9話 始めての魔法レッスン 前編
今日からビレムの魔法授業が始まる。魔導士になるにはそれなりの勉強を長い間しなければならないなんてざっくりとしたことしかわからないけど、頑張れば何とかなるはず。
朝食を食べ終わってお茶を飲んでると、ビレムの使い魔であるニーシャが飛んできた。羽ばたく音があまりしない、優雅に窓際に立って、私のことをその黒い瞳で見つめながら首を一度傾げた。
「ご主人様からのお呼びですわよ。来てくださいな。」
そう理知的な女性の声で私に言うニーシャ。亡くなった奥さんの声を再現しているらしい。言葉遣いも似ているんだとか。
「はい、今行きます。」
そう答えてエプロンとホワイトブリムを脱ぎ、袖とスカートの裾に簡素な白いレースだけが入っている黒い無地のワンピース姿になって。 ニーシャと一緒に研究室へと向かって、ノックをして扉を開けて中に入ると、前とは違って黒板の前に立って何かを書いているビレムの姿が見える。
「来たか。早速、最初の授業を始めたいところだが、君の魔法触媒に対していくつか話したいことがある。」
ビレムが握っていたチョークを机の上にあるチョークを入れる小さな箱に入れて、私の方へ向いてからそう言った。やはりその話になるのか。スルーされるんじゃないかと期待したけど、そうでもなかったみたい。ビレムの顔は淡々としているけど、一体何を言われるのやら。
「儂も貴族の端くれだ。基本的な武術は学んである。だが言ってしまえば基本的なことしか学んでないとも言える。体は動きを覚えているとは思うが、君の見本になるとは思えない。君は商人の娘だ。自衛のためにもう学ばされていたとしても驚くまい。それとも前世の記憶か。どちらにせよ儂から教えようとしても大して役に立たないだろう。それを儂に期待していたのなら、残念なことに答えられない。」
思っていたのと違った。彼は私が彼から武術も教わってもらいたいと思っていたんだろう。全然そのつもりじゃなかったんだけど。
「一人で大丈夫です。お師匠様のお手を煩わせるつもりはありませんでした。」
「一人で? 試合なしでは実戦で使えるほどにまでの実力にまで伸ばせない。それをわかっているのか?」
彼の言う通り、どのような武術であっても実際の状況を想定して実力をぶつけ合う経験が蓄積されて状況に応じての動作が出来るようになる。体で覚えないと、ただ知っているだけではいざという時に反応するのが難しい。様々な型を覚えて、体に馴染ませて、様々な状況で使いこなせるように試合を繰り返す。それは前世でやってきたことではあるけど、この体でもそれを覚えているわけじゃないから、確かにどうにかしないといけないところではある。
「特に当てはありませんが、何とか自分で出来るところはやってみようって思ってて。単純に身体能力を伸ばして型を繰り返すだけでもある程度までは成長できるはずですし。」
「それなりに考えてはいたか。前世からの記憶で君がそのような決定をしたのも今のでわかった。今から決めへの初めての授業を行う。その前に、ニーシャがこの場にいた方がいいか、それとも邪魔になるか、言ってくれるか?」
そう言われてニーシャを見ると、その真っ暗で感情をまるで読めない目が合った。別に彼女がいても邪魔になったりはしないと思う。ただニーシャの意見も聞いておかないと。
「ニーシャさんはどう思いますか?私は別に構いませんが。」
ニーシャを見てそう言うと、彼女は首を傾げて言う。
「集中したいなら私はいない方がいいのではないかしら。変に私の視線にさらされることになるでしょうし、気を使ってしまうわよね。」
「彼女はそう言っているが。」
なぜ私にそれを決めさせようとしているんだろう。二人で決めればいいのでは。そう考えながら答えに迷っていると。
「なぜそれを聞かれたのかわからないようなので、説明してやろう。魔導士の現実に対する感覚は移るものだ。それも直接語り合う関係になれば尚更。魔導士は誰しもが固有の感覚を持つ。空間から情報を読み取り、それに介入する。そのために術式を展開し、調整し、掌握する。そのための手法は魔導士によって違う。君もその感覚を得られるだろう。儂と二人でいるならその影響はより大きくなり、誰かが一緒ならその影響も減る。ニーシャはここにいなくても特に寂しいこともなければ邪魔になったと傷つくこともない。どうする?」
