたらしい。彼女のそんな姿はなかなかに珍しい。
「林檎……?」
水面も消え入りそうな声で彼女の名前を呼んだ。頭が真っ白になって、幻覚でも見ているのだろうかと錯覚する。しかし碧や愛湖のことを思い出し、目の前の彼女が体を得たAIなのだと悟った。それと同時に、塀の向こうから二人分の足音が近づいてきていることにも気が付いた。
「……もしかして、追われてる?」
水面は呆けていた顔を険しくし、敵対組織の長へと鋭く尋ねた。彼女は躊躇うように視線を泳がせた後、小さくこくりと頷いた。
(なんで『レッド』のAIがここに?)
しかも追われているなんて、状況がさっぱり読めない。たまかや『レッド』の者は近くにはいないのだろうか。そう思っている間にも、二人分の靴音は段々と迫ってきていた。林檎は肩で息をしながら、塀の向こうを一瞥した。そして、水面へと口を開く。
「……もう行くわ。あなたがわたしのことを突き出そうが構わないけれど、水面にとって大した利益になるとは思えないわよ」
彼女はそう言い残し、再び地面を蹴り上げた。息の上がったまま、必死に逃げおおせようと覚束無い足を動かす。
(あんなに体力が削られている状態でこの距離……捕まるのも時間の問題だろ)
水面は駆け出した背中を目で追い、唇をきゅっと結んだ。目の前に現れた、敵対組織の長のAI。体を得た、死んだ旧友でもある。自分はどう行動するのが正解なのか、水面にはわからなかった。だからこそ、考える前に体が動いてしまった。袂を靡かせて手を伸ばし、走り出した彼女の細い腕を掴む。振り返った彼女の驚いた顔ごと抱え込み、持ち上げた。林檎の足がふわりと浮いたのを見て、水面はそのまま全力で走っていった。奥まった草木の中へ飛び込み、身を低くする。低木に隠れて林檎の口を後ろから塞ぐと、水面自身も音を立てないようにしてじっと耳を欹てた。大きくなった靴音は、すぐそこまで来ていた。そしてすぐにその音はより鮮明になり、辺りに大きく響いた。塀の向こうから出てきたようだ。追っている人物の姿がなかったからか、慌ただしく鳴り響いていた靴音が次第に止まる。そのまま辺りを探すことにしたらしく、移動する靴音や衣擦れの音が絶え間なく聞こえてくるようになった。靴音はかなり近くまで来たが、隠れている水面と林檎には気付いていないようだ。水面は葉と葉の間から、密かに様子を窺ってみた。隣の公園には、黒白のフリルとレースの塊が二人立っていた。彼女達はきょろきょろと何かを探すように辺りを見渡している。
(『ラビット』? なんで『ラビット』が林檎を追ってるんだ……?)
水面は怪訝な顔でその様子を覗き見ていた。二人は水面達の隠れる茂みには注意を向けていないらしく、公園や塀を見渡しては首を傾げていた。
「うーん、いないねえ。逃げられちゃったのかな」
「しょうがない、他の『レッド』のAIもあるし、そっちで遊ぼうか」
「残念だけど、そうだねー」
二人はようやく諦めたようで、厚底の靴の先を二人のやってきた方向へと戻した。そのまま会話をしながら、黒白のフリル達は塀の奥へと引き返していった。二人の姿が見えなくなった後も、水面はじっと動かず息を潜め続けた。腕の中の林檎も大人しくしている。完全に靴音が遠くへ消えたことを確認し、水面は漸く林檎の口から手を離した。林檎はぷは、と大きく息を吸った。
「……」
水面が葉を避けながら立ち上がると、林檎も続けてよろよろと立ち上がった。お互い、言う言葉を慎重に選んでいるような雰囲気があった。水面は林檎の頭に葉がついていることに気が付き、手を伸ばしてそっと葉柄を摘まんだ。くるくると指でそれを回転させながら、重い口を開く。
「……なんでお前、『ラビット』なんかに追われてたんだ。たまかはどうした?」
「……」
葉を放ると、螺旋を描いて地面へと落ちて行った。林檎からの返事がなかったため、水面は続けて口を開いた。
「暇だから、ついでに『レッド』まで送ってやろうか?」
別に暇ではないのだが、気付けばそんな言葉が口を突いて出ていた。敵対組織のAIならば破壊してしまうのが『ブルー』の長としては正しい行動なのだろうが、迷子のAIを『レッド』まで送り届けてたまかに恩を売っておくのも悪くない気はする。そう、別に林檎がどうとかいう話ではなく、これも一つの戦略なのだ。水面は自分に何度もそう言い聞かせた。
「……違うわ」
「うん?」
か細い声が聞こえてきて、水面は首を傾げた。林檎は視線を逸らしながら、言いにくそうに続けた。
「わたし、『レッド』の購入したAIじゃないの」
「……、うん?」
「『ラビット』の買ったAIなの」
水面は傾げた頭をさらに深くした。
「えーと? 林檎の格好をしているけど、中身は林檎じゃないってことか?」
「違うわ、わたしは朱宮林檎のAIよ。そこは『レッド』のものと同じ」
まあそうであろう。水面のことを「水面」と呼ぶ人間は限られている。逆説的に、目の前の少女が林檎であることの証明になっている。
