アルコール専門病棟へつながる方法
私自身が入院したアルコール依存症専門病棟を持つ病院は2つです。(精神病院という括りなら3施設)
三鷹市にある『井の頭病院』と埼玉県伊奈町の『埼玉県立精神医療センター』です。どちらも精神病院の中にアルコール依存症専門病棟があります。
敷地内を散策しているとアルコールに問題を持たない患者さんにも出会います。病棟内は二重になった出入り口に二重のロックがされています。入院患者さんに対する病棟外への出入りはできません。病棟内の廊下や病室に窓はありますが、開放することはできません。窓が開けるのはせいぜい5cmといったところでしょうか。
窓が開けられない理由は飛び降り自殺防止のためです。
アルコール依存症者は社会から抹殺され自暴自棄に陥ります。金銭が枯渇し、明日への希望も持てない。この状態の時に自死する人がいます。ただし大量飲酒が原因で自死するよりも精神病院という場所へ隔離されたことの方が精神面では痛手を負います。
私自身もそうでした。 入院初日に病院内の敷地に置いてあるベンチに座り、「なんで俺が精神病院に隔離されているのだろう。今ごろ、友人たちは年末を楽しんでいるはずだ。なんで俺だけがこんなに惨めなのだろうか?」
思いがめぐり涙が出てきました。
私が入院した1か月後くらいに非常に若い男の子が同じ思いを抱きながら入院生活をスタートさせた事を覚えています。敷地内の中庭から戻ってきた時の彼の目は濡れていました。
この入院による劣等感と孤独感からアルコール専門病棟での生活はスタートします。
5日が過ぎ、1週間も経つと同じ穴のムジナ達は友好関係を築き上げていきます。なにしろ入院中は強制的にアルコールを断ち切られるのですから非常に健康的な入院患者に様変わりするのです。
アルコールを飲み続けていた終末期になると固形物は一切、摂取できなくなります。飲んで吐いて、吐いて呑んでの繰り返しの日々です。
その同じ人間が「腹ヘッタ〜飯が足りない。食い物を買いに行ってくるから外出許可を出してくれ!」になるのです。
私が入院した当時は2週間コースと3か月コースがありました。選ぶのは患者さん自身ですが、強制入院者や市町村のお世話になられている方に選択権はなかったと思います。
2週間コースは点滴を受けてアルコールを解毒するのみで社会復帰します。(このコースを選ぶ方は単なる急性アルコール中毒、いわゆる飲み過ぎ、我々、確固たるアルコール依存症者とは異なります)
私は初回の入院時から3か月コースに配属されました。自分自身で選んだ記憶は無いのですが、よくわからないうちに3か月のプログラムコースを選んでいました。
今、この文章をタイピングしていて思い出したのですが、入院してすぐに事務的な書類に住所と名前を書いています。手と指がガタガタに震えて、油汗がびっしょり、止まりません。この時に選択コースにチェックを入れたのかもしれません。
現在は3か月ではなく2か月と短縮されているそうです。おそらくは・・・ですが「2か月でも3か月でもリピートしてくるのだから、期間はどうでもいい」だと思います。
アルコール依存症者を専門病院へと導く手段は2通りです。
家族が連れて行く(おそらく無理でしょう)、本人が行かなくても家族会というものもあります。(相談してみてください)
1番効果があるのは勤め先からの強制受診命令です。
アルコール依存症者は会社をズル休みします。最初は月曜日だけのズル休みですが、度を過ぎると火曜日も水曜日も職務放棄をして飲み続ける事になります。この連続欠勤は非常に問題視されます。会社側にしてみれば過度の就労をさせてしまった。社員の健康を害するプレッシャーを与えた結果、アルコールに逃げざるを得なくしてしまった。よって、飲酒を止めさせるために職場の地位を一旦引き下げて、病院に行ってもらおう、となります。(私はこの手法で入院に繋がり、職務を離脱させられました。職務離脱の方が私のプライドを大きく傷付けました)
重要なポストから外された私は職場に行く意欲を無くしてしまいます。悪循環を彷徨い歩くようになります。さらに追い討つように母が死んでしまいます。
この母の死で多額の現金収入が入ってきてしまったのです。おおよそですが4500万円は現金で入ってきました。半分は弟に渡していますので私の取り分は2250万円、そのすべてを飲んだのです。今、思うともったいない。小説を書いて自費出版を10タイトル分はできる金額です。
前回も記しましたがアルコール依存症者がいる家族は逃げるべきです。本人が社会復帰を目指すのであればアルコール依存症専門病棟のある病院を受診しましょう。
間違えないでください、アルコール依存症専門病院はありません。専門病棟を持つ医療機関への受診をしましょう。