それなら答えは決まっている。
「二人きりの方がいいと思います。」
「聞いただろう?ニーシャ、君は使用人の仕事の手伝いだ。新たに弟子になった、アヴェリーナの代わりにな。」
「わかりましたわ。」
そう言って開けられた窓から出て庭に向かって飛んで行くニーシャ。彼女は時折魔法で仕事を助けてくれるので、むしろ私よりずっと有能だったりして。少し凹んじゃいそう。
「あの、授業に決まった内容とかありますか?事前に魔導書を読んで予習しておくとか、そう言うのは。」
何冊かの魔導書とノートも買ってもらってて、ちゃんと部屋に置いてある。
「魔導書は復習するために使え。魔導書を読むためには知識が必要だ。知識を使って理解を進め、どのように繋がっているかを確かめ、全体像を掴む。時間はかかるが、かかる時間を気にする必要はない。何事も積み重ねることが重要だ。途中で諦めないようにな。」
私は笑顔で頷いた。
「始める前に君がどれくらい魔法について知っているか聞きたい。学校での魔法成績は良かったのか?」
学校柄では生活に必要な魔法と称して便利な魔法をいくつか学ばされる。魔力の込め方、扱い方、術式の読み方と覚えるべき事柄。それらを学んでいる時に私はそれなりに集中していたし、練習もたくさんしていた。今考えてみると前世の記憶が思い出せなくても前世では存在しなかった魔法に対しての何らかの強い思いがあったのかもしれない。
「それなりには。」
「なら魔力の込め方を今から学ぶ必要はないと見ていいんだな?」
「問題ありません。何なら実演して見せますが。」
ちゃんと首にはブルーム・タリスマンをかけている。スピリット・ファングもエプロンのポケットの中に入れてある。
「いや、いい。君の言う事だ、見栄を張ることもないだろう。学校で学んだ魔法と魔導士が使う魔法とでは根本的な違いが一つある。それが何かわかるか?」
「わかりません。それは学ばされませんでした。」
多分、誰もが魔導士になることを阻止するための侵入障壁とかがあるのではないかと踏んでいるけど、実際はどうなんだろう。
「君は魔法を図形の形で丸暗記させられているだろう。だからその中にある文字の羅列が符号を通って繋がっているという事実は学んでなかった。そうだろう?」
いわゆる魔法陣。それを丸暗記して、それを想起しながら魔力を込めると魔法は発動する。そう学んでいる。
「はい、文字の意味とか、そう言うのは全然学んでいません。魔導士の使う魔法は別の方法で試すんでしょうか。」
「いや、同じだよ。君が学んだ魔法陣は術式と呼ばれる。術式の単位となる文字をルーンと呼ぶ。このルーンの意味を学校で具体的に教えることは法律で禁止されている。危険だからだ。例えばティエスというルーン。これは良く見ているだろう。加熱の術式に使うルーンで、意味と効果は、まあ、加熱そのままだが、このティエスを術式から離して使うとどうなると思う?」
危険と言われているからには、熱暴走でも起きるのでは。
「制限なく温度が上がるとか?」
ビレムは人差し指を立てて、手首にスナップを利かせる。
「その通り。だから一般人はそれを術式として呼ぶことなく、これが魔法陣で、これ全体を学ぶべきであると教えられる。」
それが事実なら、隠し通せるようなものじゃない気がするんだけど。
「あの、なぜ魔導士だけがその知識を持っているんでしょう。」
「そうでもない。ルーンだけに魔力を込めたところで、狙った場所へ狙った効果を引き起こせるのは不可能だ。ただ一つのルーンを除いて。そして、魔導士とそうでない人間を分ける基準が、この一つのルーンにある。」
ビレムは黒板に一つのルーンを描いた。
