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縁の下に咲く花達  作者: 光希 佳乃子
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第8章


「悪かったな・・・桜・・・ストーカーとか性的暴行とかって異常反応するからさ。いたら、落ち着いて話ができないんだ」


シンさんの部屋で二人きりになった。でもその沈黙は長くはなかった。沈黙を破ったのはシンさんだった。


「・・・いえ。女性にとっては、怖いでしょうから、仕方ないです」


さすがに、女性にとっては、ストーカーとか強姦とかいう事件は、きつい話なのかも知れない。まして、その事件が会社によってこれ以上の介入を止められ、当事者が会社を辞めさせられるとくれば・・・嫌悪の対象になりかねない。



「七海さんに、お姉さんがいた話は、知ってるか?」


 言いにくそうに、シンさんが口を開いた。


「はい。社長が以前話してくれました。確かハネムーン中に現地で事故に巻き込まれたって言ってました」


 俺がそう言うと、シンさんは頷いた。


「その、七海さんのお姉さんは、桜の高校時代の先輩で、大沢さんの親友の恋人だったんだ」


「えっ!」


 突然の事に、驚きの言葉以上のものが出なかった。


「桜と七海さんのお姉さん・・・香澄さんは、同じ部活にいて、すごく仲良しだったらしい。


大沢さんは、香澄さんの事を好きだったらしいけどな。ま、言っちまえば、香澄さんは、大沢さんじゃなくて、大沢さんの親友の方を選んだんだ。


 桜は当時、大沢さんに片思いしてたけど、大沢さんの気持ちに気づいて、告白とかしないままだった。それ位、大沢さんの事も香澄さんの事も大好きだった・・・って、桜、言ってた」


 大沢さんと、桜さんと、七海さんのお姉さんが、そんな関係だったなんて・・・全然知らなかった。


 俺は、新たな事実に、言葉さえ失っていた。


「桜は、高校卒業と同時にドイツにピアノ留学して、七年後に帰国した。

 帰国してすぐ、香澄さんと大沢さんの親友の結婚式があった・・・そのハネムーンで、香澄さんと、大沢さんの親友は、現地での事故に巻き込まれて、亡くなった」


「現地での・・・事故って・・・一体・・・」


「・・・一度だけ、酔っ払った桜が話してくれた。

 トランジットで立ち寄った街で、飛行機の都合で2日、その街に滞在することになったらしい。


 それで、市内観光の途中で、行方不明になった。


 何日か後、大沢さんの親友の死体が発見された。香澄さんは酷い性的暴行を受けて重症。かろうじて生きていたらしい。

 でも、心は壊れたままで、それから何か月か後に、亡くなった。


 亡くなるまでの間、桜と大沢さんは、時間を見つけては、見舞いに行ってたらしい。桜にとっては大好きな先輩だし、大沢にとっては、昔、好きだった、親友の恋人・・・


でも。香澄さんは、桜や大沢さんを認識できなくて、二人とも相当苦しい思いをしたらしい。


で、やっと、香澄さんが2人のことを思いだしたんだが、それからすぐ、香澄さんは亡くなった。


 香澄さんが亡くなるのと同時に、桜と大沢さんは、同じ心の傷を抱え込んだんだ。


 だからこそ。・・・、桜も大沢さんも、レイプとか性犯罪に関しては、異常なくらい過敏に反応するんだ・・・大切な人を、それで失っているからこそ・・・許せないんだ」


 俺は、返す言葉さえ、なかった。2人の間にそんなことがあったなんて、考えもしていなかった。


 俺にとっての大沢さんは、しょっちゅう事務所に顔を出す、桜さんに馴れ馴れしすぎる人。桜さんにだけ、柔らかい表情をする・・・俺にとっては本当に虫の好かない人だった。


 でも、そんな過去を聞いてしまうと・・・大沢さんのあの態度も、納得できる気がした。


「嫉妬・・・しないんですか?」


「嫉妬?」


シンさんの言葉に、俺は恐る恐る、頷いた。


「よく事務所に、大沢さんが来ます。桜さんとその・・・」


二人きりでレッスン室で話している・・・そう言いかけて言葉を止めた。


果たして言って良い事なのか、一瞬、迷った。


けど、シンさんは平然としている。


「桜が、大沢を好きだったのは昔の事だ。

それに・・・あの男は、桜が、憲一さん達以外の男で、唯一心から信頼した人なんだ。

だから、俺も信じてみる。そう思ったんだ」


そういうと、少しシンさんは、考え込んだ。


「俺は、彼女が信じた人間は信じる・・・付き合うとき、そう決めたんだ。

そうでないと、俺も桜も焼き切れる。

俺だって、ドラマの中で桜以外の女とラブシーン演じる事だってある。一歩間違えれば大怪我に繋がるアクションをスタントなしでこなすことだってある。


 そういう仕事をしている俺の事を、桜は理解して、信用してくれている。


 だから、俺も桜を信用する。

さすがに桜の仕事柄、だれかとラブシーンを演じる事はないけどさ。

プライベートで本当に大切にしている人がいるなら、それは男性だろうと女性だろうと、俺も大切に出来るようになりたい」


シンさんは、そう断言した。


「信じて・・いるんですか?

