第二十一話 打ち上げ!
「……ふはぁっ……!
ログアウトした僕は、ヘッドギアをしたまま、大きく息を吐き出した。
それなりに緊張していたようだ。
フルダイブ後は、急に体を動かせない。
体をリラックスさせ、ゆっくり現実世界に精神と体を馴染ませていく。
もう動いていいよ、という時間を、ヘッドギアが知らせてくれる。ポーンと音がして、ヘッドギアのロックが外れる。
「いてて……」
腰の下にクッションを敷いていたはずだが、いつの間にかずれていたのか、姿勢が悪くなっていたようだ。腰を手で支えながら、急に動いて痛めないよう気をつけて、起き上がる。
フルダイブ用のゲーミングチェア買おうかな……ローンで。安いのもあるけど、安いと言っても五万はするし、安物買いの銭失いになるのは嫌だからなぁ。うんと高いやつのほうがやっぱりいいみたいなんだよな。部屋は狭くなるけど。ネットで調べてみるか。
ベッドから降りた僕は、まずトイレに行って用を足し、冷蔵庫の前に行き、扉を開けた。
排泄、水分摂取の流れは、どのプレイヤーもやることだろう。
そしてペットボトルのお茶を手に取りかけて、やっぱり……と缶ビールを手に取った。
いいよね。初ボランティアの後だし。飲んでも。
子供達のいないところで、一人で打ち上げだ。
つまみ、なんかないかな。つまみは安っぽい魚肉ソーセージが好きで、常に買い置きはしてるんだけど、たまに忘れるんだよな……。
――ピンポーン。ピンポーン。
絶妙なタイミングで、誰かが訪ねてきた。
このせっかちな二回のピンポンは……。
「はいはい」
立ち上がり、すぐにドアを開ける。
「やっほー、お兄ちゃん。もうゲーム終わる頃だと思って」
予想通り、妹の万葉が、ひらひらと手を振っていた。
「どうだった? ゲーム」
エプロンを持参してきた万葉が、狭いワンルームの台所に立ち、てきぱきと見事な手際で料理を作ってくれ、僕の前に次々と皿を置いてくれた。
現状、嫁に行くあてもないのに、料理も家事も得意な、感心な妹である。二十代~三十代の心優しき男性、誰かもらってやってくれー。今なら愉快な義兄がついてくるよ!
さて、妹が作ってくれた晩ご飯は。
僕の好きな野菜たっぷりのナポリタンスパゲティ。
荒く潰したたまごごろごろのポテトサラダ。
バター醤油の香りが胃袋にテロしてくる豚肉のソテー。
このてんぷらはなんだろう? アボカド?
ヒュー! どれもほかほかに湯気が立っている。
……ちょっとカロリー高めな気もするが。
いつもなら、「もっと生野菜たっぷり採らないとダメよ」とか言ってくる健康志向の妹なのに。
今日は誕生日かってくらい、僕の好物が揃っている。アボカドの天ぷらは妹の好みのつまみなんだろうが。
「さ、お疲れ様。どうぞどうぞ」
料理中に冷やしておいたらしいグラスに、万葉が缶ビールを開け、ドプドプと注いでくれた。常備されている発泡酒ではなく、万葉が差し入れしてくれた生ビールである。
黄色く透き通った命の水よ……。
「ま、今日は呑んで呑んで」
妹はどこか上機嫌。エプロンをつけたまま、自分もグラスを持って来て、ビールを注いだ。
「私も飲んじゃう。いいよね?」
「もちろん。呑もうぞ、妹よ。恋人のいない兄と妹同士……」
「それはいいでしょ」
ぺしっと頭にチョップを喰らう。
ビールをメインに、料理をつまみながら、僕達兄妹は大いに語らった。
「どーだった? ゲーム」
「ん? ……楽しかったよ」
「なんか元気なくない? 反抗するような子達じゃないと思うけど……」
「あ、そういうことはないよ。みんないい子達だったし」
「疲れたよね」
「まあ、大丈夫だよ」
「プレイ動画、後でもらっていい?」
「構わないよ。ちゃんと保存してあるし」
ゲームのプレイログはすべてのユーザーのデータに残っているし、外部に取り出すことも出来る。
未成年がプレイ出来るゲームは、全ログが残るようになっている。未成年がフルダイブ世界で犯罪に巻き込まれた場合、運営はそのログを警察に提出する義務もある。それが嫌な人は、成年以上推奨のゲームに移る。
僕達のプレイは、どの親御さんも確認したいということで、僕は了承している。でもこれは、子供達には内緒だ。親に見られてるなんて嫌だろうし。心から楽しめないだろう。
親に知られたくないような相談をされることもあるかもしれないから、ここはカットしてほしいと僕から頼めば、万葉が確認して、そこは親御さんには見せないことにもなっている。
「みんな、どんなかんじだった?」
「言っても、普段の彼らを僕は知らないからなぁ。ゲームで会うかんじでは、いい子達だったよ」
「そう。楽しそうだった?」
「うん。楽しそうだったよ。さっそく観る?」
僕はヘッドギアに入れておいた記録メディアに、プレイログをコピーした。
少し時間がかかるので、その間に飲み食いしつつ、僕は万葉に彼らとの出会いから最初の戦いまでを、簡単に説明した。
「再生機器もあるから、終わったらテレビで観ていいけど。僕は、ちょっと寝たいかな」
メシを食いつつ、すでに欠伸が出てしまう僕である。
「うん。ご飯食べたら、お兄ちゃんはゆっくり休んでよ。片づけして、ついでに掃除もしとくね。あ、再生の仕方は教えてもらっていい? ていうかこれ、保護者に見せるとき、必要?」