「これは君がこれから何があっても忘れることの出来ないものだ。今まで発見されたルーンの数は三百二十八。常用されるのが二百三十六。だが魔導士にとって最も一番多く使わるのは、このルーン、フォルマだ。フォルマの効果は一度使えばわかる。一般的にこのルーンと繋げる。これを思い浮かべながら魔力を込めてみろ。大丈夫、最初はめまいがすることもあるが、安全だ。」
もう一つのルーンを魔道符号の一つ、“指定”で繋げた。言われた通りに実際にやってみると、空間の中にある様々な情報が瞬時に自分が知っていることと繋がって理解されていく。
「これは、意識を向けた空間の情報を魔力を込めるだけわかるルーンであってますか?」
「その通り。フォルマは情報を読み取るルーンで、一般人にはあまり知られていない。読み取った情報は事前にその意味を知っていないとただの衝撃として意識に負荷をかける。そうしないためには色々と学んでおく必要があるのだよ。」
「お師匠様は素粒子の性質や空間に含まれているエネルギー量などをどこで学んだんでしょうか。」
何かを考えているんだろうか、ビレムは顎に手を当てて、頷いてから私を見る。
「エネルギー量はともかく、粒子とな。元素ではないのか。120番目のルーンから204番目のルーンは元素のルーンと言って、その性質を学ぶのは魔導士になるためには必ず学ばないといけないことだが、どうやら君は最初からそれを知っていたようだな。それも粒子だと。元素ではなく?」
周期表にある元素を84番まで使えるということかな。それ以上になると自然界にも珍しいため意味がないとか。ウランの分裂で生まれるテクネチウムとかは珍しいはずだから、それも珍しいとかも普通に考えられる。そもそもこの世界の星は核融合炉ではないので、重い元素が特別に珍しいのにも何かわけがあるんだろうか。
「前の人生では当たり前のように学ぶ事柄でした。元素の性質だけを知っていても魔法は使えるんですね。むしろ素粒子としての性質なんて考えてたら邪魔になるかもしれません。」
そう首を傾げているとビレムは肩をすくめてから授業を再開した。どうやら深堀するつもりはないらしい。
「フォルマを使うと見える現象に、的確な術式を使って干渉することが、魔導士の使う魔法とそうでない魔法の違いだ。世間では魔法にわかりやすい幾つかの系統があるなどと言われているが、それは大衆向けの娯楽で扱いやすいように言っているだけにすぎん。実際にそう系統を分けて教える場合もあるが、それは魔道の本質の一つ、探求の部分を簡略化しすぎていると言える。必要な分だけ、効果がわかりやすい分だけ、研究を重ねてきたのだよ。その結果がこれだ。」
ビレムは手から赤く燃え盛る小さな炎、鋭い氷の嵐、バチバチと光と音を発する雷の塊、景色を歪ませるほど濃密に吹きすさぶ風の塊を次々と作っては消した。
「炎、氷、雷、風。これらがいわゆる元素魔法と呼ばれるものだ。だが実際に術式を見てみるとそれぞれ全く違う。では魔法とは何か。思想だ。解釈だ。特定の現象を引き起こすために術式をどのように自分の物にするかが魔法の要なのだ。これらの術式を暗記するだけで誰も使える。が、フォルマのルーンを重ねることで自分が起こした現象がどこに向かうかを予想し、それにどう干渉すればいいのかは知識と経験を積み重ねることで、その効果を初めて制御出来ると言えよう。フォルマのルーンで読み取ったことを、適切な術式をその場で組み立て、触媒の補助を受けて術式を綿密に制御する。極めればこういうことも出来るようになる。」
手のひらの上に小さな鳥を造って羽ばたかせるビレム。青白い氷の粒が光を反射してキラキラと輝いた。それはただ美しいだけではなく、ビレムという一人の魔導士が目指していたものには遊び心や人の心を掴むための工夫も入っていることが伝わってくる。思わず笑みを浮かべてビレムを見ると彼も柔らかく笑みを浮かべて私に聞く。
「今からやろうとしてもそう簡単に出来るものじゃないだろうが、分かりやすい目標だろう?ここまで質問は?」
「はい、一つだけ。一般的に広く使われる、体を綺麗にしたり、水を沸騰させる魔法は術式を暗記してから魔力を込めるだけでいいんですよね。フォルマのルーンを使う魔法はそうじゃない。その根本的な違いはどこから来ているんですか?威力の込め方などに違いがあるんでしょうか。」
