9話 昼寝
気づけば日は高く昇っていた。
霧のない林の中で火を起こし、焚き火で衣服を乾かす。水に濡れた前髪を掻き上げる私の仕草を、シドロが見つめている。
「鮮やかな赤色で、綺麗な髪ですね」と、横に座るシドロが興味ありげに話しかける。なんとか会話を生み出そうとしているようにも見えた。
綺麗、なのだろうか。確かに鮮やかではあるが、人と会わない仕事を続けているせいで、管理が疎かになっていると思うのだが。私は髪を摘んで毛先をじっと見た。
ふと、幼い頃に父に言われた言葉を思い出す。
「ああ、うん……私の髪は、ママの色なんだよ」と、その言葉が私の唇から零れた。
シドロが口をぽかんと開け、首を傾げる。
口が滑ってしまったと、言った直後に気づき、はっと口を塞いだ。シドロの表情をちらと窺った。
彼は、ただ無知なだけなのか、敢えて触れないでいるのか、「ああ、そうなんですね」と作り笑顔で返した。
パパに叱られたときの記憶が蘇る。あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。
私の故郷の街の中心を流れていた、真っ赤な大河。買い物の帰りに、私とパパはそれを眺めていた。
「ぱぱぁ、かわ、きれい」と、指を差した私に、いつも優しかったパパが初めて怒った。
「こ、こらぁ!」と怒鳴ったパパが口調を改めた。「……いいかい、ヘネリア。あの赤はね、良くない色なんだよ」
意味がわからなかった。いきなり大きな声を出したパパに、私はびっくりした。
あかは、よくないいろ。私は自分の髪を握って見つめた。そして、パパを見上げた。
「わたしのあか、よくないいろ?」
ちがう、ちがうよ、とかぶりを振ったパパ。
「ヘネリアの髪は、ママの色なんだ」と言って私を見つめ、「だから、綺麗で、大事な色なんだよ」と、私の髪をわしゃわしゃと撫でた。パパは笑ったが、その黒い瞳には、私の知らない、悔しさや怨みのような感情が蟠っていた。
何故パパが怒ったのか、今ではわかる。
パパは今、元気にしているだろうか。来年くらいに、一度エヴグント地方に帰郷しようか。
「ヘネリアさん?」
シドロの声が、ぼんやりと火を見ていた私を現実に連れ戻す。「あのー、服、乾きましたか?」
「あ、まあ……」と言いかけたが、背中のあたりがまだ少し湿っていることに気づいた。「背中がまだだ」
どうしようか、と辺りを見回すと、陽光の差し込むところに、平たい大岩を見つけた。これは都合が良い。
「あそこの岩で、少し乾かす」とだけ伝え、私は岩で寝転がることにした。
太陽に温められた岩に、ぺたりと背中をつけて仰向けになる。午前中の長い運転の疲労が、服の水分とともに滲み出るような感覚。全身の力を抜き、日の眩しさに目を閉じた。
秋風の香りが、鼻をくすぐる。さわさわと揺れる白樺の音が心地よい。
………。
目を開けると、橙色の斜光の下で、剣を振り回している男の姿があった。誰だっけ。ああ、客の冒険者か。
私は飛び起きた。さっきまで南に高く昇っていた日が、西に傾いている。もしかして私は、眠っていたのか?
「おい! おまっ……シドロ!」と、鞘に収まった剣を振る青年に怒鳴る。「私は、なにを……!」
「え? ああ、寝てましたよー。心地よさそうだったので、そっとしておきました」と、頬の汗を拭った青年が言う。
そっとしておいた、って、もう夕方じゃないか。なぜ早く起こさなかったんだ、と言おうとしたが、私はシドロに起こせなどといった指示はしていない。何時間も涎を垂らして寝ていた私が悪いのだ、こいつに怒るのは門違いだろう。
自分がミスをしたときが何よりも苛々する。「すぐに出発する。さっさと用意しろ」と吐き捨てた私は、焚き火跡の側に置いてある上着を手に取って羽織った。
何も指示されていないクレイは相変わらず、四つ足を地につけてぼーっとしていた。
クレイの元へ戻った私は、シドロが乗るのを確認して、急いで手綱を引いた。
赤い太陽が少しずつ、山へと降りていく。日が暮れてしまう前に、どこか宿を見つけなくては。