「『ラビット』がお前を買ったのか? なんで?」
「『ラビット』では、他の組織のAIを買って『おもちゃ』にするのが流行っているの。姫月から聞いてない?」
「……そういやそんなことも言ってたっけ。殺したり意地悪したりして遊ぶのに、他の組織のAIを使ってるって。でも、特定の誰かを模したAIではない、って聞いたけど……」
他の組織の故人のAIを買えるとなれば、情報漏洩に五月蠅い『レッド』が黙っているはずがない。姫月もそれをわかっているからこそ、汎用的なAIを購入していたはずだ。
「そう、だから汎用AIのまま、外見だけ敵対組織の長に似せるよう『グリーン』に要求した。それなら情報漏洩の疑惑をかけられることなく、憎き敵対組織の長を殺して遊ぶことが出来るというわけ」
随分と悪趣味だ。水面は眉間に皺を寄せた。
「『グリーン』は注文通りお前の姿の商品を作り、『ラビット』に売ったんだな?」
「ええ」
「じゃあなんで、お前は汎用AIじゃなくて本人のAIが入ってるんだ? 汎用AIだからこそ、『ラビット』が他の組織のAIを買う行為が許されてたんだろ?」
林檎は一度口を閉じた。目が泳ぐ。
「……密かに、入ったの」
「はあ?」
「わたしの外見の体が作られたから、丁度いいと思ったの。『グリーン』は汎用AIをインストールしたけれど、わたしが密かにそれを上書きした」
「……何のために?」
「決まっているでしょ、『ラビット』の情報を盗むためよ」
水面は心の底から呆れた。しかし、林檎の考えそうなことでもあった。彼女は自身のことなど顧みず、常に組織の利益ばかりに目を向ける。
「それで、何で逃げ出す羽目になったんだ?」
「……」
林檎は桃色の唇をピタリとくっつけ、小さく噛んだ。それ以上、言葉は出てこなかった。
(……何かあったのかな)
殺される直前に、命からがら逃げだしたというところだろうか。林檎のことだから策を駆使して脱出したまではいいが、体力がなく逃げ切ることが出来なかったのかもしれない。やはり最後に物言うのは、筋肉なのだ。俯く小さな頭を見下ろし、水面はその上にぽんと手を乗せた。撫でるとサラサラとした細い髪が、絹のような肌ざわりで指に絡んだ。
「……何?」
「行くあてはあるのか? 『ラビット』には帰れないだろ」
「……」
林檎は何も言わなかった。それは「ない」と口にしているも同然だった。
(『レッド』に送ったところで、『ラビット』の購入したものを堂々と窃盗するわけにもいかないだろうしな)
水面は林檎の顔をじっと見下ろした。昔は毎日隣で見ていた顔だ。だから、自然と言葉が出ていた。
「……あたしのとこ、来るか?」
「え?」
林檎は水面を見上げ、言葉を失ったように口を小さく開いた。
「他に行くところないでしょ」
「で、……でも、あなたは『ブルー』の長よ。わたしを匿ったって知られたら、大問題になるわ」
水面は小さく笑みを零し、林檎の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「じゃあ、見つからなければいい。簡単だ」
林檎は何かを言い掛け、しかし発することなく口を閉じた。大きく寄った眉は、彼女の困惑を表していた。
「昔さ、あたしがお母さんと喧嘩して家出した時、林檎が家に泊めてくれたじゃん。それのお返しってことで」
「……それは……水面があんな寒い中、家に押し掛けたからでしょう……」
林檎はたどたどしくそう言った後、力無く俯いた。
「それに、あの時とは状況が全く異なるわ。今の水面は、『ブルー』の長なのだから」
たくさんの組織員を抱え、『ブルー』の頂点に立ち、全てを蹴散らす無敗の存在、それが今の水面だ。そして林檎は、その敵対する組織の元リーダー。匿えば購入者である『ラビット』からは勿論、『ブルー』の内部や『レッド』からも責任を追及されるであろう。『レッド』と繋がりがあると誤解を受ければ、それこそ三大組織の関係性の崩壊やクーデターに繋がりかねない。
「それでもさ……」
水面は林檎の頭から手を離し、その場にしゃがんだ。林檎に目線を合わせる。人形のような愛らしい顔は、きょとんとして水面を見つめていた。
(またお前を喪うなんて、嫌だよ)
例え、機械だとしても。今度こそ、この手で守ることが出来るのだとしたら、自分に出来ることは全てやりたい。
「大丈夫。見つからないように策を練るのは、お前得意だろ」
「……。……わたし頼みなのね」
林檎は苦い顔をした。しかし目の前の端整な顔を見つめ、彼女は僅かに瞳を伏せた。
「……ごめんなさい。少しの間だけ、いいかしら」
そのしおらしさに、水面は目を丸くした。林檎がこんなに素直なのは大層珍しい。一度死んで、漸く人に甘えるということを覚えてくれたのだろうか。水面は微笑みを零した。愛し気に目を細める。
「……いつまでもいていいよ」
本心だったのだが、励ますために軽口を叩いたと思われたらしい。林檎は少し困ったように、はにかみを零したのだった。