大沢さんが・・・例えば桜さんの事を好きになったりしないって?

あの二人が、その・・・シンさんに隠れて浮気してるとかって・・・」


信じられない。


俺だったら、信じる事なんか出来ないだろう。


だって、密室で二人きりでいるんだぞ?


あの二人が一緒にいる、それだけで、友人同士、とかそういった物とは違う空気感になるんだぞ?


そんな二人を・・・信じてるって言うのか?


でも、シンさんは平然としている。そして。


「実際、あの男が桜に手を出す事はない。

桜が大沢を絶対的に信用している。

だから、大沢も、桜の信用を裏切る事はしないし、大沢も桜の事を信用している。


それに、大沢は・・・ずっと、香澄さんの事を思い続けているんだ。香澄さんが死んでもなお、な。


桜を、香澄さんの身代わりにすることは、絶対にない」


シンさんはそう断言した。


そして、まるでその話はおわり、と言いたげに、大きく息を吐いた。


「あの二人の話はもういいだろ?

実際、今は問題は起きてないんだ。これからも、よほどじゃない限り、起きないだろうしな」


「あ・・はい・・・」


少し、気まずい空気が、部屋に残っている。


無理もない。俺は、一歩間違えれば、シンさんの嫉妬を煽るようなことを言ってしまったのだ。


シンさんはああ言ってるけど、この話のせいで、シンさんと桜さんの仲が微妙になったりしたら、申し訳ない。



「・・・七海さんとリュウの話、なんだけどな」


「あ、はい!」


シンさんは半ば無理矢理、話を変えた。思わず俺は、顔を上げてシンさんを見た。


そう、今大切なのは、シンさんと桜さんの仲の事ではなく、七海のストーカーの話と、七海とリュウの事だった。


「この前、ドラマの収録の時、マナトから話を聞いた。


マナトが、リュウの関係者、調べてた」


そう言われて、あの、「ERIS」の事務所でマナトさんと話した事を思い出し、シンさんの顔を見た。


「マナトとは・・・事務所は違うけど、俺が無名の頃からの友達でな。


さっきも話したけど、随分前から俺と桜の関係も、面倒臭い立場や事情も知ってて、秘密にしていてくれているんだ。


リュウとマナトも古い付き合いで、お互いの交友関係も女性関係も、一番良く知ってる。・・・でも、さすがにマナトも、リュウの元カノがストーカーされて襲われた、何か情報ないか?・・・とは聞きにくいみたいだな。」


「そう・・・ですよね・・・」


確かにそうだろう。たとえそう聞いたとして・・・犯人が自ら自白するようなことはないだろう。


「でも、マナト、なんか心当たりがあるみたいだ・・」


「心当たり?」


俺が聞き返すと、シンさんはうなづいた。そして手元のコーヒーを飲んで、テーブルにおいた。


「俺にも、心当たりはある。多分マナトと同じ人間だ。

けど、証拠も確証も、ない。本人も否定してるしさ。

だから、マナトも、青木さんにはまだ伝えていない。それに、マナト自身、言いたくないのかもしれない・・・

その心当たりは・・・マナトにとって、それくらい、長い付き合いの仲間なんだ。」


マナトさんが、言いたくない存在?


仕事や利害関係のある存在か、それともマナトさんと、もっと親しい存在か・・・一瞬だが、色々思いを巡らしたけれど、しっくりくる答えなど、そうすぐには出てこなかった。


考え込んだ俺に、シンさんはさらに言葉を続けた。


「青木さんは、さ。

七海さんの事・・・

どうおもってるんだ?」


「どうって・・・」


シンさんの問いかけに、俺は返す言葉を失った。


どう思ってる?


好きに決まってる!


多分、初めて会った時から、少しずつ惹かれていた。


でも・・・


さっき、彼女と会ったとき、告白したとき・・・


彼女は・・・俺を拒絶していた。


「好きなのか?」


俺を伺うようにしてそう聞く彼から、俺は目を逸らした。


何も、言えなかった。きっと、七海さんの心には、まだリュウが残っていて・・・俺なんか入り込む余地は、ない。


「それとも・・・諦めるのか?」


俺の心を読み取るように、シンさんはそう聞いた。それにさえ、俺は答えられず、目を逸らすように俯いた。


「・・・仕方ないですよ。

あのリュウの彼女だった人ですよ?

叶うわけ、ないじゃないです・・・」


さっきの、彼女の、“帰って”という言葉が、まだ耳の奥に焼き付いて、離れない。


拒絶の言葉は、見えない刃のように、俺に突き刺さったままだった。


シンさんの、ため息のような、息を吐く音が聞こえた。


俺は俯いたままだったので、その姿を見ることはなかったが、かといって顔を上げてシンさんの顔を見る勇気もなかった。


「なあ、青木さん?」


そう言うと、シンさんは、ゆっくりと言葉を続けた。


「君は・・・

例えばリュウと七海さんがより戻したらさ、それを笑って見届けられるか?