「魔導士と一般人はどうやってわけられるのか。誰しもが魔法が使えるのになぜ魔導士だけが特別で、多くのことが出来るのか。これにはちゃんとした理由がある。それを教える前に一つ注意しておこう。一度知ってしまえば、後戻りはできない。儂が君にこれを教えるのは、君が儂の弟子になったからだ。君はこれから儂が教えることをむやみやたらに誰かに教えてはならない。君がこれを誰かに教える時、その人は君の弟子となるだろう。わかったか?」
ビレムはいつも顔に浮かべている薄い笑みを消し、顎を少し下げて睨むように私へと確認を求めた。もちろん、覚悟は出来ている。
「言うまでもありません。」
「よろしい。では説明を始めよう。魔法の術式には2つの異なる種類がある。単一術式と連続術式だ。単一術式は、物を押す、音を出す、光や火を作る、一度に体を掃除するような魔法を使うための術式のことを言う。これが単一術式と呼ばれる所以はわかるだろう。単発魔法を使うためには、1つの公式だけを覚えるだけでいい。君が学校や本で読み学ぶのはすべて単一術式だ。魔法陣などと嘯いて、さもそれが魔法の全てあるかのように広める。魔導士は何か特別な力を持っているのだろうと錯覚させ、一般人がそれに関わることを防ぐ。理不尽に思えるだろうが、実のところ、魔導士が使う魔法は危険なことこの上ないのだよ。おいそれと教えるわけにはいかない。ティエスをマジックコードを弄り、範囲と対象を指定して使うだけで、遠隔で簡単に人を焼死させられる。魔導士ならそれに対抗する手段はいくつかあるが、一般人はそうはいかない。エンチャントした何かを身に着けてないと、どうしようもできない。もちろん、そんなことをしてただで住むわけがない。いくら魔法が遠隔で仕えるものだからと、知られないわけがない。魔導士はコミュニティに属するものだ。君もある程度魔法の熟練度が上がったら、ヴロベールの魔導士協会へ君を紹介させる。今は名前だけ登録しておいた。それが君の師匠としての儂の責務だからだ。」
ビレムはそこまで言ってから空気中の水をコップに絞って、それを温めてから白湯として飲んだ。
「あの、お茶なら私が淹れます。」
「問題ない。魔導士はそもそも使用人などいなくとも、使い魔だけいれば生きるのに何も不便なことがないのだが、貴族としての立場がある故、そうもいかない。この屋敷を維持するための人員は必要だが、身の回りの世話は自分でした方が気が楽なのだよ。」
また一口白湯を飲むビレム。一度深呼吸をして、また口を開いた。
「君の人柄はある程度は理解しているつもりでいるが、それは老人故の傲慢さやも知れないな。さて、説明を再開しようじゃないか。連続術式を使うには、魔法をかけた場所からのフィードバックを受け取りながら、術式を絶えず変更し続ける必要がある。連続術式の仕方を習いたての見習い魔導士が術式を瞬時に組んで、的確に狙った事象を起こせるのは、触媒なしでは至難の業だ。連続術式を使っての魔法を駆使するためには、補助装置としての触媒は必須と言っても過言ではない。触媒なしでも簡単な連続術式なら暗記して使えることも出来なくはないが、フィードバックされた情報に術式を変更しながら思い浮かべる速度が追い付かない。それに、複雑な事象を狙えば狙うほどそうはいかないものなのだよ。呪文を唱えて特定の魔力パターンを作ると、触媒がそのパターンに自発的に反応することは知っているだろう?店で説明を聞いたはずだ。それにより、膨大な公式を思い出す代わりに、慣れ親しんだ触媒の反応に沿って魔力を込めるだけでいい。術式は魔力の込め方を決めるものだ。魔力の込め方そのものを術式なしで再現出来れば、同じ事象が起こせる。」
興味深い。魔法の仕組みにそのような明確な理があるのは、そうでないものよりずっとわかりやすい。得体の知れない超自然的な存在に願いを言うものではなく、狙った事象を起こせるために工夫しないといけない。私が笑みを浮かべて頷くと、ビレムから優しい笑みを向けられた。私にそう説明すること自体を楽しんでいて、私はそれを理解している。