「別に、再生機器ごと持って行っていいよ」
「いいの? ありがとう!」
ゲームログ専用の再生機器は、そんなに安いものではないが、この為に購入した。
妹に頼めば買ってくれただろうが、ただでさえハードとソフトを買ってもらっているし、僕自身ログを見返したいほうだから、これだけは自腹で買った。
「お兄ちゃん、やっぱりちょっと元気ない? なにかあった……?」
「いや……」
ちびちびとビールを呑み、時折遠い目をする兄の様子に、気づいたのだろう。万葉が心配そうに顔を覗き込んできた。
「明日もやって大丈夫?」
「うん。それは大丈夫なんだけど……」
「平日は仕事で、土日はボランティアってのは、やっぱりキツいよね。……週一にしとく?」
「や、そうじゃない、そうじゃない」
僕は慌てて首を振った。
万葉が僕には似ていない大きな瞳を、きょとんとさせる。
「……や、実は……」
顎ヒゲを撫でつけようとして、現実の僕には無いことを思い出す。
「子供達がさ……」
「うん? なんか問題あった?」
「いやそうではなく」
「ではなく?」
僕はビールを舐めるように味わいながら、ふっとすっかり暗くなった窓の外見た。
ワーブリ世界も、今は夜だ。土曜の夜なので、賑わっているだろうが、今日の僕はリアルで子供達との冒険の余韻に浸るだけで充分だ。
最近は、このサタデーナイトをグラムストンでフィーバーするのが、週末の楽しみだったのだが、今日はそんな気にはなれない。
「……とても、楽しかった……」
「ん? うん」
万葉がポテトサラダを突きながら、目をきょとんとさせる。
僕はグラスを片手に、ワナワナと震えた。
「――めっっっっちゃ、くちゃ! 楽しかったっ……!!! 子供と遊ぶの、意外に楽しいっ……!」
「お兄ちゃんは、そーかなーと思ったよ」
「……息子達が可愛いっ……! 可愛かったんだよ……っ!」
「うんうん。良かった」
一歩間違えたら危ない発言と取られかねないが、妹は僕の性格を分かっているので、特に気にした様子もなく、アボカドの天ぷらをつまみ、ビールで流し込む。
「寂しいっ……! あの子達に週末にしか会えないなんて寂しいよっ……!!!」
言いながら、テーブルに突っ伏す僕。
「お兄ちゃんに他意が無いのは分かるけど、ご家族には誤解を招きそうだから、私の胸の中にしまっとくね」
「そうして……」
むくりと顔を上げる僕。ほどよく酔って気持ち良い。
「……とまあ、童心に返ったような気持ちで楽しんだよ」
毎日、学校が終わったら早く皆でゲームをしたかった感覚に近いかなぁ。
「ていうか、お兄ちゃんは入れ込みやすいのよ。だから、安心して預けられたんだけど」
「正直、もっとやりにくいかと思ってた」
「それぞれ、皆いい子よ。色々あったぶん、人の痛みも分かる子達だしね」
ふう、と万葉が小さく息をついた。僕もそうだろうけど、頬が赤い。兄妹揃ってビールは好きなんだけど、顔に出やすいのだ。
そして、ほっとしたように小さく笑った。
「……私も、安心したよ。やっぱり、お兄ちゃんはすごいや」
「僕が?」
まあ能天気なとこは、自分でもすごいと思うが。
「すごくすごく良い意味で、能天気なんだもん」
やっぱりそこかよ。
「お父さんはあんなふうに言ってたけど、お兄ちゃんのほうが向いてたと思うわ。教師」
「いやー、どうかな。俺、遊ぶのは好きだけど、叱るのは苦手だから。それは今日も痛感したとこだな。親父みたいにはなれん」
「えー? そんなことないよー」
「子供甘やかして学級崩壊しそう。僕は、教師になんなくて良かったよ」
なってたら、ノアやセイヴやイグアスとこうして遊ぶこともなかったわけだし。
「僕は現状で満足してるから。……つーか、何だかんだ、親父もすごかったんだなと思ったよ」
「んー、そうかな。父さんがああいう教師でいられたのは、時代もあるよ。今はもっと教師を見る目も厳しいし……がんばってはいるんだけどさー……」
万葉がとろんとした目を、ビールのグラスに向ける。
「疲れてるんじゃないか、万葉。お前はおふくろに似て、働き者だからさぁ。気抜いとけよ。親父が定年退職しちゃったら、おふくろも、すっかり自分の趣味に夢中だし。我慢してたんだなぁ」
「いいの。動いてるのが好きなの私は」
「ま、ほどほどにな」
「――よーし、今日は呑もう! もっと呑もう、お兄ちゃん!」
と、万葉が新しく缶ビールを冷蔵庫から出してくる。一本じゃなく、一気に三本。
コイツ、わりに酔ってる。ずーっと缶開けてたもんな。
ま、真面目な奴だから、友達の前でさえ、羽目を外して呑んだりできないに違いない。
ちょくちょく僕んちに来るのも、コイツなりの羽伸ばしというか。
僕はまだ妹ほど酔っていなかったが、ほどよく良い気分だったので、ノッてやることにした。
お疲れさん、可愛い妹よ。
「とりあえず、乾杯しよ! お兄ちゃん! 何回でもしよ!」
「そうだ! 何回でも乾杯しよう! 僕と子供達の初勝利に!!」
「そうだ、カンパイカンパイ!!」
「ウェーイ!!!」
僕と万葉は、酔っ払ったときのノリがそっくりである。
何度も乾杯をして、二人で酔い潰れるまで飲み続けたのだった。