笑って、おめでとう、良かったね、って、言えるか?

諦めるって、そういうことだぞ?」


言われた瞬間、俺は思わず顔を上げてシンさんを見ていた。


その顔は、少しだけ辛そうにも見えた。


「・・・俺がお前だったら・・・絶対耐えられない。

笑っておめでとう、なんて・・・冗談じゃない。

桜が、他の男の事好きだとしても。

桜が、他の男に取られるのなんか、冗談じゃない

誰にも渡したくない。

ましてや、その二人が両思いだとしても

笑っておめでとう、なんて絶対に言えない!


お前は・・・言えるのか?

七海さんとリュウが寄り戻したとして・・・」


「それはっ!」


その瞬間、俺の脳裏に、七海さんとリュウが寄り添う姿が過ぎった。


あのリュウの、鍛え上げられた腕に、七海さんが抱かれてる姿が、鮮明に脳裏に過ぎった。


その瞬間に、今まで感じた事もない、嫌悪感と嫉妬に駆られて、息苦しいほどに、身を焼かれる程気が狂いそうになった。


そんなのっ!絶対に嫌だ!!


「俺はっ・・・」


「嫌だよな? 耐えられねぇだろ?」


俺ははっきり頷いた。


そりゃ、彼女はリュウの事、好きかも知れない。リュウだって、まだ七海さんの事をまだ好きかも知れない。


でもっ!


俺は七海さんが・・・・


「俺は、七海さんが、好きです。

彼女とリュウが寄り戻すなんて・・・無理です!」


俺は、自分自身の想いを確認するように、はっきりと言った。


「七海さんは、あのリュウが惚れた唯一の女だぞ?それでも・・・気持ち、変わらないか?」


それは、最後の確認のような口調だった。激しいものではなく、咎めるようなものでもなく、むしろ静かなものだった。


「変わらないです!

彼女が、リュウのせいで襲われたなら、尚更です!

彼女が、あんな風に襲われる所なんか、もう二度と見たくない!

だから、守りたいんです!」


そこまで言うと、俺は一瞬、言葉を選びながら続けた。


「彼女が俺の事好きかどうかなんて、もうどうだっていい!

あんな風に彼女が襲われるところなんか二度と見たくないんです!


シンさんだってそうでしょ?

桜さんが・・・襲われるところ、みすみす何もせずに見ているなんて、出来ないでしょ?

たとえ桜さんの気持ちが、シンさんの所になかったとしても、そんなの嫌でしょ?


俺だってそうです!

七海さんが俺なんかより、リュウの事が好きだって事位判っているんです!


それでも、俺はっ・・・

もう彼女が、泣いたり傷付いたりするところなんか、二度と見たくないんです!」


それは、血を吐くような気分だった。


好きな気持ちに間違えはない。でも、それだって、彼女の無事と安全が確保されないとダメだ。


そうじゃないと・・・


けど、俺がそう言い切ると、シンさんはにやり、と笑った。


それは、出来の悪い生徒の口頭試験をする教師みたいで、“やっと答えが言えたか”と言いたげだった。


「それなら・・・お前の出来ることをやれよ。

後悔してからじゃ、全部遅いんだ。

思いつく限り、出来ることを全部、精一杯やって、

彼女を抱きしめられりゃ、それでいい。


最後の瞬間に、後悔するような行動だけは・・・すんなよ」


そこまで言うと、シンさんは大きく息を吐いた。


「俺やマナトも桜は、それぞれの立場とか仕事とか、人間関係も絡んで七海さんの為には動きにくい。

事務所も憲一さんも、今、一緒に仕事してる相手のことを、どうこう言える立場じゃない。

それは、理解できるよな?」


「はい・・・」


俺は頷いた。


「その上で・・・お前が動くんだ。

お前は、憲一さん程深く、桜や仕事に絡んでいないし、今回の関係者と、個人的に知り合いって訳じゃない。面倒くさい柵だって桜よりもずっと少ないはずだ。

俺達に出来ないことが、お前には出来るかも知れない。

お前には、それだけの気持ちだって、あんだろ?」


「・・・シンさん・・・」


心なしか、真面目な顔でそう言うシンさんから、俺は目を離せなくなった。


「いいか?

最後の瞬間まで、絶対諦めんなよ?

諦めちまったら、そこで終わりだ。

彼女の安全も、彼女の気持ちも手に入らねぇぞ」


「・・・は・・・はい!」


俺は、しっかりとシンさんの顔を見て・・・そして頷いた。


もう、俯きたくなかった。


何よりも、七海さんへの気持ちから、目を逸らしたくはなかった。




シンさんの言葉は、強くはなかったけど、しっかりと、確かな想いとなって、俺の心に、無理なく入り込んでいった。


諦めてはいけない。


自分の本当の想いから、目を逸らしてはいけないと・・・


そして・・・


何より俺は、


七海さんを、守りたかった。


もう二度と、あんな目に遭わせたくなかった。





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