「触媒の反応とその流れに慣れることで、連続術式をコントロールできるってことなんですよね。」
「ああ、だから、触媒は使用者の心を直接“読む”わけではないが、使用者の手で唱えられた魔法の術式そのものを“読み取り”、それをまた使用者に“読み取らせて”コントロールできるに変換してくれる道具と言えるだろう。そしてこの一連の流れをマスターすることで、君は一人前の魔導士となるだろう。理解できたか?」
ビレムは穏やかな声でそう聞く。
「はい、とてもわかりやすかったです。」
「では続きだ。ここで集中力がカギとなる。集中しないと途中で計算が狂ってしまう。すると術式は霧散し、何の効果も出さなくなるどころか、今まで積み重ねた効果を制御できず、あらぬ方向へと力が飛び散ることになるだろう。この時、フォルマのルーンを術式と術式の間に使い、狙った現象が起こっているのか確認する必要がある。最初に基本となる式を展開する。次にフォルマ。この段階で使うフォルマは座標を指定するために使うものだ。次に最初の術式が起こしている事象を発展させる。ここで使うフォルマは、術式の規模と範囲を決めるために使うものと考えればいい。最後に現象を安定させ、フォルマを使って確認。これで事象を拡大するのも、消えさせるのも術者の意志によるものだ。この一連の流れを実行するにつれ、集中しないとどうなるか。積み重ねたものが台無しになってしまうだろう。そして術式が複雑になればなるほど、それを想起して魔力を込める工程が難しくなる。範囲を広げ、威力を上げるにつれ、術式はより高度なものになっていく。必要な術式を組み立て、必ず触媒を通してから瞬時に現象に介入する。触媒を通すことによって術式を暗記していた術式をいちいち考えてから使うのではなく、感覚で使えるようになる。これに慣れることが最も重要なことの一つだ。手元に触媒がいなくとも、簡単な術式なら感覚で仕える場合もあるが、おすすめはしない。触媒が良ければ術式を通したパターンと己の意識を繋げるような感覚にまで至れる。」
そう、私が今も使える生活に有用な洗浄魔法とか、そう言った魔法はビレムが言っていた三つの工程で行われるものじゃなく、一度だけ術式を想起しながら魔力を込めるだけで発動するものだからだ。ビレムは軽くうなずいて話し続けた。
「君が知っている単一術式さえも、かなりの部分が省略されたもので、一般的に我々魔導士が使う魔法より極めて単純かつ便利な造りとなっている。平民が通う学校で一般的に教える単一術式は、そもそも触媒がいらないよう、特定の効果を一番効率的かつ短い術式だけで出すよう設計された。世のため人のためと、それを普及した先人たちがいたことは、学校でも習ったはずだ。この時代に魔法とは連続術式だけを指す言葉だった。そして一番の功労者は、前の文明が滅んで間もない頃、新たな秩序が建てられようとしていた新時代の幕を開けた賢者イェルガーと彼の精神を継承した魔導士たちだ。前の時代の魔導士たちは体制の道具として、貿易を基盤にしたシステムの立役者としてシステムの部品として使われていて、自分たちが何をやっているかに対しての認識すらなく、特権階級の一部となって言われたことを淡々とやるような立場だったんだ。八千年以上の前のことなのに、ちゃんとその時代に書かれた書物は残っていて、言葉さえ学べば誰だって読めることなのだが、そのような書物自体が貴重で、宮廷魔導士としての立場があったからゆえに儂はそれらを読む機会を得られた。前の時代はそう滅ぶべくして滅んだという事なのだろう。技術を開発した本人には、魔法を開発した本人にはそれを制御する権限は与えられず、誰かに言われたままのことを言われた通りにするだけだなんて、今では考えられないことだがな。それでもきっとその中にも幸せがあったんだろう。そうでなければ、何千年も続いたりはしない。それでも滅んだからには過去の過ちを繰り返すわけにはいかない。それが後の世を生きる者たちの義務というわけだ。」
