10話 夜行
刻々と夜が迫り、辺りが暗くなってくる。いつかの誰かが残した轍を頼りに、私はクレイを歩かせた。
早く起こしてくれれば、という考えが脳裏を掠めるが、それは我儘でしかない。わかっているが、だからこそ腹立たしく思える。
日が暮れてしまう。魔物が活動し始める前に、宿泊できるところが見つかるだろうか。
早く、早くしないと、夜が来てしまう。
「すっかり秋ですね。虫が鳴いています」
黙っとけ。どうでもいいことで話しかけるな。私はシドロの声が聞こえないふりをして、周りを見回した。
どこかに明かりが灯っていれば、そこに民家や村があるのだが、それらしいものは何も見当たらない。ならば、今からハールハル高原に引き返そうか。
いや、今から引き返しても、高原に着くころには真夜中だろう。
西の空を睨む。いつの間にか太陽は沈んでいたが、まだ橙色が残っていた。
運転席の脇に吊るしたカンテラに目を遣る。できればやりたくないのだが、もうやるしかない。私はクレイの歩みを止めた。
「もしかして、キャンプですか?」と、シドロが屋根付きの荷台から話しかける。
「お前、魔力結界が張れるのか」
「え、いえ、張れないですけど……結界って必要ですか?」
経験が浅いのか、こいつ、野宿を舐めてやがる。結界の重要性を知らないようだ。「魔物のおやつになりたきゃ、好きにしろ」
「そんな言い方しなくたって……」と呟いた青年は、「じゃあ、どうするって言うんですか?」と口を尖らせた。
「夜行だ」と答え、私はカンテラを手に取った。確か魔除け香が荷台に置いてあったな。「そこにある赤い小箱を取ってくれ」
「やこー……夜行⁉︎ 夜行なんて、危ないですよ! 夜行なんてしたら、それこそ、魔物のおやつじゃないですか!」
「わかったわかった、いいからその箱を」
「この前だって、僕の親戚の友達の弟さんのギルドが……」
「いいからさっさと寄越せ」と、睨んだ私の目に、シドロが怯んだ。そして、渋々小箱を手に取った。
「何ですかこれ……」
「魔除け香」
シドロが黙る。私の言っていることを理解したようで、かなり恥ずかしそうに俯いていた。そして、どうぞ、と私に小箱を手渡した。
香箱の蓋を開けると、魔除け香の粉末が少しだけ残っていた。足りないわけではないが、次使おうと思えば、途中で無くなるだろう。次の街で買い足さなくては。
カンテラの上部にある細い筒に、魔除け香をささっと注いで、パチンと指を鳴らしてカンテラに火を灯す。すると周囲が薄明るく照らされ、魔除け香のフローラルな香りが漂い始めた。この香りは私のお気に入りなのだが、魔物にとっては吐き気がするほどの悪臭なんだとか。
「今の、指鳴らして火つけるやつって、魔法ですよね! どうやって使うんですか?」
まったく感情が忙しない奴だ。どうやって、と言われても困るのだが。「普通に、鳴らすだけ」
「普通って言っても、習得しないとできないですよね! 他に使える魔法とかって、あるんですか?」と、目をキラキラ輝かせて尋ねてきた。
「今ではこれしか使ってない」と、シドロにきっぱり言ってやった。「着火以外は、魔法がなくても自力でできる」
魔法について話を聞きたかったのか、シドロは少し残念そうに肩を落とした。
そんな彼をちらっと見たあと、私は前を向き直り、よし、頑張ろう、と息をついた。
疲れるからなるべくやりたくなかったのだが、もう、頑張って行くしかない。
「今から翌朝まで夜行する。寝ていてくれて構わない」
「いや、もうちょっと、ヘネリアさんとお話がしたいです」
「……そうか、好きにしてくれ」
初めて言われた言葉だった。胸がキュッと締まるような、知らない感情が湧く。シドロが後ろでどんな顔をしているかわからないが、私は振り向かなかった。なんとなく、目を合わせたくなかった。
片手で手綱を引く。真っ暗な林道の先を、荷台を引いたクレイが、静かに歩き始めた。