そう語るビレムの顔には確かな時の重さがあって、はっきりとした意志があって、矜持と、哀れみと、優しがあった。彼の優しさはそうやって、一つ一つの物事をしっかりと学んできて培った結果なんだろうということが伝わってくる。話の続きを待っていると、ビレムは空気中から水を作り出してからそれをティーカップに注いで飲んで、語り続ける。
「イェルガーは地方の魔導士で、大陸中が戦乱に巻き込まれ、魔法で様々な加工がされた大量破壊兵器を撃ちあっていたことを見ていたようだ。彼は思ったのだろう。誰もが魔力を持っているのに、魔法を使うのは魔導士だけで、その知識も時代のエリートたちが独占するなんて理不尽ではないかと。失敗を繰り返さないためには、皆が魔法を使う社会を造らないといけない。そんな大それた野望を抱えて、イェルガーは廃墟となったかつての国々を回りながら人々の生活を目にし、魔道具を生産する基盤ごと破壊されている現実に的確な対案を提示した。当時は一般人には魔道具だけが生活に必要な道具として広く使われていて、魔法というのは一般人が学ぶには難解すぎるものだった。今は前に比べれば術式が随分とわかりやすいように改良されているが、それでも難しいと匙を投げる魔導士見習いは後を絶たない。しかしそんなに難しいものならば、そもそも魔法の本質的な部分を学ばなければいいのではないか、フォルマのルールと触媒を使わなければいいだけの話じゃないかと、イェルガーは大胆な発想の転換を行った。」
イェルガーが単一術式を開発する前まではたくさん勉強して、訓練して、フォルマを使って、触媒を使った魔導士の魔法しか使われてなくて、それこそが魔法だったのに、今はそうではないと。
「じゃあ、その前は日常生活がすごく不便だった気がするんですけど。魔道具でその生活をすべて補っていたという事なんでしょうか。」
「君が前世でいた国と似たような状態だと思うが。もしかすると君は前の時代から来ているのではないか?」
残念なことにそうじゃない。話のスケールがもっと壮大で、普通はあり得ないと断じてしまうはず。ビレムがいくら柔軟な思考能力の持ち主だとしても、私は世界の在り方や本質が根本的に異なる別の世界から来ましたなんて。そんなことを言ってしまったら、ビレム自身も困ってしまうだろう。彼に隠したいわけじゃなくて、そこまでして彼の人生に重みを足すのは、自分本位な考え方のように思えてならない。だからここは少しぼやかそう。
「さて、それはどうでしょう。私が前にいた国の名前が今の時代にまで残っているかもわかりませんし、そもそもこのユウェーラ大陸とは別の大陸で、一つ前の時代よりもずっと前の時代かも知れません。こういう答えでは、お師匠様は満足できませんか?」
ビレムは私の目を見てから視線を外して、そして私の目を見て頷いた。
「心外だな。君が語りたくないことを、無理やり聞き出すなんて真似をするとでも思ったのか?」
冗談めかしに言って笑みを浮かべるビレム。
「話の続きに戻ろう。イェルガーが単一術式を普及する前は、魔道具を大量生産して広く普及する産業が発達していたんだ。例えば珊瑚の結晶などを大量に採集して、様々な加工を施して、魔力だけを通すと誰でも使えるような仕組みで、今でもそう言った魔道具は存在する。ただ前の時代と違って値段の高い高級品となっているがな。前の時代は言わば大量生産、大量消費の時代だった。興味深い話が多い。市場を独占して莫大な資本を運用しながら、物事を金の力で進ませていて、数字の抽象性に依存したシステムで、馴染みがなければ想像することも難しいだろう。とにかくそのせいでその時代には様々な魔道具が運用されていたんだよ。」
割と馴染みのある話だった。私が前にいた世界と同じような話。前の世界も滅んだらこのような形になっていたんだろうか。そうはいかないか。この世界には魔力という無限の資源があって、前の世界では…星の作り出す無限に近い力が確かにあったけど。どうだろう、この世界のようにはならない気がする。人工知能とか、遺伝子工学とか、メディアとかインターネットとか、この世界にはそう言うのがないから。
そう言うことを考えながら私はビレムが話を続けるのを待った。